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第二部
50.鋭い観察眼に注意
しおりを挟むお昼時間がやってきた。朝9時過ぎに出社してから東条さんは分刻みならぬ秒刻みで動いている。それにあわせて司馬さんも忙しそうに社内や社外を回っている。そして私はと言えば、黙々と溜まっている雑務を片付けていた。
会食の予約や取引先に送るお祝いの花の手配、資料室に足を運び必要な資料を取りに行ったり、アポイントメントのスケジュールの確認などなど。細々とした仕事が次から次に湧いて出て、あっという間に12時が過ぎた。
さて、今日は東条さんは外で取引先とランチの予定だし、私もたまには社食やお弁当じゃなくて外で食べに行こうかな。
秘書課にいる先輩方には1時間後に戻ると告げて、小さめのバッグを手にしながらオフィスを後にした。
◆ ◆ ◆
思えば一人でランチなんて久しぶりかもしれない。そもそも長月のまま外で食べに行くとかしたことないかも。
東条セキュリティーの周りには歩いて10分以内の距離でそこそこ充実したお店が揃っている。低価格でボリュームもたっぷりの定食屋さんや、スープやサラダ専門店、そしてOLをターゲットにした女性に人気のオシャレなカフェスタイルのお店など。お昼時という事もあり、どこも賑わっていた。オフィス街なのに少し歩けばお店が揃っているなんていいよね。私は知らないけど、他の部署では定期的に飲み会も行われているらしい。いいな、それ。私も参加したいなあ、なんてつい思ってしまうけど。ダメだ、麗ならともかく、長月は絶対に参加しそうにない。こんな時自分の面倒な設定をちょっぴり疎ましく思ったり。
居酒屋は夜に今度行くとして。今はどこで食べようか・・・。
ぷらぷら歩いているだけで休み時間が過ぎてしまう。女性向きのオープンカフェみたいな所もあるし、そこで気軽に食べれればいいか。
お店のメニューを確認して中へ入ろうかと逡巡していた所で。窓側に座る人物の顔が視界に飛び込んだ。反射的にくるり、と回れ右をする。
うん、そうだ。ここじゃなくてもべーグルサンドがおいしいお店が近くにあると、広報のまどかさん達が言ってたじゃないか。久しぶりにクリームチーズとスモークサーモンのべーグルサンドも食べたい。ここのオムライスとサラダのセットも捨てがたいが、これはまたの機会にしよう、そうしよう。
何事もなかったかのように、平静を装いつつお店を後にしようと3歩進んだ所で。後ろから右肩をガシ、と掴まれる。肩に置かれた手が二の腕にまで下がり、私の肘をつかんだ。そして背後から聞き慣れた王子様声が聞こえてくる。
「やあ、奇遇だね?こんな所で会えるなんて」
ニコニコ笑顔で微笑んでいるだろうその人物の顔を、音が鳴りそうなほどぎこちない動きでゆっくりと振り返って見上げた。初夏でそこそこ暑いのに長袖のYシャツにベストを身につけ、涼やかな青のネクタイを締めたモデルか俳優かと見紛うほどの華やかさを持つ男――我が従兄である隼人君が、爽やかな空気を振りまきながら微笑みかけた。
「今からお昼かな?麗ちゃん・・・じゃなかった、その格好は長月さんの方だね」
全てお見通しなのか、隼人君は唖然として何も言わない私に構わず話を続けた。そして混乱中の私の腕を引っ張りながら店の中へ引き入れる。って、ちょっと待って!さっきちらりと姿を見かけたときはまだ店内にいたよね!?そして私はまだ3歩しか歩いてなかったよね!その短い時間でどうやって私に気付いて後を追いかけてきたの!微妙に怖いんだけど!?
「え、あ、あの!ちょっと、ま・・・!」
慌てて口を噤む。
先ほど隼人君も言ったように、今の私は長月だ。そしてここは会社の周辺である。お昼時ならどこかに社内の人間がいてもおかしくないし、このお店は7割近くが女性客だ。社長ファンなら私の顔を知っている人もいるだろう。って事は、ここで感情のまま行動していつも通りの麗として振舞えば、築き上げてきた長月のイメージが全て崩れることになる。それは非常に困る・・・!
4人用のテーブルに食べかけのプレートが2つ。一つは隼人君の物として、もう一つは一体誰の?
