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80.【ハル視点】アキトと二人でおでかけ

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 夕食のために起こした時も、アキトはまだ眠たそうだった。それでも、頼んであった黒鷹亭の夕食は、しっかりと完食してみせた。食欲があるのは良い事だ。

 部屋に戻ったアキトは、椅子に座って俺を見上げてきた。

「アキト、明日は休みにしようか」
「うん、そうだね」
「それで明日の予定は」
「あし…た?」

 椅子に座ったままのアキトの返事がゆっくりになっていく。

「アキト?」

 そっと顔を覗き込めば、とろんとした目が俺を見返した。これはもうすぐ寝てしまうだろうな。

「はる…ねむ、い」
「寝て良いから、ちゃんと布団に入ってから寝てね」
「はーい」

 ちょっと口うるさかったかなと思ったけれど、アキトは良い子のお返事ですぐに布団の中に潜り込んだ。これだけ眠そうなのに、布団に入る前に浄化魔法を発動するアキトに苦笑が漏れた。

「おやすみ、アキト。良い夢を」

 明日の予定は結局何も決まっていないけれど、一緒にでかけようと誘ってみようかな。そしたらアキトはどんな反応をしてくれるだろう。アキトが喜んでくれる場所はどこかなと考えながら朝を待つのは、とっても楽しい時間だった。



 領都トライプールの朝は早い。外から聞こえてくる声に、俺はそっとアキトの寝顔を見つめた。目をつむっていると本当に幼く見えるアキトを、起こさずに寝かせておいてあげたいと思う気持ちと必死で戦いながら、俺はそっと声をかけた。

「朝だよ。アキト、起きて」
「うー」

 返ってきたのは不服そうな呻き声だった。あまりに可愛い反応に、思わずクスクスと笑ってしまう。

「そろそろ起きないと、朝ごはん食べ損なうよ」
「んうー…やだ、おきる」

 朝食につられて起きてしまうアキトも、可愛いと思ってしまった。

「おはよ、ハル」
「おはよう、アキト」



 朝食を食べ終えたアキトと一緒に、宿の部屋へ戻ることになった。予定を相談するなら、人目が無い方が楽だからだ。ベッドの上に腰かけたアキトと向かい合って、相談開始だ。

「どこか行きたい場所とかはある?」

 もし希望の場所があるなら追加しようと思って聞いてみたけれど、アキトはそのまま黙り込んでしまった。特にどこも思いつかなかったんだろうな。

「思いつかないなら、目的地を決めずにうろうろしてみても良いと思うよ」

 もしこの案に決まったら、朝まで考え抜いたアキトが喜んでくれそうな場所にもエスコート出来る。そう思っての提案だったけれど、アキトは少し考えてから口を開いた。

「ハルのお勧めの場所とかある?」

 まさか俺のお勧めの場所を聞いてくれるとは思ってなかったから、慌てて言葉を選んだ。一晩悩んで選んだなんて言ったら、気持ち悪がられるかもしれないからだ。お勧めしたい場所ならたくさん考えた。

「そうだな…アキトは本を読むの好きだよね?」
「あ、うん」
「本は高級品に入るんだけど、今のアキトなら問題なく買えるし本屋はどうかな?」
「本屋か、行ってみたいな」

 よし、図鑑以外の本をおすすめするのは喜んでもらえたみたいだ。

「あとは、庶民向けの甘いものを売ってるお店もお勧めかな」

 アンヘル菓子店は確かに庶民向けではあるが、安くて美味しいと人気の店だ。アキトと同じ世界かどうかは分からないが、異世界人が創業したお店だと聞いている。

 もし期待させておいて違う世界だったらがっかりするだろうから、できれば何も言わずに連れて行きたいお店だ。説明はだいぶ省略したけれど、アキトは目をキラキラさせていた。どうやら興味を持ってくれたみたいだ。

「アキトさえ良ければ、お昼はカルツさんおすすめのアジーの串焼き屋に行ってみるのも良いかなって思ってるんだけど…」

 極めつけにとカルツさんの名前を出せば、アキトは尊敬の眼差しで俺を見上げてくれた。あの店の串焼きは絶品だから、ぜひアキトにも味わってほしい。

 そんな感じで、俺と一緒におでかけしないか。冗談めかした誘いの言葉に、アキトは楽しそうに笑ってくれた。

「甘いものもアジーの串焼き屋も両方行ってみたいな」
「じゃあ、距離的に近い甘いものから行こうか」
「案内お願いしまーす」

 不意にアキトの口から出た敬語に、普段はあまりしないおふざけで返す。一晩かけて考えたエスコート案を受け入れてもらえたのが嬉しすぎて、ちょっと気分が高揚していたんだ。

