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第二部
3.下界の食堂
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新キャラ出ます。
*誤字脱字訂正しました*
********************************************
一日一度は顔を見せて。
名前で呼んで。
昨夜東条さんから約束させられた内容を思い返す。
結局あれから眠ることが出来たのは3時を過ぎたあたりだった。丑三つ時にホラー映画を観る神経がわからない!と思われる方も多いだろうけど、ホラー観てもあまり怖さを感じないから特に気にならない。これも幼い頃からの鷹臣君の教育の賜物だろうか。
地味なスーツに着替えて『長月 都』を作り上げていく。メイクが終わり最後は伊達眼鏡をかければ完成だ。
「・・・あれ?何かここ赤くない?虫刺され・・・?」
鏡に映る私の首筋に赤い鬱血が。似たようなことが前にもあった気はするけど、これは何だっけ?と首を傾げる。
「っ!も、もしかしてこれが噂の・・・キスマーク・・・!?」
ボン!と瞬時に顔が火照った。うわ、うわー!!そうだよ、絶対そうだよ!!昨日東条さん私の首にキスしてたもん!!
「し、信じらんない・・・!ああ、髪の毛と襟で何とか隠れるけど、こんなの誰かに見られたら」
恥ずかしすぎる!!
スカーフとかで首をぐるぐるに巻いて出社したいけど、生憎春用のスカーフが手元にない。しかも地味スーツにスカーフは私には激しく似合わないように思えた。結んでいた髪の毛をほどいて襟に気をつけながら家を出た。
寝不足の所為か、何だか既に体力を消耗した気分なんですけど・・・。今日一日ずっと都モードでいる為に細心の注意を払わねば。
「会社での私は長月 都。地味で真面目な出来る女を目指すのよ」
パン!と両頬を叩いて気合を注入してから、駅へと向った。
◆ ◆ ◆
司馬さんの微妙に気になる視線をちらほらと感じた午前の業務が終わって、今はちょっと遅めのお昼休みを頂いている。
東条さんに朝、第二秘書として挨拶をした後。私は司馬さんに頼まれた仕事を手伝い、多忙な東条さんはすぐに外出してしまった。残された私は黙々と書類を作ったり訳したり、東条さんのスケジュールを調整したりしてあっという間に1時が過ぎた。
途中で秘書課のお姉さま方に呼ばれて雑用も引き受けたけど、時間を忘れるほど仕事に没頭できるのは逆によかった。一人の時間で何もする事がなかったら、余計な事に思考がとらわれる。特に昨晩の出来事とか・・・
思い出してはダメよ、麗!あんたは今都でしょ!!
麗思考になりそうな時、頭を左右に振って強引に追い出す。ちょっと怪しいけど、誰も見ていないんだからセーフだ。
「今日のお昼は~・・・」
あ、そうだ。今日の日替わりランチメニューはあれだった!
ぱぱっとデスクを片付けてから、私は社長室のある5階から降りてウキウキ気分で社員食堂へと向った。
◆ ◆ ◆
下界(一般の社員食堂)には数えるほどしか来たことがない。役員専用の食堂も5階にあるけど、思えば私東条さんのご厚意に甘えて、一緒にお弁当を注文してもらったりしていた為そちらを利用した事はない。たまに響手作りのお弁当を東条さんに渡したこともあったけど。私は盛り付け担当だし、自分で作ったとはさすがに言い切れなかった。
でもこれからもしかして手作り弁当とか持って来たほうがいいのかな!?
