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第二部
39.麗の叫び
しおりを挟むからり、と氷が涼やかな音を奏でる。
すっかり雨が上がり、雲の合間からぼんやりと覗く月を見上げる。草木も眠る真夜中に、美夜子は一人2階のベランダから空を見上げていた。片手にはお気に入りのウィスキーを、もう片手には古風な手鏡を持って。
旦那も息子も既に就寝中の今、ようやく一人で思案にふける時間が訪れる。雨上がりの外の空気は雨の匂いに満ち、同時にじっとりとした湿度も感じるが、滞在していた国に比べれた大したことじゃなかった。
一口冷たいウィスキーを口に含むと、美夜子は小さく息を吐いた。
一番の問題の種だった娘もこれで腹をくくるだろう。誰に似たのか奥手でなかなかあと一歩が踏み出せない娘。ここぞと言う時は無駄に行動力を発揮するのに、何故自分の恋路にはこうも受身がちなのか。
「・・・まあ、私も麗のこと言えないけど」
若かりし頃の自分を思い出しくすりと笑う。最後の最後まで真実を告げられなかった自分が言える筋合いでもないだろう。だが、誰かの後押しが必要な場合も確かにある。今回のことはいささか強引で急な話だったのは事実だ。本来なら時間をかけて恋人期間をゆっくりと楽しめればいい。そう母親らしく娘の恋の行方を見守る時間は、残念ながら厄介な問題が浮上した為できそうになかった。
一族会議での結果、本人同士が望むのならまだしもこちらが望まぬ婚姻は認めない。そう強く現当主の十夜が宣言をして締めくくられた。
基本的に美夜子は自由恋愛万歳派だ。政略結婚やら血の結びつきなど時代錯誤も甚だしい。
「ようやくまとまりかけているのに、横から邪魔が入ったら面倒なのよ。人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られてなんとやらってね」
もし麗に恋人がいないでアプローチをかけてきた蒼園の人間を好きになったのなら。その時は話が変わっていただろう。お互いが好き同士なら家問題があっても美夜子は反対しないし、十夜も例え前代未聞でも前向きに考えたはずだ。だが、既に婚約まで果たしている2人の仲を面白半分で引っ掻き回されるのは黙っていられない。そして何より娘が選ばれた大半の理由が美夜子の娘だから、というのは到底頷けるものではなかった。自分という存在が娘の幸せを奪う真似だけはしたくない。それ故、蒼園が完全に諦め他をあたらせる為に、強引に既成事実を作り結婚を早めろなどという母親らしからぬ行動に出たのだ。
突如鏡が青白く点滅する。古紫の家宝の一つであるこの手鏡は、携帯電話などという便利な連絡手段がかつて存在しなかった頃に作られた特別な通信機だ。およそ100年前の古紫家のテレパシー能力者が作り上げたこの鏡は、持ち主同士がテレパシー能力を持っていなくても意思の疎通が図れる便利な道具である。どういう術を使ったのかは残されていないが、物にその力を宿らせるなど今では不可能に近い。2つで一つの鏡は、片方は美夜子が京都の実家から持ち帰り、そしてもう片方は当主である兄の十夜が持っているはずだ。
美夜子は驚くこともなく、鏡の表面を指の腹で小さく一撫でした。
「時間通りね」
口元が僅かに綻ぶ。相変わらず兄は生真面目な性格をしているのだと思うと、なんだか昔を思い出し懐かしい気分になった。
『一人で大丈夫か。昴君や響はどうした?』
青白く光る鏡にぼんやりと十夜が映る。その鏡を見ながら美夜子は答えた。
「もうとっくに寝かせたわよ。昴が相変わらず娘離れしなくって鬱陶しいから、麗は早々に家から追い出したわ」
『・・・追い出した?またお前は、理由も告げず無茶を言ったのだろう』
呆れ気味に呟く十夜に美夜子はしれっと答える。
「あの子にはあのくらいがちょうどいいのよ。それに相手の東条さんにはちゃんと挨拶をしてよろしく頼むと伝えたから、これでまあ、何とかなるでしょう。向こうのご両親にご挨拶に伺ったら、すぐにでも入籍しちゃうんじゃないかしら」
娘の婚約者に会った事すらないのに、反対もせずここまで後押しする母親も珍しいだろう。十夜は振り回される姪が大変だと内心で嘆息した。
「うちの子より、自分の息子達のが大変じゃないの?まだ未婚でイケメンなんだし?」
からり、と氷が再び音を奏でた。グラスに当たる音が響くたびに、冷たい風がさらりと肌を撫でる気がする。音の響きはなかなか奥深い。
