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「そうなのね。その名物の名前は何?」
「クレープというそうですよ」
その言葉を聞いて、私は手にしていたカップを落としそうになる。
「大丈夫でございますか? お嬢様」
リサが慌てて私の手からカップと受け取ると、テーブルに溢れた紅茶を拭き取った。
「あなた達は下がりなさい。お嬢様はお疲れです」
リサの言葉に、侍女達は顔を見合わせると頷いた。
「かしこまりました。失礼いたします」
そう言って、彼女達が部屋から下がるとリサとジェイが私の前に回り込んできた。
「どうしたんだ?」
ジェイの言葉に笑顔を作ろうして、失敗してしまう。
「お嬢様……」
リサの心配そうな声に、私は引き攣った笑顔を向ける。
「ごめんなさい。あの、イザベラが……」
「イザベラと言うと君の時の転生者だね?」
私は頷いた。そして、転生被害者を助けるということは、自分の時のことをもう一度客観的に経験することなのだとこの時になってわかった。
「何があったんだい?」
ジェイの優しい声に私は目を閉じた。
目の前にはあの時の光景がありありと目に浮かぶ。
あの日は、私と元婚約者との恒例のお茶会だった。もちろん二人きりのだ。
それは婚約した幼い頃からの習慣で、私はこれかもずっと続いていくものだと思っていた。
それなのに、元婚約者はあろうことかイザベラを招いたのだ。
その時イザベラが持参したのが『クレープ』という食べ物だった。
私は、二人だけのお茶会という暗黙の了解を彼が破ったことが信じられなかった。だから、あの日も注意したのだ。
王子である彼に毒味をしていないものなど出してはいけないと。
それなのに、イザベラは私が彼女をいじめたと言いふらした。元婚約者は否定しなかった。
その時、私は本当に傷ついたのだ。こうして忘れらないほどに。
その時のクレープという食べ物のことはよく覚えている。確か薄い生地にフルーツとクリームが包まれていた。
それがここでも流行っているだなんて。私でさえあの時しか見たことがないのに。
「イザベラも同じ食べ物を作っていました……」
「え?」
「同じ名前です。それに説明された内容もそっくりです」
「さっき侍女が言っていたクレープのことかい?」
「はい」
「ふむ。僕は聞いたことがない。リサは?」
「クレープは知りませんが、転生者が珍しい食べ物を作るという話は聞いています」
「珍しい食べ物か。正にクレープだな」
私は二人の会話を聞いている内になんだか落ち着いてきた。
「アーサー様が言っていたのはこのことですか?」
「ああ、そうだよ。そういうイベントが起きるらしい」
「イベント?」
「ああ、前に保護した転生被害者が転生者でもあった例について話しただろう?」
「ええ」
「その人が言っていたんだよ。前世の食べ物が恋しくてついつい作ってしまうようだ」
「そうなんですね。確かにイザベラも不思議なお菓子をよく持って来ていました」
「やはりな。ニア、思い出したくないことを考えさせてごめんよ」
「いいえ、大丈夫です。クレープに驚いたと言うよりも、それに付随する記憶にショックを受けたといった方が正しいです」
そう言って笑うと引き攣ることなく笑顔を作れた。
「やはり、この仕事はニアには荷が重すぎるよ。今からでも遅くない。アーサーに連絡を取って、計画を変更してもらう」
立ち上がったジェイの手を思わず掴む。
「大丈夫です。本当に大丈夫です」
「ニア……」
「私と同じような気持ちになっている方がここに居るのですもの。私はキャサリン様を助けたいです。他でもなく私自身で。それが私の心をも軽くする気がします」
私は真っ直ぐにジェイを見つめる。
暫く私達は見つめ合った。
「わかったよ。でも、絶対に無理はしないと約束してほしい。まだ、君の心の傷は癒えていないんだ。いいね?」
私はコクコクと頷いた。
「わかりました」
その後は気を取り直して大公の妹リリアナとして過ごすことに集中した。
湯浴みの準備ができたと伝えに来た侍女に、もう一度クレープについて確認するとやはりという答えが返って来た。
「では、そのクレープというのはランバル男爵令嬢が提案したものなの?」
「そうなんです! ランバル男爵に引き取られた令嬢の故郷の料理らしいんですが、簡単で美味しいとすぐに広まったんです」
「ランバル男爵令嬢はどんな方なのかしら?」
「はい! とっても魅力的な方で、なんでも公爵令息にも気に入られたらしいです」
