嫌いになりたい 〜4人の切ない恋が交差する連作短編〜

犬白グミ

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第3話 雨宮

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 桜が葉桜になった四月下旬。
 駅から二十分歩き伊野崎家のインターホンを鳴らした俺は、うっすらと汗をかいていた。

「勝手に入って下さい」と伊野崎いのさきの応答があり、玄関扉を開ける。
 鍵はかかってなかった。

 廊下の突き当たりのリビングから伊野崎が姿を見せた。
 自宅にいる時の伊野崎は、ゆったりとしたシルエットを好んで着用していることが多い。

 長めの髪を無造作にまとめ上げ、顎のラインや額があらわにした伊野崎は、秀麗な印象を与える。

「こんにちは」と挨拶を交わす。

 リビングの扉の影から、ぬるりと現れた小さな毛玉があった。
 それは子猫だ。
 茶トラの子猫は、とてとて歩きで伊野崎の足を追いかける。

「どうしたんですか?この子」
 
 大きな黒い瞳孔を射抜くように俺に向けた子猫は、じっと動かなくなった。

「猫です。雨宮あまみやさん猫は平気ですか?」
 
「はい。大丈夫です」
「知り合いが子猫を拾ったんです。賃貸だから飼えないと言うから、四日前からうちで預かってます」

 いつもの仕事部屋に案内される。
 子猫は警戒しているようで仕事部屋には侵入せず、廊下から監視することにしたようだ。
  
「そのうち子猫を拾った男が、買い物から戻ってきますが気にしないで下さい」

 伊野崎がパソコンデスクの前に座ると、俺は鞄の中から持参した資料を渡した。

 伊野崎のデビュー作がついに文庫化発売となる。
 
「こちらが、来月の文庫発売のキャンペーンの資料になります」
 
 プレゼント企画とSNSを使った企画を伊野崎に説明し、これからのインタビューの予定を確認する。

 途中、インターホンが鳴り中断した。
 
 大量のレジ袋を抱えた男が、仕事部屋の前を通る時、こちらに頭を下げた。
 清潔感のある短髪で黒のセルフレームの眼鏡をかけた知的そうな男だった。
 
「こんにちは。伊野崎の同級生の柴といいます」
 そう言った柴の声に聞き覚えがある。

 四ヶ月前に、伊野崎と揉めていた男じゃないだろうか。

 先生が俺と夏生をセフレかのような嘘を吐き、介抱していただけの俺達に柴は「帰って」と言ったのだ。
 思い出した。

 俺も名乗った。
「伊野崎先生の担当編集者してます雨宮です」

 通り過ぎた柴に、伊野崎は背中を向けて無反応だ。

 しばらくすると、柴がコーヒーカップ二客を運び入れ「どうぞ」と出し、静かに退室した。

 不愉快そうにした伊野崎だったが、カップに口をつける。
 
 無駄のない柴の振る舞いは、この家をよく知ってる者だ。
 ただの同級生ではなさそうだ。

 コーヒーを飲みながら、文庫発売企画に話を戻した。
 プレゼント企画に伊野崎のサインを入れてもらう。

 一時間後。
 帰り支度をした俺が廊下に出ると、柴が子猫を抱いて部屋から出てきた。

「触ってもいいですか?嫌がるかな?」

 手を伸ばすと、子猫はするっと柴の腕から床に跳ぶ。

「逃げちゃったか。名前は決めましたか?」
「リトです」
 と、伊野崎がリトを目で追いながら答えた。

 このまま伊野崎が飼うのだろうな、と俺は思った。

「じゃあ、俺も帰るよ」と柴が言い「必要な物は、ほぼ買ってリビングに置いたから」と説明している。

 柴も帰るようだ。
 玄関で靴を履き、俺が先に外に出た。

「伊野、また来るよ」と柴が言うと、伊野崎が「あぁ」と返していろのが聞こえる。
 
 駅の途中に住んでいるらしい柴と一緒に歩く。

「あの子猫、本当に拾ったんですか?」
 赤信号で止まり、俺は引っかかっていたことを訊いた。
 
「なんでですか?」
「いや、拾われた子にしては柴さんにも先生にも懐くのが早いと思って」

 柴が口ごもる。

「…買った猫だと言ったら、もらってくれないかなって思ったんです」

 俺にはわからないが、二人の事情があるらしい。
 四ヶ月前、巻き込まれた俺達は、伊野崎に問いただしたりはしなかった。

 今でも首を突っ込むつもりはないが、夏生のために訂正したい。
「柴さんと会うの初めてじゃないですよね?覚えてますか?」

「はい。あの時は失礼しました。伊野崎から嘘だと聞いてますよ」

 それを聞いて安心した。

「もう一人も伊野崎先生とは何の関係もありません…僕の恋人なんです」

 言うか迷ったが、柴には隠す必要を感じなかった。

「誤解してごめんなさい。なんか、もう謝ることしかできなくて申し訳ない」
 
 柴が名刺を取り出し、
「引っ越しの予定があればなんですが。住まいのことなら賃貸でも紹介できます」
 と言った。

 大手ハウスメーカーの名刺を受け取る。
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