 じっとアキトの目を見てにっこりと笑ってから、胸に手をあててそっと目を伏せる。

「承りました」

 ちらりと視線をあげれば、アキトは驚いた様子で目を見開いたまま俺を見つめていた。

「アキトが急に敬語になったから、仕返しだよ」

 そう言葉を続ければ、アキトは楽しそうに笑ってから立ち上がってくれた。



 アキトがレーブンに今日は休みにした事を伝えると、満足そうな頷きが返ってきた。もし今日も依頼を受けに行きそうだったら、引き留めるつもりだったんだろうな。疲れて無理をした結果、取り返しのつかない怪我をする冒険者も多い。こうして気にかけてくれるレーブンは、すっかりアキトの父親役だな。

 二人で並んでのんびりと川沿いを歩く。実は川沿いは遠回りだけど、川とか湖を見ている時のアキトが嬉しそうだから、あえてこの道を選んだ。川の主と呼ばれる魚がいるのを指差して教えれば、アキトは嬉しそうにその魚を見つめていた。



 アンヘル菓子店には、あえて小道を通って向かった。これは小道から行った方が甘い香りがするんだって言っていた、菓子好きの部下の言葉を思い出したからだ。アキトも途中でその甘い香りに気づいたのか、くんくんと鼻を動かしていた。

「今は忙しさもひと段落したくらいかな。開店すぐはかなり混む、人気店なんだよ」

 アキトがそっとドアを開けると、カランカランと軽やかにベルの音が鳴った。

「いらっしゃいませー、しばらくお待ちくださーい」

 なるほど、ドアの上のベルのおかげで、客の来店に気づけるのか。この店の菓子は食べたことはあるが、買い出しには菓子好きの部下がいつも行っていた。こんな工夫もあるんだなと感心していると、アキトはそのベルを懐かしそうに見つめていた。この反応はもしかしてと思った俺は口を開いた。

「ここはね、50年前に来た異世界人が開業したお店らしいよ」

 アキトは弾かれたように店内を見て、また懐かしそうに目を細めた。

「50年前のレシピを元に工夫しているから、味は少しずつ変わってるんだけどね」
「へーそうなんだ」

 この菓子店を作った異世界人は、菓子が高級品で貴族しか頻繁に食べられないと知ってそれはもう悲しんだらしい。自分の世界の菓子はもっと気軽なものだったと言って、庶民でも手の届く値段の菓子を沢山考案したと言われている。

 説明を聞き終えたアキトは、既に亡くなってしまっているその異世界人について、思いを馳せているようだった。会ってみたかったと思ってるんだろうな。

「アキトと同じ世界の人か分からなかったから言わなかったんだけど、その様子だと同じ世界だったみたいだね?」
「その様子?」
「店内に入った時から、懐かしそうに笑ってたよ」
「あーそっかハルにはばればれか。…ありがとう」
「どういたしまして」

 小さな声でアキトと話していると、店員の女性が慌てた様子で出てきた。

 しっかりとギルドカードでの支払いが可能かを確認したアキトは、嬉々としてお菓子を買い込んでいた。キラキラした目で店内を見つめるアキトは幸せそうで、俺はそんなアキトに見惚れてしまった。

「ハル、本当にありがとう」
「どういたしまして」
 次に訪れたマーゴット商会の前で、アキトは長い間固まっていた。いったいどうしたんだろう。ようやく動き出したアキトに本当にここが本屋なのかと確認された俺は、どういう意味だろうと悩みながらも、間違いなく本屋だと答えた。

 マーゴット商会の建物は確かに派手ではあるが、本を商うにはこのぐらいの規模の建物で行うのが普通だ。

「これはちょっと無理かも」
「何故?」
「何故って場違いすぎるから」

 アキトは窓から見える店員の姿を見て、さっと目をそらした。一体何がそんなに問題なのかが分からない。

「彼らはそんなことで客を判断しないよ」

 数ある本を商う商売人の中でも、マーゴット商会は値段を問わず幅広い本を取り扱っている。冒険者や商人が求めるような、比較的安めの本もきっちりと押さえている店だ。

 本好きの貴族がわざわざ変装してまで訪れることもあるこの店は、客の服装や身分で態度を変えるなんてことは無い。

「分かった、じゃあ行くよ」



「いらっしゃいませ。マーゴット商会へようこそ」

 ドアを通るなりそう声をかけてきた店員は、年配の穏やかそうな男性だった。見知らぬ店員ではあったが、彼の微笑みのおかげでアキトの緊張もすこしはほぐれたようだ。うん、彼ならアキトとの相性も良さそうだな。

