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第29話 ルシャードとクラウス

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 翌日。
 イザベルの脱獄報告を受けたルシャードが、急遽イリス領の領主館に姿を現した。
 朝食を終えたばかりの食堂で、面談の報告をしていた俺達は、ルシャードの登場に驚く。
 
 そして、背中に引きこもりのクラウスが隠れていることに二度驚いた。
 そこにいた全員が思わず、立ち上がるほどに。

 クラウスが俺を見つけると、嬉しそうに笑ったのがなぜかわかる。
 長い銀髪で顔を隠くしているのに。

 クラウスは当然のように俺の隣に着席して、声を顰めた。
「ゲリンがイリス領に行ったと聞いて、兄上に連れてきてもらった」

「これからドラジス国に飛んで宰相に会ってくるが、国境の様子はどうだ?」
 真向かいの席に座ったルシャードは、すでに長距離の移動をしたばかりだ。

 それなのに、すぐにドラジスまで飛行するらしい。

「国境の砦の警備を強化しているが、イザベルらしき人物が関所を通った報告はない」
 ダイタはそう言いながらも、その報告を信用していない様子だった。

 アンゼルとドラジスは通行証さえあれば、関所の行き来は自由に許されている。
 通行証は、商人などに発行されており、彼等に紛れて入国してしまえば容易いだろう。

「脱走の協力者も誰なのかはわかってない」
 不機嫌そうにルシャードが呟くと、レイが腕を組んで考え込んだ。

「協力者はイザベルを逃して得をする人物ですよね?」

「イザベルはまだ廃嫡されていないだけで、何の権力も失った。誰も味方になるとは思えないが」
 ダイタが素っ気なく言い切り、レイも頷く。

「敢えてアンゼルに逃げてくるなら、目的があるはずだ。警戒してくれ」
 ルシャードがそう言うと、席を立った。

 もしかして、俺に復讐するとか。まさかな。

「ルシャード、もう行くのか?」
 ダイタが訊く。

「あぁ、行ってくる」

 俺の隣に座ったクラウスは、会話を聞いてはいるようだが、どこまで理解しているのか疑わしい。

 部屋を出る前にルシャードが「クラウスはゲリンについて行け」と末弟に指示を出した。
 それに素直に頷くクラウス。

 二人は不仲なのかと誤解をしていたが、ルシャードは、見守りながら状況を伺っていただけかもしれない。
 クラウスに向けるルシャードの態度には、血が通っていた。

 解散となり、昨日と同様に面談に向かう。
 睡眠導入剤を女医に処方してもらってから、領主館を出た。

 イーモの事情を簡単に説明しながら歩いていると、露店を眺めるクラウスの腹が鳴ったのがわかった。
 美味しそうなパンの匂いに誘われたのだ。

 クラウスが言い訳をする。
「朝食を食べてないから」

 パンを買い与えると、クラウスは頬を膨らませながら食べ、喉をつまらせるのではないかと心配になった。
 王族が食べ歩きなんてできるのかと、思ったが抵抗はないようだ。
 
 領主館周辺は店が多い。
 王都では見かけない雑多でカラフルな商品が並び、クラウスの視線は忙しなく動いた。

 クラウスの隣で見る街は、昨日よりもなぜか魅力的に映った。
 クラウスがいるだけなのに不思議だ。

 しばらくすると、街並みは店から住居に代わり、小麦畑が徐々に広がり始める。
 垂れずに真っ直ぐと育つ麦穂は、太陽の光に黄金に輝き、風が吹くと揺れ動いた。
 青い空と黄金の麦畑の対比の美しさに目を細める。

 食べ終わったクラウスも、ぼんやりと景色を眺め、聖獣の時の機敏さの欠片もなかった。

「クラウス殿下は聖獣になった時、人も運べるのですか?」
 何気なく俺が訊くと、クラウスは悄然として答える。

「うん。でも、空飛ぶ聖獣みたいに楽しくないよ。ぐにゅってするみたい。痛くはないらしいけど」

「イーモの家まで距離があるので、今から狼になった俺の背に乗ってみますか?」
「乗っていいの?」

 俺は獣化して腰を下ろし、乗るのを待った。
 クラウスがそっと背中に乗る。

「服をしっかり掴んでくださいね。行きますよ」

 俺は地面を蹴る。
 人を乗せるのは、マイネ以来だ。
 マイネに比べると、身体が大きいクラウスは乗り心地がよくないかもしれない。

「むふっ」
 クラウスが嬉しそうに笑ったから、杞憂だったようだ。

 一時間ほど走り続けると、イーモの家まであと少しだった。
 目の前の麦畑と麦畑の間を、何かを必死に追いかける獣型の虎獣人が視界に入る。

 それはイーモの兄だ。
 俺は瞬時に悪いことが起きていると悟った。

 イーモ兄に並走して叫ぶ。
「どうした!」
 
「イーモが連れ去られた!」

 イーモ兄が国境の方角を指差し、そちらに視線を向けると、麦畑の向こうに豆粒ほどの獣人車の車体があった。

「あれか?」
「黒豹の獣人車だった!どうしよう!」
 兄は、切迫した声を上げる。

 これほどまでに引き離れてしまっては、黒豹獣人の速さに追いつくのは狼にも虎にも不可能だ。

「見えた」
 俺の背から飛び退いたクラウスは、聖獣になっていた。

 クラウスの瞳の虹彩の煌めきが増す。
 歯を噛み締めたような勇ましい仕草で、俺の手首を掴んだ。

 聖獣の翼が広がると同時に、手首を引っ張る強い力は、留まろうとする身体を否応なく運んだ。


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