或ル男ノ断行

とっとこまめたろう

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或ル男ノ断行

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 昼下がりの帝都ソコハ、その一等地には赤煉瓦造りの立派な屋敷があった。
 その屋敷の一室は昼間だというのにカーテンが閉められ、燭台の炎が揺れている。
 華美な調度品、豪奢な内装の部屋にはそぐわないほど、部屋は薄暗い。
 私は、両手を後ろ手で拘束されたまま跪いていた。目の前に立つ少女は、氷のように冷たく透き通る美しさがある。
 彼女の名を、ステラ=トゥ=サディーと言う。サディー公爵の一人娘である。
 亜麻色の長い髪に、形の良いアーモンド形の青灰色の瞳。笑い声は鈴を転がしたかのように軽やかだ。少々尖った性格をしているが、その周囲には常に人が集い、同じ年頃の少女たちはお嬢様ステラに心酔していた。――気持ちはよく分かる。お嬢様についていけば間違いない。何せ将来の皇后候補、皇太子の婚約者である。取り巻きは居て然るべきであった。
 私――マイク=ケッテクレーはサディー公爵家に仕える従者だ。
 そして今、お嬢様にお仕置きをされている最中である。お嬢様のご友人が私に脱ぎたての下着パンツを押し付けてそのままノーパンで帰宅されたのを知り、ご立腹なのであった。
 乗馬のお稽古から戻られたばかりのため、乗馬服をお召しになっている。濃紺のジャケットに形の良い脚を強調するピタリとした白いパンツ、それにロングブーツを履いている。冷厳なお嬢様にとてもよくお似合いの出で立ちで、私は内心興奮した。
 黒い皮手袋がはめられたその手には、短鞭がある。それで私の堕落した身体と腐った性根をぶっ叩くのである。
 つまり、被虐趣味マゾヒスティックの私にとっては最高のご褒美タイムだ。
 同僚達はお嬢様の叱責や仕置きを、理不尽な暴力と罵倒による虐待だと勘違いしているがとんでもないことである。お嬢様はただ、堕落した者に罰を与えて教育してくれる、良き主人だ。ただし、頭に血が上るとやりすぎてしまうこともままあるが。
 お嬢様は冷たい微笑を浮かべて私を見下ろし、鞭の先を顎の下に添えると無理矢理上を向かせて訊ねた。

「どうして脱ぎたてのパンツを押し付けられたのか分かる?」
「……分かりません」

 正直に答えればお嬢様は鼻で笑った。

「分からない? ――そのパンツでお前は何をしたのか、言ってごらんなさい」
「……っ、匂いを、嗅ぎました」

 お嬢様が鞭で私の頬を叩いた。乾いた良い音がすると同時に、鋭い痛みが駆け抜ける。私は下腹部がきゅっと引き締まるのを感じた。

「脱ぎたての下着の匂いを嗅いだだけ? 他に何をしたのか、言いなさい」
「……扱きました」
「何を?」
「……ペニスを」

 お嬢様は侮蔑するかのように目を細める。

「そう。お前は脱ぎたての下着でオナニーをする変態だとわたくしの友人に思われているわけ。その通りだったわね。だってお前は、誰彼構わず声を掛けてしまう、欲求不満の淫乱だものね? お前はサディー家に仕える従者でありながら、そんな変態的な目で見られているのよ。サディー家は淫乱を側に置いていると思われているの。分かる?」

 お嬢様が後ろに回り込むと、鞭が唸りをあげて空を切った。パァン、という乾いた音と共に私は悦楽を感じた。恍惚とする私を見て、お嬢様は冷ややかに嗤った。

「叱られているのにそんなに嬉しいの? お前のような男を見て惚けている女の気がしれないわ。お前の美点なんて顔だけよ。それしか価値がないのにね」
「おっしゃる通りにございます」
「少しは否定しなさいな」

 私は俗に言う美形の部類に該当するらしい。通りを歩けば必ず誘われるし、お嬢様の友人がパンツを渡してきたのもそういう意図があったのだろう。
 サディー家に仕える前は金持ちの老若男女に体を売ってどうにか食いつないできた。
 散々鞭で打ち据えられ昇天しかかった私に、お嬢様は優しく囁いた。

「わたくしに仕えられることを感謝なさい、マイク。わたくしがお前を鍛えてあげているからこそ、お前には価値があるのよ。サディー家に見いだされなければ、お前はずっと役立たず、肉欲を満たすだけの薄汚い男娼のままだったのだから」
 
 ――まったくもって仰る通り、感謝の念に堪えない。私は幸せだ。


 ◇

 
 お嬢様が頭を打って病院に運ばれたと聞いたのは、丁度お茶の準備をしていた時だった。
 どうやら乗馬のお稽古中に突然馬が暴れだし、制御できずそのまま振り落とされてしまわれたらしい。猟騎帽を被っていたため目立った外傷はないようだが、一時意識を失われたとか。
話を聞いた私は、すぐさま病院へ駆けつけた。
 病室のドアをノックし、無礼を承知で返事も待たずに踏み入る。ベッド上にはぼんやりと身体を起こすお嬢様の姿があった。落馬の当時のままの格好だが、いつも綺麗に整っている髪だけはくしゃりと乱れていた。

