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109.【ハル視点】人たらしのアキト

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 きっちりと髪を乾かし終わった頃には、アキトの頬の赤みもだいぶ減っていた。もう少しすれば出掛けられそうだなと考えていると、不意にアキトが声を上げた。

「ねぇ、ハル。異世界のドアって光るものなの?」

 アキトの視線を辿ってみると、確かに部屋のドアが白と水色に明滅していた。

「ん?ああそれは宿の人からの呼びかけだね」
「え、そんなのあるの?なんで音とかじゃないの?」
「音だと眠ってる人を起こしてしまうけど、あのぐらい淡く光るだけなら寝ている人は気づかないからかな」

 そう説明すれば納得はしてくれたようだ。アキトは慌てた様子で立ち上がると、ドアへと近づいて行く。

「アキト」

 今にもドアを開けそうなアキトは、名前を呼ばれて振り返った。俺は手だけで制して、ぱっとドアに顔を埋めた。霊体の良い所はこうやって物を通過できるところだな。ドアの呼び出し機能は魔法の応用だから、宿の従業員以外にも使うことができる。だからきちんと安全を確認したかった。

 ドアから直接覗いた先にいたのは、昨夜受付でお婆さんと話していた従業員だった。

「うん、間違いなく宿の人だから開けて良いよ」
「ありがと、ハル」

 アキトは律儀にお礼を言ってから鍵を開けた。

 男性従業員が届けてくれたのは、アキトの朝食だった。朝から温泉をすすめてしまったせいで、どうやら食堂の時間を過ぎていたらしい。自分に空腹が存在しないせいか、たまに食事の事を忘れそうになるんだよな。嬉しそうにお礼を言いながら受け取るアキトを見つめながら、俺はこっそりと反省した。



 カゴの中にはたくさんの美味しそうな料理や果物が詰め込まれていて、アキトは幸せそうにそれを楽しんでいた。この宿にこんなもてなしがあるのは知らなかったけれど、この笑顔を見ているとこの宿を選んで良かったなと思う。

「今日はまずどこに行こうか?」
「んー冒険者ギルドがあるんだよね?」
「ああ、あるよ」
「じゃあ冒険者ギルドに行ってみたいな。期日に余裕があるから、トライプールで報告でも大丈夫なのは分かってるんだけどね」
「うん、そうだね」
「でも、単純にトライプール以外の冒険者ギルドってのに興味があるんだ」

 元々反対するつもりなんてかけらも無かったけれど、自分がそう決めた理由をきちんと説明してくれるのは素直に嬉しい。

「それならお昼は軽めにして、夜は海鮮料理の美味しいお店に行ってみない?」
「それすごく良い!他の予定も決めた方が良いかな?」
「せっかくの旅行なんだし、あまりきっちり決めずに好きに過ごしたら良いと思うよ」

 そう言うと、アキトは大きく目を見開いて俺を見上げてきた。可愛い反応に自然と笑みが零れてしまう。

「え、そう?」
「うん、アキトが気になるお店があったら寄っても良いし、海が見たかったら港の方へ行ってみるのも良いね」
「自由な旅行って感じで楽しそう!」
「よし、じゃあ用意が終わったら冒険者ギルドに行こうか」
「うんっ!」



 風呂上がりの色気は消え去ったとはいえ、それでもアキトは人の目を惹く。当の本人は男女問わず視線が集まってきていることには気づいてもいないようだ。

 声をかけてみようかと話していた商人達から逃げるように、俺は細い路地や抜け道を駆使して街の中を案内した。冒険者ギルドには、おそらく最速で辿り着いたと思う。

 色んな道を知ってるハルはすごい。そう言いたげにキラキラした目で見つめてくるアキトのおかげで、少し調子に乗ってしまったみたいだ。



「ここが冒険者ギルド。酒場は併設してないから、トライプールとは雰囲気も違うよ」

 驚かないようにと先に伝えれば、アキトは不自然にならない程度にふわっと笑ってくれた。

 世界中にある冒険者ギルドでは、依頼を受けた場所に関わらず全ての依頼達成報告ができるようになっている。遠方の依頼を受けた際に、一々移動して報告するのは無駄になるからだ。

