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491.【ハル視点】圧倒の舞台

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「ねぇ、ハル、まだ笑ってるの?」

 呆れた声でアキトが尋ねてくる。笑ってはいけないと思うのに、そう思えば思うほど笑いは止まらなくなる。あのカゴ売りの少年を見送ってからもう結構経つのに、俺の笑いはまだ止まらない。

「俺、そんなに面白い事言ったかな?」

 不思議そうにゆるりと首を傾げてぽつりと呟いたアキトに、俺はふうーと一つ長い息を吐いてからアキトの方をちらりと見た。

「はーごめんね…やっとちょっと落ち着いてきたよ」
「それは良かった」
「別に内容が面白かったってわけじゃないんだ」
「へ?じゃあ何がそんなに面白かったの?」

 素直にそう尋ねてくるアキトに、俺は小さな声で答えた。

「その…アキトがあまりに羨ましそうな声で言うからさ、ちょっと我慢できなくて」
「ああー確かに羨ましいなーとは思ってたけど、声に出てた?」

 少し恥ずかしそうなアキトは、笑って続けた。

「俺一人だったら、あのレベルの人混みには絶対に突っ込んでいけないからね。ハルに手を繋いでもらってないと、絶対に迷子になると思う。その点あの少年はすごいよね」

 少年を心から尊敬すると言いたげなアキトの表情に、俺はまたしても笑いだしてしまった。あの少年を師匠と呼びだしかねない。そう思わせるような表情だったんだ。

 笑いがおさまらない俺を怒るでも嫌がるでもなく、アキトはただじっと俺を見上げてから何も言わずにゆっくりと歩き出した。



 アキトの優しい対応に感謝しつつ歩いていた俺の笑いがおさまったのは、目的地である噴水広場に辿り着く頃だった。

 広場に一歩入るなり、アキトはぐるりと周りを見渡している。一緒になって周りを見渡してみれば、ちょうど噴水の前の辺りに人だかりができているようだ。

「あっちだね」
「うん」

 人だかりの後ろに立って隙間から前を覗いてみると、そこには昨日までは確かに存在し無かった立派な舞台が出来上がっていた。そこかしこにトリクの花がたくさん飾られていて、舞台だけでも周囲の目を惹く存在感がある。

 どうやら今はちょうど休憩中にでもあたるのか、舞台の上には誰もいない。次はいつ頃始まるのかは分からないが、ワクワクした様子の観客が誰一人として帰らないという事はまだ終わってしまったわけでは無いんだろう。

「すごいね、こんなにちゃんとした舞台まで出来てるとは思わなかった」

 アキトは驚いた様子でそう声を上げた。

「ああ、昨日の夜にここを通った時は…まだ無かったんだけどね」
「え、そうなの?これすっごく立派な舞台に見えるんだけど?」
「ああ、魔法と魔道具を駆使して早朝にでも作ったのかな」

 例え魔道具や魔法を駆使したとしても、ここまで大きな舞台を作り上げるのは至難の業だろう。一体どうやって作ったんだろうと考えを巡らせる。

「簡易な舞台ならともかく、ここまで本格的だと作り方も想像できないな」
「ハルでも想像できないのかー作る所も見てみたかったね」
「ああ、次の機会には早起きして見に来ようか?」
「それも楽しいかも」

 そんな事をのんびり話しながら舞台を眺めていると、不意に舞台の上にスタスタと一人の女性が歩いて来たのが見えた。女性は歓声を上げる客に向かって優雅に一礼すると、置かれていた椅子にちょこんと腰を下ろした。

「さっきと違う人だよね?」
「ああ、さっきは最初に演奏したのは男の人だったからな」
「毎回違う内容なの?」
「次も見たくなるじゃないか」

 そんな風にコソコソと話す観客の声を聞きながら、俺はじっと女性を見つめていた。

 女性は周りから突き刺さっているだろう視線を気にする様子も無く、北の異国の弦楽器を取り出し構えると、おもむろに爪を使って弾き始めた。

 結構距離があるのに後ろの方にいる俺達の所にまでしっかりと音楽が聞こえるのは、魔道具でも使っているんだろうか。

 女性が奏でる曲はなんとも不思議な曲だった。色々な国の曲を知っている俺でも初めて聞く曲なのに、それでもどこか懐かしさを感じさせる。そんな曲だ。

 女性の曲の見事さに聞き惚れながら舞台を見つめていると、舞台の端に一人の男性が立っているのが見えた。男性はすっと横笛を構えたと思うと、歩きながら笛の音を響かせ始めた。

 透き通った笛の音が、ふわりと女性の曲に重なった。

 男性の笛の音はどこまでも繊細に透き通っていて、すこしの違和感もなく弦楽器の音と馴染んでいった。たった二人で奏でているとは思えない程の深みのある音楽に、自然と観客からもため息がこぼれた。

 ふわりと音楽が止まり自然と観客が拍手をしようとしたその瞬間、舞台の上にひっそりと登場していた男性が高らかに歌い出した。

 収穫を喜ぶ祝福の言葉、祭りの始まりを告げる声、自然の恵みに感謝を伝え、来年の更なる豊穣を願う。

 トリク祭りにこれ以上相応しい歌は無いだろうと思わせるその曲を、男性は音楽も無しに一人で歌い上げていく。

 ただの歌声で、ここまで圧倒された事は無い。そう思うほどの歌唱力だった。

 これほどたくさんの人がいるのに、辺りに響くのは男性の歌声と流れる水音だけだ。たくさんの人がいるのに、誰一人として一言も言葉を発さない。全員がただ一人の男性に圧倒されたように、黙り込んだまま聞き惚れていた。

 静まりかえっていた広場の空気が動いたのは、歌いきった男性が観客に向けてにっこりと笑みを浮かべて軽く会釈をしたその瞬間だった。まるで貯めこんでいた感情を爆発させるかのように、歓声と拍手が一気に弾けた。
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