上 下
12 / 49

第11話 婚約破棄

しおりを挟む
 俺はレイを寄宿舎まで送った。
 役職付きのレイの部屋は、最上階にあった。

 玄関に入ると安心したかのように、レイは一歩も動かなくなり、不意にオリーブ色の瞳から涙をぽろぽろと頬に落とす。
 
「あれ?」
 レイは頬に落ちた涙に不思議そうな声を出して、指先で拭いた。

 レイの涙は溢れ出すと、止まらなくなった。

「おかしいな」
 狼狽するレイが呟く。

 騙されてあんな女とも知らず、好きになってしまったレイ。
 俺よりも少しだけ背の高いレイの悲しそうに泣く顔を見ていられなくなって、隠すように腕の中に抱きしめた。

「レイは何も悪くない」

 泣きたいだけ泣けばいい。
 泣いて忘れてしまえ。

 別れて正解だ。結婚前にわかってよかったじゃないか。
 どんな慰めの言葉も白々しく思えて、俺は口にすることができなかった。

 レイは俺の肩に頬を寄せて、声を殺して泣いていた。
 そんなレイの涙が止まるまで、俺はそっと寄り添うことしかできない。

 レイのアルファの匂いには、陽だまりのような暖かさがあった。

「あっ。ありがとうございます」
 レイがくぐもった声を出した。

 落ち着きを取り戻したのか、俺が背中に回した腕を解くと、レイは眼鏡を外して目元を制服の袖で拭く。

「今日、ゲリンさんがいてくれて、よかったです」
 レイは、掠れた声でぽつぽつと言った。

 俺は何もしてやれなかったが。

 眼鏡をかけ直したレイの表情は、すっきりと吹っ切れたようにも見えるが、俺が「帰ります」と告げると、再び沈んだような顔を覗かせる。
 
「何もかも忘れてぐっすり寝て下さい。ルシャード殿下には体調不良で帰ったと伝えておきますから」
 俺はそう言い残して玄関を出た。

 政務宮のルシャードの執務室に向かう。
 レイを泣かせてしまったのは俺のせいなのではないかと後悔していた。
 俺がハンに調査なんて頼んだばかりに。

 ルシャードは執務室にいた。
 優雅にティーカップを持ち上げてお茶を飲む、そんな何気ない所作が絵になる人だ。

「戻ったか。レイはどうした?」
 ルシャードは俺を一瞥し、首を傾げた。

「体調を悪くされたので寄宿舎に帰りました」
「そうか」

「…ご説明していただけますか?」

 なぜ、ルシャードは俺をレイに同行させたのか。
 こうなることが、わかっていたかのように。

「ハンが調べたら、アイリスはレイに相応しくないとわかった」

「はい」
 激しく同意する。

「家族の留守中を狙って、義兄と浮気を行ってると報告があった。だから、アイリスの姉に協力してもらい、あの時間、誰も家にいない状況を作ってもらった。行為をするかどうかは賭けだったが、その様子だと、ちょうどいい頃合いだったみたいだな」

 ちょうどいいだと。この悪魔め。

「あんな不貞行為をレイに見せる必要はなかったはずです。調査結果を教えればよかったんじゃないですか」

 部屋の中に入る前に、レイが呆然と婚約者の名を呼んだ声が忘れられない。
 すべて悪いのはあの女だが、冷静で気丈なレイを精神的に追い込んだのは、ルシャードだ。

「調査結果を見せるだけでは、納得しないかもしれない。現実を見せた方がいいだろ。レイは優秀だ。それなのに浮気女のせいで、マイネの妃教育が滞ってはならない。はっきりさせた方が、すぐ忘れられるかと思ったのだが違ったか?」

「……酷いことをしたと思わないのですか?」
「婚姻までに時間がなかったから、少々手荒だったかもしれないな。だから、二人で行かせた。お前がいれば大丈夫だと思ったのだ」

 そんなの温情でもなんでもない。
 俺は心の中で、思いつく限りの悪口で罵りながら退室した。
 







 その後すぐ、レイは婚約破棄をした。

 アイリスはレイだけではなく、両親にも礼儀正しく優しい女を演じきっていたそうだ。
 長年、姉の虚偽の悪事を両親に吹き込み、冷遇するように仕向けてもいたらしい。

 だが、今回の婚約破棄により、義兄とアイリスの醜聞は瞬く間に広がり、父親の商会にも影響を及ぼした。
 その結果、外聞の悪いアイリスは勘当されて、離婚した義兄と一緒に姿を消したらしい。
 貧しい暮らしむきに娼館で働き始めたという噂も広まったが、真偽はわからない。