「ステラお嬢様!」

私に気が付くとお嬢様は頬を染めて顔を背けた。

「えっ、何。どういうことなの? マイクよね? マイク=ケッテクレー。実物が眩しすぎるーーで、私がステラ……?」

 よく分からないが、何やらぶつぶつおっしゃっている。私は首を傾げつつその美しい顔を覗き込んだ。

「お嬢様?」
「私のこと、よね……そうよね、それ以外ないもんね!」

 どうしよう、どうなってるの、などと呟いているお嬢様は、普段とはまるで別人に見えた。打ちどころが悪かったのだろうか。私は途端に心配になった。

「まだ、お加減がよろしくありませんか。頭が痛みますか? よろしければ、医者を呼んでまいります」
「医者!? ――えっと、ここは一体どこかしら。マイク」
「メーイ記念病院です。お嬢様は落馬され、こちらに運ばれました」
「……そう。皆に心配をかけてしまったわね。マイクも、仕事中に駆け付けてくれたのでしょう。悪かったわね」
「……」

 私は得も言われぬ悪寒が背筋を駆け抜けるのを感じた。
 お嬢様は今、悪かった、とおっしゃったのか?
 従者が主人の危機に駆け付けるのは当然のことだ。お嬢様の口から私を慮る言葉が飛び出したのがあまりにも意外だったし、気色悪かった。
 そこは悪かった、ではない。正解は、何故もっと早く駆け付けないのよこの役立たず、一択である。罵倒したうえで労いの言葉を与えるのがお嬢様というもの。
 
「それで、この後どうしたらいいの? どこも痛くないし元気みたい、私。まだ入院が必要?」
「予期せぬ事態に遭遇したゆえ、精神的にも身体的にもお疲れでしょう。屋敷に戻り、ゆっくりお休みになられた方がよろしいかと」
「屋敷――ああ、サディー家の。そっか……そうよね。私の家なんだし。そこに帰るしかないよね。うー、大丈夫かな……使用人皆、私のこと嫌ってるじゃない?」
「はい?」

 相当打ちどころが悪かったのか、お嬢様の言葉は終始要領を得ない。あれほど知的で冷厳としていたお嬢様の面影はどこにもなく、今は困ったように頭を抱えている。
 訝しむ私の視線に気づくと、お嬢様は私を見て、はにかんだように笑った。
 私は全身鳥肌が立つのを感じた。その笑い方は解釈違いである。
 落ち着け、お嬢様は頭を打っているのだ――私は自分に言い聞かせた。いつもと違う思考をされているように見えても、本質は同じはずだろう。
 しばらく様子を見るのだ。時間はかかっても、いずれ戻るに決まっている――私はそう信じ込むことにした。
 そうしなければ、怖かった。
 お嬢様の形をした何かが、サディー家を変えてしまうような気がした。
 深く考えてはダメだ、と私は無心で帰り支度をする。馬車の用意ができたところでお嬢様を迎えに行くと、お嬢様は不安そうに囁いた。

「ねえマイク」
「何でしょう?」
「マイクは、ずっと私の側にいてくれるわよね?」
「……おっしゃる意味が分かりかねます」
「ごめん、変なこと言ったよね。もしもこの先、とっても素直で可愛い子が現れたとしたら、マイクはその子に恋しちゃうんだろうなって思って……」

 何を言っているんだ、この人は。何を。
 私の戸惑いが顔に出ていたのか、お嬢様は慌てて付け足した。
 
「私なんてほら、すごく意地悪だし、冷たいし、マイクにとってもいい主とは言えなかったじゃない? いつ見限られても全然不思議じゃないっていうか……」

 私はつい拳を握りしめた。
 本当に、この人は何もわかっていない。何も。
 黙り込む私に何を思ったのか、相手は畳みかけるように言った。

「私、これからは心を入れ替えようと思うの。なるべく目立つ真似はしないし、敵は作りたくない。皆に――マイクも含めてよ――分け隔てなく優しくしたい。そのために、マイクにも手を貸してもらいたいの!」
 
 おかしい。
 果てしない違和感が私を襲う。
 競ってこそ、その頂点に立ってこそのお嬢様ではないのか。目立つのを厭い、敵を恐れるなどあり得ない。優しさ――褒美は常に見せる必要はない。
 違う。
 違うのだ。
 これまで噛み合っていたものが、音を立てて崩れていくようだった。
 目の前にいるこれは、私の知るステラ様からは程遠い。同じ姿をしているが全く別の存在だ。それは私の心を容赦なく荒し、踏みにじっていく。
 私は怒りで震えた。
 ――これは私のお嬢様ではない。
 お嬢様の肉体を乗っ取った、何かだ。

「そう、今日からは新しく生まれ変わった私だと思って接してくれる? 一から始めるつもりで」
「……っ」

 ステラの皮を被ったそれは朗らかに笑って馬車に乗り込んだ。
 私は耐えきれなくなり、ピストルホルダーから銃を抜く。
 
 その銃口を肉の的に向け、私は引き金を引いた。
 だが、弾丸はそれの息の根を止めるに至らなかった。不甲斐ないことに動揺して狙いがブレたのだ。弾丸はその脚を貫き、白いパンツが赤く染まる。

「痛ああい!」

 それは絶叫しのたうち回った。綺麗な顔が涙と涎でぐちゃぐちゃになる。銃を構える私を見ると、それは震え上がった。
 私の気分次第で生きるも死ぬも決す。全ては私の掌の中にあるのだ。
 その、得も言われぬ快感。
 
「助けて欲しいか?」

 こくこくと頷く。

「ならば跪け。今日から私が貴様の主人だ」

 ――その日からステラは私の雌奴隷になった。
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