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181.【ハル視点】生きていて欲しい

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「どこだっ?アキト!」
「ハル、ここ…」

 聞こえてきたのはかすれた小さな声だった。声を頼りに駆け寄ってみれば、水たまりに落ちたらしいアキトは水と汚れで酷い状態だった。ああ、でも生きていてくれた。

「ゴーレムの縄張りから出たのか、もう追いかけてこないみたいだよ」
「それは良かった」
「アキト…痛いところは無い?」
「色々痛くて、どこが痛いか分からないや」

 苦笑しながらそう答えたアキトは自力でその深い水たまりから這い出すと、すぐに自分の体に浄化魔法を使った。アキトらしいなと微笑ましく見つめていられたのは、ほんの一瞬だけだった。アキトの太もものあたりに、ぱっくりと開いた大きな傷が見えた。

「アキト…それ」

 傷の大きさや深さから見て、その傷は間違いなくかなりの深手だった。経験上、色んな傷を見てきたから、分かってしまった。ここに最高級の魔法薬があったとしても、治るかどうか分からない程の傷だと。

 傷に気づいた途端に、アキトは痛みを感じ始めたようだ。戦闘中に負った怪我に、戦闘後にやっと気づくなんて事はよくある事だ。麻痺していた感覚が急に戻って来たんだろう。

「っ…」
「アキトっ、しっかりして!まずは止血しよう!」

 俺はすぐにアキトに声をかけた。たとえ止血ができても、ここにあるのは下級の魔法薬だけだ。金に余裕ができた時に、最高級の魔法薬を買っておくべきだった。そう思わずにはいられないけれど、今さらそんな事を考えてもアキトは助けられない。

 今一番大事なのは止血をする事だ。止血さえすれば少しは時間稼ぎが出来るし、その間に冒険者が通りかかる事に賭けるしか無い。

 クロユの森には冒険者は滅多に来ないけれど、ここは西側に位置する木の葉の寝台の辺りだ。昨日の雨の影響がどこまで出てるか、確認するためにギルドから派遣される冒険者もいるかもしれない。

 そこまで一気に考えた俺は、動き出さないアキトに視線を向けた。アキトは震えの止まらない手を見つめながら、呆然とその場で固まっていた。

「手が動かないのか?」

 質問を投げかければ、アキトは小さく頷いて答えた。

「はやく血を止めないと」

 アキトの太ももの傷口からは、じわじわと血が溢れ続けている。この血はアキトの命そのものだ。このまま流れ続けたら間違いなく命に関わるだろう。

 どうして俺は何もしてやれないんだろう。こういう場合の手当の仕方は心得ている。俺に体さえあれば、すぐに止血をしてからアキトを抱えて街に戻れるのに。

「俺の手では止血も出来ない!アキト、動いてくれっ!」

 もし涙が出る生身だったら、俺は既に号泣していただろう。アキトは体を動かそうと頑張ってくれたけれど、それでもやっぱり手は動かせないみたいだ。

「無理みたいだ」
「嫌だ!アキト!」

 こどものように嫌だと叫んだ俺に、アキトは申し訳なさそうに苦笑した。痛みを感じていない様子からして、既に感覚が麻痺しだしているのだろうか。

「アキト…」

 すがる様に名前を口にした俺を、アキトは穏やかな顔でじっと見つめてくる。

 どうして俺は採取先にクロユの森を選んだんだろう。どうしてクロユの森にはいない筈のゴーレムがいたんだろう。どうして俺はあの時高級魔法薬を買わなかったんだろう。どうして俺は…アキトを助けられないんだろう。

 口では止血しないとと言いながらも、そんな気持ちがぐるぐると頭の中で渦巻いている。

「ハル」

 かすれた声で不意に呼ばれた名前に、俺は慌ててアキトの顔を覗き込んだ。

「アキト…?」

 地面に寝転がったアキトを、俺は抱き起こす事すらできない。

「言いたい事があるんだ」
「ああ、何だ?」

 遺言みたいな言い方は、止めてくれと叫びたかった。我慢して聞き返したのは、ただの年上の意地のようなものだった。

「俺さ、ハルの事がずっと好きだったんだよ」

 聞こえてきた言葉が、一瞬理解できなかった。

「え…」
「恋愛対象って…意味で」

 アキトが、俺の事を恋愛対象としてずっと好きだったと、そう言ったのか。
 やっと言葉の意味を理解した瞬間、俺はあまりに複雑な感情に翻弄された。

 好きだと言われた事は素直に嬉しい。照れくさそうにそう言ったアキトの姿は、心から愛おしいと思う。けれど、同時に何故こんな状態で言うのかと憤りを感じた。告白して心残りを無くそうとしているのかと、怒りすら感じた。

