生まれつき幽霊が見える俺が異世界転移をしたら、精霊が見える人と誤解されています

根古川ゆい

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104.【ハル視点】ブランカ

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 屋台市場を出て人通りの少ない道を歩いていると、突然飲みに行きたいと言い出したのには驚いてしまった。

 もちろんトルマルにもおすすめの酒場はあるけれど、今日は止めておこうと伝えればアキトは首を傾げた。

「なんで?」

 不思議そうにきょとんとした顔で見上げてくるアキトに、俺の気持ちを一体どう説明すれば良いんだろう。もしかしたら心配しすぎと怒られるかもしれないな。そう思いながらも、俺はゆっくりと口を開いた。

「移動だけでも疲れるのに、今日はロズア村での依頼までこなしたよね?」
「うん、そうだね」
「体は疲れてると思うから、今日は無理せずに早めに宿に帰った方が良いと思うんだ」

 迷惑がられても良いと思って直球で伝えたけれど、アキトはすぐに納得してくれた。



 トルマルの良さのひとつは、夜になっても危険が少ない事だ。観光目的の旅人もいるからと、魔道具の灯りは年々増えていっている気がする。きょろきょろと辺りを見渡しているアキトを見守りながら、俺はブランカまでの道をできるだけゆっくりと進んだ。

 宿に戻ると、受付には先ほどと同じ年配の女性がいた。朗らかに笑いながらもすぐに鍵を取り出して、部屋の前まで案内してくれた。鍵をかければ防音結界が発動することまできっちりと説明してくれる辺りが、さすがブランカだと感心してしまった。

「ではごゆっくりどうぞ」
「案内ありがとうございました」

 部屋に入って内側から鍵をかけたアキトは、すぐに俺を見上げて話しかけてくれた。

「防音結界付きは嬉しいな」
「うん、静かで良いよね」

 アキトがゆっくり眠れるしと笑って続けた俺に、アキトはすぐに首を振ってみせた。

「周りを気にせずにハルと話せるからだよ」

 不意打ちの嬉しい言葉には驚いてしまったけれど、その言葉の意味を理解すると自然と笑みが零れた。アキトも、俺と話せるのを嬉しいと思ってくれてるんだな。

「うん。俺もアキトと話せて嬉しいよ。今日は長旅、お疲れ様」
「ハルもお疲れ!案内ありがと!」
「どういたしまして」

 二人で顔を見合わせて笑い合うと、アキトは部屋の中を見渡した。

 ブランカの宿の造りは、どの部屋もほとんど同じだ。テーブルが1つと椅子が2脚、荷物置台と、大きなベッドに、窓の外には海が見える。俺にとっては少し変わった宿の部屋としか思えないのだが、アキトにとっては目新しい楽しい場所みたいだ。

 窓の前にあるテーブルセットに近づいていくと、そのままアキトは窓の外を覗き込んだ。 

「もしかして、朝になったら海が見えるって事?」
「うん。ここはどの部屋からも海は見えるんだけど、この部屋は特に当たりみたいだね」
「そっか、明日の朝が楽しみだね」
「そうだね。きっと綺麗だよ」

 視線を巡らせて荷物置台に気づいたアキトは、眉間にしわを寄せてその台をまじまじと見つめる。

「ハル、これって…何?」
「ああ、これは荷物を置くための台だよ」
「へーこんなのあるんだ」
「黒鷹亭は主に冒険者用だから装備を置くための棚だけど、普通の宿にはこういう台が置いてあるものなんだ」
「へーまだまだ知らない事いっぱいあるんだな…使い方ってこれで合ってる?」

 これまでにこの台を使った人の中で確実に一番丁寧だろう置き方で、アキトはそーっと荷物を載せた。

 アキトと一緒だと、ただ宿の部屋を見て回るだけでもこんなに楽しいんだな。感心しながらもじっと見守っていると、今度は大きなベッドに近づいていった。刺繍のほどこされた寝具に感動しているアキトの姿に、この宿を選んで良かったなとしみじみしてしまう。

「寝転がってみたら?」

 すぐに寝転がってみるのかと思ったのに、何故かアキトは突然魔力を練り上げ始めた。一体何をするつもりかと見つめていると、念入りに浄化魔法をかけてから満足そうに頷いた。

