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116.【ハル視点】モニカさんの心残り

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 引き留められながらも何とか途中下車をしたアキトは、まっすぐに女性の霊体に近づいていこうとした。

「アキト、最初は俺が近づくから様子を見て」
「ん、分かった」

 背中にかばうようにしてアキトを隠しながら、そっと霊体へと近づいていく。まっすぐに近づいてくる俺たちに気づいた女性は、驚いた顔で振り向いた。

「あなたたちは?」
「ハル、大丈夫そう」
「そうか」

 俺の背中からひょこっと顔を出していたアキトは、ひょいっと俺の前に出ると戸惑った様子の女性に明るく声をかけた。

「こんにちは。俺はアキト。幽霊が見える異世界人です」
「アキトさん、幽霊が見える…異世界人?」

 突然現れた見える人で、しかも異世界人だ。この女性の驚きは理解できる。ちらりと俺に視線を向けるまで待って、俺も自己紹介をすることにした。

「俺は幽霊のハルだ。アキトと一緒に旅をしている」

 霊体の女性はゆっくりと首を傾げた。

「あの、ハロルド様…ですか?」
「ああ、そうだ。今はハルと名乗っている」

 そうか、俺の事を知っているのか。女性はハルと名乗っていると伝えただけで、何かを分かってくれたのかそれ以上追及はして来なかった。

「わたしの名前はモニカです」
「モニカさん」
「ええ、アキトさんとハルさんは何故ここへ?」

 どう説明すれば良いのかと悩んでいるアキトの横から、勝手に俺が答える。

「馬車の休憩時間にモニカさんが見えたアキトが、気になると言い出してな」
「まあ、わたしのためにわざわざ?」
「寂しそうだったから、気になったんです」
「ありがとう、お二人とも」

 モニカさんはそう言うと、ふわりと柔らかく笑ってみせた。

「その、私…心残りがあるんです」

 言いづらそうにやっとそう口にしたモニカさんに、アキトは幽霊にはよくある事ですよと伝えた。心残りがあってこの世に残る幽霊が圧倒的に多いのだと知って、少し安心したようだった。

「良ければ話してみませんか?」

 自分からそう促したのは、彼女の言葉に気遣いを感じたからだ。俺の事を知っているのに、ハロルド様では無くハルさんと呼んでくれた。それが嬉しかった。

「私は、生前料理人をしていたんです」
「料理人さん!」
「それで、その…言い難いんですけど…自分が食べた事のない料理を見てみたいんです!」

 そう口にするなり、モニカさんは恥ずかしそうに顔を伏せた。

「もう食べられないのに、食べ物に未練があるなんて恥ずかしくて!」
「え、別に恥ずかしくは無いですよね。研究熱心だったんだなって思いましたけど」
「ああ、俺も別に変だとは思わないな」
「まあ。ありがとうございます!」

 笑われなくて良かったと嬉しそうなモニカさんに、アキトは声を掛けた。

「つまり食べた事のない料理が見れれば良いんですよね?」
「ええ!でもこれが結構難しいんですよ!」

 彼女は世界中を旅して、色んな料理を食べて回っていたそうだ。領都トライプールに住むこ
とを決めてからは、この辺りの料理もかなり食べ歩いた。いや、食べ歩いてしまったと言うべきかもしれませんねと彼女は苦笑いを浮かべてみせた。

 この辺りの料理を食べつくしたせいで、なかなか願いが叶わないらしい。

「その上、ここから動けないので…」

 この場所は平な地面が続いているから、森の中で活動する冒険者や旅人の休憩地点として使われている場所だ。だからここで食事をする人は、それなりにいるだろう。

「でも冒険者や旅人の食事なので…」

 モニカさんは最初に見た時の寂しそうな顔で、じっと地面を見つめた。

「ああ、冒険者とか旅人の食事は偏ってるものですからね」

 言いたい事が分かった俺がそう口にすれば、モニカさんはがばっと顔を上げた。

「そうなんです!しかも素材そのままを食べる人までいて!いっそ私が料理してあげたいって思ってしまうんです!」
「何とかしたいけど…」
「領都まで戻ってわざわざ料理を買ってきたとしても、食べた事があるものの可能性が高いって事だよな」

 さてどうするべきか。あまり有名では無い他領の料理を出してくれる店がいくつかは浮かんでいるが、そこも食べたことがある可能性は消えないだろう。片っ端から買ってくるしかないだろうか。

