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227.【ハル視点】黒鷹亭から白狼亭へ

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 黒鷹亭の部屋は、あくまでもアキトの部屋だとずっと思っていた。

 俺はただそこに入る事を許されているだけで、自分の部屋なわけでは無い。調子に乗るまいとそう自分に言い聞かせていた見慣れた室内に、俺のために設置されたベッドが並んでいる。

 気恥ずかしいような、照れくさいような。間違いなく嬉しいは嬉しいんだけど、思わず叫びたくなるようなそんな複雑な気持ちだった。

「まだお昼前だけど、どうしようか?」

 自分の気持ちを隠すためにさらりとそう尋ねれば、アキトは全く気づかずにあっさりと答えてくれた。

「ハルさえ良かったら、俺ハルと一緒に食事しに行きたいな」
「もちろん。生身でのデートは初めてだね。…アキトはどこに行きたい?」
「あ、行きたい場所は、ずっと前から決まってるんだ!」
「へーどこだい?」

 アキトが行きたいと言ってた場所なんてあったかな?必死で思い出してみても特に思いつかなかった。

「白狼亭!」

 笑顔のアキトの言葉に、俺は大きく目を見開いてそのまま固まってしまった。

「ハル?」
「ごめん。白狼亭…覚えててくれたんだ?」
「うん、覚えてたよ。それにハルが消えてからさ、もしかしてハルがいないかなって探しに行ったんだ」

 そっと告げられたその言葉に、俺はぎゅっと眉間にしわを寄せた。

「そうだったの!?心配かけてごめんね…」

 アキトは慌てて手を振ると、俺をまっすぐ見上げてきた。

「謝らないで良いから」
「ありがと…でも、そっか。もう一度行きたいくらいには美味しかった?」

 もしそうなら、アキトと俺の味覚は近いって事になる。そんな事を考えた俺は、すこし浮かれながら尋ねた。あんな返事が返ってくるなんて、思ってもみなかったからな。

「えーと、あの時は食欲が無くて…店には入らなかったんだ」

 言いづらそうに告げられた言葉に、俺は反射的にアキトを抱きしめた。

 俺を探すためだけに白狼亭までわざわざ足を運んでくれたのか。それに食べるのが好きなアキトが、食欲が無くなるほど俺を心配してくれていたんだ。そう思うと、たまらない気持ちになった。

 前髪を指先でかき分け、剥き出しになった額にそっと口づけを落とす。愛おしい気持ちが溢れすぎて、触れずにはいられなかった。

「アキト…ごめん」
「謝らなくて良いって」

 ハルの意志じゃないんだからハルは悪くないでしょうと困ったように言いながら、アキトは笑った。

「違うんだ。アキトが辛かった時の話なのに、嬉しいって思ってごめんね」
「嬉しいの?」
「だって俺がいない間も、アキトが俺の事を気にかけてくれてたって証明でしょ?」

 長年騎士なんてやってる割に、俺はちっとも騎士らしくないな。

 呆れられるかと思ったけれど、アキトは何故か目を潤ませてぎゅっと俺に抱き着いてきた。ぱちぱちと瞬きを繰り返しているのは、きっとその涙に気づかれたく無いからだろう。俺は気づかないふりをして、そっと目をつむった。

「じゃあ、一緒に食べに行こうか」
「ああ、きっとアキトと一緒に食べたら、もっと美味しいだろうな」

 どちらからともなく手を繋いで、俺たちは部屋を後にした。



 受付にいたレーブンは、すぐに出てきた俺たちを見て意外そうに目を見張った。

「なんだ、でかけるのか?」

 部屋でいちゃつくつもりじゃなかったのかって言いたいんだろうな。いちゃつくよりも二人での思い出作りが優先なんだよとは言わずに、俺はあえて笑顔で答えた。

「昼食を食べに行ってきます」
「さっきから気になってたんだが…何だその話し方は。今までは呼び捨てだったし、敬語じゃなかっただろうが」

 嫌そうにしているレーブンは、眉間に深いしわを寄せていた。アキトは不思議そうな顔で俺たちを見比べている。

「アキトの家族なら、敬おうかと思いまして」
「お前の敬語とか気持ち悪いからやめろ」

 ああ、本気で嫌そうな顔だな。これはこのまま敬語で話し続けたら、逆に怒られそうだ。

「分かった。ついでにすこし街を歩いてくるつもりだ」

 いつも通りの口調で話しかければレーブンはふんと鼻を慣らしてから、アキトをちらりと見た。

「まあ楽しんで来い」
「はいっ!いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」

 俺たちは再びトライプールの街へと飛び出した。



「あー駄目だ。全然覚えてないや」

 アキトはそう言うとがっくりと肩を落とした。自分で道を覚えようとする姿勢は立派だとは思うけれど、少しぐらいは俺に頼って欲しい。今日の案内はまかせてと声をかければ、アキトはお願いと笑ってくれた。

「ちなみにその時は、一人でどうやって辿り着いたの?」

 白狼亭の話題が出たのにローガンの名前が出てこない辺り、レーブンに聞いたわけじゃないだろう。

 トライプールがいくら治安が良い方だと言っても、道が分からないからと適当に声をかけてしまえば変な奴に目をつけられる事もある。無事にここにいるんだから何事もなかったんだと分かってはいても、やっぱり気にはなる。

「ああ、目についた雑貨屋さんで買い物してから、白狼亭の場所を聞いたんだ」

 照れくさそうに笑いながら、アキトはそう教えてくれた。俺がいるから大丈夫だろうと思っていたせいで、一人で道に迷ったらどうしたら良いかなんて話は一切していなかったんだが。

「アキトはすごいね」
「へ?」

 大きく目を見開いて見上げてくるアキトに、俺は小声で話しかけた。

「素性の分からないその辺の通行人に尋ねるより、その方が何倍も安全なんだよ」

 嘘を教えられたり、変なところに連れて行かれる可能性が一気に減る。特に表通りの店は、開店前に店主に調査が入るからな。問題が無い場合しか店が開けないようになっている。

「どの領でも表通りにある店の店主は、信用して良いよ」
「そうなんだ?丁寧に道を教えてくれたのは覚えてるよ」
「もし道に迷ったら、次も表通りの店で聞いてね」

 アキトが嫌がらない限りは俺が側にいるつもりだけど、そういう事態がもう無いとは限らないからな。

「うん、分かった」

 笑顔で頷いたアキトと一緒に、俺は狭い路地を歩き続けた。
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