「おはようございます」
「おはようございます。依頼報告お願いできますか?」
「はい。ではギルドカードをお預かりします」

 ギルド職員はカードを受け取ると、慣れた様子ですぐに作業に取り掛かった。

「買取希望の物はありますか?」
「あ、ウインがあります」
「それは料理人たちが喜びますね」

 ギルド職員はにっこりと笑うと、すぐさま解体室へと案内してくれた。

 アキトは物珍しそうにきょろきょろとしているけど、俺の視線は室内にいた一人の男に釘付けだった。

 筋肉質の年配の男は、いつも通りの無表情でそこに佇んでいる。何でこんなところにショウがいるんだ。確かに解体の腕自体は抜群に良かったが、トルマルの前ギルドマスターがいて良い場所じゃないと思うんだが。

「ショウさん、ウインの解体です」
「ウインか、久しぶりだな」

 ギルドマスターの座を退いたとは聞いていたが、こんなところで解体師をしているとは思ってもみなかった。ショウは無表情のまま、まじまじとアキトを見つめている。相変わらず興味があるものを見つめる癖は、なおってないらしい。

 はらはらしながら見守っていたけれど、アキトはショウの無表情にも全く動揺しなかった。普通に自己紹介を返し、普通にウインを台の上に並べてみせた。それでこそアキトだな。

 じっくりとウインを観察したショウは、満足そうに頷いた。

「アキト、良い腕だな。傷が少なくて助かる」

 空を飛ぶ魔鳥は、どうしても狙いを定めるのが難しくなる。傷だらけの状態で持ち込まれるものも多いのだろう。もっとアキトを誉めても良いんだぞと俺は考えていたが、アキトは何故か恥ずかしそうに答えた。

「あ、ありがとうございます」

 ウインの前で混乱してしまった事を、まだ恥じているんだろうか。悪夢を見るようなつらい経験のある相手に、混乱しながらもきっちりと対処してみせたアキトは、もっと威張っても良いと思うんだが。

「倒したのはアキトだから堂々としてたら良いんだよ」

 思わず口から漏れた言葉に、アキトはちいさく頷いてくれた。

 ウインを更にじっくりと観察していたショウは、まっすぐにアキトを見つめながら口を開いた。

「アキトはいつまでここにいるんだ?」
「明日には帰る予定です」
「そうか、残念だな。またトルマルに来ることがあればぜひ納品しに来てくれ」

 ショウの予想外の言葉に、俺は大きく目を見開いた。ショウがこんな事をいう所は、初めて見たかもしれない。まあ、それだけアキトの腕を買ってくれたと言う事だろう。

 アキトの反応を伺うと、何故急にそんな事を言われたのか分からずに固まっていた。こういう所も可愛いんだけど、自分の腕にもう少し自信を持って貰いたい。俺は苦笑しながらアキトに意味を教えるべく口を開いた。



 ギルドを出た俺は、迷うことなく人けの無い路地を目指して歩き出した。アキトも慣れた様子で後をついてきてくれる。

「目的も達成したし、アキトは何がしたい?」
「んーまだあんまりお腹が空いてないから…港を見に行きたい!」

 屋台市場と宿で海は見れたが、確かに港の見える所には行っていなかったな。すぐに連れていってやりたい所だけれど、今は時間帯が悪い。

 早朝から出ていた漁船が帰ってくる時間と、遠方まで行く旅船が出発する時間がかぶっている。今の時間帯だと、間違いなく人でごった返しているし、忙しそうに動き回る船乗りもたくさんいるだろう。

「港か…この時間は港の辺りは混みあっているから、港が見える場所でも良いかな?」
「うん、見てみたいだけだからその方が良いかも」

 アキトは俺の苦し紛れの提案に、あっさりと同意してくれた。

「それならこっちだね」

 案内したのは、ギルド近くにある高台だ。眺めの良いこの広場は、トルマルの街でも人気の場所のうちの一つだ。普段は混んでいる場所だが、昼食に向かった人が多かったのか、幸いにも今は人はまばらにしかいなかった。