疑問に思いつつも椅子を引かれて座るよう促されたら。もう腹を決めて座るしかないじゃないか。若干不機嫌さが混じる表情を抑えながら、小さく会釈した。徹底的に長月で乗り切ってやる。
「ありがとうございます。ところで、古紫管理官?どうしてこちらに?」
まさかこの周辺で事件とか・・・嫌だな、それ。どうか物騒な事件じゃありませんように。
口調が麗じゃないから、一瞬怪訝な表情とかを浮かべるかと思ったけど。訝しげに見つめることもせず、変わらないポーカーフェイスのまま隼人君は食後のコーヒーを注文した。そしてオーダーを取りにきた若いお嬢さんは、うっとりと隼人君に見惚れている。
ううん、このウェイトレスさんだけじゃなくて、ここの店内の女性客の8割が今隼人君にちらちらと視線を投げているだろう。そんな中同じテーブルに問答無用で強制的に連れてこられてメニューを渡された私は、中々に不幸だと思う。何この居心地の悪さ。隼人君の真意が見えない事はいつも通りだけど、地味で真面目なOLの長月仕様の私は物凄く居たたまれない。せめて普段どおりのメイクをしていればまだ自信はつくものの、色味を抑えた地味女の隣がモデル風イケメンとか。何の苛めですか。女性客の突き刺さるような視線を感じる。何であんな女が隣に?と視線のみで訴えてくるのやめてよー・・・。
「別に事件が起きたとかじゃないから安心して。ちょっと捜査でね、近くまで来たついでにお昼時になったから、どこかで食べておこうかと思って」
そして選んだのがこの女性客ばっかりのお店ですか。どんな勇者だ、それ。男性だけじゃ入り辛いんじゃないの?お腹減ったなら近くの定食屋とかに行きなよ。あ、それとも、一緒に来た人は女性だったとか?
オムライスのセットとアイスティーを頼んだ私は、ちらりと空いている席に視線を向けた。それだけで何を訊きたいか察した隼人君は、「ああ」と頷く。
「別に僕はどこでもよかったんだけどね。こいつがオムライスを食べたいって騒ぐもんだから・・・」
こいつ?ってどいつだよ。
無表情がデフォルトだと感情を顔に極力表現できないから苦労する。いちいち口で言うのも面倒だし、疑問符を頭の中に浮かべながら沈黙していたら。ざわり、と女性客が小さく騒ぐ声が聞こえてきた。
そして背後からこれまた聞き覚えのある声が届く。
「古紫ー!俺やっぱりさっきのデザートやめて違うのに変更・・・って、誰だ?」
思わず顔を隠したい衝動に駆られる。
何で事情を知っている朝姫ちゃんでなく、桜田さんと来たの!(仕事で来たのなら当然だけど。)
そしてオムライスが食べたいと、このお店を選んだのは桜田さんなのか・・・。見た目を裏切らない好みに素晴らしいと言うべきか、間が悪いと言うべきか。
席に戻ってきたら見知らぬ女が座っていて、若干困惑気味に桜田さんは可愛らしく首を傾げた。
◆ ◆ ◆
「初めまして、長月と申しま・・・」
「何だ、麗か。何やってんだ?お前」
あっさりと見破られた!
どうやら刑事の観察眼を侮っていたらしい。私の変装術もまだまだと言う事だろう。何だか悔しいんだけど・・・!
周りをきょろきょろと見回す。万が一の場合も想定して、私は長月を徹底的に演じきらなければ!!
「初めまして。長月と申します」
めげずに二度同じ自己紹介をすれば、さすがに桜田さんは訝しむような表情で隼人君に尋ねた。
「どーゆー事だ?」
「ちょっとね。今は社長秘書の長月 都さんだから。本名は禁句ね」
こしょこしょと小さな声で事情説明を聞いたところで、桜田さんは「訳が分からないぞ」と言いたげな顔を浮かべた。
そして食後のコーヒーを頼みプリンを食べる警視庁のアイドル桜田さんと、王子スマイルで微笑む隼人君に挟まれて。視線がびしびしと痛い。実に痛いし、私すっごくかわいそうじゃない!?折角麗に戻れる貴重なお昼休みを何でこう、余計なストレスに晒されながらご飯食べないといけないの・・・!麗じゃないときは放っておいてほしかった!
