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第1部 覚醒
10 奇襲
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ヴェンツェル団の朝は早い。町内清掃と見せかけて小銭拾い、あるいは宵越しの酔っ払いの懐からこっそりくすねるのが日課である。
といっても今朝は、このお役目に就くのはアンナだけであった。
「みんな行っちまったもんなー」
金を持ち帰ったアンナとセバスチャンに続いて、明け方に戻ってきた仲間たちは皆、兵装を整えるとすぐ出て行った。しかしヴェンツェルの姿は無かった。
「お頭は本陣に向かってるでやんす。小銭1枚でも失くしたらお頭はすぐ嗅ぎつけるでやんすからね、しっかり留守番するでやんすよ」
金をセバスチャンと分割し、更に分散して隠すと、休む間も無くアンナは町内清掃に出たのである。他に誰もいないのだからサボっても分かりはしないのだが、アンナは真面目に取り組んだ。まだスリはできないから、専ら小銭拾いだ。
飯炊き、雫亭の掃除、洗濯、繕い物、馬の世話、出来ることは何でもやる。役に立たないと判断した時点で遊郭に売り飛ばす。それがヴェンツェルとの契約だった。
「こいつは身分の高い男を捕まえて、利子つけて私に金返すんだからな。おまえたち、手出ししたら許さないよ」
そして、なぜか真面目な顔で、団長自ら暇を見て直々に読み書きを教えると全員の前で言った。
というわけで、渡された本の中から読める文字を拾って板に書き付け練習する、という宿題も出されていた。
「早く帰ってこないかなー」
ヴェンツェル団の傭兵どもは皆陽気で、いがみ合っている父母と暮らすよりよほど気楽だった。
同時に、今までどこか他人事だった戦という言葉が色を変えた。もう、全員帰って来ないかもしれないのだ。
悪い方に考えるとそれが現実になってしまいそうだから、小さい頃からやめることにしている。
「まず掃除からだ!」
そう鼓舞して、冷たい水に雑巾を浸した。
◇◇◇◇
顔が切れるような冷たい空気を割いて、ヴェンツェルは一人馬を飛ばした。早朝の空は暗い鈍色で、大粒の雨が落ち始めている。
本営に到着して名乗るとスムーズに通される。
「よくやってくれた、傭兵団長ヴェンツェル。例の爆弾は既に作らせている。雨だがうまく行くだろうか」
火鉢のある暖かい天幕で、フェルディナントは立って迎えた。
「雨など恐れるまでもないと頭取は豪語してましたが。それでご用件は」
「決まっているだろう。幕僚を集めているから、そなたも参加してほしい」
「え」
というわけで、あいつ傭兵?誰だ?なに免状ないわけ?の視線をビシバシ受けながらの軍議だ。あろうことか国王まで出席していて、最末席とはいえ場違いもはなはだしい。
「ヘルジェン軍はクレー川の川上に陣を構えている。その数約1万5千、軽装歩兵と傭兵を前列に、重装歩兵を後列に配置している」
朗々と話すのは大元帥代理を務めるレオンハルト元帥だ。
クレー川を挟んで、ダルゲンと王都は南北に配置されている。川上に当たる王都の南東で、川は大きく湾曲していた。ヘルジェン軍はその辺りの、ダルゲンの対岸つまり王都側に布陣している。
「現在帝国軍は進軍中。数刻以内には我が軍に合流するでしょう」
ブレア軍はダルゲンの北側川沿いに小隊を、川の向こう側ヘルジェン軍から約1キロのところに大隊を布陣していた。レオンハルトは帝国軍の駒を動かし、次にヘルジェン軍の駒を進め、国王を振り返る。
「アドルフの軍勢はどこにいる」
「それが、見つかっておりません。本隊には居ないようで、動きが掴めぬ状況です」
「うむ…。しかしあの男のことだ、戦いには必ず姿を現わすはず。探し出せ」
