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番外編

後日談①

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 村で唯一の薬屋に、来店を告げる鐘が鳴る。古びた椅子に腰かけて舟を漕いでいた婆は、その音で飛び起きた。
 薬屋は、集落の外れにあった。切り盛りしているのは変わり者の婆である。今にも飛び出そうな眼玉、鉤鼻は厳めしく、爆発しそうなもじゃもじゃの白髪を一つに束ねたその姿は、黄昏時に見かけると新種の魔獣のようで恐ろしい。よって、病気や怪我でもしない限りは、皆この薬屋を敬遠していた。
 開け放たれた扉から少し冷えた風が吹き込む。その先に垣間見えた空は茜色に暮れ、夜告げの鳥が飛び交っている。仕事を終えようという時分に一体どこの誰が来たというのか――薬屋の婆は不満げに鼻を鳴らした。
 このところ、ただでさえ忙しいのだ。
 半月前、近隣で妖魔の群れが現れた。退治屋が徒党を組んで向かっていき、怪我人が何人か出ている。その都合で薬の捌けはすこぶるよく、今日は既に品切れとなった。今更やってきたとて、売り渡せるものなどありやしない。
 扉から入ってきた人物を見て、帰れと言うのを婆は思いとどまる。

「何だい、アリカかい」
「何だい、とは何よ。ほら、薬草。持ってきてあげたわよ」

 ほとんど残ってなかったでしょ、と言ってアリカは未処理の薬草が山盛りになった籠を軋む机の上に置いた。部屋の奥にある棚には空の瓶がいくつも並んでいる。明日は店じまいをするしかないと覚悟していただけに、アリカの薬草は天の恵みに他ならなかった。

「お前さん、これだけの量どっから採ってくるんだい」
 
 婆の呆れとも感心ともつかない口調にアリカはふふっと笑う。

「別に、どこだっていいじゃない。お金になればなんだっていいのよ――金貨五枚でどう?」
「ふん。年寄りから容赦なくむしり取るんじゃないよ、この性悪女」

 どこからともなくふらりとやってきては、薬屋に薬草を売りつけて帰っていく。薬が捌けて潤っているときに限って。これを性悪と言わずになんとするのか。

「金貨五は高すぎる。せいぜい、金一枚、銀五枚ってところさね」
「……まあいいわ。交渉成立ね」

 眉間に皺を寄せつつも、婆はアリカに硬貨を渡した。
 このアリカは、とにかく器量がいい。赤銅の髪は艶やかで美しく、形の良い紅蓮の瞳は落日を思わせる。たわわに実った胸、細い腰回り。人形のように整った顔立ちで、女の理想を詰め込んだような容姿をしていた。
 とてもではないが辺鄙な村に溶け込める器ではない。アリカを遠目に見ただけで男衆は色めき立ち、女衆は嫉妬と羨望の眼差しを向ける。
 ――この女は高嶺の花だ。
 ただこのアリカ、人通りの多い時間帯は路地を歩かない。それどころか、村はずれの薬屋にばかり寄り付いて、嫌われ者の婆を揶揄っては去っていく。村に流れてきてから、婆以外の者と話しているのを見たことがなかった。隙がありそうでない。だから男達は誘いたくとも誘えない。強引にことを運ぼうとしたところで躱され、逆に手玉に取られるのが落ちだろう。
 現れたのは半月前。妖魔の群れが出現したあたりだったか。その間の悪さが災いして、中には口さがない噂を流すものもいる。
 婆は溜息をついた。

「お前さん、一体いつまでこの村に留まる気なんだい」
「さあ。決めてないけど」
「……用事が済んだらさっさと出て行った方がいいさね」
「傷つくわー。そんなに邪険にすることないじゃない」

 アリカは涙をぬぐう仕草をして見せた。その大きな瞳からは一粒も流れやしないのに。
 その時、村の広場の方で歓呼の声があがった。アリカと婆は顔を見合わせ、揃って外に出る。
 薬屋の周りは方々に伸びた夏草が揺れていた。あたりには薄青い闇が揺蕩い、東の空から三日月が上り始めている。
 広場の闇は篝火で払われ、村人達が続々と集まっているようだった。群衆の視線の先には、仕留めた妖魔の遺骸を引きずる退治屋一団の姿がある。

