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972.【ハル視点】ラスとアキト

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 アキトが取り出したルダリオンの肉は、周囲を混乱の渦に叩き落とした。

 まあその反応になるのも、無理は無いとも思うんだが。強い魔物がいると報告があって心配していたのに、その魔物を討伐してきたという証を唐突に目の前に突きつけられたら、それは慌てるだろう。

 それでも、誰一人としてアキト俺を責めたりはしなかったんだがな。こういう時に自分の家族を誇りに思うんだよな。

 その場にいた家族からは、俺達の無事を喜ばれ、さすがだと心から褒められ、そして倒してくれてありがとうと礼の言葉を告げられただけだった。

 最初は驚いていた料理長のラスも、我に返るなり良い食材だな、俺にまかせろと力強い言葉をアキトに返していた。急なこういう出来事への対処は、普段からよくある事だからな。

 ルダリオンの肉は数日かけて寝かせて熟成させた方が、更に美味しくなるものらしい。だから今日食べてしまうのは、あまりにももったいないと珍しく力説していた。

 あれだけ美味い料理が作れるラスがそこまで言うなら、きっと手を加えるほど美味しくなる食材なんだろう。

「ラスにまかせて良かったな」

 もしアキトがここでルダリオンの肉を取り出していなかったら、俺は熟成なんてさせずに普通に切って焼いて食べていたかもしれない。採取地での昼食とかで適当に調理してな。

「うん、良かったね」

 どうやらアキトも俺と同じ考えに辿り着いていたらしく、真剣な表情でコクコクと何度も頷いてくれた。

「ルダリオンの肉は俺も食べた事が無いな」
「俺も無いなー」

 ファーガス兄さんとウィル兄さんの言葉に、マティさんとジルさんもうんうんと頷いている。

「俺も無いよ。そもそも滅多に出てこない魔物だしな。無理もないさ」

 そう言って笑った俺に、アキトはゆるりと首を傾げた。

「え、そうなんだ?」
「そもそも森まで出てくるのが珍しいんだよ」

 本来なら険しい山の辺りに生息してる魔物の一種なんだと、説明を付け加える。どうしてこんな所まで下りてきたのかは分からないが、街の近くではそうそう頻繁に現れる事はない魔物だ。

「そうか。みんな食べた事が無いのか。俺は昔食べた事なら…一応あるんだが…あれは熟成はさせてなかったからな」

 それほど美味くは無かった覚えがあると、父さんは苦笑いを浮かべて呟いた。

「まあ、きちんと熟成させてなければ、そんなもんだろうな」

 しかもただ時間を置けば良いとかそういうものじゃないからなと、ラスはさらりと続けた。

 熟成のためには決まった香草数種類をすり込んで数時間置き、それを丁寧にふき取った後、さらに調味料を少しずつしみ込ませるのが大事なんだそうだ。

 …そこまで手間がかかる食材だとは、俺もアキトも全く知らなかった。

「あの…お土産って言ったけど、そんな手間のかかるものだとは知らなくて…ごめんなさい」

 面倒なものを押し付けてしまったとばかりに申し訳なさそうに謝ったアキトに、ラスはすぐさまいいやと首を振って答えた。

「滅多に取り扱えない珍しい食材だぞ?料理人としては最高の土産だ。大丈夫。一番美味い状態で食べて貰えるように責任もって調理するからな」

 そう言うと、ラスはニヤリと笑みを浮かべた。

「俺にまかせろって」

 ラスにしては少し珍しい表情だな。アキトを安心させるために、わざとそういう笑顔を浮かべたんだろう。

 少しも迷惑に思われていないと知ったアキトは、パァァッと満面の笑顔になると思いっきりラスに抱き着いた。そんなに嬉しかったんだな。相手がラスなら特に問題は無いかと、俺はアキトの微笑ましい行動を笑顔で見守る事に決めた。

 おそらく誰よりも動揺したのは、急に抱き着かれたラスだろう。

「おい、お前の伴侶候補なのに良いのかよ」

 怒ってないのかと慌てて尋ねてきたラスに、俺はにっこりと笑って答えた。

「孫が祖父に抱き着いて何が悪いんだ?ラスはアキトによこしまな気持ちなんて持ってないだろう」
「そりゃあもちろん無いが…」

 ウェルマール家の伴侶と伴侶候補への執着を知っているラスは、本当に?と疑いの目を向けてくる。

「なら何も問題は無いさ」

 アキトも幸せそうだしなと付け加えれば、アキトは嬉しそうに笑ってくれた。



 ルダリオンの肉の熟成には、最低でもこれから三日程はかかるらしい。

「熟成さえ終われば調理はいつでも良いんだが…いつにする?」

 ラスはアキトと俺に向かってそう尋ねた。最高の状態にさえしてしまえば、劣化させずに保存できる環境はあるからな。

 どうしようと言いたげに俺に視線を向けてきたアキトに、俺はニコリと笑顔を返した。

「アキトが決めて良いよ」
「…それなら、グレースさんも帰ってきてから、全員で食べたいです」
「アキトくん!」

 ああ、父さんが感極まった顔でアキトを見つめているな。さっきからソワソワしていたのは、母さんがいない間に皆で美味しいルダリオンの肉を食べたなんて言いたくなかったからなのか。

「グレースのためにありがとう」
「あ、いえ…そんな」

 父さん喜びすぎーなんて揶揄いまじりのウィル兄さんの声を聞いていると、不意にアキトがもう一度口を開いた。眉間にはしわが寄っているし、何か困っている表情だな。

「ラスさん」
「ん?どうした?」
「あの、たっぷり量はあるので…もし可能なら、使用人の人達にも食べてもらいたいと思ったんですけど…熟成の手間が増えすぎますか?」

 無理なら無理で大丈夫ですけどと声をかけているが、ラスはきょとんとアキトを見つめ返して固まっている。

 ああ、なるほど、そういう事か。

 アキトの言う全員とは、この領主城にいる全ての人。つまり執事やメイド、侍従や庭師といった使用人たちも含まれているらしい。

「やっぱり無理…ですか?」
「いや、仕込みの方は別に無理じゃないんだが…珍しい食材なのに良いのか?」
「はい!お世話になってるので、ぜひ!」

 ニコニコ笑顔で断言したアキトに、いつの間にか部屋の隅で控えていた執事長とメイド長が目頭を押さえている。

 どうだアキトは最高だろう?

 そう尋ねてやりたい気持ちをぐっと堪えて、俺は嬉しそうなアキトに良かったねと笑いかけた。
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