「はっ」
「中央は帝国軍で固めるそうだ。マンフリートは右翼を、フェルディナントは左翼を固めよ。ヘルジェンと帝国が中央でぶつかったら、騎兵で左右両側から側面攻撃をかけ、更に小隊で波状攻撃をかける」
「御意!」
二人の王太子と幕僚が頷く。その時だった。
「伝令申し上げます!ヘルジェン軍による奇襲攻撃です!川より急襲され、ダルゲン北部に布陣していた我が軍小隊は壊滅状態。指揮しているのはアドルフです!」
幕舎がざわめく。
「ヘルジェン軍は既に移動を開始していますが、我が軍大隊とは逆方向です。帝国本隊の進路へ向かっています」
「予想される接触場所は?」
末席からヴェンツェルも身を乗り出す。兵士が指さしたのは、
「…死地ではないか」
マンフリートが喉を上下させる。
戦において、河川や沼沢、湿地は古来より死地と言われている。そこは湿地だった。
しかも自国の湿地であればまだ、どこが深いとか浅いとか状況を把握できようが、アウェーの湿地なのである。
「そうか、伯だ」
フェルディナントがつぶやく。恐らくバッシ伯から詳細な情報を得ているからこそ、アドルフはそこを選ぶことができた。いや、それだけでなく、既に伏兵を忍ばせ帝国を待ち伏せているかもしれない。
「帝国の騎馬戦力を削ぐには最適だ」
逆に帝国には何の情報もなく、行軍途中で戦う準備すらできていないだろう。
敵地の特徴や気象を調べ上げるのは基本中の基本である。帝国が湿地を抜けざるを得ない場所を選んで布陣し、普通選ばない死地で奇襲をかける。更にこの雨だ。まさかこれも計算のうちか。
これがアドルフ——。帝国の鼻をへし折るにはもってこいだと思いながら、フェルディナントは無意識に鳥肌が立つ両腕をさすった。
「帝国に相手させればいいんじゃないですか。不意を突かれたとはいえ、帝国も意地にかけて一矢報いるでしょうから、それからヘルジェン軍に向けてこっちも仕掛けるっていうのは」
末席で発言した男にしては高い声の者は、国王の位置からでは見えなかった。しかしフェルディナントが後を受けたため、それは王太子の発案として響いた。
「ダルゲンの商工組合頭取より、油の提供を受けています。今、それを利用した爆弾を作らせています」
おぉ、と感嘆の声が幕僚から上がる。敵が把握していない、予想だにしない飛び道具。これは撹乱できる。戦況を大きく動かすだろう。
そして作戦がまとまると、すぐにヴェンツェルは幕舎を後にした。
「ヴェンツェル殿」
ウィンドベルが鳴るような声で呼び止められる。
「これはクリスティーナ妃。私との契約金のことで、殿下とケンカになっていないと良いのだが」
「高すぎだと叱られてしまいました。あの人意外とケチなのですよ」
笑い声も心地良く響く。この間もそうだったが、帝国の姫君はスカートではなく、腰と足首を絞った、ゆったりしたパンツを履いている。さすが騎馬民族で、これなら騎乗も容易だろうし、何よりクリスティーナによく似合っていた。
「これから戦なのですね。どうかご武運を」
「私はこんな体だし、心配は無用だ」
「ヴェンツェル殿は男子として、幼い頃から武芸に励んでいたのでしょう?私も父の遠征に連れられ戦場で育ち、武芸を仕込まれましたから、なんだか他人事とは思えなくて」
既に親子の縁を切られているが、父は厳しい人で、それはそれは苛烈な教育だった。
「私も、無礼を承知で言うが、身分が同じなら妃とは良い友人になれた気がする。あの契約はまだ生きてるから、安心してほしい。殿下が金を払ってくれるというからな」
「…ありがとう、ヴェンツェル殿」
そして妃は指で自分の唇に触れ、それからヴェンツェルの額の真ん中に触れた。
「それ、戦地へ赴く男の無事を願って女がやるやつだったような」
