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第二章

16.行く年来る年

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 冬休みになるとクリスマスやら年越しやらの楽しいイベントで世の中は賑わい始めるけど、俺たちにはそんなイベントを楽しむ余裕はない。暇さえあれば練習、練習、練習だ。今日もラインタッチの時にはしっかりと監督の怒号が響き渡っていて、俺も死に物狂いで走ったからもうへとへとだ。
 それでもクリスマスの日くらいは練習帰りにどこかへ繰り出してみようということになった。寒かったし疲れもあったけど、遊びに行くぞってなったらどこからともなく元気は出てくるもので、学校近くにあるイルミネーションがきれいな公園へ行くことにした。最初は男子だけで「どっか行こうぜ」と盛り上がっていたけど、〝イルミネーション〟というワードを聞きつけた途端「私たちも行く!」と女子たちが言い出したから一緒に行くことになった。先輩たちからは「お前ら元気だな」って半分呆れられたように言われたけど、「まだ1年なので」と爽やかに返しておいた。
 男女一緒に行動しているといっても塊は二つに分かれている。移動中は静かだったくせに、イルミネーションが見えてくると別の塊の方がキャーキャーと叫び出すもんだからお陰でこっちの感動が薄まってしまった。
 せっかくの機会だからハルと石川を少しの間二人きりにしてあげることにした。ハルは「ヒューヒュー」と茶化す男子ども――主に太一と南――に「うるせぇよ」と口を尖らせながら、石川は女子たちに「ほら、行ってきなよ」と背中を押されながら、二人は肩を並べてイルミネーションの中を歩いていった。女子たちは二人の姿を見て「いいなぁ」とか「羨ましいなぁ」と口々に言っているけど、あの二人が一緒に歩けるようになったのなんてここ最近の出来事に過ぎない。石川の方が緊張してハルのことを避けていたみたいだったからな。ハルも「この前、石川に一緒に帰ろうぜって言ったんだけど逃げられたんだよね。俺なんか悪いことしたかなぁ」って珍しく悩んでいた時があった。俺は「大丈夫だよ」って言ってあげようかとも思ったけど、悩んでいるハルが妙におもしろかったから「なんかしちゃったんじゃないのー?」ってついつい不安を煽るようなことを言ってしまった。後日ちゃんと本当のことを話したら、「瞬のいじわるっ」って子供っぽく怒った顔をするもんだからそれもまたおかしくて笑ってしまった。
 光の中に消えていく二人を見ているとそんなことが思い出されてきた。なにはともあれ、石川の緊張もハルの不安も解消されて、二人仲よくしているところを見られるのは俺としても嬉しい。
 一人感慨に耽っていたら男子連中――主に太一と南――の方がなにやら騒がしくなっていた。
「瞬、なにアイツらのこと見てニヤニヤしてんだよ。彼女欲しいのは分かるけどさ」
 輪の中から太一の声が聞こえてきた。それを聞いてか周りの連中も笑ってやがる。
「うるせぇ。そんなんじゃねぇよ」
「ふーん。それより公園の奥まで競争しようぜ! ジュース賭けてな」
 ジュース賭けか。おもしろい。
「いいぜ。乗った!」
「そうこなくっちゃ! よぉし。これで全員揃ったな。ジュースはビリが一位におごりな。じゃあ行くぞ。よーい」
 パンッ。
 太一が手を叩き、吹野崎高校男子テニス部1年数名のジュースを賭けた徒競走が始まった。リュックのように背負ったカバンは背中で暴れ出し、走る勢いでマフラーは後ろになびいていく。
 公園のイルミネーションは全長100メートルに渡って道端の柵や木々に取りつけられている。普段は暗い公園もこの時期になると輝きを放ち始め、地元の学生やカップルが訪れるスポットになっている。そのカップルたちが寄り添って歩いている中を俺たちは猛然と駆け抜けていく。ジュースのために。
 先を歩いていた女子たちにも追いつき、その横を疾風の如く追い越していく。
「ホント男子ってバカよねぇ」
 後ろからそんな声が聞こえた気がしたけど、今はなにを言われたっていい。ジュースのためなら!
