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第五章

46.チームのために

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 熊谷たちとの死闘が終わったのも束の間、翌々日となる今日は団体戦に向けて監督からオーダー発表がある。敗戦を落ち込んでいる暇なんてない。もう次の戦いは始まっているんだ。でもそれはメンバーに選ばれてこそ。
「これから都大会団体戦のオーダー発表を行う」
 大会までは二週間を切っている。遂にこの時が来たか、と監督のその言葉でみんなに緊張感が走る。この大会のメンバーに入ること。それが表す意味がどれほど大きいことか。特に俺たち3年生にとっては。
「その前に……3年生の諸君、これまでこのチームを引っ張ってきてくれたのは紛れもなくお前たちだ。まずは礼を言わせてくれ。ありがとう」
 監督は俺たちに向かって深々と頭を下げた。去年も一昨年も見てきた光景。それまでは他人事だと思ってあまり気には留めていなかった。でも今年は違う。監督は俺たち3年生に向けて頭を下げてくれているんだ。
 1年の時なんて監督の超きつい練習に毎日倒れていた。でも2年になると少しは慣れてきて倒れることはなくなった。3年になったら後輩たちに声をかけてあげられるようにもなった。今でもきついことには変わりないけど、過去の自分より何倍も何十倍も成長できたって自信がある。胸張って言える。最初はあまりのつらさに監督を恨んだりもした。でも今、目の前で頭を下げてくれている監督を見たら、これまでも、今も、俺たちと対等に接してくれているって感じがして、それだけでこの人に着いてきてよかったって心から思える。感謝しているのは俺たちの方だ。
「ここからは選ばれる者と選ばれない者が出てくる。選ばれなかった者の悔しい想いは重々承知している。でも、たとえ選ばれなかったとしてもチームのために最後まで応援してやってほしい」
『はい!』
 3年生全員で監督の想いを受け止める。
 この時のために俺は今まで必死にがんばってきた。いつも吐きそうになるくらいつらくて厳しい練習に耐えてきたのは、全てこの大会のメンバーに選ばれるため。部の代表として試合で戦い、そして勝つ。歴代の先輩たちが戦ってきた勇姿が今でも脳裏にハッキリと焼きついている。強く憧れ、そして目指してきた舞台だ。
 その舞台に立つことが許される選手の名を今から監督が読み上げる。メンバーは四人。シングルス二枠にダブルス一枠だ。
「では、まずは男子から。ダブルス――」
 ゴクリ、と唾を一つ飲み込んだ。そして目を伏せて心の中で祈る。なんとしてでも選ばれたい。選ばれろ……選ばれろぉ!
「――瀬尾・桜庭ペア」
『はい!』
 よしっ! よし、よし、よしっ!
 小さく握った拳は震えていた。緊張していたからだろうか。それとも武者震いか。いずれにせよ今度こそちゃんと・・・・選ばれたんだ。去年はケガをしたハルの代わりだったけど、今回はちゃんと勝ち取ったんだ。レギュラーの座を。
 嬉しい気持ち、報われた気持ち、早く戦いたい気持ち。いろんな気持ちが込み上げてくるけど、今は必死に抑える。
「次にS1。堂上」
「はい」
 ここはみんな納得といったところだろう。堂上は去年もS1で出場しているし、この前の私学大会個人戦では優勝もしている。紛れもないうちのエースだ。問題は次。
「最後にS2」
 一際殺気を放っているのが二人。南と土門だ。この二人は去年の一年間で一番熾烈なレギュラー争いを繰り広げてきた張本人たち。部内で一番のライバル関係を築いている二人だ。私学大会団体戦では二つあったシングルスの枠を堂上と土門が勝ち取り、南はあぶれた。選抜戦ではシングルスの枠が三つこそあったけど、S2に選ばれたのは土門だった。過去二回の団体戦ではともに土門が南を下している結果になっている。でもそこからの南の凄まじい追い上げには目を見張るものがあった。練習でも常に自らを追い込み、自分の殻を幾度となく破ってきたのは近くで見ていた俺たち3年が一番よく分かっている。その努力が実を結んでか、先日の春合宿で行われた部内戦では死闘の末に土門を下したのが記憶に新しい。南の努力を知っている俺たちからすればできれば南に選ばれてほしいと思っているし、南と一緒に戦いたいと思っている。でももはや二人の実力は拮抗している。俺の目ではどちらが選ばれるのかなんて到底計り知れない。全ては監督の決定次第だ。
「S2――」
 さぁどっちだ? どっちが選ばれる?
