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624.【ハル視点】夢の終わり

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 アキトの可愛い寝息を聞きながら幸せな気持ちで微睡んでいた俺は、ふと気が付くと花が咲き乱れる美しい花畑に一人きりで立っていた。

 周囲にそっと視線を巡らせてみれば、見渡す限りがトリクの花で埋め尽くされている。美しいと思うよりも先に、これほどの広さのトリクの花畑は存在していないだろうと疑問が浮かんだ。

 なによりここにはアキトがいない。ついさっきまで向かい合って眠っていたのに、俺だけがここにいる。一体何事だと周りを警戒しながらいつもの様に気配探知をしようとしたが、何故か発動しなかった。

 気配探知を妨害されている時のあの独特な嫌な気配も感じないと言う事は、答えは一つしかないな。

 どうやらここは夢の中らしい。そう結論をだした俺は、ふうと肩の力を抜いた。

「どうせならアキトもいれば楽しめるんだがな」

 思わずそんな言葉をこぼした瞬間、強い風が吹き抜けた。風に煽られてユラユラと揺れるトリクの花から、ぶわりと一気に花の香りが広がった。

 ふと人の気配を感じた気がして振り返れば、そこにはアキトが背中を向けて立っていた。何故急に現れたのかなんて考えても仕方がないんだろう。だってここは夢の中だ。

 声をかけようとした俺の耳に届いたのは、心細そうなアキトの声だった。

「…ハル、なんでいないの?」
「ここにいるよ、アキト」
「え…?」

 不思議そうにしながら振り返ったアキトは、じわじわとその表情を変えていった。寂しげな表情から嬉しそうな表情に変わっていくのを、俺は笑顔で見守った。

「ハル!」
「待たせてごめんね」
「ううん、来てくれて嬉しい」
「折角だから少し歩こうか?」
「うんっ!」

 さっと手を差し出せば、すぐに繋がれる手が嬉しい。こうして当然のように手を繋いでくれるようになった時も嬉しかったよな。そんな事を考えながら歩き出したが、隣を歩くアキトの表情が晴れない。

 たとえ俺が想像したアキトなんだとしても、アキトにこんな顔はさせたくないな。

「どうしたの?」

 ゆるりと首を傾げて尋ねれば、アキトは不思議そうに俺をじっと見つめてからふわりと笑みを浮かべた。

「ううん、なんでもないよ。あっちも見てみたいな」

 そう言って俺の手を引く姿が、何故か普段のアキトに重なって見えた気がした。



 夢の中というのは自由だ。

 だから周りの景色が急にイーシャルの街中や貸切船の船室に変わったりしても、特に驚きはしなかった。

 イーシャルはアキトと行ったトリク祭りが楽しかったからだなと思ったし、船室はアキトが伴侶候補になってくれた思い出の場所だからな。そりゃあ夢にも出てくるだろう。

 アキトはまるで本物のアキトのように、くるくると表情を変えた。

「せっかくだから甲板に出てみようか?」
「うん、あの景色もう一度見た…」

 そんな事を話しながら歩いていると、唐突に目の前でアキトの姿がかき消えた。何の前触れも予兆も無かった。まるで最初からそこにいなかったかのように、一瞬でかき消えてしまった。もしかしてアキトは元の世界に帰ってしまったんだろうか。そんな絶望が俺を襲った。

 夢の中である事も忘れて取り乱した俺を我に返らせたのは、緩くキュッと握られた手の感触だった。なんだこれは。姿は消えたのに、手の中にはまだ繋がれたままの手の感触がある。

 縋るように手に力を込めれば、同じくらいの力で握り返された。

「アキ、ト…どこ?」
「ハル、俺はここにいるよ」

 聞こえてきた声に引き寄せられるように、俺はパチリと目を開いた。視界に飛び込んできたのは、心配そうに俺を覗き込むアキトの姿だった。

「アキト…良かった、いた。おはよ」
「え、うん、いるよ…?」

 勝手にどこかに行ったりしないよ?と不思議そうに首を傾げたアキトは、それでも律儀におはようと朝の挨拶を返してくれた。

「大丈夫?」
「うん、大丈夫。ごめんね。折角夢の中でアキトとデートしてたのに、急に消えちゃったから焦ったんだ」

 あえて軽く話したのは、あの夢を笑い飛ばして欲しかったからだ。それ以外は良い夢だったが、あの消え方だけは間違いなく悪夢だった。

 大丈夫。ここにアキトはいる。あれはただの夢だったんだ。そう自分に言い聞かせていると、アキトは驚いたように目を見開いて俺を見つめていた。

「え…?」
「アキト、どうかした?」
「あの…それって最初に待ち合わせしたのは、トリクの花畑だったり…する?」

 恐る恐る尋ねてきたアキトの質問に、すぐには反応できなかった。

 確かに夢の中のアキトも、普段のアキトと同じぐらいすごく可愛かった。ところ構わず抱きしめて口づけをしたいと思うぐらいには可愛かった。

 あれは俺が想像したアキトじゃなくて、アキト本人だったからなのか?

「うん、トリクの花畑だったね――その後は花畑を抜けて、突然現れたイーシャルの街中を散策したんだよね?」
「そうそう。それで、その次は何故か船の中に飛んだんだ」
「あの貸切船の個室の中だよね」
「そう!」
「ここまで一致するなんて普通に考えてあり得ないよね…もしかしてアキトも俺と同じ夢を見てた?」
「うん、見てたんだと思う!」

 そしてアキトだけが先に目覚めたから、あの唐突な消え方だったのか。手は現実で繋いでいたから、感触は消えなかったと。――もし手を繋いで眠っていなかったら、俺はもっと絶望していたんだろうな。

「あまりに夢の中のハルが現実のハルに似てたから、俺の夢ってすごいなぁと感心してたんだけど…」
「ああ、俺も自分の夢ながらアキトの反応が可愛すぎて、何度抱きしめたいと思った事か…」

 いや、何度か我慢できずに抱きしめてたな。アキトもそれを思い出したのか、恥ずかしそうに視線を反らしている。そんな反応も可愛いな。

 俺は真っ赤になったアキトを、寝転がったままそっと抱き寄せた。夢の中でのアキトへ感じていた愛おしさは、本物だったからなのか。

「そうか、アキト本人だったから、あんなに愛おしく感じたのか…」

 ぽつりとそう呟けば、アキトはうううと小さく呻いた。

「…俺も本物のハルみたいだな、格好良いなってずっと思ってたよ」

 恥ずかしそうに頬を赤く染めているのに、内緒話のように小声でそう教えてくれるアキトはたまらなく可愛かった。

「それにしても、不思議な事もあるものだね」

 俺は誤魔化すようにそう声をあげた。このままアキトを見つめていたら、抱きしめたり口づけたりだけで止まれる自信が無かった。

「不思議だね…これって、もしかしてトリクの花の香水の効果なのかな?」
「いや、そんな効果は無い筈なんだけど…今度、もう一度使ってみようか?」
「うん!もしまた夢で会えたら、今度は思いっきり楽しめるよね」

 もう一度夢で会えたら良いが、もし期待が外れたら残念がるんだろうか。

「そうだね。もし無理でも昨日の夜はどんな奇跡だったんだろうって思うだけだしね」

 そう声をかければ、アキトはふにゃりと幸せそうに笑みを返してくれた。
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