微笑む似非紳士と純情娘

月城うさぎ

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第二部

20.ディアナの本番

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ただいま戻りました。更新再開します!
*今回は3人称で話が進みます*
*誤字訂正&加筆しました*
********************************************

 
 彼を見かけたのはほんの数回、それも決まって遠くから一瞬視線を感じた程度だった。
 目が合うことすら叶わない。もしかしたらそんな些細な事も許されないと、一方的に思っているのかもしれなかった。遠くから飛んで来る一瞬の強い視線に心が惹かれて、焦がれた。いつも振り返ると彼の姿は既になく、ただ強い存在感と残り香が香る気がした。
 
 はじめは視線が合わない切なさを感じた。遠くから見つめられるだけで、決して近くには寄ってこない。その距離感がもどかしく、胸の奥に疼きを残した。
 だが次第にその感覚は変化していく。切なさは苛立ちに変わり、そして例えようのない怒りがふつふつと心の底から湧き上がった。

 純白の衣装を着た自分を何かの女神か聖女と勘違いして、決して近付いてこない彼の憧れのままでいるほど自分は大人しい女じゃない。つつましく微笑み儚げで可憐な姿を偽り、彼の望む清らかな存在でいたいと思ったこともあった。どこか眩しい物を見るように見つめてきた彼の気持ちを踏みにじることは出来ない。そう確かに思っていた。
 
 けれどそれも限界だ。
 いつまでも偽り続けることはできない。本性を偽り望む姿のままでいたとしても、どちらかが行動を起こさない限り、伸び続ける線が交差することはない。
 勝手な思い込みで指一本でも触れたら穢すとでも思っている彼に怒りが込み上げる。自分はそんな無垢で穢れを知らない存在じゃない。むしろ手を伸ばせば応えられるほど近くにいるのに、欲しいと求めない彼に苛立ちが募った。

 穢れを知らない聖女だなんて誰が決めたのか。無邪気に微笑んでいたのがいけなかったのか。勝手な想像を作り上げた一因になったのかもしれない。けれど、本当の自分は純白の白さとはかけ離れた存在だ。どこまでも本能に従順で忠実、欲しい物ははっきりと欲しいと願う貪欲な心。奪いに来ないのなら、奪えばいいと笑顔の下に隠された本性が牙を向ける。

 逃げも隠れもしない、いつでも奪いに来ればいい。
 覚悟を決めて求めればいい。
 黒い欲望に抗えないほど強く欲して、理性など捨てて本能に忠実になればいい。

 ――その夜彼女は、無邪気な少女の仮面を脱ぎ去る覚悟を決めた。
  

 ◆ ◆ ◆

 「なあ、大丈夫かなあの子」
 与えられた休憩時間の合間でも、撮影チームの忙しなさは息を潜めることがない。中断された撮影の機材を確認しながら、部屋の隅に移動した主役の2名を男は盗み見た。明らかに顔色の悪い今回の相手役の女性がすぐに素人だとこの場の全員が気付いた。緊張で硬直した彼女に無理難題をふっかけているのは主役のAddiCtであり、プロデューサーでもあるのだ。もとはエキストラで参加したはずなのにいつの間にか主役の代役まで務める羽目になったのだ。緊張するなという方が無理な話だった。

 「芝居経験まるでないんだろ?無茶させるよな~」
 照明を担当する男が憐れみを含んだ声音で呟いた。台詞はないのだからすぐに演じられるだろうという問題でもない。せめて学生時代は演劇部にいたとかならまだ多少経験はあるだろうが、その線も薄そうだった。

 「あれだろ?Kがこの前巻き込まれたテロで一緒にいた子なんだろ?何でも社長が気に入って強引にこの役もぎ取ったって聞いたけど」
 「いや、代役だろ。来栖レイラの。ノロにかかったって言ってたじゃん」
 「それは事実だけど、代役は何人か候補がいたんだってよ。けれど折角だからあの子にやらせようって思いつきでAddiCtの事務所の社長が言ったらしいぜ?」
 男の目線がちらり、とKと相手役に向った。思わず同情の眼差しで見つめてしまう。