「ふふっ、ヴェンツェル殿ってカッコいいもの」
女に、無論男から言われた事も無いのだが、そう言われたのは初めてである。
歯がゆいような額に、自然とヴェンツェルは笑顔になった。
といっても今朝は、このお役目に就くのはアンナだけであった。
「みんな行っちまったもんなー」
金を持ち帰ったアンナとセバスチャンに続いて、明け方に戻ってきた仲間たちは皆、兵装を整えるとすぐ出て行った。しかしヴェンツェルの姿は無かった。
「お頭は本陣に向かってるでやんす。小銭1枚でも失くしたらお頭はすぐ嗅ぎつけるでやんすからね、しっかり留守番するでやんすよ」
金をセバスチャンと分割し、更に分散して隠すと、休む間も無くアンナは町内清掃に出たのである。他に誰もいないのだからサボっても分かりはしないのだが、アンナは真面目に取り組んだ。まだスリはできないから、専ら小銭拾いだ。
飯炊き、雫亭の掃除、洗濯、繕い物、馬の世話、出来ることは何でもやる。役に立たないと判断した時点で遊郭に売り飛ばす。それがヴェンツェルとの契約だった。
「こいつは身分の高い男を捕まえて、利子つけて私に金返すんだからな。おまえたち、手出ししたら許さないよ」
そして、なぜか真面目な顔で、団長自ら暇を見て直々に読み書きを教えると全員の前で言った。
というわけで、渡された本の中から読める文字を拾って板に書き付け練習する、という宿題も出されていた。
「早く帰ってこないかなー」
ヴェンツェル団の傭兵どもは皆陽気で、いがみ合っている父母と暮らすよりよほど気楽だった。
同時に、今までどこか他人事だった戦という言葉が色を変えた。もう、全員帰って来ないかもしれないのだ。
悪い方に考えるとそれが現実になってしまいそうだから、小さい頃からやめることにしている。
「まず掃除からだ!」
そう鼓舞して、冷たい水に雑巾を浸した。
◇◇◇◇
顔が切れるような冷たい空気を割いて、ヴェンツェルは一人馬を飛ばした。早朝の空は暗い鈍色で、大粒の雨が落ち始めている。
本営に到着して名乗るとスムーズに通される。
「よくやってくれた、傭兵団長ヴェンツェル。例の爆弾は既に作らせている。雨だがうまく行くだろうか」
火鉢のある暖かい天幕で、フェルディナントは立って迎えた。
「雨など恐れるまでもないと頭取は豪語してましたが。それでご用件は」
「決まっているだろう。幕僚を集めているから、そなたも参加してほしい」
「え」
というわけで、あいつ傭兵?誰だ?なに免状ないわけ?の視線をビシバシ受けながらの軍議だ。あろうことか国王まで出席していて、最末席とはいえ場違いもはなはだしい。
「ヘルジェン軍はクレー川の川上に陣を構えている。その数約1万5千、軽装歩兵と傭兵を前列に、重装歩兵を後列に配置している」
朗々と話すのは大元帥代理を務めるレオンハルト元帥だ。
クレー川を挟んで、ダルゲンと王都は南北に配置されている。川上に当たる王都の南東で、川は大きく湾曲していた。ヘルジェン軍はその辺りの、ダルゲンの対岸つまり王都側に布陣している。
「現在帝国軍は進軍中。数刻以内には我が軍に合流するでしょう」
ブレア軍はダルゲンの北側川沿いに小隊を、川の向こう側ヘルジェン軍から約1キロのところに大隊を布陣していた。レオンハルトは帝国軍の駒を動かし、次にヘルジェン軍の駒を進め、国王を振り返る。
「アドルフの軍勢はどこにいる」
「それが、見つかっておりません。本隊には居ないようで、動きが掴めぬ状況です」
「うむ…。しかしあの男のことだ、戦いには必ず姿を現わすはず。探し出せ」
「はっ」
「中央は帝国軍で固めるそうだ。マンフリートは右翼を、フェルディナントは左翼を固めよ。ヘルジェンと帝国が中央でぶつかったら、騎兵で左右両側から側面攻撃をかけ、更に小隊で波状攻撃をかける」