「――南」
 監督が名前を呼んだ瞬間、誰もが二人の方を振り返った。一人は歯を食いしばりながら俯き、一人は目を見開いたまま驚きのあまり固まっている。二人の反応が全てを物語っていた。
「南! 返事は!」
「は、はいっ!」
 監督が頷く。
「補欠に土門」
「……はい!」
 土門は俯いていた顔を上げしっかりと返事をした。
「以上で男子のオーダー発表を終了する」
 徐々に日没の時間が遅くなってはいるけど、午後七時ともなればさすがに辺りは暗くなっていた。晩春の夜はまだ少し冷える。
 続いて女子のオーダーも発表され、こちらも一喜一憂あった。光野と石川はD1に選出されていた。でもメンバーに選ばれなかった3年の中では泣き出す者もいた。その気持ちは同じ3年であれば痛いほど分かる。これまでのつらく厳しい練習は、今日この日に名前を呼ばれるため以外のなにものでもなかったから。だからこそ選ばれた俺たちは選ばれなかったソイツらの分まで全力で、最後までボールを追うんだ。
「選ばれた者たちは部の代表だ。部員全員の代表なんだ。選ばれなかった者たちの分まで戦い抜け。そのことは決して忘れるな」
『はい!』
 監督はメンバーからの返事を受け取ると静かに頷いた。
「選ばれた者は順にコートへ入れ。振り回しを行う」
 メンバーに選ばれた者たちがチームのために戦う覚悟を持っているのかどうか、監督が自ら振り回しをして見定める。吹野崎の伝統だ。振り回しは通常の練習でもやるメニューだけど、メンバー発表後のこれは量が桁違いだ。メンバーたちはここで一度、必ず地獄を見る。
「いくぞ!」
「お願いします!」
 中央の2番コートで振り回しが始まった。コートに入っていいのは監督と振り回しを受けるメンバーの二人のみ。それ以外はコートを取り囲んで声援を送る。
「小沢ぁー! ファイトー!」
 最初にコートへ入ったのは2年女子の小沢だ。小沢は2年生ながら女子のエースに抜擢されるほど周囲からの期待も厚く、コートを取り囲む2年生たちからは大きな声援を受けている。でもまだかごにあるボールの半分も打っていない時点で既に苦悶の表情を浮かべている。そりゃそうだ。今日もオーダー発表がされる前には何時間も打って、走ってを繰り返し、練習の最後には地獄のラインタッチもしっかりとこなしたんだ。体はとっくに疲れているのに、更にその体にムチを打って百球以上もあるボールを全て打ち返さなければならない。今小沢は地獄を見ている真っ最中といったところだろう。
 でもここで踏ん張ることができなければ、試合でもピンチの時に踏ん張ることなんてできない。俺たちはチームの代表だ。選ばれなかったみんなの分まで戦うんだ。どんな状況でも戦い続けなければみんなに向ける顔がない。
 つらい時に踏ん張れるだけの意志があるのか。最後まで諦めずボールに食らいつこうとする強い気持ちがあるのか。どんな逆境だろうと勝利を諦めずに戦うことができるのか。チームのために戦うというのはそういうことだ。監督はそれを見ようとしているんだ。
 小沢はなんとか最後まで食らいつき全てのボールを打ち返した。フラフラになりながら同じ2年の女子に支えられてコートを出ていく小沢にはみんなから拍手が送られた。
 続く石川や光野も小沢に負けないくらい必至でボールに食らいついていた。特に光野からはキャプテンとしての意地がすごく感じられて、一度躓いて転んだ時も「まだまだぁ!」とすぐに立ち上がって次のボールを追っていた。その姿には同じキャプテンとして気持ちが熱くなった。
 光野が終わるとボールかごが一つ追加された。
「よぉーし! 来ぉーい!」
 男子で最初に威勢よく飛び出していったのはハルだった。さすがに今まで監督に鍛えられてきただけあって、終盤に入ってもペースが失速しない。ならばと監督は更にペースを上げる。
「もっと速く走れるだろ! そんなんじゃ全国なんて行けねぇぞ!」
