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169.【ハル視点】川の水位と辺境領の話

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 アキトと別れた俺は、ギルドに続く大通りを歩き出した。雨の影響を受けないからとのんびりと歩いていると、後ろから来た冒険者数人に追い抜かされた。

「この雨はやばいだろ!」
「喋る暇あったら走れ!」
「こんだけ濡れたらもう関係なくねぇか!?」

 そんな風に叫びながらも全力で走っていく冒険者を眺めながら、俺は悠々と歩き続けた。

 辿り着いた冒険者ギルドの中は、さすがに冒険者の姿はまばらだった。ギルド職員も全員はいないようだが、受付の奥にある机に座っているメロウの姿が見えた。

「この依頼を受けて頂けたら、報酬は一割増しになります」
「明日までに達成ってなってるけど、明日でも一割増しなのか?」
「もちろん明日でも一割増です。ただ、明日の天気が良くても悪くても達成して頂かないと…」

 冒険者と交渉中の受付の横をするりと通り抜けて、俺はメロウに近づいていく。

「依頼の方はどうなってますか?」
「急ぎの分は今で7割ほどですね」
「思ったよりも好調ですね」

 机の上の紙を遠慮なく覗いてみれば、川の一時間ごとの水位の上昇がきっちりと記されていた。メロウなら確認させているだろうとは思っていたけど、思った以上に水位の数値が細かい。一体どうやってと思った瞬間、ギルドのドアからびしょ濡れになった冒険者が現れた。

「メロウさん、これお願いします」

 まだ若い冒険者の男が差し出したのは、距離を測るための魔道具だった。メロウは魔道具を受け取ると、代わりに乾いた大きな布を男に手渡した。

「お疲れ様です。この雨の中、確認ありがとうございます」
「氾濫したら大変だし、依頼ですから」

 なるほど。どうせ既に濡れている冒険者なら、簡単な任務だからとすぐに請け負ってくれるだろうな。

「奥の部屋で暖まって下さいね、誰か案内を」

 ギルド職員に冒険者を託すと、メロウはすぐに魔道具の数値を調べ始める。目の前に書き込まれていく数字を、俺はじっと見つめた。

「水位、どうですか?」
「今の勢いのまま振り続けても、今日中に氾濫する可能性は無さそうですね」
「それは良かったです。次はまた一時間後で良いですか?」
「ええ、念のため雨が止むまでは続けますから、手配をお願いします」

 数値を見る限り、確かに今日中に氾濫する危険性は無さそうだ。

「ありがとうな、メロウ」

 これで用は済んだ。俺はそっと声をかけてからすぐにギルドを後にした。



 黒鷹亭に帰り着いたのは、昼時を少し過ぎた頃だった。昼食を配っているレーブンの前にも、もういくつかの紙箱しか残っていない。

 今日は特別に解放されている食堂には、急な休みで暇を持て余した冒険者達が集まっているみたいだ。どうやら情報交換をしている真面目な奴らもいれば、酒の飲み比べをしている賑やかな奴らもいるようだ。レーブンがいるなら、問題を起こすような奴はいないだろう。

 俺は食堂を横目で見ながら階段を上がった。そっと壁を通り抜けて部屋に戻ってみれば、アキトは一冊の本に夢中になっていた。

「アキト、ただいま」

 よほど集中して読んでいるのか、声をかけても微動だにしない。読書の邪魔はしたくないけど、声をかけないわけにもいかない。

「…ト、アキト!」

 近づいて声をかければ、アキトはハッとした様子で顔を上げた。

「ごめん、本に集中しすぎてた。おかえり、ハル」
「ただいま。声をかけようか悩んだんだけど…まだ昼ごはんを受け取ってないよね?」

 テーブルの上に何も無いしと続ければ、アキトは慌てて時間を確認した。今日の昼食は引き取り時間を決められていたから、確かもう少しで時間切れの筈だ。もっともアキトには甘いレーブンだから、きっと部屋まで持ってきてくれるとは思うんだが。

「うわーありがとう、ハル!俺、ちょっと行ってくる!」



 弾かれるように飛び出していったアキトは、すぐに部屋に戻って来た。

「ハル、ただいま」
「おかえり、アキト。間に合って良かったね」
「うん、ありがとう。レーブンさんに迷惑かけるとこだったよ」
「どういたしまして」

 大切そうに持っていた紙製の箱をテーブルの上にそっと置くと、アキトはいそいそと包みを開け始めた。

 紙箱の中には、少し厚めの生地で具材を巻いた異国の料理がいくつか並んでいた。具材もそれぞれ違うもののようで、かなり手が混んでいる。これは生地から焼いたんだろうかと考えながら見つめていると、アキトのお腹がぐうと鳴った。