「でも料理人だった人が満足するような料理を、俺が作れる気もしないし」

 そう言うって事は、もしかしてアキトは料理ができるのか。俺はその言葉に衝撃を受けて固まってしまった。

「…あっ!あるかも!」

 不意にアキトが、大きな声で叫んだ。

「アキト?」
「ちょっと待って!」

 魔道収納鞄の中から、アキトは異世界の鞄を取り出した。

「あった!これ!」

 そう言ってアキトが取り出したのは、黄色い木の実の絵が描かれた硬そうな筒だった。

「綺麗な絵が描いてあるけど、何だいこの筒?」
「黄色い木の実の絵ですね?」

 モニカさんと二人でまじまじとその筒を見つめていると、アキトはくすっと笑ってから説明してくれた。

「これは、異世界の料理なんです」

 そう断言するアキトに、俺とモニカさんは顔を見合わせた。

「え…美味しくなさそう…」

 モニカさんの口から思わず漏れた感想に、俺も大きく頷いた。

「こんなものを…アキトは食べていたのか?」

 絵は美しいが、あまりにも硬そうな筒だ。アキトが何を食べても美味しそうにするのは、もしかして異世界の料理が美味しくなかったからなんだろうか。気づいてしまった衝撃の事実に、俺はアキトをじっと見つめてしまった。

「違う。違うから、これはただの入れ物だから」
「そうなんですか?」
「そうか、良かった…」

 アキトの言葉に、ひとまず俺は静観することにした。入れ物が硬そうなのは理解できるが、まだ中身がどんなものかが分からない。

「えーと、やっぱり温めた方が良いかな」

 アキトは火魔法を何度か試して、やっと納得のいく温かさになったようだ。あまりに器用な温め方に、モニカさんは目を大きく見開いていた。アキトは魔法の精度が高すぎるから、驚かれるのも無理は無い。
 
「これを、こうやって」

 そう説明しながらアキトが軽く手を動かすと、パキョッと謎の音が辺りに響いた。聞き慣れない音に、思わず体が揺れてしまった。アキトがちらりと見せてくれた筒の上部には、穴が開いていた。俺たちが無言で見つめる前で、アキトはその筒の中身を木の皿へと注ぎ込んでみせた。

「はい、コーンポタージュスープです」
「まあ、本当に見たことが無い料理です」
「だって異世界の料理ですからね!」

 モニカさんは、興味深そうに異世界の料理を見つめている。

「これはどんな素材を使っていて、どんな味なんですか?」
「えーと…トウモロコシっていう野菜と…」

 アキトは筒の横にある謎の文字を見ながら、説明を始めた。ああ、あれがアキトの世界の文字なのか。

「味は、甘みがあってまろやかって感じです。俺の世界では寒い時に温めて飲むのが人気のスープです」
「…アキトさん、これ食べてみてもらえませんか?」

 モニカさんの提案に、俺は慌てて止めに入った。

「待て、アキト。かなり時間が経っているだろう、無理はしなくて良いんだぞ」

 モニカさんが何と言おうと、痛んだものをアキトに食べさせるわけにはいかない。そう思っての言葉だったが、アキトはちらりと筒の裏を覗いてから頷いてみせた。

 どうやらこの筒のおかげで、半年ほどは痛まないようになっているらしい。魔法が無い世界だと言っていたが、どうやって作っているんだろう。

「いただきます」

 アキトは異世界のスープを口に運ぶと、ふわりと笑みを浮かべた。どんなに味の説明をするよりも、この笑顔だけでどれだけ美味しいかが伝わってくる。

「とっても美味しそうですね」
「美味しいです」

 アキトが味を説明しながら異世界のスープを食べ終わった頃、モニカさんの指先はじわりと空気に溶けるように消え始めた。心残りが無くなるとこうなるのか。その消え方に俺は衝撃を受けたが、モニカさんはその指先を嬉しそうに見つめていた。

「お二人のおかげで、やっと心残りが消えました」
「良かったです」
「お二人とも、わざわざ立ち寄って下さってありがとうございました」
「「どういたしまして」」

 アキトと俺の言葉が、ぴったりと重なった。

「まさか異世界の料理を知る事が出来るなんて思ってもみなかったけど、とっても嬉しかったです」

 モニカさんは満足そうに微笑んでいて、心残りが無くなって消えられる事を、本当に心から喜んでいるようだった。

「アキトさん、ハル様、それでは」
「うん。モニカさん、良い旅を」

 笑顔のアキトが言った言葉にふわっと笑うと、モニカさんはそのまま空気に溶けるように消えていった。

「……心残りが消えるとこうなるんだな」
「うん、みんなこうなるよ」

 アキトは一瞬つらそうな顔をしてから、そっとうつむいた。表情を見せたくないんだろうな。アキトは優しいから、きっと今はモニカさんとの別れを惜しんでいるんだと思う。

「帰ろうか」
「うん、トライプールに帰ろう」

 落ち込んだ様子のアキトに何を話せば良いのかが分からず、俺は無言のままトライプールへと続く道を案内した。
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