 部屋に案内されたアキトは色んなことに驚いている様子だったけれど、欲しい本を聞かれてあれこれと要望を出していた。旅行記と昔からある物語と冒険譚か。もし俺なら、どんな本を勧めるだろうかと考えていると、ジェイデンと名乗った店員は部屋から出ていった。

「ハルの言った通り俺相手でも丁寧だったね」

 こっそりとひそめた声でそう言ってくるアキトは、ふうと大きく息を吐いた。

「ここは本を扱う中でも一流店だからね」
「そっか…ちなみに値段っていくらぐらいなの?」
「1冊5万~10万グルってところかな」

 決して安くはないけれど、今のアキトなら問題なく買える値段だ。値段を知ったアキトは、少し考えてから口を開いた。

「この世界って、図書館って無いの?」

 急にここで図書館の話が出てくるとは思わなかった。

「あるけど、領主か騎士団長の許可が無いと入れないね」

 そういうと、すこし残念そうな顔をしている。アキトは本当に本が好きなんだな。軽い気持ちで今日の行先に選んだけれど、もっと早く連れてくれば良かった。

 アキトの世界にも図書館があったのかを聞いてみると、誰でも無料で入れる図書館があったと言われて驚いてしまった。異世界の本の話をあれこれ聞いていると、ドアがノックされた。

「おまたせしました」

 戻ってきた店員の手には、真っ赤な布のかかった木製のトレイがあった。布をどければ出てきたのは4冊の本だった。さてジェイデンのお手並み拝見と行こう。

「まず、こちらはセスミアの旅行手記です。マールクロア王国内の人気の名所や、その土地のおすすめの食べ物などが載った本です。冒険者や商人などの、旅によく出る方には特に人気のものです」

 セスミアの旅行手記は、旅行記の中では比較的新しいものだ。セスとミアという双子の姉弟が旅をしながら書いたという本で、感動した名所や美味しかった食べ物などは絵まで入れて説明してある。相棒から面白いから読めと押し付けられて、俺も読んだ事がある。

「うん、これは俺も読んだよ。かなり良い本だから、買って損はないと思うよ」
「こちらの2冊は、セルシオの伝承とミーナス物語です。どちらも伝承や童話などが分かりやすくまとめられています」

 そう言いながら差し出されたのは、小さめの2冊の本だ。どちらも確かに精霊についての伝承や童話がわかりやすくまとまられている本だ。そうか、名乗ったから精霊が見える人だと気づいた上でこの本を持ってきたということか。この店員は侮れないな。

「珍しい本を持ってきたな…うん、でも良い選択だ」
「最後に、ケイリー・ウェルマールの冒険ですね。こちらはかなり定番の冒険譚ですが、読まれたことはありますか?」

 差し出された本を見て、つい苦笑が漏れた。本の内容的には特に問題は無いが、何故数ある冒険譚の中からこれを選んだのかが気になるところだ。

 いや、だがこれからも冒険者として活動していくなら辺境領に行くこともあるかもしれない。少しでも辺境の事も知っておくのも良いかもしれないな。

「いえ、読んだことは無いです」
「そうでしたか。こちらは辺境伯領の実話を元に書かれた、凄腕の剣士である領主の冒険譚です」
「へぇ、面白そうですね」
「ありがとうございます。それではこちらに並べた4冊から、お買い求めになる本をごゆっくりお選び下さい」

 店員の優しい言葉に、アキトはきょとんとした顔で俺を見つめてくる。店員は全く動揺せずに俺の方をちらりと見ただけだった。

「本は安くは無いからね、数冊の中から選ぶ人も多いんだよ。でもアキトが興味を持てたなら、全部買っても良いと思うよ」
「ジェイデンさん、こちら全て頂きます」
「全てですか?」
「ギルドカードで支払いってできますか?」
「はい可能です。少々お待ち下さいね」

 通り名を知っていたということは、アキトなら余裕で支払いができる事も知っていただろう。その上で、高い本を売りつけるでもなく、希望通りの本だけをきっちりと選んできた。うん、この店員は信用できそうだ。

「合計24万グルになります」
「はい、じゃあこれでお願いします」
「お支払いは完了しました。お買い上げありがとうございます」
「こちらこそ、良い本を選んで頂いてありがとうございました」

 アキトの言葉に、ジェイデンは優しく目を細めて笑ってみせた。
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