いやいや、待ちなさい麗。ここで働くのはあんたじゃないでしょ、とまたしても頭の中でツッコミが入る。公私混同はいかんよ。ちゃんと自分の立場を弁えて振舞わないと。
とりあえずお弁当の類の話は避けることにしよう。私も東条さんには変な物を食べてほしくない。これから暖かくなるし、余計危険だ。
充実した社員食堂のメニューをじっくりと眺めてから、私は目的の物を取りに行った。今日のお勧めランチメニューは、きのこあんかけの和風ハンバーグだ。大根おろしもたっぷりと乗せて、とろりとしたあんかけと具沢山のきのこがめちゃくちゃおいしい。前食べた時に感動したんだよね。それとサラダバーでミネラルたっぷりの海草サラダやレタスをよそって、サイドにスープをもらった。折角和食なんだから無難にお味噌汁と思ったんだけど、ついトマト味のミネストローネを選択してしまう。野菜たっぷりのミネストローネはズッキーニやナス、玉ねぎや刻んだベーコンまで入っていてお気に入りの一品だ。栄養バランスもいいし味もいい。
広いスペースが取られている社員食堂は最も込み合うお昼時間を過ぎても遅くまで開いている。大きな窓と開放的なスペースにお財布に優しい豊富なメニューはえらく好評で、たまに来るお客さんからも羨ましがられるそうだ。1時間という限られたお昼休みの時間にリラックスできるこの場所は、大切な安らぎ空間だろう。パートや派遣の人も勿論利用可能だし、お値段も同じ。そこらへんのお店で食べるより低価格で栄養バランスも良く、ボリュームもあるなら最高だよね。
1時半を少し過ぎた今はお昼休みのピークが過ぎたのか、食堂に集まる社員もそんなに多くはない。奥の窓側の4人用テーブルにトレイを置いて、私は周りを見渡した。
近付く人はいない事を確認して、眼鏡を外す。スープが温かいから湯気で眼鏡が曇るのだ。
秘書課の私がこの食堂を使ってはいけないと言う決まりはないし、眼鏡を取った姿を見られるもの気にしていないけど、つい周囲を警戒してしまう。以前麗として東条さんの会社に来た時から何ヶ月か経ってるし、私の顔を覚えている人はいないだろう。むしろあの一回で顔を覚えられてたらそれこそ驚きだよ。どんな記憶力だよ。
東条さんの第二秘書としてのやっかみはかなり減ったけど、用心するに越したことはないと思うのだ。まあ、流石に女子トイレで集団リンチなんて真似はされていないけどね。注意をされた事はあってもあれから絡まれることはなくなったし。早々に無害のレッテルを貼ってくれて感謝しなくては。
・・・って、しまった。都は無害でも、麗はそうじゃなかった・・・。
やはり同一人物だと気付かれるのはまずい。興味ないフリして東条さんと恋仲になったなんて知られたら。想像しただけで、女の嫉妬は恐ろしいと身震いしてしまう。
黙々とおいしいご飯を食べながら難しい顔をしていたら。ふいに後ろから聞きなれない声が耳に入ってきた。
「あれ?もしかして社長の秘書の長月さん?」
声につられて振り向くと、短髪で快活そうな笑顔が似合う男性が立っていた。年は同じくらいかちょっと上か。スポーツでもやっているのかスーツの上からでもわかるほどガタイがいい。笑顔が爽やかな好青年といった若い社員は、ニコニコ顔で私に「相席いい?」と訊いてきた。
「・・・どうぞ?」
断る理由がないのでとりあえず頷く。他の課の人と知り合う機会なんてあんまりないからご飯を食べる位いいか。私に敵意があるようにも見えないし、少しだけ興味が沸いた。
「ありがとう。俺営業の霧島新。長月さんがここにいるのって珍しいよね。今日は社長と一緒じゃないの?」
営業だからか元からの性格なのか。霧島氏は人見知りしないようだ。ニコニコと邪気のない笑顔で同じ和風ハンバーグをつっついている。たくあんとおしんこ、そしてスープはお味噌汁な所が私と違う所かも。
なるべく冷たい印象にならないように気をつけながら、都として接する。
「はい。本日社長は外出しておりまして。たまにはここでお昼ご飯を食べるのもいいかと思ったので」
「ああ、うまいよねここのハンバーグ」
大盛りによそったご飯を食べながら、霧島さんは頷いた。何だかおいしそうに食べる人だ。これは作ったシェフも嬉しいだろう。
「あの、何故私の名前を?」
あまり営業に行かないよね、私。接点ないはずなんだけど、どこかで会ってたんだろうか。
「え?有名人じゃん長月さん。社長の秘書ってだけで注目されるのに、男性嫌いって噂もあるし。あれ、男性不信?人間不信?」
なんと。そんな噂が!