 イルミネーションの中を走るってあまり経験ないけど――ていうか最初で最後かもしれないけど――光のアートが自分のすぐ横で、しかもものすごい速さで模様を変えていく様はとてもきれいだ。昔見たSF映画に出てきた宇宙船がワームホールを移動する瞬間の光景に似ていてなんか興奮する。よく見るとサンタやトナカイが描かれたものもあって、今日ってクリスマスなんだよなぁとしみじみと感じさせられる。最近は毎日、寝て、起きて、練習、の繰り返しだったから、曜日感覚とか季節感覚とかに乏しくなっている。
 いくつもの小さい豆電球によって照らされている中を走っていると、自分の走っている道だけが光って浮いているような錯覚に陥ってくる。幼い頃飛行機の窓から見えた光る滑走路のように、自分の進むべき道が示されている感じだ。すると、その道の向こうになにかが小さく光って見えた。徐々に近づいていくと、その光はテニスウェアを身にまといラケットを手に持ったハルだと分かった。でもおかしい。さっきまで制服を着ていたはずだし、隣にいた石川の姿もない。イルミネーションに目が眩んで俺は幻影でも見ているのか?
 ハルの幻影がなにか言った。なになに? 早く来いよって? 分かってるよ。言われなくても行ってやる。お前のところまで。そして、いつかは追い越してみせるさ!
 幻影は俺に一言告げると振り返って走り去っていき、やがてまばゆい光とともに姿を消した。その姿が見えなくなっても俺は迷わず追いかけた。


 身を切るような冷たい風が耳元でビュービューと音を上げ、マフラーの中まで侵入してきては俺の体を縮み上がらせる。うぅ、さみぃ。早いとこ家に帰ろう。
 ジュースの空き缶を捨てようとゴミ箱を探していたら、そのまま家まで着いてしまった。こういうのは大抵言い出しっぺが負けるもので、太一は悔しそうにしていた。
「ただいまー」
 リビングに入るとそこはもう別世界のように暖かく感じられて、もうここから一生出たくない気持ちにさせられる。でも日課の素振りがあるから空き缶を台所のゴミ箱に捨て、ラケットを一本だけ持って再び外へ飛び出した。うぅ、やっぱりさみぃ。体の芯まで冷やされるような寒さだ。
 見上げると満月に近い月が地上を明るく照らしていて、周りには少しだけ星も光って見える。今にもトナカイの引くソリにサンタが乗って天空から舞い降りてきそうなきれいな夜空だ。でもサンタが来るのってイブの夜だっけ?
 いつものようにアップがてら親水公園まで走っていく。走るとより冷たい空気が感じられて、唯一露出している顔は筋肉がカチカチに固まってしまい、笑うこともままならない。
 公園内のいつもの広場に到着し、早速素振りを開始する。日課とはいえこのクソ寒い中でもこなしていくのはしんどい面もある。ラケットを振る感覚が鈍くなるから手袋をしてやるわけにはいかない。仕方ないから素手を冷たい空気に晒す。
 ブンッ! ブンッ!
