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地獄へようこそ

一日目③ グラス〇〇〇化

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「……まあ、興奮したならいいけどよ……じゃあ次は美咲の番だな」
「ふぇ? (え?)」
「で、縛られるのはグラスの番な」
「……いや、縛られるのは先にレオにしないか? レオはさっき美咲に壁ドンをしただろう。接触の間隔はあけた方が効果的なはずだ」
「そういうもんか? まあじゃあそうすっか」
「ふぇ? (え?)」


 ということで、なぜか今度はレオが縛られて椅子に座り、私とグラスがイチャつく番になってしまった。

「最初に言っておくが、私は美咲に見下されることは許可しない。よって私が終始上だ。わかったならさっさとベッドに寝ろ」
「はっ、はいぃ!」

 凍り付くような目で命令され、私は気をつけの姿勢で素早くベッドに寝転がった。情緒もへったくれもない。気持ちは冷凍マグロである。
 グラスは心底嫌そうな顔で私の上にのしかかり、先刻のレオと同じくベッドドンをした。
レオはその様子をニヤニヤ笑って見ている。ちなみにレオはなぜかロープで手を縛っているだけで、口に布は巻いていない。

 私、腐女子でよかった。そうでなければこんな美形に顔を近付けられて、冷静ではいられなかっただろう。

 グラスは私の右耳に口を近付け、ピリッとした空気を醸し出す。

「美咲、わかっているとは思うが、レオに変な気を起こすな。それにあまりくっつくな」
「ひょいっ!」
「……なんだその返事は。私をバカにしているのか?」
「ちっ、違いますっ! く、くすぐったくてっ!」
「……美咲も耳が弱いのか」

 耳が弱い……というわけではないと思いたい。というか、今までの人生でこういった経験が皆無なため、自分が何に弱いとか強いとかはまるっきりわからないのだ。

「……も? グラスも耳が……?」
「いや、私ではなくレ……なんでもない。この話は忘れろ。いいな?」
「はっ、はいぃ!」
「私たちを切り離そうなどと考えているのであれば容赦はしないぞ」
「そっ、そんなこと天地がひっくり返っても考えません!!」

 むしろくっついてほしい。心も身体もぐっちょぐちょに。

「ふんっ……ならいい」

 グラスは私の返事に満足したのか、すぐに身体を起こしてレオに「交代だ」と言った。

「早くね?」
「いや、十分だ。目的は果たせた」
「ふ~ん? まあグラスがいいならいいけどよー」
「それにもう夜中になる。明日も仕事があるんだ。早く終わらせよう」
「へいへい。んじゃ縛るな」

 二人は縄を使った危ないプレイの妄想をさせる暇もなく、あっという間に準備を終える。

「っし! んじゃ、グラス、しばらくその椅子と仲良くしててくれ」
「ああ」
「美咲、ベッド行くぞ!」

 レオはそう言うと突然私をお姫様抱っこした。それも、最初の壁ドンからは想像もつかないくらい軽々と優しく包み込むように。

「っ?! ぐふっ?!」
「ぷっ……ったく、もう少し色気のある声出せねぇのかよ」

 私はそのままの状態で連れて行かれ、ベッドにふわっと寝かせられた。そして、次はレオお得意のベッドドン攻撃である。
 グラスの時とは違い、明らかに何かを企んでいるような顔で近付いてくるレオ。私は背筋がぞわっとして冷凍マグロになり切れず、とっさに両腕を胸の前で構える警戒態勢をとってしまう。

「おっ、人間が堕天使に抵抗かぁ?」
「ちっ、ちがっ……えっと、あの、あ、そうそう! グラスに言われてっ……!」
「グラスがなんだって?」
「レ、レオにあまりくっつくなって!!」
「意味わかんねぇ」

 レオは疑いの目で私を見下ろした後、チラッとグラスの方に視線を向けた。それにつられて私もグラスをチラ見すると、やはりというか予想通りというか、嫉妬心むき出しの目で私を睨んでいる。

「ほら、ね?! グラスはレオに私とイチャついてほしくないんです! 自分とイチャついてほしいんですよ! あの目はそういう目です!」
「ただ睨んでるだけだろ。お前、妄想が激しいってよく言われないか?」
「こんな理想の外見の受けと攻めを目の前にして妄想しない腐女子がいない方がおかしいです!」
「よくわかんねぇけど自覚はしてるみてぇだな」
「さっきだって『そこはキスでしょ』なんて余計なツッコミで私が止めに入らなければ、今頃二人は……!! くぅっ! 一生の不(腐)覚!!」
「へぇ。あれはそう言ってたのか。ふっ……油断したな」
「っ?!?!」

 それは一瞬の出来事だった。私がガードしていた両手のバリケードは、レオが私の両手首を掴んだ事によって簡単に解除され――私は小さく万歳をするように両手首をぐっとベッドに押さえつけられる格好にされてしまったのだ。
 私の全身の血の気がザーッと引いていく。

