ペア

koikoiSS

文字の大きさ
上 下
18 / 53
第二章

17.別れ、そして春

しおりを挟む
 冬休み中のオフ日は合計で五日間あった。それまでは毎日練習に明け暮れていたから五日間もテニスをしていないと体が鈍った感じがする。日課の素振りは年末年始関係なくやっていたから毎日ラケットは握っていた。
 テニス部の新年最初の練習は四日から始動した。練習の最後にはもちろんラインタッチを全員でやる。新年最初の練習だからといってあの小田原監督が緩いメニューをやるなどあり得ない。練習の鬼だからな。むしろ正月鈍りを見せたが最後、監督から怒号が飛んでくるのは目に見えている。
 ラインタッチは既に吹野崎テニス部の名物となっている。同じクラスで野球部の高橋には「テニス部ってよくコートの中を行ったり来たりしてるよな。あれなにやってるんだ?」って聞かれたけど、「行ったり来たり」なんて軽いもんじゃない。毎日吐きそうになるくらい必死で走っているっていうのに、周りにはこのつらさは伝わらないみたいでなんだか虚しい。
 ダブルスサイドラインに一列に並び、監督の合図で一斉にスタートする。みんな最初から全力。体力温存のために手を抜くことは厳禁だ。以前それをやった先輩が監督の逆鱗に触れてちびらされたという伝説は部内で有名な話になっている。合宿ではちびらされた本人にも会ったから、この逸話は伝説ではなく本当の話だったということが分かった。
 目いっぱい腕を振り、足を回して加速する。そこから重心を落として減速し、ラインにタッチ。また状態を起こして加速し、減速してラインにタッチ。永遠に繰り返されるこの上下運動とダッシュアンドストップが超きつい。
「桜庭ぁ! もっと胸を張れぇ!」
 そうだった。タッチする時はなるべく状態を曲げないで胸を張れって言われていたんだった。試合中、相手に大きく振られてもしっかりと胸を張って上体を起こしていればどんな球でも返せる。ラインタッチはそのための練習でもあるんだって。
 でもそうは言ってもきついものはきつい。何本も走っていたら疲れて上体は寝てくるし、スピードを維持しなきゃって必死に走っていたら胸を張ることなんて忘れちゃうし。
 そんな文句を心の中で吐いていたら「桜庭ぁ!」とまた怒られてしまった。いけないいけない。
「ラスト一本!」
 よっしゃ。残りの体力を全てこの一本に注ぎ込む。歯を食いしばり、腕を振り、足を回す。顎が上がり顔は空を向いてしまっているけどそんなことは関係ない。どんなにかっこ悪い姿勢だろうとゴールすれば俺の勝ちだ。
 自然と見上げていた空は雲一つなく澄んだ青をしていた。そこに一筋の飛行機雲がかかっていく。
 最後のラインにタッチをして今日もなんとかゴールにたどり着いた。上体を丸めるように膝に手をついて肩で呼吸をする。乾燥した冷たい空気を取り込み続けた肺からは血の味がした。
 学校が始まるまでの冬休み中は普段以上にみっちりと練習をした。お陰で正月鈍りなんて一日で吹き飛んだ。