「はい!」
 ボールを出す監督にも力が入る。でもハルはその全てをはね返す。打ってはすぐに次のボールを追いかけ、また打っては次のボールを追いかけ……。コートには監督の檄と、打球音と、ハルのシューズが地面に擦れる音だけが響き、打つ度に弾け飛ぶハルの汗が人工芝へ染み込んでいく。その姿にコートを取り囲む同期や後輩たちは全員息を呑む。
 ハルの後にも堂上、南と続いていく。自分たちの番が終わった後、ハルと南には苦しそうな顔で、「瞬、お前よく去年こんなのやりきったな」って言われたけど、三人とも打ち終わった後に平然と歩いているんだからそれはこっちのセリフだよって思った。でも俺だって負けてられない。
「最後! 桜庭!」
「はい! お願いします!」
 監督からの球出しが始まった。一球、二球、三球……。最初からその全てに対して全力で打ち返していく。
 左右へ切り返す度にコートを囲むみんなの顔が見える。ハル、太一、南、堂上、川口、山之辺、そして後輩たち。なんて心強いんだろう。ただ球数が進むにつれて呼吸は乱れ、足は重さを増し、視界も徐々に狭くなってくる。でもその存在は確かに感じ取れる。みんなが俺を支えてくれて、俺はみんなのために走って打ち続ける。今はそれだけで十分だ。それだけで力が湧いてくる。
「桜庭ぁー! もっと速く! もっと強く!」
「はい!」
 正直限界はとっくに超えていた。喉からは血の味がするし、筋肉は今にもはち切れそうなくらいパンパンだ。でも俺は戦う。ボールを追い続ける。そこにみんながいるから。
「ラスト!」
 監督から最後の一球がフォア側に出された。俺は限界を超えた体にムチを打ち素早くボールの後ろに入った。そして構えたラケットをボールに思いきり叩きつけるようにして振り抜いた。ラケットに潰されたボールは楕円状になりながらうねりを上げてネットの上を勢いよく通過すると、ベースラインの内側ギリギリのところでストンっと落ちてそのまま後ろのフェンスに激突した。それから辺りに転がる無数のボールにぶつかりながら、最後はそれらと一体化して止まった。
「ナイスショット!」
 監督の言葉になんとかつくった笑顔で応えた。
 練習が終わるとすぐに3年の女子たちや2年の男子たちが選ばれなかった者の元へ駆け寄り、励ましの言葉をかけていた。俺も土門の元へ行って言葉をかけた。さすがに南は気まずかったのか少し離れたところで見ていた。土門は同期からかけられる言葉に気丈に振舞っていて、悔しさを少しも表に出さなかった。内心は悔しくてたまらないはずなのに、きっとみんなの前では明るくいたいんだろう。
「ゴメン、みんな先行ってて」
 2年生たちが土門を囲みながら部室へ戻ろうとしていたところ、土門だけがそこから抜け出して反対方向へ歩いていく。向かう先には……南の姿があった。南は驚いた表情を見せているけど、真剣に応対しようと背筋を伸ばした。
「先輩、さっきの振り回し、俺感動しました。試合がんばってください。……応援、してますから」
 最後は笑顔を見せた土門だったけど、言い終わるとすぐに振り返って走っていってしまった。その光景を横から見ていた俺は、土門が振り返った瞬間に薄暗闇の中でその目から光るものが見えた。土門の後ろ姿を見つめる南は両手を強く握り締めていた。
「アイツの分まで戦わないと」
 土門の背中を見据えながら南が言った。
「うん。絶対勝とう」
 土門だけじゃない。監督の言ったように選ばれた俺たちは選ばれなかった部員全員の分まで戦うんだ。全力で。


 オーダー発表のあった日から一週間が経った。昼休みに弁当を食っていたら他クラスになった太一と南が押し寄せてきて、俺の前と横の席に座った。
「瞬、見たか? 個人戦の結果」
 口にご飯が入っていたから首を横に振って答えた。
「じゃあ見てみろよ、これ」