あれか、女子トイレで咄嗟に言っちゃったあの台詞が誤解を招いたのか!東条さんに気があるとか思われたくない一心で、男に興味ないとかなんとか言っちゃった気がする。あまりちゃんと覚えていないけど。
「俺男だけど一緒にいて大丈夫?」と今更ながら不安気に訊ねられて思わず苦笑した。何だか大型犬みたいな人だ。
「別に問題ありません。別に男性嫌いや人間不信ではありませんので」
同性愛者という噂が出ていないだけありがたいのか。一体私はどんな噂をされているのか少し気になった。
意外だったのか目を軽く瞠った霧島さんはすぐに「よかったー迷惑じゃなくって」と笑顔で告げた。
人当たりがよくて裏表のなさそうないい人だな、と心の中で呟く。顔は出来るだけ真面目顔を作って。
サラダを食べ終わりをハンバーグを食べていたら、知らない女性の声が響いた。
「あ、見つけたわよ霧島君!ここにいたのね」
そう言ってテーブルに近付いてくるのは2人の女性。2人ともまだ20代だろう。明るいブラウンの髪をゆるく巻いてクリーム色のジャケットと膝丈のフレアスカートを穿いた女性と、ボブのふわゆるパーマがかわいい小柄な女性。ヒールを鳴らして席に近付いた彼女達は、私の姿に気付くと一瞬驚いたような顔をして立ち止まった。
「えっと、長月さん?」
遠慮がちに訊ねられる。ほんとだ、私結構名前覚えられてるみたい・・・ちょっと目立ちすぎたか。
「はい、失礼ですがあなた達のお名前もお聞きしてもよろしいですか?」
何だか霧島さんに用事があるようだし、椅子を勧めてみるとお礼を告げて、2人ともすぐに座り始めた。
「いきなり食事の邪魔してすみません。広報の南まどかと、こっちが如月小鳥。実は私達社内向けの記事を作っているんだけど、ちょっと霧島君にインタビューを頼んでて」
巻き髪の女性、南まどかさんが説明を始めた。ボブのパーマがかわいい女性は大人しくペンとノートと携帯を出して待機している。社内向けの記事って読んだことないけど、毎月出ているあれの事か。
「インタビューって霧島さんは実はすごい人なのですか?」
実は有名人なのだろうか。社内限定で。
うふふ、と微笑んだまどかさんは携帯を見せてきた。何かのグラフのような・・・何の集計だろう、これ。
「実はね、毎年5月の終わりになると社内のいい男ランキングを女性社員に協力してもらっているのよ。トップ10まで顔写真付きで出して、上位5名にはインタビューとか質問とかに答えてもらってるの」
いい男ランキングとな!そんな楽しげなイベントがあるなんて、すごいなこの会社は。そして彼女はその仕掛け人なのだろう。張り切り度が私にも伝わってきた。
「すごいですね、それは。結構盛り上がるんですか?」
興味本位で訊ねてみると、隣で座っていた小鳥さんがこくこく頷いた。微妙に頬が赤いのが小動物みたいでかわいいかも。
「勿論よ。ちなみにトップ2は毎年決まってるんだけどねー」
「え?どなたなんですか?」
もしかしなくても東条さんだろうか。でももう一人は誰だろう。
「トップは社長に決まってるじゃない!黒髪の麗しの貴公子よ。温厚で紳士であの美貌!欠点がないほど完璧な王子。おまけに社長で御曹司って、どんだけって感じよね~!」
麗しの貴公子!?初めて聞いたかも、それは。確かに麗しい顔をしているけど!
でも完璧って所はその通りだ。欠点ってどこだろうと探すのが大変な人でもある。そしてトップに君臨するのは納得である。嬉しいけど、何となく素直に喜べない。そんな微妙な乙女心も顔を出したけど、今は気付かないフリをして次を訊ねた。
「それならナンバー2は?」
「それは社長の第一秘書の司馬様です!」
意外にも答えてくれたのは黙って聞いていた小鳥さんだった。
え、様?今司馬様って言った?