 照れ笑いを浮かべながら、アキトはそっと手を合わせる。

「いただきます」



 異国の料理はよほど口に合ったのか、幸せそうに箱の中身を空にした。

「あー美味しかった!また食べたいぐらいの美味しさだった」
「気に入ったならレーブンに感想言ってみたら?また作ってくれるかもしれないよ?」

 そうかなと笑っていたけど、もし感想を言えば間違いなく次の朝食のメニューに入れてくるだろうな。レーブンはそういう男だ。

「ハル、ギルドはどうだった?」
「やっぱり人は少なかったけど、川の氾濫の危険性はなさそうだったよ」

 アキトは納得した様子で頷いていた。

「アキトはあんなに集中して、何を読んでたの?」
「ケイリー・ウェルマールの冒険!」

 タイトルが俺にも見えるように、アキトはテーブルの隅に置いていた本をくるりと表返してくれた。

「どこまで読んだ?」
「今はね、スタンピードをなんとか乗り切ったけど、顔に大きな傷が残ったってところ」
「ああ、その辺りか」

 もう終盤まで読み進めているのか。それなりに文字数も多い本だけど、読書好きなアキトには何の問題も無かったみたいだな。

「ハルはさ、辺境伯って見たことある?」

 不意に投げられた質問に、俺は即答で答えた。

「あるよ」
「本当に傷あった?」
「ああ、あったよ。頬の辺りに」

 指先を使ってこめかみから顎の辺りをすいっとなぞれば、アキトは指の動きを目で追った。
 
「すごい人だよね」

 憧れの気持ちを隠さないアキトに、俺も嬉しくなってふわりと笑みを浮かべた。

「ああ、すごい人だ」
「俺さ、辺境もいつか行ってみたいなって思ったんだー」

 あっさりと告げられたその言葉に、俺は情けなくも動揺してしまった。この本をきっかけに辺境領に興味を持って欲しいと思ってはいたけれど、ここまで思い通りになるとは思っていなかったからだ。

「え、本当に?行ってみたい?」
「う、うん」
「あ、興奮してごめんな。いつか辺境も案内したいと思ってたけど、どうしても危険な場所だから…さ」
「ああ、スタンピード」

 そう呟いたアキトの表情は曇ってしまったけれど、危険な場所である事を伝えずに連れていく事はできない。それはアキトへの裏切りだ。実際に行く時になったらその辺りはもっと詳しく説明するとして、今は話題を変えようと俺は軽い調子で続けた。

「辺境領に行くなら、ぜひ連れて行きたい店もあるんだ」 
「へーどんな店?」

 俺は辺境領について色んな事を話した。

 まず話したのは特産品の木工品の話だ。辺境領の精巧な木彫りの像は、土産物から美術品として取り扱われる物まで様々だ。職人たちが競うようにして作り上げた木彫りを、アキトはきっとキラキラした目で見るんだろうな。

「それに家具もたくさん作られてるんだ」

 庶民向けから貴族向けまで種類も豊富だし、他の領にも輸送されている人気の名産品だと説明すれば、アキトは興味深そうに頷きながら聞いてくれた。

 もう一つ、絶対に欠かせないのは食の分野だ。

「辺境領には美味しいものがたくさんあるよ」

 辺境領都は魔物の襲撃が頻繁に起こる土地柄から、トライプール以上に頑丈な防壁で囲まれている。

 かつては壁の外にあった果樹園や畑も、今は安全のために壁の内側に作られている。そこで育てられているのは、少し変わった果物や野菜が多い。期待させておいて無かったら悲しむだろうから言わないけど、もしかしたらアキトの世界の食材に似たものもあるかもしれない。

「あと、食用肉の種類も多いんだ」

 魔物の肉が簡単に手に入るから、他の領地よりも肉の種類が圧倒的に豊富だ。庶民ですら自分たちで魔物を討伐して、解体、調理するってのは別に言わなくて良いかな。

「辺境領都で一番おすすめのお店は、やっぱりミルラースかな」

 聞きなれない単語だったからか、アキトは軽く首を傾げて尋ねてきた。

「ミルラースっていうお店?」
「そう、ステーキが絶品なんだ!」

 そう言い切った瞬間、アキトは思いっきり噴き出した。

「それハルの好物がステーキなだけじゃない?」
「違うんだよ、スパイスとか焼き方もトライプールとは違っててね!肉の質も違うから味も全然違うんだ!」

 俺が熱く説明すればするほど、アキトは声を上げて笑い転げた。その明るい笑顔が嬉しくて、俺はさらに言葉を重ねてアキトを笑わせた。

「食べた事が無いからそう言えるけど、実際食べたら感動するよ?」
「そっか。食べてみたいなー」

 そう言ってくれたアキトに、俺もいつか一緒に行こうなと声をかけた。
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