 少し振っただけで指先の感覚がなくなってくる。でも義務感や惰性でやることだけはしたくない。俺はまだまだ理想としているプレーには程遠いし、監督に注意されたところは意識して素振りしないと直せないものだ。もっと気合いを入れないと。
 毎日素振りをするという日課を決めてからもうすぐ一年になろうとしているけど、分かったこともいくつかある。素振りをしている時に「こういう風にして打とう」って考えていたことがこの前の定例戦では自然とできていた。これこそが毎日の素振りの効果なんじゃないのかなって俺は思う。意識的にやっていたことが無意識にできるようになること。体で覚えると言った方が分かりやすいかもしれない。
 でも私学大会の団体戦では全然自分のプレーができなかった。きっとまだ完全には無意識にプレーできていないんだ。一回できたことに満足せず、これからも日課は続けていこう。
 それにしても今日はクリスマスだから親水公園の中でもカップルをよく見かける。公園の中はイルミネーションで装飾とかはされていないけど、ベンチにカップルが座っていたり、目の前の道もカップルしか通らない。もうカップルだらけ。いつもは誰もいないから静かな環境でできるんだけど、今日はなんだかそわそわする。なんでいつもやっている俺の方が緊張しなきゃいけないんだ。と思っていたら通りすがりの自転車に名前を呼ばれた気がした。声の主に振り返るとその人は足を地面に着けてこっちを見ている。でも暗くて誰だか分からない。
「桜庭?」
 確かにまた俺の名を呼んだ。それによく聞く声だった。安心して近づいてみると、声の主はキャプテンだった。
「キャプテン! なにしてるんですか? こんなところで」
 確かキャプテンの家はここからだと少し離れているはずだ。学校より向こう側で、そう、『スーパーあおい』に近いと聞いたことがある。
「お遣いだよ。近所のスーパーがクリスマスで混んでてさ。頼まれてたものも売り切れだったからこっちの方まで買いに来たってわけ」
「お遣いですか。偉いですね」
「こき使われてんのよ、うちは。それよりお前こそこんな時間になにしてんだよ?」
 キャプテンは俺の手にラケットがあることを見つけると、「練習か?」と聞いてきた。俺は「はい!」とラケットを振ってみせた。
「日課なんですよ。夜ここで素振りするの。夏はいいんですけど冬は寒いですね」
 そう言うとキャプテンは大きく目を見開いた。
「日課って、毎日やってるのか?」
「はい」
 へぇ、とキャプテンが言葉を失ったようにボーっとし始めたから、「キャプテーン」と目の前で手を振ってあげたらハッと我に返ったようだ。
「すまんすまん。まさか毎日素振りしてるとは思わなくてな。びっくりしたよ。どうりで桜庭は成長が早いわけだ」
「そんなことないですよ。でも少しでも早く上手くなりたいって思ってます」
「いやいや感心したよ。俺も負けてられないな」
 キャプテンは指をポキポキ鳴らした。
「そうだキャプテン! ちょっとだけ見てもらえませんか? 少し悩んでるところがあって」
「おう、いいぞ」
 キャプテンは快諾してくれた。キャプテンもそうだけど、他の先輩たちもみんな「ここはどうやって打ったらいいですか?」って尋ねるといつも快く教えてくれる。最初は緊張して中々聞けなかったけど、先輩たちはみんな優しく答えてくれるから今では気軽に聞くことができる。ハルも俺と二人で練習してくれるし、周りには本当に恵まれているなってつくづく思う。
「ありがとうございました」
「おう。明日試合だろ? ほどほどにしておけよ」
 そうだった! 明日は私学大会の個人戦シングルスが控えているんだった。
「はい!」
 じゃあな、とキャプテンは帰っていった。俺も日課を終えてから家に帰った。


 興奮と緊張で目覚ましよりも三分早くに目が覚めた。目覚ましは五時半と結構早めにセットしたつもりだったけど、まさかそれよりも早く目覚めることになるとは思わなかった。深層心理の俺自身もそれだけ今日の試合を楽しみにしていたってことなのかな。
