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117.路地裏の店

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 トライプールの大門前まで帰り着いたのは、夜になってからだった。普段なら宿へ帰る時間だけど、今日はこのまま帰りたくはなかった。

 初めて通る薄暗い路地裏へと、俺は足を向けた。

「アキト?」

 ハルは慌てた様子で俺の後を追ってきてくれた。

「帰らないの?」
「ハル。俺、お酒飲みたい」

 はっきりと口に出してそう伝えると、ハルは驚きつつも受け入れてくれた。

「そうか…飲みたい気分なら、ギルドへ行こうか?」

 慰めるように優しく言われた言葉に、俺は素直に頷けなかった。賑やかに飲むギルドへ行く気分じゃないんだ。

 多分ハルは誤解してる。俺が落ち込んでるのは、モニカさんが消えるのを見たからだって。でもさ、モニカさんは満足して笑顔で消えていけたんだし、どこか寂しい気持ちはあっても落ち込んだりはしないよ。色んな人の心残りを解消してきた俺だから、ああなることも知ってたしね。

 俺はただ、いつかハルがなんて考えてしまう自分が嫌なだけなんだ。

「ギルドは嫌だ」
「え」

 辺りを見渡した俺は、手っ取り早く目についた店に入る事にした。

「アキト!」

 店の中は薄暗かったけれど、思ったよりも客は入っているみたいだ。

「アキト、この店は駄目だ」

 何故か必死に止めてくるハルの言葉に、今は返事を返す気力も無い。帰り道でもつい色んなことを考えてしまったせいで、もう我慢の限界だった。

 強いお酒を飲んで、寝て起きたら普段の俺に戻るから。だから今だけは許して欲しい。

「アキト、せめて他の店に行こう!」
「お客さん、この店は初めてですね」
「ああ、まあ」

 必死で俺を止めようとするハルの姿が見えない店員は、当然普通に声をかけてきた。曖昧に頷くと、メニューを指差して適当に注文をする。いつもは美味しいものを選んで注文するけど、今は酒ならなんでも良い気分だ。

 すぐに目の前に出された謎のお酒を、ぐぐっと一気に飲み干した。ほわっとお腹が暖かくなる。

「どうです?」
「これ、もう一杯」

 思ったよりも強いお酒だったけど、手っ取り早く酔うためには好都合だ。二杯目も一気に飲み干すと、ハルはそれ以上止めたりはせずに心配そうに俺を見つめていた。ごめんねハル。明日になったら、ちゃんと謝るから。

「良い飲みっぷりだね、お兄さん」

 後ろから声をかけられて振り返れば、そこには一人の男が立っていた。静かに飲みたいのになんだよと思わず見返せば、男はにっこりと笑ってみせた。なんとなく嘘くさい笑顔だ。

「ね、この人に俺のおごりで、これを」

 勝手にメニューを指差して注文する男を、じろっと睨みつける。

「いらない」
「そう言わずに、ほらできたみたいだよ」

 すっと店員さんが目の前に置いてくれた透明なグラスに入った酒は、あまりに綺麗な紫色をしていた。ハルの目の色みたいな澄み切った紫色だ。

「うちの自慢の酒なんですよ」

 店員にまでそう言われると、わざわざここで拒否するのもなと思ってしまう。まだそれほど酔ってないし、一杯ぐらいは飲んでも良いかな。

「どうぞ」

 店員が再度勧めてきたグラスを、俺はそっと持ち上げる。本当に綺麗な色だな。一気に飲み干せばお腹の暖かさは更に増して、ふわふわと気分が良くなってくる。

「おいしい」
「それは良かったです」
「なんといっても、特製だからねぇ」

 言葉につられて顔を上げると、店員と男が視線を交わしてニヤニヤと笑っているのが目に入った。

 なんだろう、この二人の雰囲気。なんだかやけに気持ち悪い。店内の暗さで気づいてなかったけど、二人とも濁った目をしている。あ、これやばいかも。人でも幽霊でも、こういう目の人はろくな事をしない。

 慌てて立ち上がろうとした俺は、やっとその違和感に気づいた。足に力が入らず、何故か立ち上がれない。

「あれ、どうかしましたか?」

 店員はニヤニヤしながら、そう尋ねてくる。

「もう酔ったの?」

 気づけば隣に座っていた男が、急に俺の腰に手を回してきた。気持ち悪いと振り払おうとしたけれど、腕もぴくりとも動かなかった。ハルは最初は動かない俺を怪訝そうに見ていたけど、何かがおかしいとすぐに気づいてくれたみたいだ。

「もしかして、何か盛られたのか?」

 真剣な表情で尋ねてくるハルの質問に、俺は答える事すらできなかった。そうか、これは何か薬を盛られたのか。

「よければあちらに休める部屋がありますよ」

 嫌らしく笑いながらそう言う店員も、この男とグルだったみたいだ。ぞわっと背筋が寒くなった。ハルに止められた時に素直に聞いておけば良かった。どうしよう。どうすればここから逃げられるんだろう。

 アルコールと薬のせいで、思考能力まで鈍っている気がする。

「アキト!」

 ぐるぐると必死で考えていると、不意にハルの手が伸びてきて俺の手にすっと重なった。途端に車酔いのような気持ち悪さに一瞬だけ襲われた。ああ、この感覚はハルが憑依した時のものだ。

「ええ。ちょっと酔ったみたいなので、もう帰りますね」

 ハルが俺の喉を使ってそう告げると、男たちは目を見開いた。喋れるはずも動けるはずもないのにと言いたげな表情をしていたけれど、すっと立ち上がった俺の姿を見て諦めたようだった。

「そっか、また会えたら一緒に飲もうね」
「次回はもっと美味しいお酒を用意しておきますので」

 こんなことをしておいて笑顔でそう言える二人が、ひどく恐ろしかった。ハルはきちんと値段分の硬貨をテーブルに置くと、ゆっくりと店を後にした。
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