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第1部 覚醒
5 煉海の王
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跪いた黒ずくめの男の報告を聞きながら、ヘルジェン国王アドルフ3世は足を組み替えた。今日は足の古傷が疼く。
つくづく魔物のような男だと思う。犯罪者や異常者の収容所から自分が拾ってきたのだが、未だその能力を掌握できているとは言えない。
「それで、バッシの処刑はいつになった?」
「明日と。その前に殺しますか」
「いや、死に様くらい見せてやればいい。それより第二王太子だ」
「はっ」
「そろそろ接触していいだろう」
「御意」
表情を動かすことなく男は消えた。
何度見ても目の錯覚かと一瞬思う。彼曰く、意識を異界に流し込むと体が透けるのだと。まったくもって意味不明である。
異界、とはこの世のすぐ隣にある見えざる世界で、異界こそ真の世界の姿と神学では昔から言われ続けている。
彼はこの特異能力ゆえ幼少期から異常者扱いされ、日の下には出せないと家族の手で自宅に軟禁されていた。体の成長とともに力が強くなり、いよいよ家族の手に追えなくなると、強制的に収容された。
灰色の小さな部屋と鉄格子の窓から見る世界が全てで、字も読めなければ、この世で一人で生きる術といえば犯罪に手を染めるしかない。
だから彼にとって命を繋ぐために頼れる人間は、アドルフだけだった。
彼は言う。自分は異界の神と精霊に愛されているのだと。そしてもらった愛を、陛下に捧げると。
「今日からお前の名は光彩だ。お前に光を見せてやる。だから余のために尽くせ」
そう告げた時の表情といったら。産まれて初めて他人から必要とされた突き抜けるような喜びに震え、それを矢のように向けてきたのだった。
そんなセスディを彼は他にも何名か抱えていたが、中でもガロンの才は抜きんでている。
「陛下、軍議の準備が整っております」
入れ違いにやってきたのは、腹心のゴーラルだ。父王時代から長きにわたり政争に勝ち抜いてきた、泥を食ったような顔のジジイである。
「悪くない取り引きだったな、爺よ」
「さようで。これで帝国本隊も黙ってはいられぬでしょう」
軍議は王の執務室のすぐ隣で行われる。立ち上がると膝の留め金が軋んだ。
鎧ではない。戦で右脚を失っている。精巧な義足で、その立ち振る舞いは言われてもそうとは分からない。
アドルフが即位した6年前、既に帝国との戦は始まっていた。国土の大部分を海に面したヘルジェンに対し、騎馬民族の帝国は不遜にも海戦を挑んできたのだった。
「負けるわけがない」
当時父王率いるヘルジェン海軍は無敵。帝国本体はおろか、ラム大陸に敵うものはいなかった。
「そこで隣国ブレアを併合し、陸戦に転換したわけだ」
そして父王は命を奪われ、自分も右脚を失い辛うじて生き延びた。
だがそれきり、帝国本隊はなりを潜めてしまった。戦線をブレアに渡したきり逆方面への進出に着手したのだ。
「このオレなど、直に手を下すほどではないと」
屈辱は矛となり、徐々に戦線を押し返していった。潰れかけた国を立て直していった。そしてついに——
「王都攻めだ!」
王の言葉に将軍らも沸き立つ。
「ブレアなど我らの敵ではない!狙いは玖留栖帝国本隊であることを忘れるな」
続いてゴーラルもぶち上げる。
ようやく、ようやく帝国相手にぶつけられるのだ。その思いはここに集った将軍らも同じ。
「帝国兵およそ2万は北から王都へ向かっています。我々はブレアの側面に回り込み、帝国本隊との合流を阻止、ブレア軍はダルゲン駐留部隊に任せ、帝国本隊を叩くべきかと」
「いや、帝国の背後から奇襲をかけるべきだ」