 何と答えれば良いのか悩んだのは、一瞬だけだった。

「…っ…俺もアキトの事が好きだよ!」
「ほんと…?」

 今この時を逃したら、一生伝えられなくなるかもしれない。そう考えたら、自然と答えは決まっていた。

「ああ、幽霊なのに俺がアキトの恋人になりたいとずっと思ってたぐらい、アキトの事が大好きだ!」

 俺はまっすぐに、素直な気持ちをアキトにぶつけた。アキトは頬を赤く染めながら、ふわりと笑みを浮かべる。

「嬉しい」
「俺も嬉しいよ…アキト、頼むから」
「何?」
「…頼むからっ死なないでっ!」

 こんな事を言われても困るのは分かってる。それでも言わずにはいられなかった。

 もしアキトが幽霊になったら、ずっと一緒にいられるのかもしれない。幽霊になっても二人で冒険者みたいに旅もできるかもしれない。

 でも、メロウやレーブンと交流したり、チームの皆に可愛がられたり、ブレイズと一緒に美味しいものを食べ歩いたりするアキトはもう見られなくなる。食事が好きなアキトが、食事ができなくなって寂しそうにする所は見たくない。

 それに、もしかしたら、もしかしたらアキトは幽霊にはならないかもしれない。心残りなんて無いとあっさり逝ってしまうかもしれない。そうなってしまったら、俺はもう二度とアキトに会えなくなる。

「アキトっ!っ!…アキトっ!!」

 色んな気持ちがこみあげてきて、もう名前を呼ぶ事しかできなくなった。みっともないなと頭の中の冷静な部分が思うけれど、アキトにならみっともない所も見せても良い。アキトはきっと馬鹿にしたりしない。

「死ぬなっ!」

 思いを込めて叫んだ瞬間、アキトの魔力がぶわりと動いたのが分かった。

「アキト、一体何を?」

 返事を返す余裕も無いのか、アキトは無言のままで魔力を練り続けている。近くに魔物の気配も無いし、本当に何をするつもりかが分からない。じっと見つめていれば、アキトは魔力を使って何かを作り始めたようだった。

 細く伸びたアキトの魔力は、ふわりとその場に浮き上がった。紐のような魔力を見つめていれば、太ももの付け根の辺りをぐるりと一周した。

「もしかして…魔法で止血をしたのか?」

 手が動かないなら魔力を操作すれば良いと考えたのか。俺はアキトほど繊細に魔力が操作できないから、全く思いつかなかった方法だ。

 止血ができても、まだ助かったわけではない。誰かが通りかかるのを期待して、待つだけの時間を過ごす必要があるのも分かっている。それでも思わず神に感謝してしまう程に嬉しかった。

 ほんの一瞬でも良いから、長く生きて欲しいなんて考えてしまう。

 ふうと息を吐いたアキトの魔力が再び動き出したのが、俺の目にはハッキリと見えた。魔法を使って止血をするだけでも凄い事なのに、この上に更に何をするつもりなんだろう。気にはなったけれど俺は何も言わずに、アキトの魔力の流れをじっと見つめた。

 見守る俺の視線の先で、ふわりと一瞬だけ光を帯びた魔力はそのまま空中に消えていった。これは魔法の発動に失敗した時の反応だな。アキトは一体何をしようとしているんだろう。

「アキト…?」

 思わずそう声をかけた俺の目を、アキトはちらりと見つめた。

 次の瞬間、アキトの魔力は爆発的に辺りに広がった。眩く輝きだした魔力は、アキトの全身をふわりと柔らかく包み込んでいく。こんな風に全身が光る魔法なんて、聞いた事が無い。

「まさか元の世界に戻ってしまうのか…?」

 思わずそんな言葉が口から漏れてしまった。口にしたせいで現実になったらどうするつもりだと、自分を叱り飛ばしたくなる。

 もしアキトがこのまま異世界に行ってしまったら、簡単に追いかけて行くことは出来ないだろう。つまり、俺はアキトに二度と会えなくなるのか。そうなるぐらいなら、俺も一緒に異世界に行きたい。どうすればついて行けるかなと考えた所で、不意にアキトの声が聞こえた。

「ハル」

 動揺した俺の名前を、アキトの声が優しく呼ぶ。それだけで大丈夫だと思えた。

 ぶわりと広がっていた光がおさまっていくと、そこに現れたアキトは傷一つない状態に変わっていた。太ももの傷はもちろん、いくつもあった小さな傷まで無くなっているようだ。

「は?」

 傷があった場所の服は破けたままだから、あれが幻覚の類では無い事だけは確かだ。今目の前で何が起きたのかが、全く理解できない。

「アキト…今、何を?」
「治癒魔法…なのかな?俺もよく分からないんだけど、とりあえず成功したみたい!」

 そう言うと、アキトは明るい笑顔を見せてくれた。俺を安心させるための、痛みをこらえた笑顔とは全く違う。心からの明るい笑顔だった。

「…もうどこも痛くない?」
「うん、ぶつけた場所の痣も、手の甲の傷もほら」

 アキトはそっと袖を捲り上げると、傷一つない華奢な腕を俺に見せてくれた。細かい傷は近くで見ても完全に無くなっていたし、太ももの傷も綺麗にふさがっているみたいだ。

「……アキト、死なないんだな?」
「うん、少なくとも今すぐに死ぬ事はないね」

 軽く答えてくれるアキトに、できる事なら思いっきり抱きしめたかった。

「それにしても、どうやって…?」
「ハルが死ぬなって必死になってくれたから、頑張ったら出来たって感じで…自分でもこれが治癒魔法かどうかすら、よく分からないんだけど」
「ああ、そうか……そうか。」