 そのあまりに予想外の行動に、自然と笑みが浮かんでしまう。

「だって汗かいたし…」

 視線に気づいたのか、アキトは恥ずかしそうに言い訳を始めた。

「良いんだよ。ただ息をするように浄化魔法を使うなと思っただけだから」

 そうごまかせば、納得してくれたみたいだ。

「では!」

 笑顔のアキトは、ぽすんと背中からベッドに倒れこんだ。
 
「わーこのベッドすごい…」

 そう呟いたアキトは、気持ちよさそうな顔で寝転がっている。

「気持ちよさそうな顔してる」
「あーうん…やば…気持ち良…」

 ただ何となく見たままを口にした俺は、アキトの返事を聞いて固まってしまった。想像してみてほしい。自分が恋愛感情を抱いている相手が、眠そうな顔のまま気持ち良いと呟くところを。俺が一人で静かに動揺している間に、アキトはゆっくりと目を閉じてしまった。

「アキト?」
「ねむ…ごめ…ル」

 眠いとごめんは分かった。ルというのはもしかして、俺の名前だろうか。

 アキトはそのまま、すーすーと寝息をたてて眠りに落ちてしまった。幸せそうな寝顔をじっと見つめる。この様子からして、具合が悪いわけではなく疲れが出ただけか。

「ゆっくりおやすみ、アキト」



 眠ってしまったアキトを置いて部屋から抜け出したのは、ただの興味本位だった。この時期に宿に空きがあった理由が、ちょっと気になっていたからだ。こっそりと受付に近づいていけば、ちょうど交代の時間だったようだ。

「母さん、受付お疲れ様。変わるよ」
「あら、ありがとう。あなたもお疲れ様」

 ブランカは家族経営の宿だから、きっとこの男性が息子なんだろう。

「空室は急用で出て行った商人さんの部屋だけ?」

 なるほど。急用で急にでた空き部屋だったのか。

「いいえ、飛び込みのお客様が入ったわよ。アキトさんね」
「あ、そうなんだ?どんな方?」
「冒険者みたいだったけど、とても丁寧に話す優しそうな方だったわ」
「母さんがそう言うってことは、良い人なんだ」
「そうね、間違いなく良い人だと思うわ」

 さすがにたくさんの客を見ているだけあって、見る目があるな。アキトの事を丁寧に話す優しそうな方だと言ってくれるとは。容姿について言及しない所にも好感が持てた。

 さて、気になっていた空室の理由も分かったことだし、そろそろ部屋に戻ろうかな。受付から離れると、俺はアキトの眠る部屋へと足を向けた。



 部屋に戻るなり、アキトの様子がいつもと違う事にはすぐに気づいた。アキトはうっすらと汗をかきながらうなされている。こんな風にうなされている姿を見るのは初めてだった。何か怖い夢でも見ているんだろうか。

「アキト?」

 咄嗟に声をかけたけれど、アキトは目を開けなかった。きっとそれだけ疲れているんだろう。

「り、とり…くる…」

 ああ、そうか。今日のウイン討伐では、アキトには珍しく怖いを連発していた。鳥が怖くなるような過去の記憶があるのかもしれない。うなされているアキトの頭を、優しく撫でてやりたい。触れられない指先をぎゅっと握りしめる。

「アキト、大丈夫だよ。俺が絶対に守ってみせるから」

 体は無くても、夢の中なら助けにいけるかもしれない。そんな希望を込めて声をかけてみると、アキトはぽつりと寝言をもらした。

「…ハ、る?」
「そう、俺が守るから安心して眠って」

 眠ったままのアキトの口から自分の名前が出ることが、たまらなく嬉しかった。はたして俺の言葉が聞こえたのかどうか、アキトはふうと息を吐くとまたすーすーと寝息を立てだした。

「ここにいるから、今度こそゆっくりおやすみ」



 徐々に白んでいく空と、段々と色を取り戻していく海をひたすら眺める。結局あれ以降、アキトはうなされる様子は無かった。もうすぐ目を覚ますのか、アキトは唸りながらベッドの上でごろんと寝返りを打った。

「アキト、起きたの?」

 窓近くのテーブルの椅子に腰かけたまま声をかければ、アキトはすぐに目を覚ましたようだった。

「起きた!おはよ、ハル」

 昨日の夢の事も、うなされた事も覚えていないようだ。嫌な夢をわざわざ思い出させる必要もないだろう。そう考えながら、俺はアキトに声をかけた。

「アキト、起きられるならこっちに来ない?外、すごいよ」

 素直に近づいてきたアキトは、窓の外の景色に息を呑んだ。

「わーすご…」
「うん、すごいよね」

 きっと俺の目でみた景色よりも、アキトに見える景色は輝いているんだろうな。

「あれは船かな?」
「ああ、あれは商船だね」

 景色を眺めながらのんびりと会話を楽しんでいると、何の前触れもなくアキトが叫んだ。

「あああー!」
「ど、どうしたの、アキト?」
「驚かせてごめん。その、せっかく温泉付きの宿に泊まったのに、温泉に入らずに寝ちゃったって気づいて…」
「ああ、そういうことか」
「もったいない事しちゃった」