「なんだい、妖魔退治が終わったのかい」

 血だらけの包帯をそこここに巻いた者、足を引きずっているもの、一見無傷のもの、様々だ。一団に統率感はない。金で雇った歴戦の退治屋、志願して参加した村の若者、熟練の狩人――それはもう見事にバラバラである。屈強な男達をまとめられるような者がいなければ、被害も大きくなろうというもの。
 婆は目を細めた。

「ほうほう、薬がよく捌けたわけさね」
「……あたし、そろそろ行くわね」
「なんじゃ、お前さん。あの中に待ち人でもいたのかい」
「さあ。ご想像にお任せするわ。じゃあね」

 アリカはひらひらと手を振って踵を返した。
 風に吹かれ、豊かな赤銅の髪が夜闇に靡く。ほのかに薔薇の香りがして、婆はなんだか落ち着かない気分になった。
 

 ◇


 最後に抱きあったのはいつだったか。
 同じ褥で眠ったのは。
 やわらかくて、甘いあの身体を飽くまで堪能したのは――
 愛欲を注いでいる最中に舌ったらずな声で『ハティ』と呼んでくれたのは、もう随分前のような気がする。
 
 信じ難いことに、たった数匹の妖魔退治に半月もかかった。退治屋とはいえ所詮烏合の衆。中には素人も交じっていた。一人だけが強力であっても、群れた妖魔を退治するには意味を為さない。妖魔の方がよほど連携できており、頭が回っていた。功を焦り、それぞれのやり方で倒そうという浅はかな退治屋共よりよほど。

 半月も。アリカに触れていない。
 ――ハティは発狂寸前であった。

 自分は待てる人間だという自負があった。これまでの実績から考えて、会えなくともいくらでも我慢できるのだ、と。
 どうやら思い違いだったらしい。
 声が聴きたい。顔が見たい。やわらかな身体を抱きしめて、その全てを感じたい。
 アリカ。
 ――あなたの夫は他でもないこの俺なのだと、その身に刻み付けたい。
 何故隣にいるのがアリカではないのかと、この半月何度思ったことだろう。何故こんな、見栄と矜持にまみれたむさ苦しい男共に付き合わねばならぬのかと。
 なるべく目立つ真似はすまいと周囲を伺ってみたものの、無駄に時間ばかりが過ぎていく。ハティの苛立ちは募り、ついに爆発した。
 折り重なった妖魔の遺骸を踏みしめる、返り血まみれのハティはさぞや恐ろしかったのだろう。他の退治屋連中はその光景に戦慄し、戦いの何たるかを知らぬ村の若者は色々振り切ってハティに心酔したようだ。帰りの道中退治屋達は沈黙を貫き、若者は鬱陶しいくらいハティに懐いた。
 村に戻るなり、雇い主をはじめとした村人達からどっと歓声が上がる。広場の中央では炎がゆらめき、薪が乾いた音を立てて爆ぜた。
 雇い主は、この村を含めた近隣を牛耳る豪族である。よほど羽振りが良いのだろう、恰幅がよく、都でしか手に入らないような上等な絹の服をゆったりと着ている。両手指全てに大粒の宝石で設えた指輪をはめ、見目麗しい男女の奴隷を左右に侍らせていた。金払いが良かったから引き受けた仕事ではあるが、本来関わり合いになりたくない類の人間だ。アリカもハティも、この豪族をいけ好かなく思っている。
 個人の功績によって褒賞金をはずむ――そんなことを言わなければ、アリカを好きな時に好きなだけ愛でられたのに。
 この畜生めが、と内心何度罵ったことか。
 アリカ、アリカ……――俺だけの薔薇姫。