「御意!」
二人の王太子と幕僚が頷く。その時だった。
「伝令申し上げます!ヘルジェン軍による奇襲攻撃です!川より急襲され、ダルゲン北部に布陣していた我が軍小隊は壊滅状態。指揮しているのはアドルフです!」
幕舎がざわめく。
「ヘルジェン軍は既に移動を開始していますが、我が軍大隊とは逆方向です。帝国本隊の進路へ向かっています」
「予想される接触場所は?」
末席からヴェンツェルも身を乗り出す。兵士が指さしたのは、
「…死地ではないか」
マンフリートが喉を上下させる。
戦において、河川や沼沢、湿地は古来より死地と言われている。そこは湿地だった。
しかも自国の湿地であればまだ、どこが深いとか浅いとか状況を把握できようが、アウェーの湿地なのである。
「そうか、伯だ」
フェルディナントがつぶやく。恐らくバッシ伯から詳細な情報を得ているからこそ、アドルフはそこを選ぶことができた。いや、それだけでなく、既に伏兵を忍ばせ帝国を待ち伏せているかもしれない。
「帝国の騎馬戦力を削ぐには最適だ」
逆に帝国には何の情報もなく、行軍途中で戦う準備すらできていないだろう。
敵地の特徴や気象を調べ上げるのは基本中の基本である。帝国が湿地を抜けざるを得ない場所を選んで布陣し、普通選ばない死地で奇襲をかける。更にこの雨だ。まさかこれも計算のうちか。
これがアドルフ——。帝国の鼻をへし折るにはもってこいだと思いながら、フェルディナントは無意識に鳥肌が立つ両腕をさすった。
「帝国に相手させればいいんじゃないですか。不意を突かれたとはいえ、帝国も意地にかけて一矢報いるでしょうから、それからヘルジェン軍に向けてこっちも仕掛けるっていうのは」
末席で発言した男にしては高い声の者は、国王の位置からでは見えなかった。しかしフェルディナントが後を受けたため、それは王太子の発案として響いた。
「ダルゲンの商工組合頭取より、油の提供を受けています。今、それを利用した爆弾を作らせています」
おぉ、と感嘆の声が幕僚から上がる。敵が把握していない、予想だにしない飛び道具。これは撹乱できる。戦況を大きく動かすだろう。
そして作戦がまとまると、すぐにヴェンツェルは幕舎を後にした。
「ヴェンツェル殿」
ウィンドベルが鳴るような声で呼び止められる。
「これはクリスティーナ妃。私との契約金のことで、殿下とケンカになっていないと良いのだが」
「高すぎだと叱られてしまいました。あの人意外とケチなのですよ」
笑い声も心地良く響く。この間もそうだったが、帝国の姫君はスカートではなく、腰と足首を絞った、ゆったりしたパンツを履いている。さすが騎馬民族で、これなら騎乗も容易だろうし、何よりクリスティーナによく似合っていた。
「これから戦なのですね。どうかご武運を」
「私はこんな体だし、心配は無用だ」
「ヴェンツェル殿は男子として、幼い頃から武芸に励んでいたのでしょう?私も父の遠征に連れられ戦場で育ち、武芸を仕込まれましたから、なんだか他人事とは思えなくて」
既に親子の縁を切られているが、父は厳しい人で、それはそれは苛烈な教育だった。
「私も、無礼を承知で言うが、身分が同じなら妃とは良い友人になれた気がする。あの契約はまだ生きてるから、安心してほしい。殿下が金を払ってくれるというからな」
「…ありがとう、ヴェンツェル殿」
そして妃は指で自分の唇に触れ、それからヴェンツェルの額の真ん中に触れた。
「それ、戦地へ赴く男の無事を願って女がやるやつだったような」
「ふふっ、ヴェンツェル殿ってカッコいいもの」
女に、無論男から言われた事も無いのだが、そう言われたのは初めてである。
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