「私も聞きました。たしかステイル公子様です。とっても性悪な婚約者がいて、ランバル男爵令嬢との仲を疑って公子様に罵声を浴びせたらしいです」
キャサリン様ね。私は侍女達の噂話に耳を傾ける。
「私も聞いたわ! 確か今はその方『悪役令嬢』と言われているらしいです」
「悪役令嬢?」
「はい! 凄い意地悪で、嫉妬深くて、性格も悪いって評判なんです。皆、公子様が早く別れてランバル男爵令嬢と一緒になれればいいのにと話しているんです」
「……そう」
私はここまで被害が進んでいるとは思わなかった。
もうキャサリン様はこの国にはいられないかもしれない。侍女にまでこんなに酷い噂が流れているのだから。
もうすぐ、キャサリン様と会うのだ。しっかりしなくては。絶対に保護しなくてはならないわ。
私の傷が瘡蓋だとしたら、キャサリン様の傷はまだ血が滲んでいるのだ。
私は自分の動揺を心の奥にしまい込んで、パーティに臨もうと心に決めた。
あっという間に数日が過ぎて、とうとう今日は公爵家でのパーティに出席する日だ。
私は朝からパーティの支度に大忙しだった。
「お美しいですわ!」
「本当に! お嬢様から光が放たれているようです」
パーティの準備は滞りなく行われている。
アスラン大公は私の為にドレスや装飾品を用意してくれていたのだ。
この事もあり、使用人も私の身分を疑う人はいない。
「大公様は年の離れた妹君を大変可愛がっておいでなのですね」
皆そう言っていそいそと世話を焼いてくれる。
久しぶりの令嬢生活は居心地が悪いと感じた。
「これが日常だったのよね。ほんのひと月前までは」
私は支度を終えて、窓の外を眺める。
広がる庭園の先にはこの国の王城が見える。
「やっぱり、違うのよね」
見える尖塔は見知ったものではない。あそこに私の婚約者はいない。いや、元婚約者だ。
どうもパーティの準備をしていると祖国を去らねばならなかったあの日を思い出す。
私は自分自身に気合を入れる。
今はキャサリン様のことに集中しなくては。
「用意はできましたか? お嬢様」
ジェイの声だ。今の私はリリアナよ。
フゥッと息を吐いて返事を返す。
「入って」
入ってきたのはジェイとリサ、そして、見知らぬ青年だ。
「どなたかしら?」
三人が部屋に入るとジェイが彼を紹介してくれる。
「この国にクリスティと一緒に潜伏しているライアンだよ」
私はサッとドレスを摘んで腰を落とす。
「初めまして、私はニアです。クリスティさんからお名前だけはお聞きしました」
確かクリスティは私をライアンの令嬢版と言っていた。
「うっ。ジェイ、一体どこからこんなお嬢様を拐って来たんだ?」
アワアワしている青年は少し年上に見える。しかし、爽やかな風貌で親しみやすい。
「うるさい。今はもう仲間だ」
「あ、ああ、そうですか。あの……」
なんだか一人納得したライアンは私の前やって来ると手を差し出して微笑んだ。
「これからよろしくお願いします。私はライアン・リドル子爵と名乗っています。リリアナお嬢様」
その笑顔に私は不思議な気持ちになる。なんでも話してしまいそうな不思議な安心感を感じるのだ。
「凄いだろ? 彼が潜入した国では、ことが起こる前に大体状況が把握できる。だから、今回もキャサリン嬢の問題をいち早く認識できたんだ」
成程、私は納得して頷いた。この人ほど、情報収集に向いている人はいないだろう。
「今日のパーティのエスコートはライアンに頼んだよ。今、彼はアスラン大公家の縁者として、この国に滞在しているんだ」
「よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく!」
その時、外からバルトの声が聞こえる。
「リリアナお嬢様、お時間です」
「ええ、わかったわ」
すると、ライアンがサッと手を差し出した。マナーも完璧だ。
「参りましょう。リリアナお嬢様」
「ええ、ライアン様」
いよいよだと私は気持ちを引き締める。
私がキャサリン様の説得に失敗したら、彼女に待っているのは死のみなのだ。
それだけは避けなければならない。
転生者という未来がわかる人間の手の平から堕ちていくのは、私だけで十分だ。
「大丈夫?」
後ろの護衛騎士の定位置からジェイがそっと声をかけてくれる。
私は振り向かずに頷いた。
「はい。お任せくださいませ」
「頼もしいですね」
ライアンが、ニコッと微笑む。
「お嬢様、お気をつけて!」
リサがドレスを直しながら、しっかりと手を握ってくれる。
「ええ、行ってくるわね。リサ」
そして、私たちはパーティ会場へ向かったのだった。
「クレープというそうですよ」
その言葉を聞いて、私は手にしていたカップを落としそうになる。
