昨日の敵は今日のパパ!

波湖 真

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オスカーは迷路を歩きながら、後ろを振り返る。
あの子供がいたのだ。
ここは亡き妻イレーナとの思い出の庭園だ。
庭師以外の立ち入りを禁じて既に七年が経っている。
息子たちにも入らせていない。
そんな大切な場所を穢された気分だ。
オスカーにとってイレーナは未だ生きている存在だ。
あの馬車で最後に見た彼女は美しく笑っていた。
次に目覚めて家に帰って来たら、イレーナは死んでいて葬儀も終わったと言われたのだ。
確かに日付は記憶とは異なりひと月が過ぎていたが、オスカーの中では一日しか経っていない。
突然消えたイレーナを皆が誤魔化しているのだと本気で考えていたほどだ。
だが、事件を報じた新聞を読んでいくうちに、自分たちが襲われてイレーナが殺されたことを理解する。
頭では理解したが、経験していない妻の死を感情は受け入れられない。
そのギャップを埋めるのがこの場所だった。
妻が自ら設計した庭園。
子供達のための迷路。
池のほとりで一休みできるように整備されている。
ここで、イレーナを思う。ここでだけはイレーナがいない喪失感を表に出す。
そう自分の中で決めた。そうしないと生きていけなかったからだ。
それから朝夕この庭園を歩く。
イレーナを思い出しながら、時には笑い、時には泣き、時には悼み。
そうすることで、そのほかの時間は公爵として過ごすことが出来たのだ。
そんな庭園に望まない子供がいることに怒りしか覚えない。
覚えていない子供、そして、イレーナへの裏切りの象徴。
オスカーには耐えられなかった。
いまだにイレーナの死を受け入れられないのに、裏切りの象徴である子供のことなど考えたくもない。
ニコルソンにこの庭園を柵で囲うように指示しよう。
誰にもイレーナの思い出を穢されないように。
オスカーはかすかに聞こえて来た泣き声に、足を止める。
「?」
誰だ? あの子供? いやあり得ないだろう。今あの子供は望み通り貴族の家に入れたのだ。
泣くようなことはないはずだ。
どうせお姫様みたいな生活がしたいだけだろう。
それを叶えてやるのだから、不満などないはずだ。
それでも聞こえるのは泣き声だ。
オスカーは少し気になって、池の方に戻った。
池のほとりでうずくまって子供が泣いていた。
ニコルソンにとりあえず好きにさせるよう指示したが、何が不満なのだ?
湧き上がるのは、子供の我儘に対する怒りだ。
まったく、卑しい人間の欲求には際限がない。
きっと、部屋やドレスをもっと豪華にしてほしいのだろう。
オスカーはそのまま踵を返すと池から離れようとした。
その時、聞こえて来たのは子供の母を呼ぶ声だ。
その声は悲痛で、胸を突く。
私だってイレーナを心の底から呼んでいる。
オスカーは手を握りしめるとその場を足早に歩き去る。
私にとっては犯人の一味であるあの子の母親はあの子にとっては良い母親なのか?
複雑な気持ちを抱えて、オスカーは執務室へ戻ったのだった。

「旦那様、今日はお早いお帰りですね」
庭園のことを知っているニコルソンに笑顔で迎えられる。
「ああ」
今日は忙しく、朝からニコルソンと二人で仕事に追われていたからか、散歩に出た私を面白く思っていなかったのだろう。
オスカーは、椅子に座ると少し機嫌の悪そうなニコルソンに声をかける。
「あの子はどうしている?」
「あの子とは?」
「あの子はあの子だろうが!」
「ああ、もう顔を見せるなと突き放された旦那様のお子様ですか?」
いちいち嫌味を言うニコルソンを睨みつける。
「……そうだ」
ニコルソンは書類をまとめながら、話し出した。
「私は本日は伺っておりませんが、ミリアに世話を頼んでおります。報告では、朝からマナーの勉強を頑張っておられたようです」
「今はどうしている?」
「今でございますか? お部屋でお休みでは?」
澄ましたニコルソンにオスカーは机を叩く。
「庭園の池に来た」
「は?」
「あの庭園の池に来たのだ。至急回収して、もう二度と庭園に足を踏み入れるなと伝えろ!」
オスカーはそう吐き出す。
「……かしこまりました」
「母親の方の調べはどうだ?」
「また、報告はありません」
「ふん! どうせ犯罪に手を染めているのだろう。子供を置いて行手不明なのだからな」
「はぁ、しかし……」
ニコルソンが、言葉を挟むのを遮るようにオスカーが呟く。
「それでも、子供には母親が必要なのか……」
少し困惑しているニコルソンが、不思議そうに首を傾げている。
「あの、旦那様?」
オスカーは手を振るとニコルソンに命を出した。
「庭園から早くあの子を追い出せ」
「はい、かしこまりました」
ニコルソンが慌てて部屋を出た後に、オスカーは深い深いため息を吐いたのだった。
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