 学校が始まってからの三学期はあっという間に過ぎていった。正直覚えているのはきつかった練習だけ。あっ、でも期末テストはちゃんと乗り越えた。また太一と南の助けは借りちゃったけど。四月からは二人に頼らず自分で勉強しないとなって思うけど……自信ない。
「3年生たち来たぞ」
 キャプテンが指差す先には、『卒業おめでとう』の文字が入ったリボンバラを胸にあしらった3年生たちの姿があった。その手には卒業証書が入った筒もある。俺たち在校生は卒業生と一番長く一緒に過ごしたこのテニスコートで門出を祝うため、先にコートへ集合していた。グラウンドの方を見ると野球部やサッカー部にも大きな塊ができていて、卒業生を迎えているところだった。
「ご卒業おめでとうございます」
 在校生を代表してキャプテンがあいさつをした。
「ありがとう」
 不動先輩が凛々しく答える。
 先輩たちの胸に飾られているリボンバラを風がなびかせる。同じ制服を着ているのに、胸にその飾りがあるだけで遠い存在に感じてしまう。先輩たち、本当に卒業しちゃうんだな。
 つい先日やったお別れ試合の時にはそんなこと少しも感じなかった。先輩たちが俺たちに感じさせなかったのかもしれない。お別れ試合では久しぶりに3年生たちとワイワイテニスができて楽しかった。3年生が俺たち全員の相手をしてくれて、俺なんか不動先輩に相手をしてもらった。結果はボロ負けだったけど。1ゲームはなんとか取れたけど終始なにもさせてもらえなかった。信条としている〝粘りのテニス〟も全くと言っていいほど通用せず、むしろ逆にしてやられた。俺も結構粘ったと思うけど先輩の粘りはそれ以上で、どこへ打ってもボールが返ってくるもんだからもうどうすればいいか分からなかった。さすが執念の鬼だ。「もうお前とはやりたくない」って以前堀内先輩から言われたことがあったけど、初めてその気持ちが分かった気がする。不動先輩ほどじゃないけど、俺もこんなテニスをしているんだなって思うと相手は嫌だろうな。
 それから先輩が試合中に放つオーラっていうか雰囲気っていうか、それがすげぇ鬼気迫るもので、一言で言うとビビった。あれは実際に対峙した人にしか感じられないものだと思う。ただ先輩は試合が終わった後、「桜庭、いいテニスをするようになったな。このまま続けていけよ」と言って肩を叩いてくれた。俺はそれが本当に嬉しかった。ついさっき負けたことなんて忘れて、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
 1年生にとって3年生という存在はそれだけで偉大だ。3年生とは短い間しかともに過ごす時間はなかったけど、俺たちがテニス部に入って右も左も分からずあたふたしていた時に、部のことや学校のことを優しく教えてくれたのは3年生だ。それがどれだけ俺たちの救いになったことか。俺なんかテニスを始めたのが高校からだったから3年生にはテニスの「テ」の字から教えてもらった。みんな上手くて、とにかくかっこよかった。憧れだった。
 バカばっかりやっている俺たちは先輩たちみたいになれるのだろうか? 全くなれる気がしないのは俺だけか?
 今日はいつものように整列、というわけではなくてみんなバラバラに集まっている。不動先輩がそれを許可した。和やかムードって感じだ。
 まずは元女子キャプテンの清水先輩が一歩前へ出た。その表情はとても晴れやかで、後ろの先輩たちの顔にも今日の太陽に負けないくらいの笑顔が輝いている。
 すると在校生側の女子たちがなにやらそわそわし始めた。と思ったら『しみずせんぱぁーい!』と一斉に叫んだ。先輩は嬉しそうに微笑んでいる。
「在校生の皆さん、今まで本当にありがとうございました。特に女子のみんなはこんな頼りない私に着いてきてくれて……」
 先輩は涙を隠すために両手で顔を覆った。
「清水先輩がんばって!」
「がんばれ清水!」
 卒業生からも在校生からも清水先輩を応援する声がかけられる。同期からも後輩からも愛されている人だというのは俺もよく知っている。俺もテニス部に入った当初は清水先輩によくお世話になった。いつも優しくしてくれた先輩には本当に感謝しかない。
「遠坂ぁ! なんでお前が泣くんだよ!」
 長野先輩が叫んだ先を見るとなぜか遠坂先輩が泣いていた。
「だってぇ、だってぇ……」
「ホントにアイツはすぐ泣くな」
 ワハハハ、と全員が笑う。清水先輩も笑っていた。
「ありがとう、遠坂くん」
「しみずせんぱぁい。うえーん」
 またみんなで笑った。自分よりも涙を流している遠坂先輩を見て落ち着いたのか、清水先輩はそれから穏やかに話し始めた。入部した時のことや当時の先輩たちが優しくしてくれたこと。それが嬉しくて自分も同じようにしようと努めたこと。でも上手くいっていないんじゃないかと不安だったこと。いろいろ話してくれた。でも最後にはキャプテンをやって本当によかったと言っていた。
「こんなに素晴らしい仲間、後輩たちに出会えて私は幸せ者です。本当にありがとうございました!」
 拍手! 拍手! 最高だった。胸を打たれる言葉ばかりで俺も泣きそうになった。
 清水先輩に代わって今度は不動先輩が出てきた。キャプテンを引退してもその立ち振る舞いは堂々としていてかっこいい。
「……なんだ。俺には『ふどうせんぱぁーい』みたいなのはないのか」
 先輩は少しヘコんだという顔をした。でもすぐに――
「不動先輩愛してるぜ!」
「先輩最高!」
「卒業しないでください!」
 先輩! 先輩! 先輩!
 数十秒間、不動先輩へかけられる声がやむことはなかった。俺も思いのたけを叫びまくった。
 清水先輩同様、いやそれ以上に不動先輩にはお世話になった。なんといっても俺が最初にテニスを教わったのは先輩だ。先輩は何度も俺と太一の元に足を運んでくれて、何度も見本を見せてくれた。俺がいいショットを打った時には「今のよかったぞ」と毎回褒めてくれた。テニスって楽しいと思わせてくれた。先輩がいなかったら今の俺はいない。
「在校生の皆さん。今日はこのような形で俺たちを送り出してくれてどうもありがとう。俺たちは今日卒業するわけなんだが……おい遠坂、まだ泣いているのか」
「だってぇ、先輩たちいなくなったら俺たち、ヒクッ、どぉしたらいいか分かりましぇん!」
 またみんなで大笑いした。遠坂先輩は俺たちに「お前ら! 笑うんじゃねぇ!」って叫んだけど、そこには怖さなんて微塵もなくて鼻水もだらだら垂らしていたからそれもおもしろくてまた笑ってしまった。
「俺たちはいい後輩を持ったな」
 不動先輩も笑っている。
「ただ、泣いている暇なんてないぞ。これからはすぐに都大会が来る。2年生はそこで最後だ。悔いを残さないようにこの一、二ヶ月を大事に過ごすこと。1年生も、まだあと一年ちょっとあると思ったら大間違いだぞ。一年なんてあっという間に過ぎるからな。これからはつらいこと、苦しいこともあると思うけど……いや、むしろ吹野崎テニス部にはそれしかないか」
「えー!」
 と叫んだのは一番前にいたハルだった。ハルはキャプテンに「うるせぇ」と頭を叩かれた。卒業生たちはその光景を見て笑っている。
「まぁそれは言いすぎたかな。でも苦難というのは必ずやってくる。やってくるが、みんなにはそれを乗り越えてほしい。一人では無理な時もあるかもしれない。そんな時は周りを見ろ。周りには誰がいる?  仲間がいる。仲間に頼れ。俺はそうやって乗り越えてきた。いいか、テニスは決して試合に出ている一人や二人がやるものじゃない。いつでも団体戦なんだ。……感謝を忘れずにな」
『はい!』
「あぁそれから、夏合宿では2年生をシゴきに行くからな。覚悟しておくように。以上!」
 監督風に最後を締めると、不動先輩は一歩下がって卒業生たちと同じラインに並び、「気をつけ!」と声を張った。
『ありがとうございました!』
 卒業生全員が俺たちに向かって礼をする。でもそれは俺たちにだけじゃない。小田原監督や、なにより三年間汗を流してきたこのコートにも感謝を伝えているんだろう。きっと先輩たちにしか知らない思い出なんかもこのコートにはたくさん詰まっているんだ。俺たちは拍手で応えた。手が痛くなるくらいたくさん叩いた。
 キャプテンの合図で用意していた花束を卒業生一人ひとりに渡していく。それからキャプテンが立派な送辞を述べたけど途中で長野先輩が泣いてしまって、それにつられてまた遠坂先輩も泣き出して、二人以外はそれを見て笑っているという珍事になった。そして最後は卒業生と一人ずつ握手を交わして終わることになった。
「お世話になりました」
 俺は不動先輩の番が来た時に思いきってこれまでの感謝の気持ちを伝えた。
「桜庭、次会う時を楽しみにしているよ」
「はい!」
 次か。楽しみにしていてください、先輩。きっと、もっと上手くなってみせますから。
 フェンスの端を覆っている木の枝に、微かに桜の蕾ができているのが見えた。また、次の春が来る。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