 「あ~AddiCtの事務所って大手だけど、社長が変人で有名なんだっけな~・・・」
 「けどさ、このPVが成功したら一躍シンデレラガールになるんじゃねーの?あそこの社長なら放っておかないだろ」
 小物を移動させて最終チェックに入った男が再び青ざめた代役を見やる。
 黒い髪は作り物に見えないほど自然で艶やかな光を放っていた。闇色の漆黒な髪とは正反対に肌は白磁のように白く滑らかだ。ベッドの上で撮るシーンな為、彼女は靴を履いていない。代わりに脱ぎ着が簡単なスリッパを履いている。ヒールなしの身長は平均的な日本人女性のものだろうが、芸能界で見るには些か低めだ。隣に立つKと並ぶと丁度いいと感じる身長差だろう。小柄な体に腰まである長い髪。神秘的な瞳は深い海の色で、唇に乗せられた色は鮮やかな赤だった。
 緊張で強張り怪訝な顔つきでKの話に耳を傾ける彼女は人間っぽさが出ているが、真顔になったらそれこそ作り物の人形のような儚さと美しさがある。思わず触れるのを躊躇うような気分にさせられる。不用意に触れたら壊れるのではないかと危惧してしまう。そんな現実感のない空気が彼女とKの周りには漂っていた。

 「確かに、キレイに化けたよな・・・元の顔はちらっとしか見ていないけどさ」
 「MIKAさんの腕がすごいってのもあるけど、今の見た目ならレイラに劣らないんじゃないか?」
 「カメラに映った時に最大限に魅力が出せるかどうか、だな」

 男三人が声を潜めて会話をしていると、ふいに注目の人物が動く気配を察知した。どうやら撮影が開始されるようだった。

 「おいおい、もういいのかよ?まだ10分しか経っていないぜ?」
 早い方が確かに助かる。次のシーンの撮影も押しているのだ。この場所は今日限りしか使えないし、日が出ている間になるべく全てのシーンを撮影しておきたいのが本音だ。だがそんな短時間で上達するものなのか。ましてやあの緊張感を拭い去ることが出来るのか。出来たらKは一体どんな魔法を使いやがったのだ?と、三人は目を見合わせながら考え込んだ。・・・本当に大丈夫なのか?


 どこか焦点が合わないような彼女にプロデューサーの笹原が駆け寄る。僅かに俯いた彼女にどことなく不安気な顔色でKを窺うが、何事にも動じないと有名な男はあっさりと撮影開始を促した。そこには不安も懸念も見えなかった。

 「いいから、早く撮影開始して。今なら大丈夫だから」
 きっぱりと断言するKに、笹原は躊躇いつつも了承する。大丈夫だという言葉にかけるしかないのだ。

 「でも、K。どこかぼうっとしてる彼女、本当に大丈夫なのかしら?」
 キュっとKの服の裾を握る彼女は僅かに眉が顰められている。怒っているのか?と勘違いをしそうになるが、明確な怒りをあらわしているわけではない。だが先ほどまでの感情豊かな彼女でも、緊張で固まっていた彼女でもない今の麗は、どこか危うい空気を放っていた。心がここにない、そんな言葉が脳裏をかける。

 「大丈夫。役名をつけたから。今の彼女は麗じゃなくて、ディアナ。そう呼んであげて」
 勝手に役名をつけたことに驚いたが、ディアナという名に反応を示した麗に笹原は目を瞠った。チラリと視線を上げた彼女――ディアナは、その神秘的な眼差しで笹原の瞳を射抜いた。力強い眼差しに、一瞬呼吸を忘れる。ドクリ、と鼓動が跳ねると共に、高揚感が高まった。

 自然と笑みが零れると、笹原はすぐに撮影メンバーに声をかける。
 撮影再開だ、と。


 ◆ ◆ ◆

 (さて、Kの指示で一応リハの今も本番と同じように撮影するようにって事だけど・・・これ一回でOK出るとか本気で思っているのかしら)

