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397.【ハル視点】初めての経験

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 クリスが手配してくれた料理は、どれも驚くほど美味かった。

 これはかなり奮発したんじゃないかと、少しだけ心配になった程の美味しさだった。いやそれともこの船の上では、普通にこんな美味い料理が出されているんだろうか。

 特別な船だからありえない話でも無いかもしれない。有名料理店のものだと言われても納得してしまうような繊細な味付けが見事だった。

 特にステーキは、ステーキにこだわりのある俺でも思わず唸るほど美味かった。

 アキトは小ぶりなパンが色々入ったカゴが気に入ったようだ。大きさや柔らかさも異なる種類豊富なパンを、ニコニコと幸せそうに食べ進めている。

「うわっ…このサラダ美味しいっ!」

 不意に声を上げたアキトは、大きく目を見開いたままハルも食べてみてと声をかけてきた。言われるがままに一口食べてみれば、あまりの美味しさに俺も驚いてしまった。

 砕いた木の実がたっぷりと乗っただけの何の変哲もないサラダに見えるのに、かかっているドレッシングが美味すぎる。

 思わずアキトと顔を見合わせる。

「これはすごいな」
「ね、美味しすぎてびっくりしたよ」
「野菜も当然良い物を使ってるんだろうけど、やっぱりドレッシングが良いんだろうな」
「ドレッシングだけでサラダってここまで変わるんだ…」

 興味深そうにサラダを観察していたアキトは、真剣な表情で俺を見つめてきた。

「ねえ、ハル」
「ん?どうしたの?」
「完全に再現はできないと思うけど、似たような雰囲気のドレッシングって作れないかな?」

 あーなるほど。うん、それは面白いかもしれない。もし失敗したとしても、アキトと一緒なら思い出の一つになるだろう。そう考えながら、俺はすぐにアキトの提案に乗ることを決めた。

「やってみようか」
「うんっ!」

 二人揃って真剣な表情でサラダを口に運ぶ。傍から見れ滑稽な光景かもしれないが、今はアキトと二人きりだから誰にも見られる心配は無い。

 じっくりと味わってから、俺は口を開いた。

「ああ、これは…ノイティの果汁を使ってるのかな」
「ノイティ?」
「かなり酸味が強い小さな実で、本来なら料理にはあまり使われないんだけど…この風味はそうだと思う」

 ノイティの果汁はエルフの好む味だと聞いた事があるんだが、もしかしてこの料理にもエルフが関わってるんだろうか。

「ノイティの果汁か、覚えておこう。味付けは塩と…あと何となく魚の風味がする気がするんだけど」
「んー…あ、確かにするな…?」
「これって川魚とかも使ってるのかな?」
「そうかもしれないね。川魚だとすると…何だろう?」

 二人で意見を出し合いながら、何が使われているのかを予想していく。こんな風に何が入っているのかを予想しながら食べるのなんて生まれて初めてだったけれど、こういうのも楽しいものだな。

 今夜の夕食のデザートは、果物がたっぷりと乗ったこぶりなタルトだった。甘い果物にさっぱりとしたクリームを合わせてあり、タルド生地の部分はザクザクと食感が楽しい。

 幸せそうに頬を緩めているアキトを見ていると、自然と笑みがこぼれてしまう。

 もしここが予約が取りにくい船では無い普通の店だったら、記念日の度にアキトと一緒に通えるのにな。そんな事を考えてしまう程の美味しさだった。

「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」

 自然に揃った食後の挨拶が、なんだか嬉しい。

「どれも本当に美味しかったねー」
「うん、すごく美味しかったね。まさかここまでとは思わなかったよ」
「船の上って事、忘れそうになるよね。不思議な事に揺れとかも一切感じないから、何なら動いてる事すら忘れそうになるんだけど」

 アキトの言葉に、俺も笑いながら同意した。

「分かるよ。窓の外の景色を見てる時ぐらいしか、動いてるって思わないよね」
「そう!そうなんだよ!」

 喋りながら俺達はワゴンの中に食器を片づけていく。

「乗合船なら結構揺れるんだけどね」
「あ、やっぱりそうなんだ?」
「あっちは揺れるから船酔いで苦しんでる人もたくさんいるよ。まあ、アキトは川下りも平気だったから大丈夫かもしれないけどね」
「そうだと良いんだけど…あんまり船に乗った事ないからなぁ」

 少しだけ心配そうなアキトに、俺は笑って提案する。

「そうなんだ。じゃあ乗合船もいつか乗ってみたら良いかもね」
「うん、乗ってみたいなー」

 嬉しそうなアキトの笑顔を見ながら、俺は今後の予定に『アキトと一緒に乗合船に乗る』を追加した。



 ワゴンを部屋の外に出した後は、二人揃って隣の部屋に移動した。鞄から取り出したアキトの好きな果実水を手渡せば、ふわりと幸せそうな笑みとお礼の言葉が返ってくる。

 二人で並んでソファに腰を下ろす。

 食事を楽しんでいる間に窓の外の景色はもうすっかり夜になっていて、真っ黒な木々の影とキラキラと輝く星空の対比がとても綺麗だった。

 星空を眺めながら飲み物を楽しむ俺達の間に会話は無いけれど、この沈黙は少しも嫌じゃない。むしろ穏やかで満ち足りた時間だと思う。

 アキトが伴侶候補になってくれて本当に幸せだ。例え何があっても、俺はアキトと離れるつもりは無い。それをきちんと伝えておきたい。そう思って俺は口を開いた。

「アキト、改めて伴侶候補になってくれてありがとう」
「え、急にどうしたの?」
「さっきから考えたんだけど…言っておきたいことがあってね」

 真剣な表情を浮かべた俺に気づいたアキトは、そっと姿勢を正して向き合ってくれた。そういう気づかいをさらりと出来るところも好きだ。

「もし、アキトが…元の世界に戻る方法が見つかったらさ」

 そんなものが本当にあるかどうかも分からないけれど、来る事が出来たんだから帰る方法もあるかもしれない。

「…うん」
「そしたらさ、俺も一緒について行っても良い?」
「え…」

 信じられないものを見るような目で見上げてくるアキトに、俺は優しく微笑みかける。

「駄目かな?」
「駄目じゃないけど…でも、ハルの家族は?」

 震える声がそう尋ねてくる。

「きっとうちの家族は、遠い場所でも元気にやってるなら良いって言うよ」
「でも、もう会えなくなるんだよ?」

 うつむいてしまったアキトの頭に、驚かせないようにそっと触れた。

「それでも俺は、アキトと離れたくないんだ」

 心から告げた俺の言葉に、アキトは弾かれたように顔を上げた。

「家族にはその可能性もあると前もって話しておくよ。アキトは急にこの世界に来たんだし、事前に話が出来るだけで全然違うと思うんだよね」

 明るくそう言いきれば、アキトは前ぶれも無く唐突に泣き出した。呆然と俺を見つめたままポロポロとこぼれていく大粒の涙に、俺は大慌てで尋ねた。

「わっ、アキト、泣く程嫌だった?」

 アキトはふるふると首を振りながら、思いっきり抱き着いてきた。

 ああ、嫌なわけじゃないのか。嬉しかったのか、それとも家族や異世界を思いださせてしまったかな。それなら好きなだけ泣くと良い。俺はアキトの体をそっと受け止めると、何も言わずにアキトの頭を撫で続けた。
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