『あやつらのことなら問題ない。自分のことくらい自分で何とかするだろう。そう簡単に思い通りになるやつらなら周りも苦労はしないしな』
もっともなことを告げられて、美夜子は苦笑する。確かに誰に似たのか、甥っ子達は一癖も二癖あるのだった。あの2人を落とせる女性はそう簡単には現れないだろう、と美夜子は納得の頷きを見せた。騙されたフリをして目的を吐かせ、後はぽいっと捨てる位平然とやってのける。叔母としていつか女性の恨みは恐ろしいとレクチャーするべきか、小さく内心で呻いたのだった。
◆ ◆ ◆
土曜日の朝、というか時刻は既に10時を回っている。朝食というよりはブランチのような時間に、東条さんお手製の朝ごはんを残さず完食した私は、ずっと気になっていることをなかなか口に出せずにいた。
「食後のお茶は何にしますか?コーヒーと紅茶に豆乳を入れることも出来ますが」
流石東条さん。私があんまりミルク好きじゃないのを良くご存知で。乳製品食べれるんだけどね、たまに体調が悪くなるから外ではあまり食べないようにしている。
先ほど絞りたてのオレンジジュースを頂いたから、あまくない飲み物が飲みたい。遠慮なく「ソイラテとか・・・」と告げてみたら、あっさり了解された。え、ラテって自宅でも作れるの?ってかどんだけレパートリー広いんだ、東条さんは。
せめて後片付けだけは私がしよう。そう決意していた所で、東条さんがカップを二つ持ってダイニングテーブルの上に置く。このマグカップ、気のせいじゃければペアっぽく見えるんですが・・・。色がピンクとブルーって!柄も同じで色違いだけって100%そうじゃない!?何でこんなの揃ってるの、東条さん!!
「カップがどうかしましたか?そんなに凝視して」
「いえ、別に!い、いただきます・・・!」
あわてて飲み物に集中するフリをして、冷ますために息を吹きかけた。猫舌なので熱いと飲めないから仕方がないんだけど、目の前に座る東条さんが小さく微笑んだ気配が伝わった。
怪訝に思いながら顔をあげると、笑みを深めた東条さんが頬杖をしながら見つめてくる。
「麗が息を吹きかけるのも可愛いですが、どうせなら私がふーふーして冷ましてあげましょうか?」
「ぶふっ!?」
飲みかけの時になんていうことを!危うく噴き出す所だった・・・
そしてその光景を想像した私は一気に赤くなる。何だそのバカップルがするようなのは!!いいえ、遠慮しますそれは!!そんな些細な事で私を甘やかさないで欲しい。全部甘えてたらダメな人間になるっ!
「・・・あの、そんなに見つめらると、飲みにくいんですが・・・」
コーヒー冷めちゃいますよ?
何故か視線を合わせられず俯き加減でやんわりと苦情を伝えると、東条さんはさらりと甘い言葉を吐き続けた。
「気にしないで下さい。麗が可愛すぎて一秒でも視線を逸らしたくないのですよ」
「~~~っ!!」
ぼふん、と顔が真っ赤だ。何で平然と微笑みながらそんな甘い台詞を言えるの!?私めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど!
「昨日あんな姿を見せておきながら見つめられて照れるなんて。ふふ、本当に可愛い人ですね」
ぎゃあああー!!やめて、やーめーてー!!!思い出させないで!!!
思わず両耳を手で塞ぐ。恥ずかしすぎて聞きたくない!
朝っぱらからする会話じゃないと思いながら、私は先ほどから気になって仕方がなかった事をようやく口に出した。
「と、ところで東条さん!!この寝間着、東条さんが用意してくれたんですよね?」
現在着ている白いネグリジェはどう見ても私の私物じゃない。そして私の荷物が漁られた形跡もない。ということは、だ。これは東条さんが用意してくれて、そして着せてくれたのも東条さんで・・・
「勿論です。よくお似合いですよ」
「それは、ありがとうございます・・・。で、その・・・き、着替えも、東条さんが・・・?」
段々動揺が隠せなくなってきている。平常心を保ちたいのに、考えはじめたら恥ずかしさが増した。
ちらり、と前を窺えば、丁度マグカップを置くところの東条さんと目が合った。
「はい。私が着替えさせました」
にっこりと頷く彼に、視線をうろうろと彷徨わせていた私は躊躇いがちに口を開く。
「あの・・・どこまで?」
「はい?」
「いや、だから、その・・・どこまで、見たのか、と・・・」
お願い、『暗くてあまり見えていませんでしたから安心してください』とか嘘でもいいから言って!いや嘘じゃ困るけれど!!
