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第1部 覚醒
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バッシ伯は捕えられた。声を失った兵士らは全員投降し、王太子への恭順を示している。
「殿下!よくぞご無事で」
クリスティーナは軽快に駆け寄ると、怪我の具合を確かめてからしっかりと抱き合った。
「平気だ。そなたも怪我はないか?その者たちは?」
複数形になったのは、またもいつの間にか背後にヨハンがいるからだった。武装を解いているから、隠密も姿をくらませたようだ。
「追っ手に襲われたところを助けられたのです。私が雇いました」
「そうか、礼を言う。『鋼鉄のヴェンツェル』と申したか」
と、王子が握手を求めて来たのでヴェンツェルは少し戸惑ったが、兜を外して応じた。
フェルディナントの目が一瞬揺れる。
「そなた…女性か」
「どうも、一発で気付いてもらえて光栄です。払うもの払ってもらえれば、傭兵はそれでいいんですよ」
「ちなみにいくらで契約したのだ?」
「わ、私のポケットマネーで支払いますので…」
へえ、王太子妃がこんな顔するんだ。まるで普通の嫁みたいじゃない。
「殿下、奥方の買い物に口を出すのは百害あって一利なしですよ」
ヴェンツェルが言うと、夫婦は顔を合わせて笑った。
第一王太子フェルディナントは、柔らかな水色の瞳が涼やかな青年だった。
「傭兵団長ヴェンツェル、そなたの不思議な体は刃を通さない。一体どうなっているのだ?」
「人体改造を受けてます。ええ、あなたらが異端として追放した、バルタザール教授からだ」
ヨハンが異界の神より授けられし力で戦うなら、ヴェンツェルは人知の極限で鍛えられた存在である。
バルタザール教授は人の手で不老不死を得ようと、人体改造や人体蘇生を研究していた。そして生徒を実験台にしていたため、異端者の烙印を押されて国外追放となった。
ヴェンツェルもその生徒の一人であり、他の生徒同様、自ら望んで実験台となったのだ。
「ではそなたは大学に?貴族階級の出身か」
ブレア国では家督を継ぐのは長男である。ところが男子に恵まれず、ヴェンツェルのように、跡取りとすべく男として育てられる女子はさほど珍しくはない。
ちなみにバルタザール教授も同じ女性である。
「教授の追放とともに自主退学させられましたがね。私はブレア国民じゃないんで国外追放はされずに済んだんですが、実家からは勘当されました」
大学の頂点は神学であり、エリートの登竜門だ。これがヴェンツェルにとっては退屈極まりなく、ただ一つ興味を持てたのが、人体の限界に挑むというバルタザール教授の研究であった。教授は決して異界や神を否定しようとしていたわけではない。そんなのは異端裁判官のこじつけである。
「人体の根幹である骨を強化すれば、それに付随する筋肉や脳までもを強化できる、脳が強くなれば臓器も強くなる。それが不老不死の一歩になると教授は考えていた。私が受けたのは、骨の数を増やして骨を強化する改造です」
そう言って、すんなりと引き締まった腕を突き出した。
「ここにはバッキバキに骨が詰まっています。触ってみてください」
「…本当だ。鉄のようだ」
「嘘みたい」
「私は全身こうで。お腹周りだけは背骨しかないんで、防具してますけど」
「あ、それで『ハラマキ・ヴェンツェル』と」
この夫婦に口元を押さえて目尻を下げられるのは悪くない。ヴェンツェルは片目をつむってみせた。
「そうか、我が国が帝国に服従したことで、そなたの運命が変わってしまったわけか」
フェルディナントがふと表情を曇らせた。
「帝国に国土を焼き尽くされることは無かったが、結局ヘルジェンとの戦で国民は疲弊している。そなたら傭兵に頼らなければ、我が国はもはや戦えぬのだ。戦など誰も望んでいないというのに」
傭兵とは、国籍も出自もバラバラな有象無象の集団である。貴族兵団のような忠義は無く、王国軍のような資金も武装もない。あるのは己の体のみ。
「だから聞かせてほしい。なぜ祖国でもない国の戦に身を投じているのだ?」
ヴェンツェルは少し考えた。そんなことを聞かれたのは初めてだったからだ。
「殿下は、戦場でヘルジェン国王アドルフ3世を見たことがありますか?」
「いいや」
「私はあります」
大学を退学させられ、さてどうしようと飲んだくれていた時、近く戦があるから一緒にどうだと傭兵団に声を掛けられた。ゴロツキ相手に負け無しで金を巻き揚げていたのを聞きつけたのだろう。
