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第2話 伊野崎
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季節は移り変わり夏から秋になった。
ようやく肌寒くなり、衣替えしたばかりのジャケットを羽織った伊野崎は、出版社のエントランスから出てきた。
午後六時。
雑誌のインタビューを終わらせたところだ。
ふらりと出版社ビルの真向いに建つ電機店に立ち寄り、店内を見て回った。
パソコン周辺機器の売り場で、偶然、夏生に会った。
顔を上げた夏生と目が合い、お互いぺこりと頭を下げる。
「就活ですか?」
伊野崎は声をかけた。
夏生が紺色のリクルートスーツを着ている。
「説明会の帰りなんです。雨宮さんの会社の近くだったので、帰りに飲みに行く約束をして、待ってるとこです」
「何時に約束ですか?」
「…七時です。ちょっと過ぎてますけど」
夏生は苦笑した。
十八分過ぎている。
「それなら、雨宮さんを待ちながら、この辺りで一緒に飲みませんか?」
悩ましい存在を綺麗さっぱり忘れて、伊野崎は飲みたい気分だった。
だが、夏生は、作家先生のお誘いに尻込みする。
「先生とご一緒できるのは嬉しいですが…」
「行きましょう。雨宮さんには連絡したら大丈夫ですよ」
伊野崎は少々強引に誘ってみた。
これで駄目なら諦めようとしたが、夏生が承諾したため、近場の和食居酒屋に入店した。
席に案内され「雨宮さんに連絡します」と言って、夏生はメッセージを打つ。
注文した生ビールが届き、軽く乾杯した。
「夏生くん、三年だよね?」
「はい」と夏生は答え、就活の話を始めた。
伊野崎が新卒で入社したのはホテルマンだったと言うと、夏生が驚く。
夏生の携帯が鳴り、雨宮の返信があった。
メッセージを読む夏生は躊躇いながら言った。
「あの、雨宮さんに連絡したら、先生に伝えてほしいと言われたので、いちよう伝えます…俺と雨宮さんは付き合ってます」
伊野崎は、雨宮の慌てた様子が目に浮かんだ。
担当作家が彼氏を口説いている最中だと誤解されたようだが、伊野崎に下心はない。
声を出して笑ってしまった。
夏生が心配げに言った。
「もしかして、気づいてましたか?俺、わかりやすいですか?」
「男性の恋人がいると教えてもらってましたから、深夜の電話を受けた時に、そうかなと」
ビールを豪快に飲み、夏生は小声で呟いた。
「俺、ゲイなんです。同じ人と会ったのは先生が初めてです」
「ゲイバーは?」
「行ったことないです」
夏生は横に首を振った。
「私の知っている店でよけらば、今度一緒に行きますか?厳密には、ゲイのバーテンダーがいる店ですが」
二杯目の生ビールを頼みながら、連絡先を交換した。
「二人で飲みに行ったら、こんなおじさんでも、雨宮さんに怒られますか?」
「たぶん大丈夫です。でも、先生は全然おじさんじゃないですよ。年齢関係なく綺麗だから、どきどきします」
「ありがとございます。土日は、雨宮さんの休日だから避けた方がいいですよね。バイトは平日の夜も入ってますか?」
「入ってないです。先生はいつも自宅で仕事してるんですか?」
「そうですね。一人なので、気楽にやってます」
雨宮繋がりの仕事の話をしていると、息を切らした雨宮が現れ、夏生の隣にどかりと座った。
雨宮が口を開く。
「先生、聞きましたか?」
雨宮のプライベートは、意外に幼い。
伊野崎は笑みを隠して答えた。
「雨宮さんと夏生くんのことなら聞きました」
「先生気づいていたらしい」
夏生が伝える。
「え?わかってて誘ったんですか?」
「健が約束の時間に来ないからだろ」
「あっ、遅れてごめん」と雨宮が謝った。
「雨宮さんが来たことですし、私は帰ります」
そう言って、伊野崎は、ここまでの会計を払い、引き止められたが店を出た。
伊野崎が「また連絡します」と夏生に言ったことで、今頃、雨宮に問い詰められているだろう。
飲みたりないかもしれない、と思いながら、自宅最寄り駅のホームで降りた。
柴の後頭部らしき後ろ姿が目に入った。
柴だ。
改札に向かう雑踏に紛れて、スーツの背中が見え隠れする。
柴はスーツが似合う。
ハウスメーカーの営業職で、高価な商品を勧めるのに相応しい物を選んでいた。
これから、伊野崎家に行くのだろうか。
後をつけるようで気まずいが、時間を潰すのも癪に触る。
しかし、柴は、まったく予想外なマンションのエントランスに入った。
三階建の一人暮らし用の賃貸マンションだ。
ベランダ側に回りこみ眺めていると、二階の角部屋に明かりが灯った。
伊野崎の家とは、徒歩十五分程度の距離だ。
今日も外出する時、ポストに柴からの手紙があった。
再会後、どのタイミングかわからないが、柴はここに越して来たのだろう。