どこかうっとりとした目で遠くを見ている。顔を両手でおさえている彼女を見てからまどかさんに視線を移すと、「気にしないで。ただのファンだから」と言われた。そうか、司馬さんもやはりモテルのか。近くにいすぎてわからなかったけど、確かにあの2人は並ぶだけで背も高く美形で迫力がある。モテないはずがない。
「長月さんはすごいわよね、あの2人を間近で見れて!」
「はあ、まあ、仕事ですので」
少し置いてけぼり気味の霧島さんを思い出して、先ほどのインタビューとやらを訊ねる。
「それで霧島さんには何故インタビューを?」
「ああ、霧島君はね、毎年上位5名に入っているのよ。今年も5位は確実ね」
え、それはすごいじゃないか!思わず目の前に座る霧島さんを見つめる。口数が少ないと思っていたら、照れているだけだったのか。
「人気者なんですね・・・」
ぽろりと出た感想を聞いた霧島さんは、なぜか顔が赤くなった。微妙に口がもごもご言っているのが成るほど。爽やかな笑顔と大型犬のような人懐っこさに加えてこの照れ具合。微妙に母性本能を擽られるのかも。
「あ、6月1週目まで募集中だから、よかったら長月さんも投票してね!」
勢いよく参加を求められたけど、私がよく知っている人ってかなり限られているよ?
「いいですけど、私が投票するなら立場上、上位2名になりますけど。むしろ他の方をあまり存じておりませんので」
余計に3位との差をつけるのではないか。まあ、圧倒的勝利のが王者って感じはするけどさ。
「そうよね~」とまどかさんが呟いた横で、復活した霧島さんが立候補した。
「じゃあ、俺に入れてください。一人3名まで投票できるので、最後の1名は是非俺を・・・!」
がばりといきなり両手を握られて、目をぱちくりさせていると。突然聞き慣れた声が乱入した。
「おや、もうそんな時期でしたか」
一斉に振り向いた先には・・・外出中のはずの東条さんが、お一人で社員食堂に現れた。その姿を見た社員、主に女性社員はざわめき出す。まどかさんと小鳥さんも、いきなり間近で話しかけられて顔を赤く染めていた。
驚きで硬直していた霧島さんは、自分の大胆な行動に気付いたのか、すぐに手を解放してくれた。その慌てぶりを眺めはしたけど、私は何故東条さんがここに現れたのかが気になる。帰ってくるのはあと少し先だったんじゃ!?
視線が合った瞬間。私は慌てて立ち上がり、トレイを片付けた。まどかさんや小鳥さん、霧島さんが呆然とする中、東条さんに向き合い一言声をかけた。
「お疲れ様です、社長」
顔をきりりと引き締めないと、緩んだ隙から麗が飛び出そうになる。表情筋に力を加えて、真面目な秘書の顔を浮かべた。
「先ほど司馬が仕事を頼みたいと。申し訳ないのですがすぐに戻ってもらえますか」
丁度お昼休みが終わる10分前だ。今から戻るのは丁度いいだろう。それに断る選択肢は私にはない。
「はい。お手数お掛けして申し訳ありません」
お辞儀をしてから東条さんを眺める。で、東条さんは一体何の用でここに来たの?
「社長は何か食堂に用事でもあったのですか?」
遠慮がちにまどかさんが訊ねると、東条さんは「たまたま前を通りかかったら姿が見えたので立ち寄らせてもらいました」と微笑んで答えた。
東条さんの後をついて席を離れる。三人にペコリと小さくお辞儀してから社員食堂を出た。
前を通りかかったら私が見えたって、ここ一番奥の席なのに。東条さんってどんだけ視力がいいんだろう?私の中でまたしても東条さんの完璧度が上がった。
◆ ◆ ◆
「社長もしかして長月さんを迎えに来たとか・・・」
躊躇いがちに小鳥が前に座るまどかに訊ねると、まどかは首を傾げた。
「いや、でも社長って前まで頻繁に食堂も利用してたし、たまたまなんじゃない?」
司馬さんがいなかったからって落ち込むんじゃないわよ。そう小さく言って小鳥の額を指で小突いた。
一人霧島だけが2人の和やかな雰囲気についていけず、恐る恐る訊ねる。
「なあ、社長もしかして機嫌悪かったか・・・?」
「へ?そんなことないでしょ」
だっていつも通り微笑んでいたじゃない。
まどかが笑い出すと、小鳥も同意するように頷いた。
その様子を見ていた霧島だけが小さく身震いをして首を傾げる。
(一瞬冷やりとした空気を感じたんだが・・・俺の気のせいか?)
未だに消え去らない悪寒を感じて、霧島は熱いコーヒーをもらいに席を立ったのだった。
************************************************
白夜一体どこから見てたのでしょうか。
新キャラの三人がまた出てくるかどうかはわかりませんが・・・。
誤字脱字見つけましたら報告お願いします!
