嫌いになりたい 〜4人の切ない恋が交差する連作短編〜

犬白グミ

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第4話 柴

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 唇が離れると、柴は伊野崎の額に額を合わせ目を閉じた。
「もうどこにも逃げたりしない。大切にする」

 柴は伊野崎の手をそっと握り、手の甲にキスを落とした。

「別れる前の柴のことは好きだった。でも、もうどこにもいない」

 柴は冷水を浴びたかのように、一瞬で凍えた。
 伊野崎からキスをされて、許されたような気がしたのは束の間だけだった。

 伊野崎が好きだったのは、付き合っていた頃の柴であって今の逃げた柴ではない。

「またあの頃と同じ二人には戻れない。俺も柴もあの頃のままじゃないだろ」

 伊野崎の言う通りだ、同じ二人には決して戻れない。
 柴が壊した伊野崎の心の欠片をすべて取り戻すことはできない。

 伊野崎が躊躇いながら告げる。

「でも、自分でもわからないけど、やっぱり…俺にとって柴だけが特別なんだ」

 伊野崎が面倒な気持ちと言ったのは、柴だけが特別だということだろうか。

 柴にとっての伊野崎も特別だ。
 唯一だ。

 柴は瞬きを繰り返し眼鏡を外すと、目尻を袖で拭く。
  
「好きだ。伊野に触れたい。恋人になりたい。伊野がキスなんかするから、我慢できなくなるだろ」
 
 伊野崎がたまらなく欲しくて、柴は泣き叫びたくなった。

「俺だって一緒だ。もう一回キスしとくか?」
 伊野崎が苦笑する。

「もう一回キスして恋人になれるんだったらしたいよ」

 ただキスするだけでは、行き場のない欲望が目を覚ますだけで、虚しいだけだ。

「理一」

 不意に伊野崎が名前を読んだ。
 柴の背中に両手を回すと、伊野崎は体重をかけて抱きついた。

 柴は背をそらして、苦しいほどの抱擁を受ける。

 三度目のキスは、伊野崎の湿った舌が口内に入ってきた。
 舌を絡ませ、お互いの唾液を交換する。
 伊野崎の舌を吸った。

 伊野崎の手のひらが、背中から腰を繰り返し撫でる。

 ぞくっと背骨に快感が走った。
 伊野崎の舌を追いかけ、伊野崎の口内に侵入する。
 
 伊野崎の頭を柴は撫でた。
 細く柔らかな髪が、柴の指の間を流れる。

 唇が離れてしまうと、お互い噛み付くようにまた口づけを続ける。

 伊野崎の両手が柴の双丘を掴み、二人の下腹部を密着させた。

 伊野崎の固くなった性器を感じる。 
 久しぶりの感覚だった。

 唇を離しても、舌を出し絡ませた。
 蠢く舌に唾液が糸をひく。

 高揚した柴は、心臓が静まるのを待っていられなかった。
「今のは恋人でいいんだよな?」
 柴は伊野崎の頬を手のひらで包む。

 伊野崎は、その柴の手に手を重ねて、甘えるような仕草で呟く。
「そうだ」

 どこか淀んだ空気を纏っていた柴の表情が明るくなった。
 伊野崎は少し驚いたように目を細めた。

 柴が逃げて結婚したことを許されたわけでもないし、柴を好きになってくれたわけでもない。
 それでもいい。

 二度目に恋人になれた喜びは、一度目とは違い、ほろ苦かった。

「十年より長く、ずっと長く一緒にいよう」
 柴が、そう言うと、伊野崎が「そうなるといいな」と呟いた。  




 
 二度目の付き合いが開始した日から一週間が経った。

 伊野崎の家に昼過ぎに到着した柴は、恋人らしく一緒に買い物をして夕食を作り、食べ終わったところだった。

 家の中では、伊野崎と目が合うたびに何度かキスを交わし、今もソファーに座った二人の手は握られていた。

 柴は意を決して口を開いた。
「今日、泊まってもいいか?明日も休みなんだ」

 伊野崎は、柴と目を合わせる。

「今日は…エッセイの締切が明日の昼までなんだ。一行もできてないから、仕事部屋から出てこないかもしれない」

 伊野崎の膝ではリトが寝ていた。

「ごめん。俺が邪魔した?今日は仕事しないのかなって思ってた」

「柴が帰ったらしようと思って」
 伊野崎は頬を赤らめた。

「在宅だと、いつが休みか分かりにくいな。じゃあ明日の昼にまた来てもいいか?」

「寝てるかもしれない。夕方ならいい。明日なら泊まっていいから」
 伊野崎は答えた。

 柴は伊野崎の頭を撫で、引き寄せて、瞼に唇を当てて言った。 
「俺、まだ治ってない。勃たないけど」

 伊野崎が柴の下腹部に手を伸ばし、服の上から柴の性器を探る。

 伊野崎の指先から静電気が出ているかのような一瞬の刺激を感じた。

 柴は、なぜか鳥肌が立った。

 伊野崎は、柴の性器を手のひらで撫でながら、言った。
「一度だけ、俺が挿れたことあったよな」
 
 柴も覚えている。
「嫌だ。前に伊野が挿入したら苦しくて吐いただろ」

「また吐いてもいいよ」
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