 試合といっても定例戦みたいな部内戦じゃない。今日のは公式戦だ。しかも個人戦。一人で会場へ行って、一人でエントリーを済ませて、一人で試合をする。団体戦の時は応援もあったけど今日はそれもない。全部一人だ。心細さはあるけどそれと同じくらい楽しみな気持ちもある。やっとできる。待ちに待った試合だ。気合いも十二分に入っているぞ。
 今日は十二月二十六日。世間ではクリスマスも過ぎてどっちかっていうともう年末ムードが漂っているけど、そんなことは関係なく試合は行われる。明日にはダブルスの試合も控えているし、勝ち上がれば年始にも試合のスケジュールが組まれている。とりあえず、年末の試合は勝ち抜いて年始にも試合をするっていうのが俺の目標だ。
 会場は電車で三十分くらい行った峰ヶ丘高校だ。着いてすぐにエントリーを済ませてアップに勤しむ。
 この会場に吹野崎のメンバーは俺一人だけ。「個人戦なんてそんなもんだよ」ってハルに言われてはいたけどやっぱり寂しい。でもずっと楽しみにしていた試合ができるんだ。寂しさは楽しさで打ち消しちゃえばいい。
「桜庭クンやないか」
 聞き覚えのある関西弁に俺は声の方へ振り返った。
「新じゃないか」
「よっ。久しぶりやな」
 コイツとは夏合宿での白鷹との合同練習の時に初めて会ったけど、あまりの人懐っこさと饒舌っぷりにすぐ意気投合してしまった。意気投合っていうとハルの方がしていたかな。最初はよくしゃべるヤツだなって思っていたけど普通にいいヤツだ。
「新も会場ここだったんだね」
「せやで。偶然やったな。桜庭クンは一人か?」
「うん」
「そうか。それは寂しいな。言うて俺たち白鷹も二人しかおらんけどな」
「あんなに部員いるのに二人しか会場かぶらなかったんだ」
「意外やろ。俺ももう二、三人はおると思っとったんやけどな。まぁ元々この会場は人数少ないみたいやし、二人でも多いってことやろ」
 周りを見渡してみると確かに複数で固まっている人はほとんどいない。固まっている人たちは白鷹みたいに部員数の多い強豪校の人なんだろう。嫌でも強そうに見える。でも一人でいる人たちも目をギラつかせながらストレッチやランニングをしていて、ピリついた雰囲気を感じる。そうだ。ここにはみんな勝ちに来ているんだ。
「ま、お互いがんばろうや。同じ会場やし、勝ち上がれば当たるかもしれへんな。楽しみにしとるでぇ」
 そう言い残して新は仲間の元へと帰っていった。
 新と試合できるかもしれないのか。アイツと試合してみたいな。でもまずは――
「――さん。152番、桜庭さん。3番コートに入ってください」
 目の前の試合に集中しよう。そしてやるのはもちろん、粘りのテニスだ!


 年末は毎年家族でテレビを見ながら気づいたら年越ししていたという感じで、母さんがつくってくれた年越しそばを食べて満腹感の中で寝るのが桜庭家の恒例行事になっている。今年も例外なくそばを平らげてから布団に入った。
 初夢には富士山も鷹も茄子も出てこなかったけど、その代わりラインタッチを猛ダッシュでやったり、監督に怒鳴られたり、とにかくテニスの練習をしていた。それもきついメニューばかり。この一年は寝ても起きてもテニスのことばかり考えていたからこうして夢に出てくることも珍しくはない。でも初夢くらいはせめて違うものが見たかった。ていうか見させてほしかった。もう起きちゃったから願っても仕方ないんだけど。それくらいテニスのことが頭から離れないんだな、俺。夢中になっているってことなのかな。
 元日の朝はハルと太一と南と俺の四人で初詣に行く約束をしている。睡眠時間は十分あったのに夢できつい練習をしていたせいで体が重い。それでも今日は元日! ということを思い出して元気を出す。一年の始まりの日にぐずぐずしているのはもったいない。今年一年を最高の一年にするためにもさっさと起きて初詣に行こう。
 参拝しに行く神社は最寄りの駅から二、三駅行ったところにある。ここらじゃ結構大きな神社とあって毎年参拝客も多い。電車に乗っても同じ駅で降りる人がほとんどで、みんな同じ神社に行くんだなって分かる。
