出会いを期して、もう一度

リツキ

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 気づけば七日後になり、アレンは雅義の邸宅に立っていた。
 少し緊張しつつも、それでも雅義と再び話ができることを嬉しく思ったのだ。
 前回は最後、店に招こうとしたが断られてしまい、調子に乗ってしまったかと思い落ち込んでいたら、帰り際もう一度話がしたいと言ってくれたのだ。
 嫌がられてなかったことがアレンは嬉しくて、今日会えることが楽しみにしていた。
 久賀邸の門を通り抜け引き戸を叩こうとした時、

「アレン!」

 左側から自分の名を呼ぶ声が聞こえ、思わず見るとそこには雅義が手招きをしながらこちらを見ていた。

「雅義!」

 小走りで彼に近寄るとフッと雅義は笑った。

「こちらへ」

 言われるまま雅義に付いて行くと庭を通り抜けた。
 あの時は怪我をしていて庭を見る余裕はなかったが、改めて見るとイギリスにはない木や植物が生えていて思わず周りを見渡した。
興味深くもっと近くで観察したがったが、雅義がアレンを早立てた。
縁側から室内へ入る時、鴨居に頭をぶつけないようにアレンは体を屈んで入って来る。それを見ていた雅義は、自分が住んでいる屋敷は異国人にとっては住み心地が悪いかもしれないと思った。
 室内に入るとそこはこの前怪我の手当をしてくれた居間に着いた。

「さっきあった木って何ていうのですか?」
「え?」
「あれ」

 縁側から指を示した木を見て雅義は、ああと言った。

「松だ」
「まつ?」
「松の木と言って日本にはよく生えている木なのだ」
「なるほど、面白い木が立っているなと思ったんです。見たことがなかったから」

 笑顔で言うアレンに雅義は少し嬉しくなった。

「そうか、英国には松の木はないのか?」
「あるかもしれないですけど、私は初めて見ましたね」

 そんな何気ないことを話しながら二人は向かい合って畳に座った。
 武士の屋敷とはいえ壁などにシミや傷があったり、畳は傷んだ箇所が目に入り歴史を感じる雰囲気だった。

「怪我の方はどうだ?」
「はい。すぐあの後医師に見てもらい、まだ痛みは少しありますがもう大丈夫ですよ」
 
 そんなことを話しながら互いが見合う状態の中、アレンはマジマジと雅義を見る。
 彼は本当に日本人の武士なのだと実感する。
 月代に髷を結う姿と着物の襟もとから見える首筋が美しく見えた。
 洋服を着衣しているアレンとしては珍しい姿で魅惑的だった。
 日本に来て十日経ち、和装をそれなりに客との対応で見慣れはしているが、なぜか雅義だけは見入ってしまうのだ。

(何を見ているのだ、向こうも困るだろう)

 思わず自分の行動に恥ずかしさを感じ視線を逸らす。それに気がついた雅義は怪訝そうにアレンに声を掛けた。

「どうしたのだ?」
「あ、いや……なにもないですよ」

 誤魔化しつつアレンはふと自分が持ってきた物を思い出し、鞄の中からある物を出してきた。
 出て来たものを見て雅義は不思議そうに見つめる。

「それは?」
「これは……日本語を英語に変えた本です」
「本……書物のことか?」
「ええ」

 ニッコリと笑ったアレンはその書物を見せた。手に取った雅義はパラパラとめくる。
 しかし何が書いてあるのかさっぱりだった。

「こ、これは何と書いてあるんだ?」
 
 驚いている雅義に悪戯な目をし、笑いながらアレンは説明し始めた。

「これは日本人向けの本なのです。左に英語が書かれ右の方には日本語で書いてあります。この言葉は“紙”で英語だと“paper”と言います」
「ほ、ほお、それにしても文字が変わっているな」
「それはお互い様ですよ」

 そう返され雅義も笑う。

「確かにな」

 言って更に雅義は尋ねた。

「この言葉は何と読むんだ?」
「“book”です」
「ぶっく…訳は書物のことか」

 言いながら雅義は楽し気にどんどん質問していく。そしてある言葉を見て嬉々として尋ねた。

「この言葉はなんと言うのだ?」
「あ……」

 示した言葉に一瞬詰まりアレンは止まってしまった。

「どうした?」

 怪訝そうに見つめる雅義をアレンは一瞥し、少し緊張した表情で言った。

「“love”です」
「ら、らぶ?」
「意味は……そこに書いてある通り…愛しているという意味です」
「………愛しているということは」
「好意があるということです」

 意味を知るとなぜか顔が熱くなり気まずさを感じた。確かによく見れば書物にそう書いてある。

(なぜこんなに気恥ずかしくなるのだろう)

 笑い飛ばせばいいものをここまで意識する必要はないのだが、頭ではわかっていてもなぜだがそれ以上言葉が出て来なかった。

(なぜこの言葉を聞いた瞬間、顔が熱くなるのだ)

 ちらりと雅義は恥ずかし気にアレンを見ると、薄っすらと頬が赤くなりつつも微笑んでいた。
 慌てて雅義は空気を変えたようと口を開きかけたが、その先にアレンが話をしてきた。