 そして、結婚二週間前に婚約破棄となったレイの方は、仕事に支障が出ることもなく、立ち直りも早く復活していた。
 ルシャードの思惑通り、アイリスの膿を強引に取り除いたのがよかったとは認めたくない。

 あれ以来、レイは俺に心を開いたようで、よそよそしかった表情がなくなった。

 レイは「情けないところを見られてしまったから、もうゲリンさんの前で格好つけても仕方がないです」と言って、恥ずかしげに目を細めて笑う。
 初対面の笑顔と違い、近寄りがたい印象は消えてなくなっていた。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

雪狐 氷の王子は番の黒豹騎士に溺愛される

Noah
BL
【祝・書籍化!!!】令和3年5月11日(木) 読者の皆様のおかげです。ありがとうございます!! 黒猫を庇って派手に死んだら、白いふわもこに転生していた。 死を望むほど過酷な奴隷からスタートの異世界生活。 闇オークションで競り落とされてから獣人の国の王族の養子に。 そこから都合良く幸せになれるはずも無く、様々な問題がショタ(のちに美青年)に降り注ぐ。 BLよりもファンタジー色の方が濃くなってしまいましたが、最後に何とかBLできました(?)… 連載は令和2年12月13日(日)に完結致しました。 拙い部分の目立つ作品ですが、楽しんで頂けたなら幸いです。 Noah

アルファだけの世界に転生した僕、オメガは王子様の性欲処理のペットにされて

天災
BL
 アルファだけの世界に転生したオメガの僕。  王子様の性欲処理のペットに?

【完結】白い塔の、小さな世界。〜監禁から自由になったら、溺愛されるなんて聞いてません〜

N2O
BL
溺愛が止まらない騎士団長(虎獣人)×浄化ができる黒髪少年(人間) ハーレム要素あります。 苦手な方はご注意ください。 ※タイトルの ◎ は視点が変わります ※ヒト→獣人、人→人間、で表記してます ※ご都合主義です、あしからず

婚約破棄王子は魔獣の子を孕む〜愛でて愛でられ〜《完結》

クリム
BL
「婚約を破棄します」相手から望まれたから『婚約破棄』をし続けた王息のサリオンはわずか十歳で『婚約破棄王子』と呼ばれていた。サリオンは落実(らくじつ)故に王族の容姿をしていない。ガルド神に呪われていたからだ。 そんな中、大公の孫のアーロンと婚約をする。アーロンの明るさと自信に満ち溢れた姿に、サリオンは戸惑いつつ婚約をする。しかし、サリオンの呪いは容姿だけではなかった。離宮で晒す姿は夜になると魔獣に変幻するのである。 アーロンにはそれを告げられず、サリオンは兄に連れられ王領地の魔の森の入り口で金の獅子型の魔獣に出会う。変幻していたサリオンは魔獣に懐かれるが、二日の滞在で別れも告げられず離宮に戻る。 その後魔力の強いサリオンは兄の勧めで貴族学舎に行く前に、王領魔法学舎に行くように勧められて魔の森の中へ。そこには小さな先生を取り囲む平民の子どもたちがいた。 サリオンの魔法学舎から貴族学舎、兄セシルの王位継承問題へと向かい、サリオンの呪いと金の魔獣。そしてアーロンとの関係。そんなファンタジーな物語です。 一人称視点ですが、途中三人称視点に変化します。 R18は多分なるからつけました。 2020年10月18日、題名を変更しました。 『婚約破棄王子は魔獣に愛される』→『婚約破棄王子は魔獣の子を孕む』です。 前作『花嫁』とリンクしますが、前作を読まなくても大丈夫です。(前作から二十年ほど経過しています)

成長を見守っていた王子様が結婚するので大人になったなとしみじみしていたら結婚相手が自分だった

みたこ
BL
年の離れた友人として接していた王子様となぜか結婚することになったおじさんの話です。

転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる

塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった! 特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

身代わりになって推しの思い出の中で永遠になりたいんです!

冨士原のもち
BL
桜舞う王立学院の入学式、ヤマトはカイユー王子を見てここが前世でやったゲームの世界だと気付く。ヤマトが一番好きなキャラであるカイユー王子は、ゲーム内では非業の死を遂げる。 「そうだ!カイユーを助けて死んだら、忘れられない恩人として永遠になれるんじゃないか?」 前世の死に際のせいで人間不信と恋愛不信を拗らせていたヤマトは、推しの心の中で永遠になるために身代わりになろうと決意した。しかし、カイユー王子はゲームの時の印象と違っていて…… 演技チャラ男攻め×美人人間不信受け ※最終的にはハッピーエンドです ※何かしら地雷のある方にはお勧めしません ※ムーンライトノベルズにも投稿しています

処理中です...