ああ、と意味に気付いた東条さんは、「それはもちろん・・・」と話し始めた。そして私を見つめたまま艶然と微笑む。
「全部ですね。見ないと着替えさせられないので」
「!!!」
声にならない悲鳴を上げた。
「電気、電気は!?まさかつけたんですか!?」
「明かりはないと危ないですよ?」
ぎゃああああー!!!半ば予想していたけれど、これは痛い!そして恥ずかしい!!知らない間に裸を見られていたなんて!!しかも下着・・・パンツまで穿かされて~!!!
「は!そうだ、下着は!?このパンツどう見ても私の物じゃないんですが!」
勢いに任せて聞けるところまで聞いてしまえと恥に耐えながら訊ねると、東条さんは一言「気に入りませんでしたか?」と告げた。
え、いや、デザインは可愛いしサイズもピッタリ・・・って、そうじゃねえ!
「穿かせないほうが良かったのでしたら次回からはそうさせてもらいますね。私もその方が好都合ですので」
「好都合!?」
ダメだ、これ以上考えたらダメだ・・・!
脳がここで止めておかないと、聞きたくない事まで知る羽目になると私に訴えているのに。すぐに話題を変えることが出来なかった私に、東条さんは更なる爆弾を投下する。
「着替えくらいで恥ずかしがらなくてもいいのに。あの後麗をお風呂に入れたのは誰だと思うのですか?」
「・・・・・・・・・え?」
さー、と顔から血の気が引いた。
そういえば汗をかいていたのに気持ち悪くないし、べたついてもいなかった。そこで気付くべきだったのに、経験がなさすぎてそこまで気が回らなかったのだ・・・心底嘘だと思いたい。
「ま、まさか・・・一緒にお風呂に、とか・・・?」
赤くなったり青くなったりを繰り返す私にいつも通りの微笑みで、東条さんはしっかりと頷く。
「はい。一緒に入りましたよ?意識がなかったので少々大変でしたが」
「っ~~~!!?」
嫌あああー!!!
明るいところでってお風呂でかよ!!!ないわ、マジないわー!!!
全部見られた事を知った私は、がっくりとその場に崩れる。一緒にお風呂はステージがもう少し上がらないと私には無理ですって!!意識がなかったからOKってもんでもないのに・・・!
ダメだ、恥ずかしすぎて穴に埋まりたい・・・。
羞恥に悶えていた私は、顔を赤く染めたまま東条さんに近寄った。
「デリート!今すぐデリートしてくださいー!!」
「何をですか?」
「記憶を抹消・・・じゃなかった、削除してください!昨夜の記憶全部!!」
肩を上下にゆする私をやんわりと止めた東条さんは、一言「嫌です」と告げた。
「記憶を消すなんて勿体無いことしたくありません。むしろ写真におさめてずっと見ていたいと思うほど愛らしかったのに」
「写真撮ったの!?」
どこでだ。いや、どれをだ。私の裸をか!?それは嫌ー!!
「ご心配なさらずとも、それはしていませんよ」
その言葉を信用してほっとした溜息を吐いたら、東条さんは「他の誰かに見られる可能性のある写真に残しておくわけがありません。私の脳内フィルムに保存しておきます」と爽やかに言った。
それって喜んでいいのかどうかちょっとわからないんですが。
そしてなかなか立ち直れない私に、東条さんは提案する。
「それなら今夜は麗が先に寝なければいいだけですよ」
「え?」
「私に裸を見られるのが嫌でも意識があれば隠せるでしょ?お湯の色だって変えればよく見えませんしね」
頬を染めて恥じらいながら、がんばって見られないように体を隠す貴女も私は楽しみですが。
心底たのしげに言われて、私は思わず正直な感想を述べた。
「こ、この・・・エロオヤジ――――!!!」
この日、私は恐らく初めて東条さんに暴言を吐いた。
************************************************
麗が叫んでばっかりいました;
そして結局白夜は一緒にお風呂は譲らないんだな、と(笑)
誤字脱字、見つけましたら報告お願いします!
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