全身バキバキになったしやってみるかと、軽い気持ちだった。その戦場に敵将としてアドルフ3世は姿を現した。
強風吹き荒れる平原だった。その小高い崖のような丘の上で、炎のような紅の髪に、海神を宿す海の色の瞳で戦場を睥睨する存在は、まさに鬼神であった。
「その姿は今でも忘れない」
上から下まで槍で串刺しにされたようにヴェンツェルは動けなくなった。こんな人間がいるのかと、震えた。
「超絶イケメンで、聞けばあらゆる語学に通じてて、女にモテて、剣技槍術弓術どれもマスタークラスで、王族で金持ちですよ?たぶん人類の最高傑作でしょう。だから対抗してみたいんです」
言葉が途切れたことで、これが質問の答えだったのかとフェルディナントはやっと気付く。
「そ、そうか…アドルフは強敵だ」
「お言葉ですが殿下、あなたは今のままじゃ、一生奴には勝てない」
王子の薄水色の瞳がさっと曇る。
「戦場の鬼——いや、あれは戦場を統べる神だった。あの男は戦のことしか頭にない。帝国に屈しないためのあらゆる手段と戦略しか考えていない」
トゲのある舌で舐められたような顔をしている王太子にヴェンツェルは続ける。
相手は王太子だ。なんで家臣でもない私がこんなこと言わなきゃならないかな。
「殿下、伯も私と同じことを思っていた。だから忠義を尽くして殿下を追い詰めた。殿下の父君は帝国の暴力に屈するのも、アドルフに国土を蹂躙されるのも良しとせず、属国としてヘルジェンと戦う道を選んだ。その決断を正しいものにするかどうかは、殿下ご自身です」
ヴェンツェルはサッと髪をかきあげた。
「少なくとも、私たち傭兵は戦の意味なんざ考えちゃいません。これだけは確かだ。それに傭兵してる女子はごく僅かだけど、私は今の生活が気に入ってるんです」
フェルディナントは改めて女にしては大柄なヴェンツェルの体躯を上から下まで眺めた。傭兵としてまだ免状も持たず、ブレア国民ですらない、異端者の教え子だった得体の知れない、男か女かよく分からない奴である。
しかしこの者になぜを問うてから、腹にぽっと熱が生まれたのを感じていた。
「伯は、ダルゲンと大元帥をヘルジェンに渡した見返りに、私に舞台を用意した。自分と1万の兵の命を踏み台にせよと」
「ここまでされて、引き下がるわけにはいかないんじゃないですか」
なぜだろう、たまたま居合わせたこの傭兵風情の言うことに乗ってみようと思っているのは。
「ああ、やってやろうではないか」
口の端を上げながら、自然と拳に力がこもるのだった。
「殿下!よくぞご無事で」
クリスティーナは軽快に駆け寄ると、怪我の具合を確かめてからしっかりと抱き合った。
「平気だ。そなたも怪我はないか?その者たちは?」
複数形になったのは、またもいつの間にか背後にヨハンがいるからだった。武装を解いているから、隠密も姿をくらませたようだ。
「追っ手に襲われたところを助けられたのです。私が雇いました」
「そうか、礼を言う。『鋼鉄のヴェンツェル』と申したか」
と、王子が握手を求めて来たのでヴェンツェルは少し戸惑ったが、兜を外して応じた。
フェルディナントの目が一瞬揺れる。
「そなた…女性か」
「どうも、一発で気付いてもらえて光栄です。払うもの払ってもらえれば、傭兵はそれでいいんですよ」
「ちなみにいくらで契約したのだ?」
「わ、私のポケットマネーで支払いますので…」
へえ、王太子妃がこんな顔するんだ。まるで普通の嫁みたいじゃない。
「殿下、奥方の買い物に口を出すのは百害あって一利なしですよ」
ヴェンツェルが言うと、夫婦は顔を合わせて笑った。
第一王太子フェルディナントは、柔らかな水色の瞳が涼やかな青年だった。
「傭兵団長ヴェンツェル、そなたの不思議な体は刃を通さない。一体どうなっているのだ?」
「人体改造を受けてます。ええ、あなたらが異端として追放した、バルタザール教授からだ」
ヨハンが異界の神より授けられし力で戦うなら、ヴェンツェルは人知の極限で鍛えられた存在である。
バルタザール教授は人の手で不老不死を得ようと、人体改造や人体蘇生を研究していた。そして生徒を実験台にしていたため、異端者の烙印を押されて国外追放となった。
ヴェンツェルもその生徒の一人であり、他の生徒同様、自ら望んで実験台となったのだ。
「ではそなたは大学に?貴族階級の出身か」
ブレア国では家督を継ぐのは長男である。ところが男子に恵まれず、ヴェンツェルのように、跡取りとすべく男として育てられる女子はさほど珍しくはない。
ちなみにバルタザール教授も同じ女性である。
「教授の追放とともに自主退学させられましたがね。私はブレア国民じゃないんで国外追放はされずに済んだんですが、実家からは勘当されました」
