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第1部 覚醒
1 敗走
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ダルゲンは陥落した。王都までわずかの要塞都市であり、ここを落とされてはもうブレア王国に勝ち目はない。
ユリアンは走っていた。
「傭兵団長ヴェンツェル!何してるんスか!早く行くっスよ!」
「バカか!!銭を見逃すんじゃないよ!」
砲弾の着弾を思わせる声を響かせ、兵士の遺体と遺体の間から摘み上げたのは、赤銅色の1W硬貨だった。そのままズカズカ近づいてくると、抵抗する間もなくむんずと掴まれ、鉄製兜の上からゲンコツを食らわされる。
「痛ってぇぇーーえ!!!」
にもかかわらず、直撃したかのような衝撃。繰り返すが鉄の兜の上からである。こっちがこんなに痛い思いをしているというのに、団長の拳は痛がる素振りなど欠片もなかった。
「1Wを粗末にする奴は、ヴェンツェル団の名折れだ!いいなッ!!」
「うぅ…こっちは団長の心配してんのに…」
ユリアンを置いてけぼりにしてさっさと走り去る後を追う。あの速さで一体どうして、血まみれの死体の間から硬貨を見つけるのだろうか。
ダルゲンを落としたヘルジェン王国は、大軍を率いて流れ込んでくるだろう。そうなる前にずらからねばならない。
ブレア王国兵ではない傭兵の彼らには、ダルゲンと共に心中するところまで契約に含まれていないのだった。だからこの撤退は明日を生きるための正当な行為といえる。
「バッシ伯のような古参の将軍にまで見限られるとはな」
ダルゲンは川と山に囲まれた天然の要塞都市である。しかし一つ、また一つと砦が破られ、2か月に及ぶ戦いの雌雄が決定的になったのは今日、1万の援軍を率いて駆け付けたはずのバッシ伯爵が裏切ったのだった。
ヴェンツェルは独り言のつもりで言ったのだろうが、ユリアンはそれに反応した。
「この後どうなるんスか?」
援軍を敵に回して背後を叩かれたブレア王国軍に、これ以上戦う体力は残されていなかった。かくしてダルゲンは陥落し、大元帥が捕虜に取られたと聞いての撤退である。
「負け戦だからな、給金が支払われなくなる。困るだろう」
「そしたら今度はヘルジェン王国に雇われればいいんじゃないスか?」
走りながらヴェンツェルは数秒おいて答えた。
「ヘルジェンには嫌いな奴がいてね」
合流地点としていた東方の山中には、既に仲間たちが集結していた。
「お頭!ユリアンも無事でやんすね」
「セバスチャン、全員無事か?」
兜を外したヴェンツェルは、汗で張りついた群青色の短い髪をかき上げた。
日に焼けてなお、青白さを残す繊細な輪郭は、紛れもなく女である。控えめに配置された目鼻立ちだが整っていて、どこか少女のようなあどけなさも残っている。
「へえ、2名死にやした。他の負傷者の手当ては済んでやんす」
既に人数を目視し、自分とユリアン、セバスチャンを除いて5人になっていたから、それは分かっていた。
「お頭、これを」
差し出された剣は、死んだうちの1人が使っていたものだ。みすぼらしいガキんちょで、家からくすねてきたナタ1本で傭兵団に入れてくれとついて来たのだった。みかねたヴェンツェルが買い与えたものだ。
「ユリアン」
黙って受け取ると、それをユリアンに放った。
「うごっ!」
頭にぶつかりそうになりながら受け取るユリアンに「あんたのはもう使い物にならないだろうから、あんたが使いな」と背を向けた。
「ヴェンツェル、あれ」
呼んだのは、木の陰に身を隠すようにして下の山道を監視していたヨハンだ。
「王国軍じゃないか。なんでこんなところに」
それも、戦場にいたブレア兵士ではない。王族を守護する精鋭である、近衛兵のグリーンマントを纏ったのが10名。
「様子がおかしい。近衛兵同士で何か揉めているようだ。あの真ん中にいるのは誰だ?」
ちょうど陰になり見えない位置だった。
「やめときな。誰だか知らないが、関わり合いになるとロクなことがない」
「お、動いた。6対4、分が悪い。しかも護られてるのは女だ」
言う側からヨハンに実況され、気になって仕方なく下を見る。
すると、一人の兵士と女が駆け出した。後を追おうとする者と、それを阻む者とで戦闘になる。しかし、補翼の1人が抜けて6対3となった勝負は無理があり、2名の追従を許してしまった。
「どうする?」
「関わるなと言ったろう」
「こんな負け戦じゃ給金なんか支払われないだろ。その顔じゃ戦利品もなし。ここまでの逗留費で大赤字、明日の生活費もままならない。違うか?」
「…なにが言いたい」
まるっきり図星である。
「あの王族助けたら礼金請求できるんじゃないか」
そんな事はいの一番にヴェンツェルの頭に浮かんでいる。だからといって面倒ごとに巻き込まれてはかえって高くつくというものだ。
しかし色素の薄い切れ長の細い瞳で、ヨハンは挑発するようだった。
「おれの目と耳を信じるなら、相応のリターンは期待できる」
「…いいだろう、乗ろうじゃない」
どのみちこのままでは借金生活まっしぐらなのだ。というか、定宿へのツケが既に溜まっている。
「団長、オレも!」
「駄目だ。敵は精鋭近衛兵、あんたじゃ足手まといだよ」
兜を装着しながらヴェンツェルに言われ、ユリアンは黙るしかない。
「セバスチャンと負傷者を援護しながら雫亭へ戻れ」
