僕が過去に戻ったのは、きっと教師だったから

鐘の音が鳴る頃に

第29話

　次の日、クラスに矢印が発生していないことを祈り、学校に登校した。だが、その願いは届かず、ある意味予想通りの出来事が起こってしまった。

　矢印が葵に向いた。

　学校へ登校すると、教室では葵の机の周りに人だかりができていた。その群衆に割って入り確認すると、葵は席に突っ伏して泣いていた。周りに集まって心配している生徒に聞くと、今朝、下駄箱から上履きが無くなっていたとのことだ。

　葵はずっと泣いている。昨日の件があったにも関わらず、容赦なく矢印は葵に襲い掛かる。

　しばらく周りの生徒が葵に向かって話しかけていると、葵は泣きながら一枚の紙を、囲んでいる僕らに見せた。

　そこには赤字で『死ね』と表記されている。

　確定した。全て僕のせいだった。

　石神が教室に入り、すぐに学級会が始まった。ここでも石神の恐怖はなく、事実を丁寧に連ねてく。だが、僕が今年に入って見た中で最も恐ろしい表情をしていた。

「今朝、久保の上履きがなくなり、悪口のメモが下駄箱に入っていました。心当たりがある人は、私に言いにきなさい」

　この場で犯人を模索することはしなかった。ここで犯人を吊し上げてもいい方向に物事が進まないだろう。こうなってしまった以上、もうあの頃には戻れない。

　その後葵は自分に起きている悲劇に耐えられず早退した。石神は葵の方に行っているのか、今日は一日自習となった。

　そうして一日が過ぎていく。葵がいなくなってから誰一人として声を出していない。おそらく下手に声を出して自分が疑われるのを本能的に避けているのだろう。「僕・私には関係ない」そんなことを心の中で思っていたのかもしれない。

　そんなぽっかりと空いた空白の一日は一瞬で過ぎ去り、一日のカリキュラムが終了した。

　帰りの会の時、石神がもう一度教室に戻ってきて、「心当たりのある奴はいつでもいいから来なさい」と冷静に生徒に声をかけた。
　石神はずっと冷静だ。
　もちろん僕が葵の上履きを隠し、品のないメッセージを入れた張本人ではないのだが、この事件の根底にあるのは僕の責任だった。

　帰りの会もすぐに終了し下校の時刻になった。合唱祭当日の優勝を逃した時よりも空気は澱んでいた。すると一日中黙っていた生徒の中の一人が、痺れを切らし声を荒げた。

「早く先生の所行けよ」
　その生徒は女子のパートに混ざって練習していた男子三人の内の一人だった。
「何で私なの？」
　指を刺されていたのは里帆だった。
「お前しかいないだろ」
「なんでそんなことしなきゃいけないの」
「葵と仲悪かっただろうが」
　里帆は泣きそうになっている。

　暴論だった。里帆も葵も、男女合同練習になってからというもの、お互いを認め合っていた。里帆がやったとは思えない。だが、男子生徒は疑心暗鬼になり、消去法で里帆の名前を呼んだのだ。

　いつも仲の良い里帆の周りは、自分に火の粉がかかることを避けて近寄りもしない。こんなにも簡単に友情や信頼は崩れてしまう。理解していなかったのは僕だった。

　全員がその光景に触れないように身を隠す。自分が疑われてしまう事を避けているんだろう。僕が立ち上がり、教室を宥めようとした時、一人の生徒が立ち上がった。

「どこ行くの？」
　真美が聞いた。

　さっきまで、里帆と男子生徒の言い合いに向いていた視線が、一気に立ち上がった生徒へと向かう。

「先生の所」
「どうして」
「私、心当たりあるから」

　クラス中が唖然としている。だが一番驚いたのは僕だった。

　その瞬間、クラスの矢印が美来へと向かった。