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989.ヴェリスさんのミニケーキ

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 店の中へと入っていくと、奥に進むにつれて甘い香りが更に強くなってくる気がする。

 焼き菓子のお店だって事はキースくんから聞いてはいたけど、こんなに良い香りがするって事はたぶん今も何かを焼いてるところなんだろうな。

 あーそれにしても、焼きたてのお菓子の香りって特別だよね。甘くて香ばしくて、自然と笑顔になってしまうぐらいの幸せな香りだ。

 うちの母親も、たまに思い立ってパウンドケーキとか焼いてくれてたな。味ももちろん美味しいんだけど焼いてる間の香りと、焼きあがるのを待ってる間のワクワク感が好きだったな。

 昔の事を懐かしく思い出しながら、胸いっぱいに香りを吸い込んでみる。

「うわぁ…すっごく良い香り…」

 そんな言葉が、本当に無意識のうちにぽろりと口から飛び出してしまった。

 もちろん本当にそう思ったんだけど、ここまで思ったままの事を言ってしまうと正直ちょっと恥ずかしい。

 聞こえちゃったかなーと恐る恐る視線を向ければ、まさかのキースくんもクンクンと鼻を動かしている所だった。幸せそうに笑ってうんうんと頷いてくれる。

「うん、今日も良い香り!焼き菓子ももちろん大好きなんだけど、僕はこの香りも好きなんだ」

 キースくんは、アキトくんも同じ意見みたいで嬉しいなとそう続けた。

「お二人にそう言ってもらえて、作っている側としても嬉しいですねぇ」

 俺達のやりとりを笑顔で見守ってくれていたヴェリスさんは、本当に嬉しそうにそう言ってくれた。

「お菓子を選ぶ前に、すこしお味見しませんか?そろそろちょうど焼き上がりますから」

 すこしだけ待っててくださいねぇと言い置いたヴェリスさんは、壁にあるドアを開けていそいそと入っていった。

 ちょうどそのドアの真横には、大きなカウンターがある。カウンターの上部はガラスのようなもので覆われているみたいだから、あそこの中に焼き菓子が並んでるのかな。

 近づいて上から覗き込めば見えるんだろうけど、店主さんがいない状態であまりうろうろしたくない。

 どうしようかなと考えていると、不意にキースくんがすっと小さな手をさしだしてくれた。

「こっちだよ、アキトくん」

 こっち側にテーブルと椅子があってね、いつもここでお菓子を食べながらお話するんだと笑顔で教えてくれる。キースくんは、ここでもきっちり案内してくれるみたいだ。

 頼れるキースくんに手を引かれながら歩いていけば、衝立のような目隠しの後ろ側にシンプルなテーブルと椅子が四脚並んでいた。

 テーブルの真ん中に飾られている小さな花が活けられた花瓶が、なんだかすごく温かい雰囲気だ。

 こんなところにテーブルと椅子があったんだ。さっき見た時は全く気づかなかったな。

 どうやら普通のお客さんには見えないように、うまく隠れるように置いてあるみたいだ。

「ヴェリス婆はね、ここに座るんだよ」

 一つの椅子を指差したキースくんは、すこし得意げにそう教えてくれた。そんな表情をしてても可愛いんだよね。

「だからお客さんはね、こっち側の椅子なんだ。あ、座ってないと心配されるから座って待ってよ?」

 ヴェリス婆が気にしちゃうからねと続けられて、キースくんすごすぎないかなと感心してしまった。そんな気配りを、その年齢でできちゃうんだもんね。

「教えてくれてありがとう。キースくんは、いつもはどの席なの?」
「僕はここだよ」
「じゃあ隣に座って良いかな?」
「もちろん!」

 へへーと顔を見合わせて笑い合っていると、ヴェリスさんが戻ってきた。

 手には大きなトレイを持っていて、その上には三つの木のカップと、一枚のお皿が載せられている。

 カップの中身が何なのかは分からないけど、お皿の上にはまだ湯気のあがっているマフィンのような見た目の焼き菓子が三つのせられていた。

「わー!ミニケーキだ!これは…何味?」

 真剣な表情で尋ねるキースくんに、ヴェリスさんはふふと楽し気に答えた。

「今日のは新しい味ですよ。チクの果実をね、甘く煮こんで混ぜ込んでみたんですよぉ」
「チクの果実の甘煮入りミニケーキ!これ、絶対美味しいやつだ」

 聞いたことも食べた事もない果物だけど、キースくんの反応からしてそこまで珍しいものってわけでもないみたいだ。

「うん、美味しそうだね」
「ふふ、お口に合うと良いんですけど…さっそく食べてみてくださいな」

 ヴェリスさんは笑顔で俺とキースくんの前にお皿を置いてくれた。
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