アイドロイヤル

唐草太知
青春
アイドル×バトルロイヤル。 アイドルグループに入りたい少女たちは数少ない枠を巡って争う。 果たして誰が生き残るのだろうか

はじめてのチュウ~超青春ショートショート

ペポン梅田
青春
爽やかな恋と将来が交錯する、超青春ダイアローグ

M性に目覚めた若かりしころの思い出

kazu106
青春
わたし自身が生涯の性癖として持ち合わせるM性について、それをはじめて自覚した中学時代の体験になります。歳を重ねた者の、人生の回顧録のひとつとして、読んでいただけましたら幸いです。 一部、フィクションも交えながら、述べさせていただいてます。フィクション/ノンフィクションの境界は、読んでくださった方の想像におまかせいたします。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

キズナ

結汰
青春
役者の兄と、植物人間になった、弟の物語。

GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃
青春
囲碁棋士になった女の子が『どこでもドア』を作るまでの話。

絆創膏

藤河 愁
青春
誰かの心の傷の絆創膏になりたい。心理カウンセラーを目指す女子高校生は近頃同じ夢を見続けている。人の顔でできた壁に囲まれた空間。

浦島子(うらしまこ)

wawabubu
青春
大阪の淀川べりで、女の人が暴漢に襲われそうになっていることを助けたことから、いい関係に。

処理中です...