ほぼ毎日、伊野崎の家に来ているのだから、近くに住んでいても不思議ではない。
酔いが覚めてしまった。
ようやく肌寒くなり、衣替えしたばかりのジャケットを羽織った伊野崎は、出版社のエントランスから出てきた。
午後六時。
雑誌のインタビューを終わらせたところだ。
ふらりと出版社ビルの真向いに建つ電機店に立ち寄り、店内を見て回った。
パソコン周辺機器の売り場で、偶然、夏生に会った。
顔を上げた夏生と目が合い、お互いぺこりと頭を下げる。
「就活ですか?」
伊野崎は声をかけた。
夏生が紺色のリクルートスーツを着ている。
「説明会の帰りなんです。雨宮さんの会社の近くだったので、帰りに飲みに行く約束をして、待ってるとこです」
「何時に約束ですか?」
「…七時です。ちょっと過ぎてますけど」
夏生は苦笑した。
十八分過ぎている。
「それなら、雨宮さんを待ちながら、この辺りで一緒に飲みませんか?」
悩ましい存在を綺麗さっぱり忘れて、伊野崎は飲みたい気分だった。
だが、夏生は、作家先生のお誘いに尻込みする。
「先生とご一緒できるのは嬉しいですが…」
「行きましょう。雨宮さんには連絡したら大丈夫ですよ」
伊野崎は少々強引に誘ってみた。
これで駄目なら諦めようとしたが、夏生が承諾したため、近場の和食居酒屋に入店した。
席に案内され「雨宮さんに連絡します」と言って、夏生はメッセージを打つ。
注文した生ビールが届き、軽く乾杯した。
「夏生くん、三年だよね?」
「はい」と夏生は答え、就活の話を始めた。
伊野崎が新卒で入社したのはホテルマンだったと言うと、夏生が驚く。
夏生の携帯が鳴り、雨宮の返信があった。
メッセージを読む夏生は躊躇いながら言った。
「あの、雨宮さんに連絡したら、先生に伝えてほしいと言われたので、いちよう伝えます…俺と雨宮さんは付き合ってます」
伊野崎は、雨宮の慌てた様子が目に浮かんだ。
担当作家が彼氏を口説いている最中だと誤解されたようだが、伊野崎に下心はない。
声を出して笑ってしまった。
夏生が心配げに言った。
「もしかして、気づいてましたか?俺、わかりやすいですか?」
「男性の恋人がいると教えてもらってましたから、深夜の電話を受けた時に、そうかなと」
ビールを豪快に飲み、夏生は小声で呟いた。
「俺、ゲイなんです。同じ人と会ったのは先生が初めてです」
「ゲイバーは?」
「行ったことないです」
夏生は横に首を振った。
「私の知っている店でよけらば、今度一緒に行きますか?厳密には、ゲイのバーテンダーがいる店ですが」
二杯目の生ビールを頼みながら、連絡先を交換した。
「二人で飲みに行ったら、こんなおじさんでも、雨宮さんに怒られますか?」
「たぶん大丈夫です。でも、先生は全然おじさんじゃないですよ。年齢関係なく綺麗だから、どきどきします」
「ありがとございます。土日は、雨宮さんの休日だから避けた方がいいですよね。バイトは平日の夜も入ってますか?」
「入ってないです。先生はいつも自宅で仕事してるんですか?」
「そうですね。一人なので、気楽にやってます」
雨宮繋がりの仕事の話をしていると、息を切らした雨宮が現れ、夏生の隣にどかりと座った。
雨宮が口を開く。
「先生、聞きましたか?」
雨宮のプライベートは、意外に幼い。
伊野崎は笑みを隠して答えた。
「雨宮さんと夏生くんのことなら聞きました」
「先生気づいていたらしい」
夏生が伝える。
「え?わかってて誘ったんですか?」
「健が約束の時間に来ないからだろ」
「あっ、遅れてごめん」と雨宮が謝った。
「雨宮さんが来たことですし、私は帰ります」
そう言って、伊野崎は、ここまでの会計を払い、引き止められたが店を出た。
伊野崎が「また連絡します」と夏生に言ったことで、今頃、雨宮に問い詰められているだろう。
飲みたりないかもしれない、と思いながら、自宅最寄り駅のホームで降りた。
柴の後頭部らしき後ろ姿が目に入った。
柴だ。
改札に向かう雑踏に紛れて、スーツの背中が見え隠れする。
柴はスーツが似合う。
ハウスメーカーの営業職で、高価な商品を勧めるのに相応しい物を選んでいた。
これから、伊野崎家に行くのだろうか。
後をつけるようで気まずいが、時間を潰すのも癪に触る。
しかし、柴は、まったく予想外なマンションのエントランスに入った。
三階建の一人暮らし用の賃貸マンションだ。
ベランダ側に回りこみ眺めていると、二階の角部屋に明かりが灯った。
伊野崎の家とは、徒歩十五分程度の距離だ。
今日も外出する時、ポストに柴からの手紙があった。
再会後、どのタイミングかわからないが、柴はここに越して来たのだろう。
ほぼ毎日、伊野崎の家に来ているのだから、近くに住んでいても不思議ではない。
酔いが覚めてしまった。
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