おいしいはずのとろとろオムライスを口に運びながら、キラキラ乙女の視線を浴びないように視線をずらす。目の保養はわかるけど、あまりにも不躾に見すぎじゃないかね、お嬢さん方。そして私を見て嘲笑するのは止めて欲しい。ご飯がまずくなる。
「そうそう、長月さん。ちょっと訊きたい事があるんだけどね」
隼人君がコーヒーカップをソーサーに戻しながら、世間話のように話を振ってきた。
「僕の可愛い従妹がね、何故かお友達に僕の弱みを教えるような動きを見せるんだけど・・・どう思う?それって」
「(ぶっふ!?)」
危うく食べながらむせそうになり、桜田さんが差し出してきたお水を遠慮なく飲み干した。な、何ていきなり答えにくい質問を・・・!そして何でばれているんだ!?
「・・・何故、私に尋ねるのでしょう?直接ご本人に伺えばよろしいのでは?」
淡々と、冷静に質問を返す。
直接訊かれても困るんだけどね・・・。長月にはこう答えるくらいしか出来ない。でも何気に"可愛い従妹"と呼ばれたのはちょっとだけ嬉しかったりして。秘密だけど。
「うん、勿論それは客観的な意見が聞きたいからかな。それと彼女は今実家を出ててね、簡単に会いに行けないんだよね」
お母さんに加担したお前が言うか!
会いに行けなくしたのは自分じゃないか、と言いたいけど我慢我慢。結果的には東条さんと素敵な夜を過ごせたからある意味感謝だけれども。素直にお礼を告げたいとは思えない。
「何だ?麗は今どこに住んでるんだ?」
プリンを食べ終わり、食後のコーヒーを飲み始めた桜田さんが尋ねた。全てを知っているような笑顔で、隼人君が一言「婚約者の家」と答えた。
丸い目を見開いて驚く桜田さんは、「お前婚約してたのか!?」と私に振り向く。って、だから今は長月なんだってば!!
じろり、と隼人君を見据えると、目ざとく私の指に気付いた彼はふと目元を和らげた。
「・・・どうやら上手くいっているようだね。酷いな、一度は僕との結婚も考えてくれた仲だったのに」
左手の薬指にはめている指輪に気付いたんだろう。ふ~ん、と呟いた隼人君は、再びコーヒーを一口飲んだ。
「ご自分で仲を取り持ったのでは?そして風の噂によると、貴方はとある令嬢にご執心だとか」
「へえ?やっぱり情報を流して協力していたんだね。でも残念。彼女に教えたあれらは弱点なんかとは呼べない。それに子供の頃に苦手でも今は既に克服しているし、弱みにもならないな」
やっぱり昔すぎたか!
「さあ、私にはさっぱり何の事だか・・・。そもそも弱みを探られるようなことを仕出かしたのですか。紳士にあるまじき行為ですね、古紫管理官」
「君の婚約者ほどではないと思うけどね」
「何を仰っているのか分かりかねますが。それに私は既婚者ですので」
設定上は、と心の中で付け加える。
淡々と告げると、ますます面白そうに瞳を細めて隼人君が笑みを深めた。この地味な嫌がらせ&攻撃はどうにかならないものか・・・朝姫ちゃんに余計な事をしたのを怒っているの?怒ってるんだよね!?一体何をされたのさ、隼人君は!聞きたいけど・・・今は我慢しなくては。
「ちょっと待て。既婚者?だがさっきは婚約者がどうとかって・・・俺はいい加減頭が混乱してきたぞ」
小さく唸り始めた桜田さんを横目で見てから時計を確認する。やばい、そろそろ戻らないと。
席を立ちながら一言告げる。
「それでは可愛い従妹さんによろしくお伝え下さい」と会釈して、会計を済ませた。あくまでも彼の従妹と長月は別人と言う事を強調して。
苦笑気味に笑った隼人君は、「君のご主人にもね」と長月にあててか、麗への言葉か分からない返事を返された。
足早にオフィスに戻りながら考える。
あれ?さっきから隼人君はコーヒーをブラックで飲んでたし、デザートセットなのにケーキなしでオーダーしていた。
もしかして鷹臣君と違って、甘いの苦手?
新に仕入れたであろう情報を性懲りもなく朝姫ちゃんにメールして、携帯を閉じる。
こうやってどこで誰に出会うかわからないから、外で長月として食事をするのはリスクが高い。そのことに気付いた私はそれから誰かに誘われない限り、一人で外に食べに行くのを出来るだけ避けるようにしたのだった。
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