「数の上では敵の方が勝っているし、帝国本隊は精鋭の騎馬兵だ。戦力は我が国と同等と考えるなら、やはり合流は阻止するべきだ」
軍議にも自然と力が入る。
「陛下のお考えはいかがですかな」
ゴーラルの声に、将軍らは議論を止めて視線を集めた。
「上流の水門はどうなっている?」
「我が軍にて制圧しております」
「うむ。今の時期は水量が少ないとはいえ、油断はならんぞ」
「御意」
水門を破られ決壊した川の濁流に戦場とともに飲み込まれたのは、かつて帝国に味わわされた苦い経験だった。
「水門を押さえているのだ。水流を利用して川を下り先回りし、ここで帝国を迎え撃つ」
アドルフが指したのは帝国の進路上で、王都の南にある鬱蒼とした湿地だった。騎馬兵には不利な地質である。
「しかし、今からで間に合いますかな?帝国は既に——」
「心配は無用だ、爺よ。あれを使う」
ゴーラルを遮ったその言葉に、おぉ、ついにと将軍らが感嘆の息を発した。
「まだ試験段階ですぞ。実践投入にはいささか尚早と存じまする」
「この戦いで使わずしていつ使うと言うのだ!帝国を叩いたら、そのまま王都へなだれ込む」
王の望みは帝国と戦い勝つこと。ただそれだけだ。ダルゲンやブレア王都を手に入れることなど、帝国を引っ張り出すための手段に過ぎないのだ。
「…ダルゲン駐留兵には十分な休息を取らせましょう。彼らには、我々が帝国本隊を破るまで持ちこたえてもらわねばなりませぬ」
「そのように取り計らえ」
煉海の王。神話の時代、後に初代国王となる建国の英雄ヘルジェンが、邪悪な巨人を討ち取った場所が煉海と言われている。強大な帝国に立ち向かう若き王を、英雄になぞらえて国民はこう呼ぶ。
幼い頃より見るからに才気煥発で、ゴーラルにとって自身の為以外でなかった政争が、この王に最も近いところで仕えたいという目的にいつの間にか変化していた。
時に強引なワガママも叶えてあげたいと思わせるこの王を守り、勝たせることがゴーラルの至上使命である。
しかし、この時ばかりは一抹の不安がいつまでも喉元に残るのであった。
つくづく魔物のような男だと思う。犯罪者や異常者の収容所から自分が拾ってきたのだが、未だその能力を掌握できているとは言えない。
「それで、バッシの処刑はいつになった?」
「明日と。その前に殺しますか」
「いや、死に様くらい見せてやればいい。それより第二王太子だ」
「はっ」
「そろそろ接触していいだろう」
「御意」
表情を動かすことなく男は消えた。
何度見ても目の錯覚かと一瞬思う。彼曰く、意識を異界に流し込むと体が透けるのだと。まったくもって意味不明である。
異界、とはこの世のすぐ隣にある見えざる世界で、異界こそ真の世界の姿と神学では昔から言われ続けている。
彼はこの特異能力ゆえ幼少期から異常者扱いされ、日の下には出せないと家族の手で自宅に軟禁されていた。体の成長とともに力が強くなり、いよいよ家族の手に追えなくなると、強制的に収容された。
灰色の小さな部屋と鉄格子の窓から見る世界が全てで、字も読めなければ、この世で一人で生きる術といえば犯罪に手を染めるしかない。
だから彼にとって命を繋ぐために頼れる人間は、アドルフだけだった。
彼は言う。自分は異界の神と精霊に愛されているのだと。そしてもらった愛を、陛下に捧げると。
「今日からお前の名は光彩だ。お前に光を見せてやる。だから余のために尽くせ」
そう告げた時の表情といったら。産まれて初めて他人から必要とされた突き抜けるような喜びに震え、それを矢のように向けてきたのだった。
そんなセスディを彼は他にも何名か抱えていたが、中でもガロンの才は抜きんでている。
「陛下、軍議の準備が整っております」
入れ違いにやってきたのは、腹心のゴーラルだ。父王時代から長きにわたり政争に勝ち抜いてきた、泥を食ったような顔のジジイである。