 腕を組んだまま笹原はカメラの邪魔にならない場所で中央のベッドに視線を注ぐ。スタイリストとヘアメイクのされるがままになっている麗を目を眇めて注意深く見つめた。

 Kの指示でもしいい絵が撮れたら、リハでも本番として使ってほしいと頼まれた。経験を積んだ役者でも一発でOKが出る事は難しいのに、それを何の経験もない初心者が出来るものなのか。たかだか10分程度の休憩で何があったのか。尋ねた笹原にKは「名前つけただけ」としか返答しなかった。世間ではクールで通っているKの実態は、口数は決して少ないほうではないが、マイペースすぎて説明不足なところがある。滅多に物怖じせず、いい意味で大物だが、こんな時は困る。ちゃんと分かりやすく説明をして欲しい。

 (まあ、とりあえずやってみますか)
 
 小さく嘆息した笹原は、緊張感が渦巻く空気を肌で感じ取りながら、撮影開始の合図を告げた。


 
 深紅のベッドカバーに横たわる純白のナイトドレスを身につけた聖女は、ベッドの中央に仰向けになって静かな呼吸を繰り返していた。その規則的な呼吸音から、本当に寝ているのではないかと錯覚させるほど自然な表情で。
 艶やかな黒髪が扇のように深紅のベッドに広がり、両手は胸下で組んでいた。肩の力も抜き、四肢にも余計な力は入っていない。安らかに眠り続ける彼女を見守る中で、気配を殺した主役の堕天使が忍び寄る。

 真夜中を意識した室内は極限まで明かりを減らしていた。蝋燭を使い、撮影で必要な明かり以外を消して、役作りが上手くいくようにムードを作る。
 闇色の衣装を纏ったKはその中で違和感を覚えることなく室内に溶け込んだ。ゆっくりと足音を立てずに眠るディアナへ近付いて行く。

 黒いケープを纏った堕天使のルシファーは、ベッドに近寄ると上半身を覆っていたそのケープの留め具を外してベッドの上へ落とした。ぱさり、と軽い布が落ちる音が響く。黒いケープの下から現れたのは白いシャツに長いベスト。ベルトの金具やブローチなどの飾り留めが華美すぎず、丁度いい華やかさを演出していた。黒と白のコントラストに、ほぼ黒づくめに近いルシファーの両手の先は、同じく黒で統一されている。頭から爪先までもが黒のルシファーは、僅かの間だけ眠るディアナを見つめていたが、ふいに黒に染まった右手を伸ばした。

 触れるか触れないかの所でほんの一瞬止まった右手を、ルシファーは暗い炎を瞳に宿らせながら再びのばす。躊躇いはほんの一瞬。一度でも触れたら彼女は穢れる、そんな念に囚われていたが、柔らかな肌の感触を確かめて、少しでも触ればもう後戻りは出来なかった。触れたが最後、彼女は既に自分の物だと、厳重に閉じ込めたはずの獣がゆっくりと目を覚ましていく。

 黒曜石のような瞳が血色に光る。
 眠るディアナの上半身をゆっくりと起こした彼は、襟ぐりが広く開いた首筋へ指を滑らしていく。首から鎖骨へ、そしてまた首へ。場所を確かめるように、一往復させた指を離した直後。薄く開いた口から鋭利な牙を覗かせた。

 新雪のような肌に牙をつきたてる瞬間。支えられて眠りにおちていたはずの体に力が戻り、投げ出されていた腕が力強くルシファーの首に巻きついた。唖然とする間も与えない一瞬の出来事。女性の力とは思えない力強さでディアナはルシファーを組み敷いた。
 
 開かれた目の色が赤く染まる。
 
 カーテン越しに映しだされた影は、覆いかぶさったディアナがルシファーの首筋に顔を埋めるところだった。

 正面に取り付けられたカメラが2人を捉える。ゆっくりと起き上がり馬乗りになったディアナの唇からは、赤い液体が零れ落ちていた。白い顎をつたい、ぽたりと胸元に落ちる。純白だったナイトドレスには、ところどころ赤い染みが浮き上がっていた。鎖骨のくぼみ、胸の谷間へと、細く赤い道筋が出来ていく。零れた液体を拭い去るように、ディアナが小さな赤い舌でぺろり、と唇についた液体を舐めとった。

