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第二部
7.土曜日の仕事
しおりを挟む本来なら一日東条さんと恋人繋ぎをしながらドキドキな初デートを体験しているはずだった土曜日。私は事務所から車で1時間離れた郊外にあるお屋敷風のレストランに連れて来られていた。
「麗、あんま俺達から離れるなよ。あと飯ばっか食ってないでちゃんとフォロー頼むぞ」
口の中でとろけるようなスモークサーモンとクリームチーズに贅沢なキャビアを乗せて味わっていた直後。傍を離れていた同僚の黒崎君が呆れた眼差しと共に『仕事で来たこと忘れるなよ?』と念押ししてきた。
「うっ・・・はーい・・・」
ちっ。必要な時だけ傍に行って、後は料理を堪能していいと言われて来たのに。やはり食事にばっかこいつ気を取られているな、と私の性格を把握している同僚は溜息をつきながら人の輪へ戻っていった。
目の前に並べられたご馳走を未練がましく眺めながら、私も黒崎君の傍へ近寄った。
◆ ◆ ◆
レンガ造りの可愛らしい洋館に開放的な庭。山の中に密かに造られたこの隠れ家風のレストランで、今宵のパーティーは行われている。招待客は約60名。とある食品会社の社長令息の誕生日パーティーとしてこの場所を特別に借り切っているそうだ。ゲート付きで宿泊施設まであるレストランは外界との繋がりを遮断されたかのような静けさで、完全予約制のお店らしい。
フランスで数年修行を積んだ一流シェフが作る料理はどれも食べるのが勿体無いほど美しくかつ美味である。これなら車がないと来れない不便な場所に建っていても、リピートで来るお客さんは絶えないだろうと思わせるほどの味だった。
そして今夜私が呼び出された理由は、同僚である黒崎君と白石さんが担当している案件に付き合う為だった。ターゲットの人物がこのパーティーに招待されていると情報をつかんだ2人はどうやってか招待状を手に入れたらしく。運良く潜り込む事が出来たが、不自然じゃないためにパートナーが必要だと鷹臣君に相談したらしい。そして白羽の矢が立ったのが私だ。
別に私じゃなくてもいいじゃんか、と内心で文句を呟いたけど。鏡花さんはどうしても都合がつかず、瑠璃ちゃんは滅多な事じゃないと呼び出せない。元々事務職で雇っているためだ。一番暇そうで変装になれていて、ご馳走に釣られて承諾してくれる都合のいい相手が私だけだったと真顔で黒崎君に言われた時は、思わずぶん殴りたい衝動に駆られたけど。素敵な恋人もいて充実した毎日を送っている私は、深呼吸をしただけで余裕の笑みを浮かべて、怒りを流してみせた。意外だったのか拍子抜けしたような顔で見られたけど、大人な女に一歩近付く為には短気じゃいけないのよ。
人の輪の中にすんなりと入っていき、巧みな話術で情報を搾り出す様子をじっくりと眺める。落ち着いたダークグレイのスーツに警戒感を抱かせない笑顔を浮かべた黒崎君は、普段の粗野で短気な乱暴者とは思えない。仕草や歩き方までどこか優雅さが漂う。後ろに撫で付けられた黒髪とシルバーフレームの眼鏡が若干胡散臭さを醸し出しているけど、本性を知らない相手からは知的な好青年に映るだろう。
そして情報収集が得意な白石さんは別の場所でこちらを窺いながらターゲットから目を離さないようにしていた。荒事が得意な黒崎君と、冷静で丁寧なフォローをする白石さんは常に2人で動く。たまに警察からこっそりと依頼される案件を追ったり協力したりしているらしい。2人共私と同年代なのに、数々の窮地を潜り抜けてきた所為か、私とは比べ物にならない位の経験値を持っている。隙を見せない佇まいや常に周囲を警戒している眼差しはまるで本物の刑事のようだ。聞いているだけでスリル満点な事件を追う彼等が今受け持っているこの案件に、私が首を突っ込む事になろうとは。・・・足手まといにだけはなりたくない。
詳しい情報は怖いから訊かなかったけど、要はターゲットが誰かと接触している証拠が欲しいらしく。恐らく今夜動く事になるだろうと目論んだわけだ。そしてその証拠が撮れれば今夜は解散。次のステップに移れるらしい。
私は不自然に見られないように連れて来られただけの臨時パートナーってわけだ。気は進まないけど、必要ならば黒崎君の恋人として振舞えとまで言われている。それはぶっちゃけ遠慮したい。