大学の頂点は神学であり、エリートの登竜門だ。これがヴェンツェルにとっては退屈極まりなく、ただ一つ興味を持てたのが、人体の限界に挑むというバルタザール教授の研究であった。教授は決して異界や神を否定しようとしていたわけではない。そんなのは異端裁判官のこじつけである。
「人体の根幹である骨を強化すれば、それに付随する筋肉や脳までもを強化できる、脳が強くなれば臓器も強くなる。それが不老不死の一歩になると教授は考えていた。私が受けたのは、骨の数を増やして骨を強化する改造です」
そう言って、すんなりと引き締まった腕を突き出した。
「ここにはバッキバキに骨が詰まっています。触ってみてください」
「…本当だ。鉄のようだ」
「嘘みたい」
「私は全身こうで。お腹周りだけは背骨しかないんで、防具してますけど」
「あ、それで『ハラマキ・ヴェンツェル』と」
この夫婦に口元を押さえて目尻を下げられるのは悪くない。ヴェンツェルは片目をつむってみせた。
「そうか、我が国が帝国に服従したことで、そなたの運命が変わってしまったわけか」
フェルディナントがふと表情を曇らせた。
「帝国に国土を焼き尽くされることは無かったが、結局ヘルジェンとの戦で国民は疲弊している。そなたら傭兵に頼らなければ、我が国はもはや戦えぬのだ。戦など誰も望んでいないというのに」
傭兵とは、国籍も出自もバラバラな有象無象の集団である。貴族兵団のような忠義は無く、王国軍のような資金も武装もない。あるのは己の体のみ。
「だから聞かせてほしい。なぜ祖国でもない国の戦に身を投じているのだ?」
ヴェンツェルは少し考えた。そんなことを聞かれたのは初めてだったからだ。
「殿下は、戦場でヘルジェン国王アドルフ3世を見たことがありますか?」
「いいや」
「私はあります」
大学を退学させられ、さてどうしようと飲んだくれていた時、近く戦があるから一緒にどうだと傭兵団に声を掛けられた。ゴロツキ相手に負け無しで金を巻き揚げていたのを聞きつけたのだろう。
全身バキバキになったしやってみるかと、軽い気持ちだった。その戦場に敵将としてアドルフ3世は姿を現した。
強風吹き荒れる平原だった。その小高い崖のような丘の上で、炎のような紅の髪に、海神を宿す海の色の瞳で戦場を睥睨する存在は、まさに鬼神であった。
「その姿は今でも忘れない」
上から下まで槍で串刺しにされたようにヴェンツェルは動けなくなった。こんな人間がいるのかと、震えた。
「超絶イケメンで、聞けばあらゆる語学に通じてて、女にモテて、剣技槍術弓術どれもマスタークラスで、王族で金持ちですよ?たぶん人類の最高傑作でしょう。だから対抗してみたいんです」
言葉が途切れたことで、これが質問の答えだったのかとフェルディナントはやっと気付く。
「そ、そうか…アドルフは強敵だ」
「お言葉ですが殿下、あなたは今のままじゃ、一生奴には勝てない」
王子の薄水色の瞳がさっと曇る。
「戦場の鬼——いや、あれは戦場を統べる神だった。あの男は戦のことしか頭にない。帝国に屈しないためのあらゆる手段と戦略しか考えていない」
トゲのある舌で舐められたような顔をしている王太子にヴェンツェルは続ける。
相手は王太子だ。なんで家臣でもない私がこんなこと言わなきゃならないかな。
「殿下、伯も私と同じことを思っていた。だから忠義を尽くして殿下を追い詰めた。殿下の父君は帝国の暴力に屈するのも、アドルフに国土を蹂躙されるのも良しとせず、属国としてヘルジェンと戦う道を選んだ。その決断を正しいものにするかどうかは、殿下ご自身です」
ヴェンツェルはサッと髪をかきあげた。
「少なくとも、私たち傭兵は戦の意味なんざ考えちゃいません。これだけは確かだ。それに傭兵してる女子はごく僅かだけど、私は今の生活が気に入ってるんです」
フェルディナントは改めて女にしては大柄なヴェンツェルの体躯を上から下まで眺めた。傭兵としてまだ免状も持たず、ブレア国民ですらない、異端者の教え子だった得体の知れない、男か女かよく分からない奴である。
しかしこの者になぜを問うてから、腹にぽっと熱が生まれたのを感じていた。
「伯は、ダルゲンと大元帥をヘルジェンに渡した見返りに、私に舞台を用意した。自分と1万の兵の命を踏み台にせよと」
「ここまでされて、引き下がるわけにはいかないんじゃないですか」
なぜだろう、たまたま居合わせたこの傭兵風情の言うことに乗ってみようと思っているのは。
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