 自分の行動を悔やんでいるアキトの様子を見ていると、あの悪夢を見ていた時に起こしてあげた方が良かったのかと思ってしまった。

「アキト、朝まで起こさなくてごめんね?」

 あの時本気で起こしていれば、悪夢からはすぐに逃げられたし、気分転換の温泉も楽しめたかもしれない。そう思って謝ると、アキトは大きく目を見開いて固まった後、大慌てで俺を見上げてきた。

「わー違う違う!ごめんなさい!勝手に寝落ちた自分が悪いんだし、疲れてる俺を寝かせてくれようとしたハルの優しさは伝わってるし、ハルが謝る必要なんて全く無いんだよ!!」

 しょんぼりと肩を落としたアキトは、続けて口を開いた。

「紛らかしい言い方してごめん。本当にハルを責める気なんてほんのひとかけらも無かったんだよ。残念だったから、昨日の俺の馬鹿って思ってつい愚痴っただけ!」
「そ、そうなんだ?」

 責められたと思ったわけでは無いけれど、悪夢の事を伝えないようにすると説明は一気に難しくなる。

「そう!謝らせてごめんなさい!悪いのは全部俺です!」
「いや、アキトも謝らなくて良いよ。俺も勝手に勘違いしてごめんね?」
「ごめ…」
「もう良いってば。あ、じゃあ、今から入るっていうのはどうかな?」

 再度謝ろうとしたアキトの言葉を遮って、俺はそんな提案をしてみた。



 俺の提案を受け入れて着替えを用意しようとし始めたアキトを、俺は慌てて止めた。

「待って、アキト」
「え?」
「この世界の温泉は初めてなんだし、分からないことがあったら困るよね?一度一緒に浴室を見にいかない?」

 というか、そうしておかないともし分からない事があった時に、アキトは布を巻いただけの姿で出てきかねない。

 異世界では下着同然の恰好で泳ぐと聞いてしまったから、絶対に無いとは言い切れないだろう。異世界とこの世界では常識が違うのだから、警戒しておいた方が良い。

 反応する体は無いわけだが、アキトの裸体を見てしまえば動揺が顔に出るかもしれない。俺の気持ちに気づかせたくない。

 そんな残念な理由からの提案だったが、アキトは気遣いありがとうと可愛い笑顔を浮かべてみせた。じわりと罪悪感が湧いてきた俺は、温泉の説明をしっかりとすることに決めた。



 温泉の説明を終わらせた俺は、部屋に戻るとまっすぐにテーブルの椅子に向かった。これから着替えを用意するだろうアキトに背を向けて、海を眺める振りをして腰を下ろす。

「俺はここで海を見てるから、ゆっくりしてきて」
「うん、じゃあ行ってくるね」
「うん、湯あたりだけはしないように気をつけてね」
「はーい」

 軽い返事の後に、脱衣所のドアが閉まる音がやけに大きく聞こえた。

 久しぶりだと喜んでいた温泉を、アキトが楽しめると良いな。そんなことを考えながら、俺は綺麗な海をじっと見つめた。昨夜から飽きるほど見つめた景色だが、アキトが綺麗だと感動していた海だと思えば、さっきまでよりも鮮やかに見える気がした。



「はー幸せだったー」

 そんな声と共に登場したアキトを、椅子に座ったままそっと振り返る。そこにはきっちりと上下の服を着たアキトが立っていた。良かった、ちゃんと服は着てくれたみたいだな。そう安堵できたのは、ほんの一瞬だけだった。

 久しぶりの温泉で血の巡りが良くなったのか、アキトの頬はほんのりと赤い。まだ塗れた髪を布で拭きながら近づいてくるアキトには、妙な色気があった。

 トルマルの湯には肌を艶やかにする効果があるのは知ってはいたが、自分が使った時はそれほど効果を感じなかったから油断していた。元々つるつるのアキトの肌が、更にきめ細かくなった気がする。触ってみたいなんて考えてしまった自分に苦笑が漏れた。

 こんな状態のアキトは、できれば他の誰にも見せたくない。

 部屋から出るのはしばらく休んでからにしようと決意しながら、俺はアキトに声をかけた。

「トルマルの温泉はどうだった?」
「さいっこう!」

 満面の笑みを浮かべたアキトは、力強くそう返してくれた。
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