黒崎君はこのパーティーに潜り込む為に偽名を使っているし、とある会社のそこそこいいポジションに就いている設定だ。そこでさりげなく人脈を広げてターゲットにも接触するとか。私の勘だけど、接触ついでに盗聴器でも仕掛けるんじゃ・・・大いにありえそうだ。
小型のイヤホンを耳に詰めて、やり取りをする。その為今日の髪型はアップスタイルじゃなくて、耳が出ないように髪をふわりと巻いて大人かわいいカチューシャをしただけ。ドレスは派手にならないように地味目を選んで、色は黒。膝丈で軽い素材を選んだので、動きやすいし歩きやすい。ヒールも5cmと私が一番長時間立っていても疲れない物を選んだ。そして肩にはシルバーのショール。昼間はかなり暖かかったからドレスの上にショール一枚の格好でも十分暖かい。自然に囲まれている為ちょっと風は涼しいけど、まだ問題ない涼しさだ。
微笑を浮かべながら周りを観察して、黒崎君の邪魔にならないように適当に相槌を打つ。知らない人に囲まれて急に質問をされるのはかなりひやひやするけど、どうにか不審に思われず少し会話をしただけで向こうは去っていってくれた。初対面相手との会話でプライベートな事まで訊かれないから設定が曖昧でも何とかなってよかった・・・。
先週に引き続き今週もパーティーに参加させられて、微妙に疲れが溜まってきた8時過ぎ。このパーティーの主催者による挨拶が始まった。それに続いて本日の主役の息子さんを紹介される。
私と黒崎君、そして離れた場所にいる白石君は、周りが挨拶に聞く体制になっている所をすり抜けて、一番後ろまで移動した。芝生の上を歩くので音に気をつける必要はないけど、ヒールがひっかからないかが問題だ。なるべくスマートに目立たないように移動を心がけた。
挨拶された青年は某有名大学の4年生だそうで、今日で22歳だと説明された。22歳・・・若いな。おかしい、まだ3歳さなのに何故こうも若く感じてしまうのだろう。社会人と学生の差と言う奴か。周囲が拍手を送るので、私もパチパチと静かに拍手を送った。
青年は落ち着いた口調で挨拶を始めて集まってくれた招待客に感謝を述べた。中々礼儀正しく理知的な瞳が印象的な好青年だ。道理で若い女性客が多いはずである。招待されている中に10代後半から20代と思われる女性が多々目に付いた。恐らく家族の誰かが連れて来たのだろう。あわよくば彼と良い縁を結んで欲しいと思っているのかもしれない。政略結婚などに全く無縁の私には理解できない世界だけど、未だにあるんだろうな、そういうの。
そして若い女性が多いから、私も警戒されずに溶け込めるのだろう。もしかしなくてもそれが分かってて、黒崎君たちは私を連れて来たのか。不自然にならないよう傍にいろと言う意味がようやくわかった。そこそこ見た目もいい黒崎君に話しかけてくる女性客も私がいる事で遠慮もするはず。・・・大した女じゃないわね、と思われたらお終いだけど・・・。
「中々動かねーな・・・」
ちっ、と舌打ちした黒崎君が苛立ち始めた。お兄さん、短気は損気ですよ。
ターゲットの男性は初老に差し掛かっているのか、白髪が混じった髪の毛を七三で分けて、品のいいスーツを纏っている。とある会社の重役をしている人だけに、ひっきりなしに人に囲まれているのだ。それでは一人で動く暇がない。
「あんなに囲まれてたら動きたくても動けないんじゃない?」
渡されたシャンパンを一口飲む。炭酸が口の中で弾けて、さっぱりとした甘すぎない香りに一息ついた。黒崎君も少し位飲んで落ち着けばいいのに。
「成るほどな・・・なら動きたくなるように仕向ければいいのか」
「・・・は?」
じろり、と眼鏡の奥から睨まれて、涼やかな瞳が光った。この男、実は鷹臣君の信者な為、最近では雰囲気まで鷹臣君に似てきている。そして私に無茶を振りかけてくるという似なくていいところまで真似てきて、私にとっては迷惑極まりない。何だかとっても嫌な予感がするんですけど!?
「え、えーと・・・とりあえず何か飲む?」
苦し紛れに苛立ちを紛らわそうと白ワインを注いでグラスを渡せば、受け取った黒崎君は人の悪い笑みを浮かべた。胡散臭い眼鏡をかけた顔のままでその笑みは激しく不気味で怖い。そんな凶悪な笑い方まで鷹臣君を真似しなくてもいいと思うよ!