 そう言って太一がスマホを見せてきた。そこには個人戦ダブルスのトーナメント結果が表示されていて、その頂点に名前が載っていたのは――
「熊谷たち優勝してるな」
 まぁ俺からすれば当然の結果だ。逆に俺たちに勝ったんだから優勝してもらわないと困る。俺はご飯を飲み込んでから口を開いた。
「さすがだよ。悔しいけど、素直におめでとうと言いたいね」
「ははー、キャプテンは心が寛大だね。でも実際、お前らとの試合が事実上の決勝だったみたいだぜ。アイツらからセットを奪ったのはお前らだけだ」
 それは意外だった。俺たち以外にだって強いペアはいくらでもいる。その中で俺たち以外のペアから1セットも奪われないで優勝するなんて。さすがは第1シードといったところか。誰もが認める東京最強のペアだ。
「試合も惜しかったけどドローも悪かったな。アイツらと違う山だったら決勝まで行けたかもしれないのに。そうすれば全国だ」
「いいんだ、もう。それより俺は次の団体戦に気持ちを切り替えているから。団体戦では必ず全国へ行ってみせる」
「あぁ! 堂上もいることだし、絶対行ってやろうぜ!」
 南もやる気満々だ。
「そういえば堂上はどうだったの? シングルスの方」
「優勝だよ」
 そう言って太一がまた結果を見せてくれた。見るとこっちも全部ストレート勝ちだ。アイツは正真正銘のバケモノだな。全国でも優勝争いに食い込むことは間違いなさそうだ。
「でも堂上のヤツ、今日の化学の授業で最初から最後まで寝倒してたから今職員室に呼び出し食らってるぜ」
 はぁ、まったく。テニス以外のことはそれはそれでバケモノ級になにもしないんだから。「テニス部のキャプテンとしてもっと指導しなさい」って先生から小言を言われる俺の身にもなってみろってんだ。
「あっ、そうそう。光野たちの結果も見せてやるよ。アイツらもスコアから見るに惜しい負け方してんだよ。きっと落ち込んでると思うぜ」
 太一がニヤニヤと俺を見てくる。
「なんだよ」
「なんだよ、って。冷たいなぁ。励ましにいってやれよぉ。彼氏だろぉ」
「だから――」
 逃げろー、と俺が全てを言う前に太一と南は一目散に教室を出ていった。まったく、アイツらは。
「へぇ。瞬たち全国まであと少しだったんだ」
 高橋が弁当箱を持ってきてさっきまで南が座っていた席に座る。といってもここは元々は高橋の席なんだけど。
「ゴメンな。アイツらに占領させちまって」
「いいって。それよりすごいな、瞬は。テニス始めたの高校からだっていうのに、全国まであと一歩ってところまで上り詰めていたなんて」
「そんなことないって。周りの人たちに助けてもらってばっかりで、自分一人じゃこんなところまで来られなかったよ。――それはそうと、高橋の方はどうなんだ? 最後の夏に向けて」
「あぁ。今年はいいチームに仕上がってるし、俺たち3年にとっては最後の大会だからな。甲子園は無理だと思うけど、過去最高の結果を出してやろうって気合いが入ってるよ」
 高橋も野球部の主将をしているから、キャプテン同士これまでも互いの苦労話でよく盛り上がったりもしたものだ。でも最後には必ず「がんばろうな」って互いを励まして終わる。互いの試合結果にも敏感で、さっきも高橋が俺に話しかけてきたのはそのせいだ。互いの苦労をよく分かっているから、相手の大会結果がよかったりするとこっちまで嬉しくなる。ただそんな大会も残すところ次が最後だ。今までの苦労を全てぶつけて満足して引退したい。高橋からもそんな気持ちが伝わってくる。
「お互い最後の大会だ。悔いの残らないようにがんばろうぜ!」
「うん!」
 最後の大会か。1年の時はフェンスの外で不動先輩や長野先輩が戦っている背中に羨望のまなざしを向けていた。2年の時はハルの代わりに金子先輩とペアを組んで急遽出場したけど、ただひたすらに目の前のボールを追っていた。それが俺も今や3年で次が最後の大会。思ってみればあっという間に過ぎ去っていった日々だった。少ししみじみ感じるところはあるけど、それは勝ってからにしよう。
