昨日の敵は今日のパパ!

波湖 真

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「お嬢様のお兄様のお名前は、ネイト様とサイラス様です。しかし、今は学校の寮でお暮らしになっております」
今は家にはいないらしい。
「学校……」
私は今まで学校というものに行ったことがなく、今まで学校で暮らすということも知らなかった。
「お嬢様は、学校に通われましたか?」
私は首を横に振る。
「では、読み書きはどなたに?」
「ママに教わりました」
「それは素晴らしいです。少し公爵家に慣れていただいたら、お嬢様も学校に通われるかもしれませんね」
「えっと、私も学校で暮らすんですか?」
「いえ、毎日家から通われる方も多くいらっしゃいます」
「でも、お兄様達は……」
「ああ、それは何と言いますか……反抗期という何とも厄介な期間がありまして……お二人は家を出ることを望まれましたので。ちなみに、ネイト様は十五歳、サイラス様は十三歳です」
反抗期というものは知らないが、きっと貴族にはいろいろ難しい問題があるのだろう。
私はわからないなりに頷いた。
とにかく、お兄様達にはしばらく会わないということがわかった。
私はニコルソンに手を引かれて歩きながら、これからのことを考える。
本当ならば、パパにママのことを話して思い出してもらう作戦だったけど、今は話すことさえ難しそうだ。
時間が止まっていると言われても、何がどう止まっているのかもわからない。
更に、それをどうやって動かすのかもわからない。
「どうしようかな」
私は小さな声でつぶやいて、ため息を吐いた。
そんな私をニコルソンが少し嬉しそうに見ていたことに私は全く気が付かなかった。

「アンジュちゃん!!」
ニコルソンに連れられて行った部屋には大きなテーブルがあった。
そして、そこにはジェームスおじさんとパパがいた。
私はさっきのことを思い出して体を硬くする。
「ごめんよ。怖かっただろ?」
ジェームスおじさんは私の前に来て、膝をついた。
そして、しっかりと私の顔を見つめながら頭を下げる。
「もう、君の前で喧嘩はしないよ」
私は小さく頷いた。
「それより、君のママはすごいね。喧嘩はバカがすることか。一本取られたな」
そう言ってジェームスおじさんは笑う。
実を言うと、何度かああいう喧嘩に巻き込まれたことがあるのだ。
ママと私は旅人に近い。しかも、女性と子供という組み合わせ。
必然的に色々と狙われやすい。
だから、ママから色々と教わっていた。
大きな声で注意するのも、その一つだ。
「ママは、大きな声で注意すると、大抵の大人は気まずくなって喧嘩をやめるって言ってました」
おじさんは私の頭を優しく撫でる。
「それは正しいよ。でも、少し危ないかな。今度からは逃げた方がいいな」
「どうして?」
「君は公爵家のお嬢様になったからだよ」
貴族になると大声を出してはいけないのかもしれない。
なんだか変な感じた。
私はよくわからないながらも、もう一度頷いた。
「ふん! 野蛮な女の娘は野蛮ということだ」
パパはテーブルに手をついて立ち上がると歩き出す。
そして、私の目の前に立った。
「神殿に感謝しろ。本来ならばお前のような下賎なものをこの家にはいれない。イレーナも歓迎しない。だか、仕方がない。母親に捨てられて、私の血を引いているのだからな」
私はカッとして上を向いてパパの顔を見る。
「ママは……」
「聞きたくない。ここには置いてやる。好きに暮らせ。だが、今後私の目に入ることは許さない。いいな?」
私は黙ってパパを睨みつける。
「……全くとんだ迷惑だ」
そう呟くとパパは部屋から出て行ってしまった。
私の隣でそのやりとりを見ていたジェームスおじさんは、私の肩に手を置いた。
「まったく、アイツは……。アンジュちゃん、不安だろうけれど、頑張るんだぞ。本当は俺が面倒見てもいいんだが、この国は保護者の責任が重いんだ。子供を一人にしないこともそうなんだが、保護者がいるのに他人が面倒を見ることも出来ないだよ」
ジェームスおじさんが、悔しそうに顔を歪める。
「……大丈夫です」
私はこれからどうすべきかもわからないまま、取り敢えず返事を返した。
「はぁ、なるべく様子は見にくるよ。乗りかかった船だしね」
そう言っておじさんは立ち上がるともう一度私の頭を撫でる。
「ニコルソン、頼んだぞ」
「かしこまりました」
ニコルソンは私の後ろで頭を下げている。
おじさんはそれを確認するともう一度私の手を取った。
「もう、俺は行かないといけない。君のママについての情報が入ったら、すぐに連絡するよ」
「よろしくお願いします」
「まぁ、その、あんな奴だが、悪い奴でないんだ」
パパのことを言っているのだろう。
私は頷いた。
「うん、いい子だ。疲れただろう? いっぱい食べて、ゆっくりおやすみ」
そういってジェームスおじさんも部屋から出て行ってしまった。
一人残された部屋で私は肩の力を抜いた。
「はぁ」
「お嬢様、お食事を召し上がりましょう。腹が減っては戦はできぬと言いますし」
私は頷くと、ニコルソンの案内で大きなテーブルについた。
「うわーーー」
すると目の前には、見たこともない料理が並んでいる。
信じられない。これは何? 何かのお祝いなのだろうか?
「えっと、これは? 何がお祝いがあったんですか?」
「いえ、ああ、確かにお嬢様がこの家にいらしたんですから、お祝いいたしましょう。すぐに何か特別な物を作らせます」
え? 別なもの? ここにある料理だって食べきれなそうなのに?
「だ、大丈夫です! えっと、あのこんな料理は見たことなくて……ごめんなさい」
「お嬢様」
「はい」
「これから、謝るのは禁止です」
「え?」
「よろしいですか? お嬢様は何も悪いことはなさっておりません。今だってこの料理を喜んでいただいただけです。何も謝ることはないですよ」
「……はい」
「さあ、たくさん召し上がってください」
ニコルソンは笑顔になって、私のお皿に次々と料理をよそってくれた。
私は色々考えることも多いが、今は目の前の料理のことしか頭になくなってしまう。
だって、美味しいのだ。
食べたこともない美味しさなのだ。
「美味しい!! 美味しいよ! ニコルソン! ねぇ、ニコルソンも一緒に食べよう?」
口いっぱいに料理を詰め込んで、ニコルソンを見上げる。
しかし、ニコルソンは首を横に振った。
「ランバート公爵家の方とテーブルを囲むことは出来ません」
「そうなんですか……」
一人でご飯を食べることには慣れているが、どうせなら誰かと一緒に食べたかったな。
シュンとした私のお皿にニコルソンが美味しそうなお肉をよそった。
「ご一緒することはできませんが、お嬢様が美味しく召し上がれるようお手伝いすることはできます」
そう言って笑ったニコルソンは本当のおじいちゃんのようだ。
私は笑顔で頷くと食事を再開する。