「大丈夫でございますか? お嬢様」
リサが慌てて私の手からカップと受け取ると、テーブルに溢れた紅茶を拭き取った。
「あなた達は下がりなさい。お嬢様はお疲れです」
リサの言葉に、侍女達は顔を見合わせると頷いた。
「かしこまりました。失礼いたします」
そう言って、彼女達が部屋から下がるとリサとジェイが私の前に回り込んできた。
「どうしたんだ?」
ジェイの言葉に笑顔を作ろうして、失敗してしまう。
「お嬢様……」
リサの心配そうな声に、私は引き攣った笑顔を向ける。
「ごめんなさい。あの、イザベラが……」
「イザベラと言うと君の時の転生者だね?」
私は頷いた。そして、転生被害者を助けるということは、自分の時のことをもう一度客観的に経験することなのだとこの時になってわかった。
「何があったんだい?」
ジェイの優しい声に私は目を閉じた。
目の前にはあの時の光景がありありと目に浮かぶ。
あの日は、私と元婚約者との恒例のお茶会だった。もちろん二人きりのだ。
それは婚約した幼い頃からの習慣で、私はこれかもずっと続いていくものだと思っていた。
それなのに、元婚約者はあろうことかイザベラを招いたのだ。
その時イザベラが持参したのが『クレープ』という食べ物だった。
私は、二人だけのお茶会という暗黙の了解を彼が破ったことが信じられなかった。だから、あの日も注意したのだ。
王子である彼に毒味をしていないものなど出してはいけないと。
それなのに、イザベラは私が彼女をいじめたと言いふらした。元婚約者は否定しなかった。
その時、私は本当に傷ついたのだ。こうして忘れらないほどに。
その時のクレープという食べ物のことはよく覚えている。確か薄い生地にフルーツとクリームが包まれていた。
それがここでも流行っているだなんて。私でさえあの時しか見たことがないのに。
「イザベラも同じ食べ物を作っていました……」
「え?」
「同じ名前です。それに説明された内容もそっくりです」
「さっき侍女が言っていたクレープのことかい?」
「はい」
「ふむ。僕は聞いたことがない。リサは?」
「クレープは知りませんが、転生者が珍しい食べ物を作るという話は聞いています」
「珍しい食べ物か。正にクレープだな」
私は二人の会話を聞いている内になんだか落ち着いてきた。
「アーサー様が言っていたのはこのことですか?」
「ああ、そうだよ。そういうイベントが起きるらしい」
「イベント?」
「ああ、前に保護した転生被害者が転生者でもあった例について話しただろう?」
「ええ」
「その人が言っていたんだよ。前世の食べ物が恋しくてついつい作ってしまうようだ」
「そうなんですね。確かにイザベラも不思議なお菓子をよく持って来ていました」
「やはりな。ニア、思い出したくないことを考えさせてごめんよ」
「いいえ、大丈夫です。クレープに驚いたと言うよりも、それに付随する記憶にショックを受けたといった方が正しいです」
そう言って笑うと引き攣ることなく笑顔を作れた。
「やはり、この仕事はニアには荷が重すぎるよ。今からでも遅くない。アーサーに連絡を取って、計画を変更してもらう」
立ち上がったジェイの手を思わず掴む。
「大丈夫です。本当に大丈夫です」
「ニア……」
「私と同じような気持ちになっている方がここに居るのですもの。私はキャサリン様を助けたいです。他でもなく私自身で。それが私の心をも軽くする気がします」
私は真っ直ぐにジェイを見つめる。
暫く私達は見つめ合った。
「わかったよ。でも、絶対に無理はしないと約束してほしい。まだ、君の心の傷は癒えていないんだ。いいね?」
私はコクコクと頷いた。
「わかりました」
その後は気を取り直して大公の妹リリアナとして過ごすことに集中した。
湯浴みの準備ができたと伝えに来た侍女に、もう一度クレープについて確認するとやはりという答えが返って来た。
「では、そのクレープというのはランバル男爵令嬢が提案したものなの?」
「そうなんです! ランバル男爵に引き取られた令嬢の故郷の料理らしいんですが、簡単で美味しいとすぐに広まったんです」
「ランバル男爵令嬢はどんな方なのかしら?」
「はい! とっても魅力的な方で、なんでも公爵令息にも気に入られたらしいです」
「私も聞きました。たしかステイル公子様です。とっても性悪な婚約者がいて、ランバル男爵令嬢との仲を疑って公子様に罵声を浴びせたらしいです」
キャサリン様ね。私は侍女達の噂話に耳を傾ける。
「私も聞いたわ! 確か今はその方『悪役令嬢』と言われているらしいです」
「悪役令嬢?」