 その日の放課後、なにやらまた授業で使う教材が届いたからといって、三年連続で担任になった本田先生から荷物運びを手伝わされることになった。タイミングが悪いのか俺がツイていないからなのか、こういう日に限って日直は俺なんだよな。
「またすまないな」
「いいですよ。慣れっこですし。それに今日は男子の練習はオフなので」
 オフといっても、ハル、南、太一のいつものメンバーに加えて山之辺、川口、それから堂上と、3年男子全員で自主練習をすることになっている。学校のコートは女子が練習で使っているから親水公園のコートを借りる予定だ。体を休めることも大事な練習だと監督には言われているけど、大会が目前に迫ってきている今、じっとなんかしていられない。みんなにも声をかけたら即答で快諾だった。
「そういえば小田原から聞いたぞ。全国まであと少しだったんだってな」
 さすが、監督と先生の蜜月関係はだてじゃない。
「まぁ、そうですね」
 玄関には四つの小さな段ボールが届いていた。俺はそのうちの二つを重ねて持ち上げた。中身は分からないけど、前みたいに教科書ではないことは持ち上げた時の軽さで分かった。よかった、これなら今日は一度で済みそうだ。
「なんだ。あまり悔しそうじゃないな」
「そう見えます? でも悔しくないわけじゃないですよ、もちろん。ただ今は次の団体戦で全国へ行くこと以外考えていないので。今日もそのためにこれからみんなと自主練です」
 先生も同じように段ボールを二つ持ち上げて一緒に運んでいく。一つあたりの段ボールは小さいといえ、二つ重ねて抱えると俺は前が見えなくなる。でも先生は巨人なだけあって余裕で前が見えるから俺に前方の状況を教えてくれる。「無理すんなよ」の声に、「ダイジョブでーす」と答えた。
「自主練かー。うちの部員たちもそのくらいアツくなってほしいんだけどなー」
 先生は一人嘆く。
「バレー部はどうなんですか? 夏の大会、一回戦突破できそうですか?」
「どうだかなぁ。前田と染谷がもう少しアタックを決められるようになればグッと勝率は上がるんだけどな。それに菊池も――」
 先生のアツい語りは始まったら中々終わらない。バレーのことは正直よく分からないから半ば聞き流す。
 そうしているうちもに職員室に着いた。
「いやぁ助かった。自主練あるのに時間取ってすまなかったな。ありがとう」
「こんなもんお安い御用ですよ」
「そう言ってくれるのは桜庭くらいだよ。――大会、がんばれよ。日程合えば先生も見に行くからな」
「それは緊張しちゃいますね。でも待ってますね」
 先生はこれでもかっていうくらい満面の笑みを浮かべて俺の肩を叩いた。少し痛かったけど、そこは笑ってごまかした。少々苦笑いになってしまったかもしれないけど。


 それから数日後、都大会団体戦の初戦を明日に控えた俺たちはいつも通り練習に打ち込んでいた。
 団体戦は二週間かけて行われる。吹野崎は一回戦がシードになっているから初戦は二回戦からだ。東京の二百五十以上の高校が参加する団体戦では、個人戦ダブルス同様全国へ行ける切符は二枚のみ。決勝まで行くには七回勝ち上がる必要がある。反対に負けたらそこで終わりだ。練習もできなくなる。今できている練習もいつ最後になるか分からない。だからやり残したと思うようなことだけはしたくない。
「今日の練習はこれで――」
「監督」
 明日の試合に疲れを残さないため、軽めの調整で練習を終わらせようとした監督を止める。
「明日は団体戦の初戦です。それに向けて体を休めることが大事だということは分かっています。でも、後悔はしたくないんです。やれるだけやって明日を迎えたいんです。みんなには事前に了解を取っています。数本でいいのでラインタッチお願いします」