「悪くない取り引きだったな、爺よ」
「さようで。これで帝国本隊も黙ってはいられぬでしょう」
軍議は王の執務室のすぐ隣で行われる。立ち上がると膝の留め金が軋んだ。
鎧ではない。戦で右脚を失っている。精巧な義足で、その立ち振る舞いは言われてもそうとは分からない。
アドルフが即位した6年前、既に帝国との戦は始まっていた。国土の大部分を海に面したヘルジェンに対し、騎馬民族の帝国は不遜にも海戦を挑んできたのだった。
「負けるわけがない」
当時父王率いるヘルジェン海軍は無敵。帝国本体はおろか、ラム大陸に敵うものはいなかった。
「そこで隣国ブレアを併合し、陸戦に転換したわけだ」
そして父王は命を奪われ、自分も右脚を失い辛うじて生き延びた。
だがそれきり、帝国本隊はなりを潜めてしまった。戦線をブレアに渡したきり逆方面への進出に着手したのだ。
「このオレなど、直に手を下すほどではないと」
屈辱は矛となり、徐々に戦線を押し返していった。潰れかけた国を立て直していった。そしてついに——
「王都攻めだ!」
王の言葉に将軍らも沸き立つ。
「ブレアなど我らの敵ではない!狙いは玖留栖帝国本隊であることを忘れるな」
続いてゴーラルもぶち上げる。
ようやく、ようやく帝国相手にぶつけられるのだ。その思いはここに集った将軍らも同じ。
「帝国兵およそ2万は北から王都へ向かっています。我々はブレアの側面に回り込み、帝国本隊との合流を阻止、ブレア軍はダルゲン駐留部隊に任せ、帝国本隊を叩くべきかと」
「いや、帝国の背後から奇襲をかけるべきだ」
「数の上では敵の方が勝っているし、帝国本隊は精鋭の騎馬兵だ。戦力は我が国と同等と考えるなら、やはり合流は阻止するべきだ」
軍議にも自然と力が入る。
「陛下のお考えはいかがですかな」
ゴーラルの声に、将軍らは議論を止めて視線を集めた。
「上流の水門はどうなっている?」
「我が軍にて制圧しております」
「うむ。今の時期は水量が少ないとはいえ、油断はならんぞ」
「御意」
水門を破られ決壊した川の濁流に戦場とともに飲み込まれたのは、かつて帝国に味わわされた苦い経験だった。
「水門を押さえているのだ。水流を利用して川を下り先回りし、ここで帝国を迎え撃つ」
アドルフが指したのは帝国の進路上で、王都の南にある鬱蒼とした湿地だった。騎馬兵には不利な地質である。
「しかし、今からで間に合いますかな?帝国は既に——」
「心配は無用だ、爺よ。あれを使う」
ゴーラルを遮ったその言葉に、おぉ、ついにと将軍らが感嘆の息を発した。
「まだ試験段階ですぞ。実践投入にはいささか尚早と存じまする」
「この戦いで使わずしていつ使うと言うのだ!帝国を叩いたら、そのまま王都へなだれ込む」
王の望みは帝国と戦い勝つこと。ただそれだけだ。ダルゲンやブレア王都を手に入れることなど、帝国を引っ張り出すための手段に過ぎないのだ。
「…ダルゲン駐留兵には十分な休息を取らせましょう。彼らには、我々が帝国本隊を破るまで持ちこたえてもらわねばなりませぬ」
「そのように取り計らえ」
煉海の王。神話の時代、後に初代国王となる建国の英雄ヘルジェンが、邪悪な巨人を討ち取った場所が煉海と言われている。強大な帝国に立ち向かう若き王を、英雄になぞらえて国民はこう呼ぶ。
幼い頃より見るからに才気煥発で、ゴーラルにとって自身の為以外でなかった政争が、この王に最も近いところで仕えたいという目的にいつの間にか変化していた。
時に強引なワガママも叶えてあげたいと思わせるこの王を守り、勝たせることがゴーラルの至上使命である。
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