「英雄のご帰還だ、宴の準備を!」
 
 豪族の合図で酒や料理が次々と運ばれてくる。退治に参加した者のみならず、村人全員にこれらを振る舞う用意があるらしい。
 だが、ハティにとっては欲に塗れた宴などよりも先に堪能せねばならぬものがある。
 アリカ――
 広場から少しでも視線を逸らすと、その先には深い闇が広がっている。風が吹くたびざあざあと木々がさざめき、影が蠢く。
 ――その揺らぐ闇の中から、薔薇の香りがした。
 ハティの意識が広場の外に向けられている間にも退治屋達は口々に、ハティの功績をたたえた。ただ畏怖し、圧倒的な強さを前に怯え、心酔しているようだった。
 精一杯着飾った女達が嬌声をあげてハティを取り囲む。ハティを見上げるその目はとろんとして、何かを期待するかのようにしな垂れかかってくる――が、それを押しのけてハティは足早に歩を進めた。女達は名残惜しそうに、はたまた不満げにハティの背中へ言葉を投げる。
 篝火の灯りの外、ほの暗いその空間に踏み入って手を伸ばす。
 
「アリカ」

 細い手首を掴んで引き寄せる。よほど驚いたのか、アリカの紅蓮の瞳が大きく見開かれた。  
 心外だった。
 何故分かったの、とでも言いたげである。見逃すわけがない。
 こんなにも、欲しくて欲しくて、たまらないのだから。

「ハティ――」

 言葉を飲み込むようにアリカの唇を自身のそれで塞いだ。ふにふにとした唇を食み、息継ぎの合間に開いた唇に舌をねじ込んで濃厚に絡ませる。
 ――酒の味がした。
 暗がりの中、広場を眺めながら一人で飲んでいたらしい。無防備にも程がある。
 口づけの合間、アリカは呻くように言った。

「よく……んっ、あたしのこと――」
「見つけられた、と? 馬鹿にしているのか」

 夢中で、互いの呼吸を奪った。じゅるじゅる、といやらしい音をたて、息継ぎさえ満足にできないほど舌を吸う。
 逃れられぬように大きな手で頭を抑え込み、その全てを味わおうとした。
 甘くて、溶けそう。心がこれほど満たされることが、他にあろうか。
 唇を離すと、濡れたそこが糸を引いた。やっと解放された、とアリカが安堵するように息をついた――それがなんとなく気に入らない。
 今度は首筋に噛み付くようなキスをする。

「ちょっと、待って――それ以上は、ここでしないで……っ」
「半月だ」
「……半月?」

 何を言っているのか分からない、とでも言いたげだった。
 ハティは腰が砕けたように力の抜けたアリカを抱きしめ、耳元で囁いた。

「お預けをくらった。俺を発狂させたいのか」
 
 アリカは気圧されるように頭を振った。
 
「あのね、あたしだって……」

 駆け寄っていきたいのを我慢していたんだから――消え入りそうな声でアリカが言った。
 虚を突かれるハティにアリカは続ける。

「ハティの周りには、いつもたくさんの人が集まってくるんだもの。本当はあたしが一番に出迎えておかえりって言いたかったのに、全然近づけなかった。夫がもてるのも考えものね」
「……お前は、本当に――」

 ――ああ、本当に。
 愛おしい。
 もう一度唇を重ねる。深く、深く。


 ◇


 村の宿屋の壁は薄く、隣の部屋の音がはっきりと聞こえた。
 利用するのは金のない旅人くらいなものだから、設備に投資する必要もなかろうと宿のおやじ達は判断しているのだろう。
 一部屋につき、二人までなら泊まれるようになっていたが、寝台は一つしかない。二人で使う場合はどちらかが床か長椅子で寝ることになる。寝具は薄くて固い。ただ野外で雨風に晒されて寝るよりはずっとましだろう。
 本来一人用の寝台に二人分の体重がかかれば、軋んだ音を立てるのは当然のことである。その周囲には乱雑に衣服が散らばっている。
 華奢な身体を組み敷くと、その白い肌は何かを期待しているかのように上気する。
 ――知っている。アリカもハティを欲しがっている。
 潤んだ大きな瞳には餓えて欲情したハティが映し出される。
 逃れられぬよう、片手でアリカの両腕を押さえつけて少し乱暴なキスをする。アリカはそれに応え、二人の吐息は次第に甘くなった。