 艶かしい舌の動き、伏せられた睫毛、弧を描く妖艶な微笑み。そのどれをとっても、もはや彼女が穢れを知らない聖女には見えなかった。白く無垢な仮面を取り去った彼女に浮かび上がるのは、女の性。男の上に馬乗りになり、舌なめずりをして自分を襲い掛かってきた男を見つめる。前が膝丈までのナイトドレスの裾から伸びる白い太ももがやけに扇情的だ。胸の谷間に流れ落ちる血と共に視線が外せない。

 艶然と微笑むディアナが笑みを深め、小さな少女のような手をルシファーの首に伸ばした。零れ落ちる血を親指で擦り、掬い取った親指をぺろり、と視線はルシファーに縫いとめたまま舐める。陶然とした表情から目が逸らせないルシファーは、息を呑んだ。その挑発的な行動に心の底まで見通すような強い眼差し。濡れた眼差しから覗く光は、自分が抱えていたものと同じ色だった。

 そのまま見詰め合うこと数秒。突如室内に『カット』の声が響いた。
 
 ◆ ◆ ◆

 聞き慣れた『カット』の声にぴくり、と体が反応したのは一人や二人だけじゃなかった。それまで呼吸を忘れるような静けさで撮影を見守っていたスタッフは、彼女が醸し出した空気に完全に飲まれていた。瞬き一つすら忘れていたのではないかと錯覚させるほど、彼女は"ディアナ"だった。

 「笹原さん、どうされますか?撮り直しますか」
 カメラの映像を確認した笹原は小さく唸る。この表情をまた二度させるのは難しい。一人ならともかく、2人共同じ反応を同じ表情で演じることが出来るのだろうか。Kは器用だから問題はなくても、初めて見た時よりやはりインパクトが欠けるだろう。突然の驚きだからこそいい表情が撮れたのだ。それに彼女――、麗は、おそらく役に支配されていた。体も思考も、完全に麗ではありえないだろう。ディアナだからこそ出来た行動を、また同じように出来るのか。演技が素人の彼女にとってそれは・・・

 暫く悩んだ笹原は、すぐに頭を軽く振った。

 「ダメね、欲が出すぎるのは。これでいきましょう」

 その言葉に声をかけた張本人はぎょっとする。リハで撮った物を本当に本番に使用するのか。

 「どうせCG加工とかいろいろ手は加えるのだし、問題ないでしょ。それに、貴方も彼女に飲まれていた一人でしょうに」
 問題あって?

 そう訊かれたスタッフは、気まずそうに視線を逸らした後、小さく溜息を吐いてから「ありません」と呟いた。

 ◆ ◆ ◆

 どこかまだ呆然としている麗を近くの椅子に座らせたKは、近寄ってきたQの傍まで行った。

 「どうだった?」
 Qは思わず苦笑した。よほどKが本気でうろたえる所が見えて愉快だったのだろう。

 「予想外に良かったよ。気に入るんじゃないの?これを見たあの人は」
 「・・・そうかもね」
 顔を俯け気味に目線を伏せたKは気のない返事を返した。その様子にQは訝しむ。

 「何か問題でもあったのか?」
 物怖じしないKが珍しい。
 微妙に不機嫌さを交えた表情にQは落ち着かない気持ちになるが、返ってきた答えは深刻ではなかった。

 「・・・ちょっとやばかったかも」 
 噛まれたであろう左の首筋を擦る。血糊がまだついているが、それよりも触られた箇所が熱いのは何故か。牙は偽者でも、首筋に押し付けられた唇の柔らかさは本物だった。

 ぽそり、と呟いた声をしかと聞いたQは唖然とする。今、何と言ったのか。
 ちらり、と麗を見やったKは淡々と告げる。

 「うん。ちょっと本気でくらっと来たよ。麗って実は魔性の女?」

 その問いにQは戸惑うばかりで、答えなんか持ち合わせていなかった。
















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お気に入り登録、感想、オススメV系バンド&曲もありがとうございました☆早速チェックしてきました。はまりそうです、ヴィジュアル系(笑)

誤字脱字、見つけましたら報告お願いします!
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