ヨハンは既に斜面を駆け下りている。ユリアンは団長の後姿を見送りながら、武運を祈るのみだった。
ユリアンは走っていた。
「傭兵団長ヴェンツェル!何してるんスか!早く行くっスよ!」
「バカか!!銭を見逃すんじゃないよ!」
砲弾の着弾を思わせる声を響かせ、兵士の遺体と遺体の間から摘み上げたのは、赤銅色の1W硬貨だった。そのままズカズカ近づいてくると、抵抗する間もなくむんずと掴まれ、鉄製兜の上からゲンコツを食らわされる。
「痛ってぇぇーーえ!!!」
にもかかわらず、直撃したかのような衝撃。繰り返すが鉄の兜の上からである。こっちがこんなに痛い思いをしているというのに、団長の拳は痛がる素振りなど欠片もなかった。
「1Wを粗末にする奴は、ヴェンツェル団の名折れだ!いいなッ!!」
「うぅ…こっちは団長の心配してんのに…」
ユリアンを置いてけぼりにしてさっさと走り去る後を追う。あの速さで一体どうして、血まみれの死体の間から硬貨を見つけるのだろうか。
ダルゲンを落としたヘルジェン王国は、大軍を率いて流れ込んでくるだろう。そうなる前にずらからねばならない。
ブレア王国兵ではない傭兵の彼らには、ダルゲンと共に心中するところまで契約に含まれていないのだった。だからこの撤退は明日を生きるための正当な行為といえる。
「バッシ伯のような古参の将軍にまで見限られるとはな」
ダルゲンは川と山に囲まれた天然の要塞都市である。しかし一つ、また一つと砦が破られ、2か月に及ぶ戦いの雌雄が決定的になったのは今日、1万の援軍を率いて駆け付けたはずのバッシ伯爵が裏切ったのだった。
ヴェンツェルは独り言のつもりで言ったのだろうが、ユリアンはそれに反応した。
「この後どうなるんスか?」
援軍を敵に回して背後を叩かれたブレア王国軍に、これ以上戦う体力は残されていなかった。かくしてダルゲンは陥落し、大元帥が捕虜に取られたと聞いての撤退である。
「負け戦だからな、給金が支払われなくなる。困るだろう」
「そしたら今度はヘルジェン王国に雇われればいいんじゃないスか?」
走りながらヴェンツェルは数秒おいて答えた。
「ヘルジェンには嫌いな奴がいてね」
合流地点としていた東方の山中には、既に仲間たちが集結していた。
「お頭!ユリアンも無事でやんすね」
「セバスチャン、全員無事か?」
兜を外したヴェンツェルは、汗で張りついた群青色の短い髪をかき上げた。
日に焼けてなお、青白さを残す繊細な輪郭は、紛れもなく女である。控えめに配置された目鼻立ちだが整っていて、どこか少女のようなあどけなさも残っている。
「へえ、2名死にやした。他の負傷者の手当ては済んでやんす」
既に人数を目視し、自分とユリアン、セバスチャンを除いて5人になっていたから、それは分かっていた。
「お頭、これを」
差し出された剣は、死んだうちの1人が使っていたものだ。みすぼらしいガキんちょで、家からくすねてきたナタ1本で傭兵団に入れてくれとついて来たのだった。みかねたヴェンツェルが買い与えたものだ。
「ユリアン」
黙って受け取ると、それをユリアンに放った。
「うごっ!」
頭にぶつかりそうになりながら受け取るユリアンに「あんたのはもう使い物にならないだろうから、あんたが使いな」と背を向けた。
「ヴェンツェル、あれ」
呼んだのは、木の陰に身を隠すようにして下の山道を監視していたヨハンだ。
「王国軍じゃないか。なんでこんなところに」
それも、戦場にいたブレア兵士ではない。王族を守護する精鋭である、近衛兵のグリーンマントを纏ったのが10名。
「様子がおかしい。近衛兵同士で何か揉めているようだ。あの真ん中にいるのは誰だ?」
ちょうど陰になり見えない位置だった。
「やめときな。誰だか知らないが、関わり合いになるとロクなことがない」
「お、動いた。6対4、分が悪い。しかも護られてるのは女だ」
言う側からヨハンに実況され、気になって仕方なく下を見る。
すると、一人の兵士と女が駆け出した。後を追おうとする者と、それを阻む者とで戦闘になる。しかし、補翼の1人が抜けて6対3となった勝負は無理があり、2名の追従を許してしまった。
「どうする?」
「関わるなと言ったろう」
「こんな負け戦じゃ給金なんか支払われないだろ。その顔じゃ戦利品もなし。ここまでの逗留費で大赤字、明日の生活費もままならない。違うか?」
「…なにが言いたい」
まるっきり図星である。
「あの王族助けたら礼金請求できるんじゃないか」
そんな事はいの一番にヴェンツェルの頭に浮かんでいる。だからといって面倒ごとに巻き込まれてはかえって高くつくというものだ。
しかし色素の薄い切れ長の細い瞳で、ヨハンは挑発するようだった。
「おれの目と耳を信じるなら、相応のリターンは期待できる」
「…いいだろう、乗ろうじゃない」
どのみちこのままでは借金生活まっしぐらなのだ。というか、定宿へのツケが既に溜まっている。
「団長、オレも!」
「駄目だ。敵は精鋭近衛兵、あんたじゃ足手まといだよ」
兜を装着しながらヴェンツェルに言われ、ユリアンは黙るしかない。
「セバスチャンと負傷者を援護しながら雫亭へ戻れ」
ヨハンは既に斜面を駆け下りている。ユリアンは団長の後姿を見送りながら、武運を祈るのみだった。
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