「アリカ」

 硬く屹立した肉欲の証を白い大腿に押し付ける。キスをしただけでこの状態だ。責任をとれ、と無言の圧力をかけると、アリカは何を思ってかふふっと笑った。

「ハティ、物欲しそうな顔してる」
「……悪いか」

 物欲しそう、ではない。この渇きを癒やして欲しいのだ。
 お前は違うのか、と汗ばんだ肌をきつく吸い、徴をつけては舌で嬲る。
 ――全て、俺のもの。他の誰でもない、俺の。
 ハティが上で動くたびに豊かな乳房が揺蕩う。柔らかなそれは甘い菓子か何かのように映り、かぷりと口に含んで転がしたくなる。片手はやわやわと胸を揉みしだき、舌先で突起を吸い上げ、あえて音を立てるようにして弄んだ。

「……ふぁあっ……ん」

 アリカは太ももを擦り合わせた。ハティはその白い大腿をそっと撫で上げ、内側へと指を這わせた。茂みをかき分けていけばぐずぐずに溶けた蜜壺に突き当たる。指を二本差し入れれば、アリカの身体が跳ね上がった。
 ――知っている。アリカの弱いところ。
 敏感な場所を突くと、更に身体は弓なりにしなる。

「やぁ……っそこ、だめぇ……――」
「くっ……もっと上手にねだってみろ」
 
 ――本当は欲しくてたまらぬだろう?
 耳元で囁き、わざと水音をたてて耳介を舐めた。
 ふるり、と華奢な肩が跳ねる。
 指の動きに合わせるようにアリカの腰が動いた。蜜はしとどにあふれ出し、ナカは解されやわらかい。身体は大変素直だ。ハティはくくっと喉を鳴らした。指を引き抜き、荒い息を繰り返すアリカに見せつけるようにそれを舐めた。

「さて、どうして欲しい?」
「っ……入れて、ハティ」

 紅蓮の瞳は情愛に濡れて、懇願する声は煽情的だった。もう少し愉しんで焦らしてやろうというハティの思惑は脆く崩れ去る。
 開かれた白い大腿は艶めかしく、秘部を探るように硬い先端を擦り付ける。濡れそぼったそこを見つけると一気に突いた。
 肉壁が吸付く。溶けそうに熱い。

「……っ」

 眼下のアリカは蕩けそうな顔でハティを見上げた。
 形の良い唇が動いた――気絶するくらい気持ちよくさせてよ、と。
 煽るような言動に火が付く。

「いいだろう――溺れさせてやる」

 大きく腰を引き緩急をつけて深く穿てば、恭悦の声が上がった。もっと、とせがむように脚を絡ませてくるのがまた愛おしい。

「アリカ……愛している」

 寝台が激しく軋む。荒い呼吸と、喘ぎ声と、肉体がぶつかり合う音が延々と響いた。逸楽に溺れ、互いを求め合う。
 ――それは空が白む頃まで続いた。
 アリカが達し、文字通り快楽によって気絶したところで追い込みをかけるように細い腰を掴んで激しく抽送し、ハティもまた達した。

 
 ――日が昇ってから宿を後にしたが、おやじの顔は真っ赤だった。何か言いたげに口を開けては閉ざし、結局黙って金だけ受け取った。
 ハティ達の他に、退治屋の数人が泊まっていたようだが、誰も何も言わなかった。
 アリカを連れて褒賞を受け取りに行くと、依頼主の豪族はあんぐりと口を開け、アリカを指差したまま動かなくなった。

「――……何故、こんな鄙びた村に、こんな……」
「こんな、の先を言ってみよ。血の雨を降らせてくれる。それが嫌なら黙って褒賞金を渡せ」

 ハティが冷ややかに言えば、豪族は震える手で金貨の袋を渡してきた。
 見目の良い男女を侍らせるような奴だ、大方、アリカを愛妾にでもしてみたかった、とかぬかしたに決まっている。
 村の外れまで来たところで、アリカが振り返った。
 その視線の先には爆発しそうなもじゃもじゃ白髪の老婆がいる。まるで新種の魔獣のようだ。
 アリカはふふっと笑い、老婆に向かって大きく手を振った。
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