*誤字脱字訂正しました*
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一日一度は顔を見せて。
名前で呼んで。
昨夜東条さんから約束させられた内容を思い返す。
結局あれから眠ることが出来たのは3時を過ぎたあたりだった。丑三つ時にホラー映画を観る神経がわからない!と思われる方も多いだろうけど、ホラー観てもあまり怖さを感じないから特に気にならない。これも幼い頃からの鷹臣君の教育の賜物だろうか。
地味なスーツに着替えて『長月 都』を作り上げていく。メイクが終わり最後は伊達眼鏡をかければ完成だ。
「・・・あれ?何かここ赤くない?虫刺され・・・?」
鏡に映る私の首筋に赤い鬱血が。似たようなことが前にもあった気はするけど、これは何だっけ?と首を傾げる。
「っ!も、もしかしてこれが噂の・・・キスマーク・・・!?」
ボン!と瞬時に顔が火照った。うわ、うわー!!そうだよ、絶対そうだよ!!昨日東条さん私の首にキスしてたもん!!
「し、信じらんない・・・!ああ、髪の毛と襟で何とか隠れるけど、こんなの誰かに見られたら」
恥ずかしすぎる!!
スカーフとかで首をぐるぐるに巻いて出社したいけど、生憎春用のスカーフが手元にない。しかも地味スーツにスカーフは私には激しく似合わないように思えた。結んでいた髪の毛をほどいて襟に気をつけながら家を出た。
寝不足の所為か、何だか既に体力を消耗した気分なんですけど・・・。今日一日ずっと都モードでいる為に細心の注意を払わねば。
「会社での私は長月 都。地味で真面目な出来る女を目指すのよ」
パン!と両頬を叩いて気合を注入してから、駅へと向った。
◆ ◆ ◆
司馬さんの微妙に気になる視線をちらほらと感じた午前の業務が終わって、今はちょっと遅めのお昼休みを頂いている。
東条さんに朝、第二秘書として挨拶をした後。私は司馬さんに頼まれた仕事を手伝い、多忙な東条さんはすぐに外出してしまった。残された私は黙々と書類を作ったり訳したり、東条さんのスケジュールを調整したりしてあっという間に1時が過ぎた。
途中で秘書課のお姉さま方に呼ばれて雑用も引き受けたけど、時間を忘れるほど仕事に没頭できるのは逆によかった。一人の時間で何もする事がなかったら、余計な事に思考がとらわれる。特に昨晩の出来事とか・・・
思い出してはダメよ、麗!あんたは今都でしょ!!
麗思考になりそうな時、頭を左右に振って強引に追い出す。ちょっと怪しいけど、誰も見ていないんだからセーフだ。
「今日のお昼は~・・・」
あ、そうだ。今日の日替わりランチメニューはあれだった!
ぱぱっとデスクを片付けてから、私は社長室のある5階から降りてウキウキ気分で社員食堂へと向った。
◆ ◆ ◆
下界(一般の社員食堂)には数えるほどしか来たことがない。役員専用の食堂も5階にあるけど、思えば私東条さんのご厚意に甘えて、一緒にお弁当を注文してもらったりしていた為そちらを利用した事はない。たまに響手作りのお弁当を東条さんに渡したこともあったけど。私は盛り付け担当だし、自分で作ったとはさすがに言い切れなかった。
でもこれからもしかして手作り弁当とか持って来たほうがいいのかな!?