渡したワインを逆に返されて、首を傾げながら目で「何?」と訴えると。黒崎君は先ほどまでの接客用の笑みに切り替えてにこやかに言い放った。
「よし麗。お前事故を装ってあの男にワインぶっかけて来い」
「・・・はぁ!?」
何それ!
そんな事、あの輪の中に入るだけで無理でしょう!!
「ちょっと、それはどうかと思うよ!?クリーニング代とか請求されて身元をバラす事になったら面倒じゃん!」
よし、いい言い訳思いついた自分!と内心ほっとしながら自分を褒め称えていた。名前を教えるだけならともかく、いろいろ調べられたら困る。全てがパアだ。
「安心しろ。白ワインなら染みも目立たないし、第一女にクリーニング代を請求するような姑息でせこい男じゃねーのは確認済みだ。若い女相手に公衆の面前で恥を晒すことはしない。恐らく好都合とでも思って、この場から立ち去る」
「そううまくいくかな・・・?」
私がまだ納得を示さないでいると、黒崎君はさっさと無線で白石君に「そういう事だからすぐに後を追ってくれ」と告げた。白石君の「了解」と言う声を聞いて、私はげんなりと溜息が漏れそうになった。
◆ ◆ ◆
常に三人から五人程度の人に囲まれているターゲットの後ろを、不自然にならない程度に接近する。夜でも明かりは十分あるけど、場所によっては視界が悪くなる所もある。足元なら尚更だろう。
「これから接触する。後をよろしく」
私は小さく無線でこれからワインをかけると伝えると、二人の「了解」と言う声が響いた。一息深く息を吐いてから、後ろ向きで2歩進み、振り返った所で体勢を崩した私が相手の肩にワインを零した。かくり、とこけそうになった所を傍にいた人が支えてくれる。ヒールが芝生に引っかかりこけそうになったのは、実は本当に起こったアクシデントなんだけど。どん臭いと思われるのは嫌だからこれは演技という事にしておこう。
「大丈夫ですか?」
声をかけてきた男は、何と先ほど紹介されていた社長令息だった。思いがけず大物に助けられ、言葉を失う。ちょっと、これは目立つんじゃ!?
「だ、大丈夫です・・・すみません、ご迷惑を」
体勢をささっと直してから、支えてくれた相手にお詫びを告げた。そしてターゲットに今気付いたフリをして、狼狽する。
「申し訳ありません、肩にワインがかかってしまいましたわ!染みにならないうちにこちらへ!」
突然のことで驚いた様子のターゲットは、私のワイングラスが白だと気付くと、笑顔で「お気になさらないで下さい」と微笑みかけた。
「今すぐ何か拭く物を・・・!」と焦る人々を手で制して、その人は目じりの皺を深めて大丈夫と告げる。
「少し失礼させて頂きます。お嬢さん、怪我はありませんか?」
お嬢さんと呼ばれた私は姿勢を正してお辞儀した。
「はい、大変失礼なことを・・・」
「大したことはありません。怪我がなくて何よりですよ」
少し疲れが覗いた顔で柔らかく微笑まれると、こっちも罪悪感でいっぱいになる。
でもこの場を離れられることが出来て逆にホッとしたようにも見えた。
去っていく背中を見送った後、未だに動かず私の隣にいる今夜の主役に再びお詫びのお辞儀をする。
「あの、助けていただいて、ありがとうございました」
「いえ、傍を通りかけただけですから。足はひねっていないですか?よろしければあちらのベンチで少し休まれては?」
空いているベンチにエスコートしれくれそうになったが、生憎足は捻ってはいないので、丁重にお断りした。この人といたら目立つしね。
顔を上げた瞬間、視界に入った人物に目が留まる。
少し離れた場所で数人に囲まれて談笑をする長身で人目を惹く容貌の男性。黒髪に上品なスーツを着こなして、優雅に歩く姿を私が見間違えるはずがない。
「・・・東条さん・・・?」
独り言のように小さく名前を呟いた後。死角になっていた招待客が動き、東条さんの隣にいる人物が姿を現した。
シャンパンゴールドのようなドレスを身に纏い、遠目から見ても佇まいが上品な美人だとわかる女性。その人は不自然なほど東条さんに寄り添い、そして当然のように東条さんの腕を華奢な腕で絡めた。
東条さんはその腕を振り解くことなく受け入れて、私に向けてくれるのと同じ微笑を浮かべて、その人に何か喋っていた。
その光景を目撃してしまった私は、今宵の主役が戸惑うほど硬直して、その場から動けなくなってしまった。
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