「いい顔すんじゃん。堕天使はなぁ、お前ら人間が思ってる以上に畏怖を抱くべき存在なんだぜ?」

 レオの息が鼻にかかる。

「……それで? お前が言うにはキスするのが正解なんだっけ? ならしてみろよ」
「いえっ……そのっ、あっ、あれは漫画によくある流れってだけで、実際するかどうかは本人達の自主性を尊重すべきでありましてっ……!」
「何をごちゃごちゃ言ってんだ? ……お前からしないならオレからするぞ」

 レオは邪悪な笑みを浮かべ、顔を近付けてくる――が、私はなんとか体勢をひねって回避し、そのままの状態からレオの右耳めがけてふーっと息を吹きかけた。

「ひゃうん?!」

 レオは犬のような小さな悲鳴を上げて、身体をのけ反らせる。

「おっ、お前ぇ~……!」
「ふぅ~っ! ふぅ~っ!」
「ちょ、止めろよっ?! 止めろよぉ~!!」

 全力で左右の耳に息を吹きかける女と、それを避けるように身体を左右にくねらせる堕天使。シュールである。

 しばらくそんな攻防が続き、二人して息が切れ始めた頃、私は横からもう一人分の息切れする音が聞こえる事に気付いてそちらにスッと目をやった。

 するとそこには、苦しそうに悶えているグラスの姿があったのだ。

「くっ……はぁっ……はぁっ……」
「?!!」

 こ、これは……嫉妬に狂ったグラスがレオへの愛に気付いてしまい、それに葛藤している姿だ……!!(願望)
 いいぞいいぞ! グラスよ、そのまま愛に目覚めよ! 愛に目覚めよ!!

「おい、美咲、お前さっきから何見てニヤニヤ笑って……ってグラス?! どうした?!」
「くっ……苦しっ……」
「美咲!! お前グラスに何をした?! 何を盛った?!」
「どぇっ?! 私?! いやいやいやいや、何もしてない! 何も盛ってない! 無実です!!」

 私がしたのは、ただただ心を込めて愛に目覚めよと願っただけである。それはきっと、旅に出た父の無事な帰りを祈る子供と同じくらい純粋な行為のはずなので、何もしていないに等しいと言っていい。

「嘘つけ!! じゃあどうしてグラスがこんなに苦しそうなんだよ?! グラス、大丈夫か?!」
「あっ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」

 部屋中にグラスの苦しそうな叫び声が響き、それと同時にグラスの身体から眩い光が勢いよく放出され始める。

「嘘だろっ……?! そんな、まさかっ……?!」

 その光は部屋中を覆いつくすほど広がって――一度閃光のように光った後、背中から美しい白い翼を広げたグラスの姿を出現させた。
 グラスは気絶しているようで、椅子に縛られたままぐったりしている。

「バカな?! 大天使に戻っただと……?!?! くそっ……!! すぐにサタンに報告しねーと……!!」

 レオはそう言いながら背中からグレーの翼を出すと、部屋で一番大きな窓を開けて夜空へと飛び去って行ってしまった。
 部屋には、私と大天使に戻ったらしい元堕天使のグラスだけだ。

「……これ、どうしたらいいの……?」

 残された私の選択肢は二つ――レオが戻ってくるまで何もせずにいるか、それとも今ここであったことは全部夢の中の出来事だと判断してさっさと寝る準備をするか――私が選んだのはもちろん後者である。
 しかし、たとえ夢でもグラスをこのままの状態にしておくのは気が引けたので、私はグラス付きの椅子をずるずるとベッド近くまで引きずり、グラスをなんとかベッドの上に寝かせてあげた。少々乱暴に扱ってしまったのだが、グラスが目覚める気配はなかった。

「よし……これでいいか……で、私はどこで寝よう……?」

 ということで、私は自分の就寝先を探すべくこの広い館内を歩き回り、一階から最上階の四階にかけていくつもあるベッドルームの内、グラスがいる階の一つ下、二階の一番小さいベッドルームを選んだ。
ベッドルームにはありがたいことに寝間着やタオルに使い捨てのアメニティグッズ各種が揃えられていたので、私はスムーズに寝る準備を終えることが出来た。
そして――。

「……これ……絶対夢だよねぇ……」

――ベッドに入って冷静になった私の心からの言葉である。

 そもそも、理想の外見の受けと攻めが出てきている時点で気付くべきだったのだ。殺されたという記憶もきっと夢なのだろう。それに堕天使が大天使に戻るなんて、支離滅裂で夢としか考えられない――だが、二人の絡みを目の前で見る事が出来たのは極めて僥倖だった。

「あー……でも夢ならフィナーレまで見たかったなぁ……」

 この日の夜、私は頭の中でグラスの攻めとレオの受けの続きを妄想しながら、心地よい布団に身を預けてぐっすりと眠りについた。
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