いやいや、待ちなさい麗。ここで働くのはあんたじゃないでしょ、とまたしても頭の中でツッコミが入る。公私混同はいかんよ。ちゃんと自分の立場を弁えて振舞わないと。
とりあえずお弁当の類の話は避けることにしよう。私も東条さんには変な物を食べてほしくない。これから暖かくなるし、余計危険だ。
充実した社員食堂のメニューをじっくりと眺めてから、私は目的の物を取りに行った。今日のお勧めランチメニューは、きのこあんかけの和風ハンバーグだ。大根おろしもたっぷりと乗せて、とろりとしたあんかけと具沢山のきのこがめちゃくちゃおいしい。前食べた時に感動したんだよね。それとサラダバーでミネラルたっぷりの海草サラダやレタスをよそって、サイドにスープをもらった。折角和食なんだから無難にお味噌汁と思ったんだけど、ついトマト味のミネストローネを選択してしまう。野菜たっぷりのミネストローネはズッキーニやナス、玉ねぎや刻んだベーコンまで入っていてお気に入りの一品だ。栄養バランスもいいし味もいい。
広いスペースが取られている社員食堂は最も込み合うお昼時間を過ぎても遅くまで開いている。大きな窓と開放的なスペースにお財布に優しい豊富なメニューはえらく好評で、たまに来るお客さんからも羨ましがられるそうだ。1時間という限られたお昼休みの時間にリラックスできるこの場所は、大切な安らぎ空間だろう。パートや派遣の人も勿論利用可能だし、お値段も同じ。そこらへんのお店で食べるより低価格で栄養バランスも良く、ボリュームもあるなら最高だよね。
1時半を少し過ぎた今はお昼休みのピークが過ぎたのか、食堂に集まる社員もそんなに多くはない。奥の窓側の4人用テーブルにトレイを置いて、私は周りを見渡した。
近付く人はいない事を確認して、眼鏡を外す。スープが温かいから湯気で眼鏡が曇るのだ。
秘書課の私がこの食堂を使ってはいけないと言う決まりはないし、眼鏡を取った姿を見られるもの気にしていないけど、つい周囲を警戒してしまう。以前麗として東条さんの会社に来た時から何ヶ月か経ってるし、私の顔を覚えている人はいないだろう。むしろあの一回で顔を覚えられてたらそれこそ驚きだよ。どんな記憶力だよ。
東条さんの第二秘書としてのやっかみはかなり減ったけど、用心するに越したことはないと思うのだ。まあ、流石に女子トイレで集団リンチなんて真似はされていないけどね。注意をされた事はあってもあれから絡まれることはなくなったし。早々に無害のレッテルを貼ってくれて感謝しなくては。
・・・って、しまった。都は無害でも、麗はそうじゃなかった・・・。
やはり同一人物だと気付かれるのはまずい。興味ないフリして東条さんと恋仲になったなんて知られたら。想像しただけで、女の嫉妬は恐ろしいと身震いしてしまう。
黙々とおいしいご飯を食べながら難しい顔をしていたら。ふいに後ろから聞きなれない声が耳に入ってきた。
「あれ?もしかして社長の秘書の長月さん?」
声につられて振り向くと、短髪で快活そうな笑顔が似合う男性が立っていた。年は同じくらいかちょっと上か。スポーツでもやっているのかスーツの上からでもわかるほどガタイがいい。笑顔が爽やかな好青年といった若い社員は、ニコニコ顔で私に「相席いい?」と訊いてきた。
「・・・どうぞ?」
断る理由がないのでとりあえず頷く。他の課の人と知り合う機会なんてあんまりないからご飯を食べる位いいか。私に敵意があるようにも見えないし、少しだけ興味が沸いた。
「ありがとう。俺営業の霧島新。長月さんがここにいるのって珍しいよね。今日は社長と一緒じゃないの?」
営業だからか元からの性格なのか。霧島氏は人見知りしないようだ。ニコニコと邪気のない笑顔で同じ和風ハンバーグをつっついている。たくあんとおしんこ、そしてスープはお味噌汁な所が私と違う所かも。
なるべく冷たい印象にならないように気をつけながら、都として接する。
「はい。本日社長は外出しておりまして。たまにはここでお昼ご飯を食べるのもいいかと思ったので」
「ああ、うまいよねここのハンバーグ」
大盛りによそったご飯を食べながら、霧島さんは頷いた。何だかおいしそうに食べる人だ。これは作ったシェフも嬉しいだろう。
「あの、何故私の名前を?」
あまり営業に行かないよね、私。接点ないはずなんだけど、どこかで会ってたんだろうか。
「え?有名人じゃん長月さん。社長の秘書ってだけで注目されるのに、男性嫌いって噂もあるし。あれ、男性不信?人間不信?」
なんと。そんな噂が!