「う、うーん」
ニコルソンは目の前でテーブルに突っ伏して眠ってしまった少女を見つめている。
今日からお嬢様となった少女だ。
神殿からの連絡でランバート公爵家の血を引いていることは確認できたが、正直言って会うまでは不安しかなかった。
幼い頃からこの家に出入りしているジェームス様から連絡が来ても、信じられないという思いしか浮かんでこなかった。
それでも、少女を保護すると決断したオスカー様をサポートすべく準備を急いで行ったのだ。
少女の年齢を聞いて、部屋を整え、服や靴など流行りのものを買い揃える。
きっと、貴族になりたがっているのだろう。
そんな夢を形にしたような部屋を作った。
それでも、心の中には不信感が募っている。
あの事件の後、発生した偽の令嬢達のことが頭に浮かぶ。
子供を連れてきた女達のギラギラした野心には呆れたものだ。
今回の親は行方不明らしいが、八歳ともなれば、その子自身が野心を持っているとも限らない。
そんな警戒心を持って、その少女を出迎えたのだ。
ジェームス様に手を引かれて馬車から降りた少女は、薄汚れたローブを目深に被っている。
聞いていた年齢よりも随分と小柄な印象だ。
ニコルソンは挨拶をかわしながらも、頭の中では、用意した服の交換のことを考えていた。
やはり突然やってきた少女をお嬢様として迎えるのは、無理がある。
態度も平民そのもので、屋敷の装飾に興味があるのかキョロキョロして落ち着かない。
公爵家の令嬢にあるまじき態度だ。
そんな評価を下していた。あの時までは……
それは、執務室前での出来事だ。
ジェームス様が少女のローブをゆっくりと取ったのだ。
そこに見えたのは、確かにランバート公爵家の桃色だ。
ニコルソンが見間違えるはずがない。
思わずその顔を見て息を呑んだ。
似ている。私のお嬢様に……
ニコルソンがかつて支えたランバート公爵家の令嬢、現公爵の伯母であり、現皇太后陛下によく似ているのだ。
そこには紛れもないランバート公爵家の色がある。
ニコルソンは無意識に首を垂れる。
そして、この新しいお嬢様を己の主であることを本能的に認めたのだった。
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