 数秒間、監督は黙ったまま俺を見続けた。いつ対峙してもその圧に負けそうになるけど、この想いを伝えるために俺は真っすぐ監督の目を見て訴え続けた。
「お願いします」
「……分かった」
 一礼し戻る。
 俺にとってはこのラインタッチが吹野崎での原点だ。先輩たちの背中を追いかけ、同期や後輩、そして自分自身と競い合ってきた。今までいろんな壁に立ち向かい、乗り越えてきた原動力になっているのは気合いや根性だけど、間違いなくそれはこのラインタッチで培われたものだ。だから原点を忘れないためにも、最後の大会前にこれだけはやっておきたかった。みんなにお願いした時、全員がすぐに首を縦に振ってくれたことは嬉しかった。
 そして俺たち先輩の勇姿を後輩たちに示すことで、あわよくばなにかを感じ取ってもらえたらいいなとも思っている。俺は口下手だから言葉でチームを鼓舞することはできないけど、行動でなら伝えることはできる。これが俺のやり方だ。
「全員ラインに並べ!」
 監督の言葉で全員が素早く一列に並んだ。
「最後まで全力で走るぞ!」
『オォー!』
 ピッ! という笛の合図とともにコートを蹴って走り出した。


 練習後、コートに倒れている後輩たちをジャンプで飛び越えながら近寄ってくる太一に3年生が全員集められた。その手にはなぜかマッキーがある。
「俺、試合に出るみんなのためになにかできないかなって考えたんだけどさ、ラケットのフレームに一人ずつ寄せ書きをしていくのはどうかなって思って。ほら、野球でよく見る帽子のつばの裏側にメッセージを書くようなあれ。ピンチの時にそれを見ればがんばれるかなと思ってさ」
「いいね!」
 ハルが即座に答えてみんなも太一の提案に同意した。と思ったけど一人姿が消えている。辺りを見回すと、「俺はいいよ」と言わんばかりに静かに帰ろうとする堂上の姿を見つけた。すぐに太一が堂上の手を取って引き戻す。
「よし、これで全員だな。堂上、嫌とは言わせないぞ」
 別にいいけどさ、と堂上は逃げられないことを観念したように言った。それから堂上、ハル、南、俺のラケットを順々に回していく。
 みんなが俺のラケットに想いを込めてくれる。その姿を見ているだけで本当に嬉しい。それにみんなの気持ちが乗っかった分、更にチーム一丸で戦えるような気がする。こんな提案をしてくれた太一には感謝だ。
「ねぇねぇ、俺の分だけ応援メッセージでもなんでもなくない?」
 不満げな表情で言うのは堂上だった。見ると『お前は安心』『一勝確実』とか、そんなようなことばかりが書かれている。確かにこれは堂上の言う通り応援メッセージでもなんでもない。堂上は反論さえしたけど、それはみんなに笑われて虚しく終わった。でもチームメイトに堂上がいるっていうのはそれだけで心強いことだ。
 最後にハルのラケットが回ってきた。最初は『絶対全国』って書こうとしたけど、それはやめて違うことを書いた。ハルも最後に俺の分を書いていたらしく、互いに書き終わったラケットを交換したら同じことを書いていて驚いた。でも考えてみればこれは俺たちがモットーにしていることだったな。
「これで全員分書き終わったな」
「それじゃあ最後に全員で円陣でも組むか!」
 太一の提案に俺たちは照れくささから互いにはにかみがこぼれたけど、不思議と嫌がるヤツはおらず、隣にいたヤツらの肩に手を回して円陣を組んだ。円陣を組んだらみんなが俺の方を見てきた。気合いの入ったいい目をしている。俺も一人ひとりと目を合わせてから叫んだ。
「明日はチーム一丸で絶対に勝つぞ!」
『オォー!』
 夕日で橙色に染まるコートに七人の笑顔が弾けた。
 遂に始まる。最後の大会が。
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