あれか、女子トイレで咄嗟に言っちゃったあの台詞が誤解を招いたのか!東条さんに気があるとか思われたくない一心で、男に興味ないとかなんとか言っちゃった気がする。あまりちゃんと覚えていないけど。
「俺男だけど一緒にいて大丈夫?」と今更ながら不安気に訊ねられて思わず苦笑した。何だか大型犬みたいな人だ。
「別に問題ありません。別に男性嫌いや人間不信ではありませんので」
同性愛者という噂が出ていないだけありがたいのか。一体私はどんな噂をされているのか少し気になった。
意外だったのか目を軽く瞠った霧島さんはすぐに「よかったー迷惑じゃなくって」と笑顔で告げた。
人当たりがよくて裏表のなさそうないい人だな、と心の中で呟く。顔は出来るだけ真面目顔を作って。
サラダを食べ終わりをハンバーグを食べていたら、知らない女性の声が響いた。
「あ、見つけたわよ霧島君!ここにいたのね」
そう言ってテーブルに近付いてくるのは2人の女性。2人ともまだ20代だろう。明るいブラウンの髪をゆるく巻いてクリーム色のジャケットと膝丈のフレアスカートを穿いた女性と、ボブのふわゆるパーマがかわいい小柄な女性。ヒールを鳴らして席に近付いた彼女達は、私の姿に気付くと一瞬驚いたような顔をして立ち止まった。
「えっと、長月さん?」
遠慮がちに訊ねられる。ほんとだ、私結構名前覚えられてるみたい・・・ちょっと目立ちすぎたか。
「はい、失礼ですがあなた達のお名前もお聞きしてもよろしいですか?」
何だか霧島さんに用事があるようだし、椅子を勧めてみるとお礼を告げて、2人ともすぐに座り始めた。
「いきなり食事の邪魔してすみません。広報の南まどかと、こっちが如月小鳥。実は私達社内向けの記事を作っているんだけど、ちょっと霧島君にインタビューを頼んでて」
巻き髪の女性、南まどかさんが説明を始めた。ボブのパーマがかわいい女性は大人しくペンとノートと携帯を出して待機している。社内向けの記事って読んだことないけど、毎月出ているあれの事か。
「インタビューって霧島さんは実はすごい人なのですか?」
実は有名人なのだろうか。社内限定で。
うふふ、と微笑んだまどかさんは携帯を見せてきた。何かのグラフのような・・・何の集計だろう、これ。
「実はね、毎年5月の終わりになると社内のいい男ランキングを女性社員に協力してもらっているのよ。トップ10まで顔写真付きで出して、上位5名にはインタビューとか質問とかに答えてもらってるの」
いい男ランキングとな!そんな楽しげなイベントがあるなんて、すごいなこの会社は。そして彼女はその仕掛け人なのだろう。張り切り度が私にも伝わってきた。
「すごいですね、それは。結構盛り上がるんですか?」
興味本位で訊ねてみると、隣で座っていた小鳥さんがこくこく頷いた。微妙に頬が赤いのが小動物みたいでかわいいかも。
「勿論よ。ちなみにトップ2は毎年決まってるんだけどねー」
「え?どなたなんですか?」
もしかしなくても東条さんだろうか。でももう一人は誰だろう。
「トップは社長に決まってるじゃない!黒髪の麗しの貴公子よ。温厚で紳士であの美貌!欠点がないほど完璧な王子。おまけに社長で御曹司って、どんだけって感じよね~!」
麗しの貴公子!?初めて聞いたかも、それは。確かに麗しい顔をしているけど!
でも完璧って所はその通りだ。欠点ってどこだろうと探すのが大変な人でもある。そしてトップに君臨するのは納得である。嬉しいけど、何となく素直に喜べない。そんな微妙な乙女心も顔を出したけど、今は気付かないフリをして次を訊ねた。
「それならナンバー2は?」
「それは社長の第一秘書の司馬様です!」
意外にも答えてくれたのは黙って聞いていた小鳥さんだった。
え、様?今司馬様って言った?
