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739.【ハル視点】朗報と魔法陣

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 領主様が口にした朗報という言葉に、俺はわざと怪訝そうな表情を作って尋ねた。

「朗報…ですか?」

 それは本当に朗報なのか?という意図を込めた俺の反応は、他の貴族なら即怒り出すかもしれない程度には失礼な態度だ。まあトライプールの領主様は、そういう細かい反応を気にかけたりしないから問題は無いんだが。

「ああ、二人にとっては、たぶん朗報だと思うよ。普通に旅をしながら向かうとなると、辺境領はそれなりに遠い場所にあるだろう?」
「まあそうですね。例え馬車を乗り継いで移動したとしても、最短で5日はかかるでしょう。だからアキトに切り出せなかったんですから」

 そういえば日数の話しまではまだしていなかったなとアキトの表情を伺えば、思ったよりも近いなと言いたげに小さく頷いていた。

 ごめんね、アキト。実際に5日で着く事ができるわけじゃないんだ。

 俺はアキトに視線を向けると、苦笑しながら続けた。

「ちなみにこれは騎士団の任務の時に行った、休息なしの強行軍での最短時間だよ。アキトと一緒なら絶対にその行き方は選ばないからね?」

 もし魔法陣に何か問題が生じた場合に、トライプールまで何日で着けるかという実験を兼ねた任務だった。ウマで単騎駆けならもっと早いかもしれないが、その場合は到着後すぐに戦う余力が無いだろうと馬車を選んだんだよな。

 あれは、地獄の任務だったな。アキトには絶対に経験させたくない。

「そうだな…途中で休息をこまめに取りながらとなると、おそらく少なくとも倍の日数はかかるだろうね」

 領主様はさらりと俺の説明にそう付け加えた。

「それにせっかくならと途中の街で観光をしたり、冒険者ギルドの依頼を受けたりしながらとなると、もっとかかるんだ」
「片道で10日以上なら、帰ってくるのにも同じだけの時間がかかるんだよね」

 下手したら移動だけで往復一月はかかるのかと、アキトはぶつぶつと呟いている。

 やっぱり無理とは言わないんだなとアキトを見つめていると、不意に領主様が自慢げに笑った。

「そこで、だ。奇遇にも、ちょうど私には辺境領での公務の予定が入っているんだよ。ハロルドとアキト君、もし君たちさえ良ければ、一緒にどうだろうか?」

 それはアキトと俺にとっては願ってもない申し出ではあるんだが、それならお願いしますと安易に即答はできない話しだ。

「…本当に、いいんですか?護衛が減る事になりますが…」

 こちらは助かりますがと言いながらも慎重にそう尋ねれば、アキトは更に不思議そうな表情を浮かべてまじまじと俺を見つめてきた。

 何か気になる事でも言っただろうかと思いながら、俺は領主様の答えを待った。

「こちらから誘ってるんだから、もちろんいいんだよ。辺境領に行くのに、それほど大勢の護衛はいらないからね」

 少数精鋭で向かうだけだと、領主様はさらりとそう続けた。

「それに…その公務がある事を聞きつけて、圧力がどんどん強くなってるんだ…」

 むしろ出来る事なら一緒に来て欲しいと頼みたいぐらいだよと、領主様は明らかな困り顔だ。

「ああ、なるほど…それで、ですか」

 魔法陣で連れて来いって圧力がかかっていたのかと理解した俺は、そこでちらりとアキトに視線を向けた。

「アキト、どうする?アキトがのんびり旅行しながら行きたいなら、そっちでも良いんだけど…領主様の提案に乗るのもありだと思う。その方が俺達も楽だからね」

 どちらでも好きな方にして良いよと判断を委ねれば、アキトは戸惑った様子でそっと口を開いた。

「えっと……ごめんね?領主様の公務に一緒に行くと…辺境領に着くのが早くなるの?」

 それはどういう原理なの?と言いたげなアキトの質問に、俺は慌てて謝罪の言葉を口にした。

「あー…そうか。領主邸の魔法陣は一般には秘匿されてるんだったね…ちゃんと説明するよ」

 騎士団員は基本的に全員が知っている事だから、ついつい説明するのを忘れていたな。

「…領主邸の魔法陣?」

 そう呟いて首を傾げたアキトに、俺は魔法陣の説明を始めた。

 この国の領主邸には、決められた距離間を一瞬で移動できる、そんな古代の精霊が残した魔法陣が存在している事。

 ただその魔法陣は、どこにでも自由に飛べるわけでは無い事。

 十年に一度だけ行先が変更できるが、一度設定したら十年は同じところにしか繋がらない。しかも指定できるのは王都以外と決められていて、普通はいざという時に物資や援軍を運べるようにと信頼できる領主間や親戚間と繋ぐ人が多い事。

 指折り数えながら説明すれば、アキトはへぇーとキラキラと目を輝かせた。

「今のやり取りで気づいていると思うけど、私が繋いでいるのは辺境領なんだよ」

 領主様の言葉に、俺は反射的に姿勢を正して答えた。

「スタンピードの際の迅速な食糧支援には、一族全員が感謝しています」

 頭で考えるよりも先に、自然と身体が動いてしまった。身体にしみついた貴族の対応だな。

 まあこの人には何度も何度も助けられているから、感謝しているのは本当なんだが。

 辺境領の最強夫婦は、この国ではかなりの有名人だ。

 俺の両親を慕っている貴族は、国中にそれこそたくさん存在している。だから、いざスタンピードとなっても、支援を送ってくる人もそれなりに多かったりはするんだ。

 だがそろそろスタンピードが起きるかもしれないという、何の根拠もない勘による予想を聞いた段階で、送るための物資の確保作業を始めてくれるのはこの人ぐらいだ。

 過去には物資をかき集めてくれたのに、スタンピードが起きなかったなんて事もあった。

 詫びの手紙を出した父に返ってきた一言は、『スタンピードが起きなくて、本当に良かったです。物資は無駄にはしませんからお気になさらずに』だったからな。

「それに、こっちでは珍しいやっかいな魔物が出た時は、そちらから討伐隊を出してくれてるだろう」

 だからお互い様だよとあっさりと笑って答えたトライプール領主様は、本当に良い人なんだ。だから俺達も全力で何かを返したいと思えるんだが。

「魔法陣って便利なんですね」
「ああ、確かに便利なんだが、そうそう連発は出来ないんだ。魔法陣に魔力を行き渡らせるのに、凄腕の魔法使い数人が数日がかりで取り掛かるものだからね」

 領主様の説明に何日もかけて魔力を込めるのかと感心しているアキトに、俺はこっそりと話しかけた。

「スタンピードのような緊急事態の際には、魔法使いの補給をゆっくり待つ余裕なんて無いでしょ?だから分かる人が見たらやめてくれと言いたくなるような高品質な魔石を、惜しみなく魔法陣につぎ込むんだ」

 とりあえずクリスが見たら、なりふり構わずに全力で叫ぶだろうレベルの魔石だ。

「それに送れる人の数にも制限があるんだ。だから護衛が減るって俺は言ったんだけどね」

 アキトへの説明を止めると、俺はまっすぐに領主様の目を見つめてもう一度問いかけた

「本当に良いんですか?」
「さっきも言ったけど、むしろ君たちを連れていかないと私が怒られるんだよ」
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