「こっちに港が見えるよ」
「うわーすごい絶景!」
「あっちは商船で、あっちは漁船だね」

 今から出港するだろう旅船についても説明すれば、アキトは真剣な眼差しで港を見つめていた。しばらく港を眺めていたアキトは、何かを思いついたのか唐突に俺の方を向いた。

「何か船乗りの人たちって、めちゃくちゃ体格良くない?下手したら冒険者の人よりも体格良い気がするんだけど」
「ああ、船乗りは海の魔物と戦うのも仕事のうちだからね」
「え、そうなの?」
「この世界の海は危険だからね。海の魔物の討伐依頼は冒険者ではなく船乗りに回すんだ」

 興味深そうなアキトに、良い機会だからと船乗りの資格について説明することにした。トルマルを目指している時に言ってた、海で泳ぎたいという言葉がどこかでひっかかっていたからだ。どれだけ海が危険か、どれだけ船乗りになるのが難しいかをきっちりと説明する。

「それはすごいね」
「うん。だから残念かもしれないけど、海で泳ぐのは諦めてね」

 思わずそう注意してしまったけれど、アキトは大きく頷いてくれた。



 その後に向かったギルド近くの屋台でも、アキトの人たらしは絶好調だった。

 最初はただ普通に焼き魚串を買っただけだった。屋台の横に移動して食べるのも、この屋台形式なら誰でもする事だ。

「うっま!」

 よほど美味しかったのか、アキトはこらえきれずにそう声を上げた。たまたまその声が聞こえたのか、屋台の店主はニッと笑ってアキトに声をかけた。ここまではよくある光景だ。

「うまいだろー?今日上がったばかりの魚だから、他の地域とは鮮度が違うんだよ」
「すごく美味しいです!本当に全然違う!」
「おうおう、よく分かってるねぇ」

 流れるような誉め言葉に、店主は更に嬉しそうに笑った。

「焼き具合と塩加減もすごくこだわってるんですね!」
「お…そこを分かってくれるとは嬉しいねぇ!」

 店主は塩を振って焼くだけなら俺でもできる、なんて言われる事もあるんだと軽い調子で愚痴っていた。その話を聞いたアキトは不思議そうにしつつ、自分では絶対に作れない味だけどなぁとぽつりと呟いた。

「気分が良いからこれはおまけだ!くってけ!」
「え、良いんですか?」
「おう!」

 店主は笑顔で、バピスの切り身の焼き魚串を差し出した。よほど嬉しかったんだろうな。受け取って良いか悩むアキトに、思わず俺は声をかけた。

「もらっておいたら良いと思うよ」
「じゃあありがたく頂きます」

 バピスの串を横向きに持つと、アキトはおもむろに齧りついた。んーと声を上げながらもぐもぐと口を動かしている。満面の笑顔からして、ここの串はよほど美味しいんだろうな。また来れるように店名を覚えておくべきかもしれない。

「店主さん…天才!」
「おう、口に合ったか?」

 美味しいですといつも通りに答えると思ったのに、アキトは何故か感想を詳しく説明し始めた。

「さっきの串はほわっとほぐれて旨味が広がる感じで、今のは皮がぱりっとするまで焼かれてて食感が違うのもすごいし、味付けも微妙に違いますよね!」
「本当に良い舌を持ってるな、兄ちゃん」

 近くにいた通行人や屋台を物色していた客の視線が一気に集まってきたのは、アキトのその説明に胃袋を刺激されたからだろう。店主とアキトは、じわりじわりと近づいてくる奴らに全く気づいていないようだ。二人のあまりに平和な笑顔と、近づいてくる奴らの真顔の対比がやけに面白くて、俺は思わずお腹を押さえて笑ってしまった。

 そんな俺をアキトが不思議そうに見つめている間に、屋台の前には数人が並びだした。俺でさえ食べてみたいと思う説明だったんだから、無理もないだろう。

「あの、さっきあの人が言ってた二つの串下さい」
「俺はほわっの方を二本で」
「私はぱりっの方を三本下さい」
「俺は両方欲しいな」

 わいわいと話し出した客達の声に、アキトの説明を聞いていなかった客までもが列に加わりだしている。

「はいよ、ちょっと待ってくれよ!兄ちゃんのおかげで客が増えたな!あんがとよ!」
「いえいえ、俺もごちそうさまでした!」

 忙しそうに串を追加している店主に手を振って、アキトは屋台を後にした。
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