どこかうっとりとした目で遠くを見ている。顔を両手でおさえている彼女を見てからまどかさんに視線を移すと、「気にしないで。ただのファンだから」と言われた。そうか、司馬さんもやはりモテルのか。近くにいすぎてわからなかったけど、確かにあの2人は並ぶだけで背も高く美形で迫力がある。モテないはずがない。
「長月さんはすごいわよね、あの2人を間近で見れて!」
「はあ、まあ、仕事ですので」
少し置いてけぼり気味の霧島さんを思い出して、先ほどのインタビューとやらを訊ねる。
「それで霧島さんには何故インタビューを?」
「ああ、霧島君はね、毎年上位5名に入っているのよ。今年も5位は確実ね」
え、それはすごいじゃないか!思わず目の前に座る霧島さんを見つめる。口数が少ないと思っていたら、照れているだけだったのか。
「人気者なんですね・・・」
ぽろりと出た感想を聞いた霧島さんは、なぜか顔が赤くなった。微妙に口がもごもご言っているのが成るほど。爽やかな笑顔と大型犬のような人懐っこさに加えてこの照れ具合。微妙に母性本能を擽られるのかも。
「あ、6月1週目まで募集中だから、よかったら長月さんも投票してね!」
勢いよく参加を求められたけど、私がよく知っている人ってかなり限られているよ?
「いいですけど、私が投票するなら立場上、上位2名になりますけど。むしろ他の方をあまり存じておりませんので」
余計に3位との差をつけるのではないか。まあ、圧倒的勝利のが王者って感じはするけどさ。
「そうよね~」とまどかさんが呟いた横で、復活した霧島さんが立候補した。
「じゃあ、俺に入れてください。一人3名まで投票できるので、最後の1名は是非俺を・・・!」
がばりといきなり両手を握られて、目をぱちくりさせていると。突然聞き慣れた声が乱入した。
「おや、もうそんな時期でしたか」
一斉に振り向いた先には・・・外出中のはずの東条さんが、お一人で社員食堂に現れた。その姿を見た社員、主に女性社員はざわめき出す。まどかさんと小鳥さんも、いきなり間近で話しかけられて顔を赤く染めていた。
驚きで硬直していた霧島さんは、自分の大胆な行動に気付いたのか、すぐに手を解放してくれた。その慌てぶりを眺めはしたけど、私は何故東条さんがここに現れたのかが気になる。帰ってくるのはあと少し先だったんじゃ!?
視線が合った瞬間。私は慌てて立ち上がり、トレイを片付けた。まどかさんや小鳥さん、霧島さんが呆然とする中、東条さんに向き合い一言声をかけた。
「お疲れ様です、社長」
顔をきりりと引き締めないと、緩んだ隙から麗が飛び出そうになる。表情筋に力を加えて、真面目な秘書の顔を浮かべた。
「先ほど司馬が仕事を頼みたいと。申し訳ないのですがすぐに戻ってもらえますか」
丁度お昼休みが終わる10分前だ。今から戻るのは丁度いいだろう。それに断る選択肢は私にはない。
「はい。お手数お掛けして申し訳ありません」
お辞儀をしてから東条さんを眺める。で、東条さんは一体何の用でここに来たの?
「社長は何か食堂に用事でもあったのですか?」
遠慮がちにまどかさんが訊ねると、東条さんは「たまたま前を通りかかったら姿が見えたので立ち寄らせてもらいました」と微笑んで答えた。
東条さんの後をついて席を離れる。三人にペコリと小さくお辞儀してから社員食堂を出た。
前を通りかかったら私が見えたって、ここ一番奥の席なのに。東条さんってどんだけ視力がいいんだろう?私の中でまたしても東条さんの完璧度が上がった。
◆ ◆ ◆
「社長もしかして長月さんを迎えに来たとか・・・」
躊躇いがちに小鳥が前に座るまどかに訊ねると、まどかは首を傾げた。
「いや、でも社長って前まで頻繁に食堂も利用してたし、たまたまなんじゃない?」
司馬さんがいなかったからって落ち込むんじゃないわよ。そう小さく言って小鳥の額を指で小突いた。
一人霧島だけが2人の和やかな雰囲気についていけず、恐る恐る訊ねる。
「なあ、社長もしかして機嫌悪かったか・・・?」
「へ?そんなことないでしょ」
だっていつも通り微笑んでいたじゃない。
まどかが笑い出すと、小鳥も同意するように頷いた。
その様子を見ていた霧島だけが小さく身震いをして首を傾げる。
(一瞬冷やりとした空気を感じたんだが・・・俺の気のせいか?)
未だに消え去らない悪寒を感じて、霧島は熱いコーヒーをもらいに席を立ったのだった。
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白夜一体どこから見てたのでしょうか。
新キャラの三人がまた出てくるかどうかはわかりませんが・・・。
誤字脱字見つけましたら報告お願いします!
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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