嫌いになりたい 〜4人の切ない恋が交差する連作短編〜

犬白グミ

文字の大きさ
上 下
7 / 30
第2話 伊野崎

7

しおりを挟む
「こんにちは。覚えてますか?」

 伊野崎晶太いのさきしょうたはレジにいる男に笑いかけた。
 A大学駅前のカフェだ。

 その男が、はっとした表情を見せた。
「もちろんです。伊野崎先生」

 どこにでもいるような容姿でありながら、人懐っこい愛嬌のある表情をする男だ。

「サイン会の日、 雨宮あまみやさんから、ここのカフェラテをいただいたんですよ」

「はい。いらっしゃいました」

 カフェラテを注文し、彼から商品を受け取る時、伊野崎は小声で言った。
「あの時は、私のせいで誕生日を台無しにしてしまってごめんね」

 両手を胸の前で振り、彼が急いで否定する。
「そんな、先生のせいなんかじゃないですよ」
「私が叩き起こせばよかったんですよ」

 長めの髪を耳にかけながら、伊野崎は「またね」と言って店を出る。
 歩きながら飲む。あまり時間がない。

 電車を乗り継ぎ、大手出版社の本社ビルのエントランスに着き、三階の文芸出版部に向かった。
 訪問を告げると個室ブースに通され、暫し雨宮を待つ。

「お待たせしました」と雨宮が現れ、向いの席に座った。
 カラー用紙を広げる。

「文庫の装丁ですが、3パターンのデザインを考えてもらいました。これとこれとこれ。先生、どうですか?」
 
 半年前に伊野崎の担当編集になった雨宮は、見栄えがよい。

 特に笑うと端正な顔に隙ができ、伊野崎の好みではないが女性に好かれるだろうな、と思っていた。

 しかし、雨宮はバイセクシャルで現在は男と付き合っている、と聞いた。
 雨宮の恋人は、たぶん先程のカフェにいた彼だ。

 バイセクシャルと付き合うなんて時間の無駄だ、と伊野崎は思っている。
 他人ごとながら、早く別れた方がいいと忠告したくなる。
 過去の自分と重ねてしまうからだろう。

 装丁と帯のデザインが決まり、打ち合わせが終わった。

 雨宮が腕時計を見る。
「昼過ぎちゃいましたね」

 コンビニに行く雨宮と共に外に出ると、並んで歩く。

「さっき雨宮さんの後輩くんに会いましたよ。サイン会で花束あげた子」
 伊野崎は、何気なくを装って口にする。

「どこでですか?」
「A大学駅前のカフェで。名前は 夏生なつきくんでしたよね?」
「…はい」

 雨宮から営業用の笑顔が消えた。
 伊野崎が、夏生の名前を覚えていたのが気に入らなかったのだろう。

「あの…先生…」
「コンビニ過ぎちゃいますよ」
 コンビニの前だった。
「あっ」

「お疲れさまでした」と挨拶し、雨宮を残し駅へと向かった。

 途中で適当に昼飯を食べ帰宅する。

 伊野崎の自宅は平屋の古く狭い一軒家で、もともとは祖父母が住んでいた。父親が相続し、五年前から伊野崎が暮らしている。

 最寄り駅からかなり歩くが、静かで住みやすい場所だった。

 玄関前のアプローチに見知った男が佇んでいた。
 見間違えるわけがない。
 それは、二年ぶりに見る 柴理一しばりいちだった。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

「恋みたい」

悠里
BL
親友の二人が、相手の事が好きすぎるまま、父の転勤で離れて。 離れても親友のまま、連絡をとりあって、一年。 恋みたい、と気付くのは……? 桜の雰囲気とともにお楽しみ頂けたら🌸

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

サンタからの贈り物

未瑠
BL
ずっと片思いをしていた冴木光流(さえきひかる)に想いを告げた橘唯人(たちばなゆいと)。でも、彼は出来るビジネスエリートで仕事第一。なかなか会うこともできない日々に、唯人は不安が募る。付き合って初めてのクリスマスも冴木は出張でいない。一人寂しくイブを過ごしていると、玄関チャイムが鳴る。 ※別小説のセルフリメイクです。

思い出して欲しい二人

春色悠
BL
 喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。  そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。  一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。  そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

僕は君になりたかった

15
BL
僕はあの人が好きな君に、なりたかった。 一応完結済み。 根暗な子がもだもだしてるだけです。

諦めようとした話。

みつば
BL
もう限界だった。僕がどうしても君に与えられない幸せに目を背けているのは。 どうか幸せになって 溺愛攻め(微執着)×ネガティブ受け(めんどくさい)

代わりでいいから

氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。 不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。 ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。 他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。

雪は静かに降りつもる

レエ
BL
満は小学生の時、同じクラスの純に恋した。あまり接点がなかったうえに、純の転校で会えなくなったが、高校で戻ってきてくれた。純は同じ小学校の誰かを探しているようだった。

処理中です...