「この本を作った理由があるのです」
「どういう理由なのだ?」

 問うとアレンは更に笑顔で返答した。

「日本の人たちは英語を知っている人が少ないです。だからもっと皆さんと話がしたいと思って、自分で作ってみました」
「そうなのか。お前は凄いな」
「凄いですか?」

 驚いた顔でアレンは雅義の顔を見つめた。

「このような書物を作ろうと思うことだ」
「そうですか?英語を知ってもらう為に何がいいかと考えて、それで本にしよと思ったのです」

 褒められアレンは嬉しそうに答える。
 いろんな日本人と親しくなりたいとアレンは望んでいるのだと知ると、彼は好奇心が大きい男だと感じる。

 日本人は良い言い方をすれば恥ずかしがり屋だが、悪く言えば閉鎖的だ。
 幕府が開国を許し幾多の異国人が日本中に存在していると思うと、複雑な気持ちになっている者たちもいる。
 近年で“生麦事件”という薩摩藩が英国人を切り殺した事件が起きている。
 この事件は薩摩藩が大名行列をしているところを、馬に乗った英国人が乗馬したまま遮ったことで問題が起きたのだ。
 それを思い出した雅義はアレンと初めて会った時、傷を負っていたことを思い出す。
 もしかして“天誅”を理由付けにして浪人が傷つけた可能性があると感じたのだ。
 昨今そういった輩が増えているらしく、特に京はかなり荒れていると聞いた。
 そう感じると雅義は少し不安に思いながらもアレンに尋ねた。

「そんなに日本人と話がしたいか?」
「ええ、せっかく異国に来たのです。いろんなことを知って仲良くなりたいです。それには日本人の人たちとたくさん話すことが大切だと思って」

 満面な笑みで言われるとアレンの身が心配にもなりつつ、自分も何かをしなければならないと思わせられる。
 毎日道場に通い、剣術を学びたい武士たちの相手をする日々で一生を終えるのが自分の人生だと思っていたが、彼の行動を見ると少し羨ましさを感じた。

「なぜ日本語を学んだのだ?」
「そうですね…雑貨を売りにきた友人に日本人の友人がいたのです。その人から日本という国を知って、どんな人種でどんな文化なのかを知って、言葉も彼から教えてもらいました。だから一度日本に行ってみたいと思っていたら友人が雑貨を売りに日本へ行くと言ったのでチャンスだと思って付いて来ました」
「ちゃ、ちゃん?」
「チャンスです。好機ですかね?」
「なるほどな。英語には色々聞きなれない言葉が沢山あるのだな」

 深く感心しながら言う雅義に、アレンは静かに言った。

「それほど気になるのなら……一度、うちの店に来ませんか?」
「え?あ……」
「来た方がもっとイギリスのことを知れると思うのです」

 一瞬迷った表情をしている最中、雅義の背後から年配の女性の声が聞こえてきた。

「雅義…こちらへ」
「母上……」

 雅義は軽くアレンに頭を下げその場を立つ。少し離れた部屋に呼ばれて行くと、母親は厳しい顔で口を開いた。

「またあの異国人を招いたのですか?」
「……母上」
「お前はわかっているのですか?私たちの立場は下位であろうと武士の家系です。武士ともあろうものが異国人と親しくするとは」
「お待ちください!母上!彼はそんな男では……」

 必死に言い訳をしようとするが、声が小さくとも更に厳しめな声で言い放った。

「お黙りなさい。恥を知りなさい!」

 強めな怒気で放たれた言葉に雅義は何も言い返せなかった。
 日本人で特に攘夷派の武士は、異国人との接触をあまり良く思わない。
 異国人と親しくするのは朝廷の意思に背くとさえ思われ、同胞に睨まれる可能性もある。
 おまけに下級武士なので更に立場は弱い。理解しているからこそそれ以上反論する意思を失うのだ。

「早くその異国人を我が屋敷から追い出しなさい」

 きっぱりそう言い切り母親は雅義に背を向けて去って行った。
 暫しその場で立ち尽くした雅義は一つ溜息を吐き、アレンの元へと戻ろうとした時だった。

「今日はここで帰らせてもらいます」

 少し気まずそうな表情で雅義の背後にアレンが立っていた。

「あ、アレン!」
「お母さんに謝っておいて下さい。そしてもう二度と来ないと伝えて安心させて下さい」
「アレン……」

 優しく笑むと雅義と目を合わせるのを避け、すっと顔を背けた。
 おそらく全て話を聞いてしまったのだと思い、それ以上雅義は声を掛けることができなかった。
 アレンは縁側に置いてある自分の靴を履き雅義の屋敷を出る。そしてしばらく後ろに付いて来た雅義は、小さく声を掛けた。

「アレン……今度店に行ってもよいか?」
「え?」

 驚きアレンは思わず振り返った。

「……お前も聞いていた通り、私の家は攘夷派であり母上は異国人を良く思っていない。だからもう屋敷には呼べないが…でも私はまだお前と話がしたいと思っている。だから……お前の店に行って色々見させてくれ」
「……雅義」

 感極まりアレンは少し泣きそうな表情になって返答した。

「もう二度と雅義とは会えないと思っていました」
「……私はお前と話をするのが面白いと思っている。本当は少し店まで行くのは躊躇いがあったのだが、こうでもしないとお前と話ができないだろう?」
「そんなこと…またどこかで待ち合せればいいのでは?」

 言われて雅義は、あっ、とぼやいた。

「そ、そうだな」

 簡単なことに今更気づく雅義にアレンは少し笑ってしまうが、少し緊張した表情で尋ねた。

「本当に店に来てくれますか?」

 再度確認するかのように言う、不安げなアレンに雅義は力強く頷いた。

「ああ、武士に二言はない」
「わかりました。ではまた七日後、この近くにある神社で待ち合せをしましょう」
「昼頃か?」
「はい」
「わかった」

 二人は微笑み合い、その日はお互いの私邸へと帰った。


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