「はい! 凄い意地悪で、嫉妬深くて、性格も悪いって評判なんです。皆、公子様が早く別れてランバル男爵令嬢と一緒になれればいいのにと話しているんです」
「……そう」
私はここまで被害が進んでいるとは思わなかった。
もうキャサリン様はこの国にはいられないかもしれない。侍女にまでこんなに酷い噂が流れているのだから。
もうすぐ、キャサリン様と会うのだ。しっかりしなくては。絶対に保護しなくてはならないわ。
私の傷が瘡蓋だとしたら、キャサリン様の傷はまだ血が滲んでいるのだ。
私は自分の動揺を心の奥にしまい込んで、パーティに臨もうと心に決めた。
あっという間に数日が過ぎて、とうとう今日は公爵家でのパーティに出席する日だ。
私は朝からパーティの支度に大忙しだった。
「お美しいですわ!」
「本当に! お嬢様から光が放たれているようです」
パーティの準備は滞りなく行われている。
アスラン大公は私の為にドレスや装飾品を用意してくれていたのだ。
この事もあり、使用人も私の身分を疑う人はいない。
「大公様は年の離れた妹君を大変可愛がっておいでなのですね」
皆そう言っていそいそと世話を焼いてくれる。
久しぶりの令嬢生活は居心地が悪いと感じた。
「これが日常だったのよね。ほんのひと月前までは」
私は支度を終えて、窓の外を眺める。
広がる庭園の先にはこの国の王城が見える。
「やっぱり、違うのよね」
見える尖塔は見知ったものではない。あそこに私の婚約者はいない。いや、元婚約者だ。
どうもパーティの準備をしていると祖国を去らねばならなかったあの日を思い出す。
私は自分自身に気合を入れる。
今はキャサリン様のことに集中しなくては。
「用意はできましたか? お嬢様」
ジェイの声だ。今の私はリリアナよ。
フゥッと息を吐いて返事を返す。
「入って」
入ってきたのはジェイとリサ、そして、見知らぬ青年だ。
「どなたかしら?」
三人が部屋に入るとジェイが彼を紹介してくれる。
「この国にクリスティと一緒に潜伏しているライアンだよ」
私はサッとドレスを摘んで腰を落とす。
「初めまして、私はニアです。クリスティさんからお名前だけはお聞きしました」
確かクリスティは私をライアンの令嬢版と言っていた。
「うっ。ジェイ、一体どこからこんなお嬢様を拐って来たんだ?」
アワアワしている青年は少し年上に見える。しかし、爽やかな風貌で親しみやすい。
「うるさい。今はもう仲間だ」
「あ、ああ、そうですか。あの……」
なんだか一人納得したライアンは私の前やって来ると手を差し出して微笑んだ。
「これからよろしくお願いします。私はライアン・リドル子爵と名乗っています。リリアナお嬢様」
その笑顔に私は不思議な気持ちになる。なんでも話してしまいそうな不思議な安心感を感じるのだ。
「凄いだろ? 彼が潜入した国では、ことが起こる前に大体状況が把握できる。だから、今回もキャサリン嬢の問題をいち早く認識できたんだ」
成程、私は納得して頷いた。この人ほど、情報収集に向いている人はいないだろう。
「今日のパーティのエスコートはライアンに頼んだよ。今、彼はアスラン大公家の縁者として、この国に滞在しているんだ」
「よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく!」
その時、外からバルトの声が聞こえる。
「リリアナお嬢様、お時間です」
「ええ、わかったわ」
すると、ライアンがサッと手を差し出した。マナーも完璧だ。
「参りましょう。リリアナお嬢様」
「ええ、ライアン様」
いよいよだと私は気持ちを引き締める。
私がキャサリン様の説得に失敗したら、彼女に待っているのは死のみなのだ。
それだけは避けなければならない。
転生者という未来がわかる人間の手の平から堕ちていくのは、私だけで十分だ。
「大丈夫?」
後ろの護衛騎士の定位置からジェイがそっと声をかけてくれる。
私は振り向かずに頷いた。
「はい。お任せくださいませ」
「頼もしいですね」
ライアンが、ニコッと微笑む。
「お嬢様、お気をつけて!」
リサがドレスを直しながら、しっかりと手を握ってくれる。
「ええ、行ってくるわね。リサ」
そして、私たちはパーティ会場へ向かったのだった。
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*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
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