 治癒魔法かもしれないし、そうじゃないかもしれない。そんな事はどうでも良い。

「理由も魔法の種類も何でも良い。アキトが…生きていてくれるだけで良い」

 俺の搾りだすような本音を聞いて、アキトはくしゃりと顔をしかめてからポロポロと泣き出した。



 ようやく泣き止んだアキトは、何故かいま地面を転がっている。号泣してしまったのがよっぽど恥ずかしかったようだ。
 
「アキト、服汚れるよ?」

 そんな風に声をかけたけれど、邪魔をするつもりは無い。気が済むまで好きにすれば良い。アキトが元気に転がっているのを見ているだけで、俺は自然と笑顔になってしまう。

「別に汚れても良い。浄化魔法使うし」
「そんなに恥ずかしかったの?」
「今日のハルは意地悪だ」

 拗ねたような表情を見つめながら、俺はそっと口を開いた。

「俺は涙が出ないだけで、アキトと同じ気持ちだったよ」

 霊体だから涙は出ないだけだ。もし涙が出ていたとしたら、きっとアキトが止血をする前から泣き叫んでいたと思うと伝えれば、アキトはそっと地面から立ち上がってくれた。



 立ち上がったアキトは、あれだけ血を失ったとは思えないほど普通に歩き出した。魔法で血まで補えたという事だろうか。そんな事があり得るんだろうか。いや、あり得たかららここにアキトがいるんだが。

 アキトは自分が落ちて来た崖を見上げて、ぽかんと口を開いた。

「俺あんなとこから落ちたんだ?よく無事だったな」

 他人事のような言い方に少しだけ腹が立って、思わず軽く睨みつけてしまった。

「……無事じゃなかったよ」

 あんな怪我をしておいて無事とはよく言ったな。

「心配かけてごめんね」

 素早くかつ素直に謝られてしまえば、それ以上は何も言えない。俺はそっと頷いて謝罪を受け入れた。

「それにしても高いよね」
「普通ならあんな怪我では済まないって高さだね」
「まあ、そうだよな」

 なんであの程度で済んだんだろうと首を傾げるアキトに、俺は自分の考えを伝えてみた。

「多分、あの水たまりのおかげだと思うよ」

 ただの推測にはなるけれど、アキトが落ちた所には豪雨でできた水たまりがあった。しかもその水たまりの場所がまた良かった。木の葉の寝台と呼ばれる木の葉が集まってくる場所に、ぴったりとあっていた。

「だから落下の衝撃が少しは和らいだんじゃないかな」
「はーなるほど」

 アキトがきちんと頭を守って落ちれたからだと褒めようか悩んだけれど、それは口にはしなかった。次も頑張るねなんて言われたら困るからな。落下するのはこれで最後にして欲しい。

 納得してくれたアキトの目をまっすぐに見つめて、俺はそっと口を開いた。

「アキト」
「ひゃいっ!」

 何を言われるのかと動揺しているのは分かったけれど、今は一番大事な事を伝えなくてはいけない。
 
「この世界に治癒魔法は無いって言ったの、覚えてる?」
「えーと、かつてはあったけど今は無いって言ってたような?」

 あれは確かアキトと出会ったナルクアの森で伝えた事だ。きちんと覚えていてくれた事がとても嬉しい。

「そうなんだ。かつては確かに存在していたと古書には記されているけど、今は使える者はたった一人も実在していない」

 アキトは真剣な顔でこくりと頷いてくれた。

「今のが治癒魔法かどうかもはっきりしないけど、その魔法は絶対に隠すべきだよ」
「隠す」
「言い難いけど…太もものあの傷はたとえ最高級の魔法薬がここにあっても、助からないかもしれないって傷だった」

 俺がそう口にすれば、アキトはじっと何かを考えこんだ。

「俺の魔法は、魔法薬が効かないような大怪我すら治してしまえるって事?」
「ああ、そうだ」
「うん、隠さないと大変な事になるよね」
「確実にね」

 きちんと俺の心配を理解してくれたアキトは、うんと大きく頷いてくれた。

「分かった。信頼できる人の前以外では、絶対に使わないように気をつける」
「そうしてくれ」
「まあ使い方分からないんだけどね」

 アキトは笑いながらあっさりとそう続けた。うん、使い方が分からないぐらいの方が良い。誰かにこの魔法を知られて、アキトが利用されるのなんて絶対に嫌だ。

 俺はアキトの隣を歩きながら、密かに決意を固めていた。
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