 改札を出ると人混みを避けるようにして隅の方に太一が立っていた。人の波を縫いながらそっちへ近づく。太一も俺に気づくと手を振ってきた。
「あけおめ」
「あけおめ」
 高校生同士の新年のあいさつなんてこんなもんだ。大人みたいに「今年もよろしくお願いしますぅ」「いえいえこちらこそぉ」なんて深々と頭を下げたりはしない。いずれやらなきゃいけない時が来るんだろうけど。
 話題はすぐに昨日のテレビへと移った。
「昨日なに見た?」
「ガキ使かな。今回のもおもしろかったよ。途中で紅白もちょっと見たけど」
「うちは姉ちゃんがジャニーズ見たい見たいってうるさくて、年越しの瞬間だけ無理やり回されたよ」
 そんなことを話しているうちに南も来た。「あけおめ」と一応あいさつを交わす。あと来ていないのはハルだけか。
 ブルブルとポケットでスマホが鳴った。画面を見るとメッセージが表示されている。ハルからだ。
『ゴメン、今起きた! 急いで準備するけど間に合わないから後で合流する。先行っててくれ!』
 やっぱりか。姿が見えないからそんなことだろうと思ったよ。まぁ元日からハルらしいか。
「今ハルから寝坊したって連絡来た。後から合流するってさ。俺たちは先に向かってようぜ」
「分かった」
「アイツ新年早々から寝坊かよ。ホントだらしねぇヤツだな」
 電車から降りてくる人波は途絶えることを知らず、俺たちは再びその中へ身を投じた。
「そういえば私学大会の個人戦どうだったよ?」
 荒波に揉みくちゃにされながらも南が尋ねてきた。
「シングルスは三回戦で負けた。ダブルスは初戦で負けたよ」
「惜しかったんだけどなぁ」
 ペアを組んだ太一が悔しそうに言った。
「相手が悪かったよな。俺たちに勝った相手はひょいひょいってその後も勝ち上がっていってさ。もし俺たちが勝ってたら俺たちがひょいひょいって勝ち上がってたのにな」
 そう上手くいくかは分からないけど、試合自体は4―6と惜しいものだった。シングルスの方は結構調子がよくて一、二回戦は勝ったんだけど、三回戦で新と当たって負けてしまった。新はシード選手というだけあって強かった。4―6とこっちもあと一歩ってところだったけど、その一歩の差がきっと大きいんだろうな。新はその後も勝ち続けて本選進出を決めていた。
「でもいい経験になったよ。なんてったって初めての個人戦だったからね。会場の雰囲気にも慣れたし、次はもっと勝つ」
 でももう会場に一人という境遇は遠慮したい。寂しいから。
「南はどうだったんだよ?」
「俺か? シングルスはまだ勝ち残ってるぜ。次の試合が本選一回戦目だ」
 いぇーい、とピースサインを送ってくる。
「すごいじゃん!」
「でも俺、ダブルスのセンスはないみたい」
 さっきとは反対にガックリと肩を落とす。
「マジ前衛ムリ! ボレーとかムズすぎる!」
「シングルスじゃボレーやる機会は少ないからね」
「ペアの堀内先輩にめっちゃ迷惑かけちまったよ。申し訳ねぇ」
「あらら」
 波の進んでいくままに身を委ねていたら三分もかからないうちに神社へと着いた。長い境内には屋台がいっぱい出ていて、焼きそばやたこ焼きのソースのいい匂いが鼻の奥を刺激してくる。風神雷神像の下ではかわいいお猿さんが華奢な見た目に似合わず華麗な芸を披露していて、訪れた観客たちを大いに楽しませている。
 俺たちはお猿さんの芸を少し見てから、まずは無難に本殿へ行ってお参りをすることにした。財布を見ると五円玉はなくて一円玉と十円玉と百円玉がいくつかあるのみ。とりあえず十円玉でいいかとお賽銭箱めがけて放り投げた。十円玉はチャリンチャリンと音を立てながら無事入った。
 二礼二拍手し、テニスが上手くなりますように、とお願いをしてからまた一礼。よし。
 二人が終わるのを端で待っていると、人混みを勢いよくかき分けてくるハルの姿が見えた。俺が手を挙げて場所を知らせると安心したのかニコッと笑ってこっちへ向かってきた。
「ゴメンゴメン、寝坊しちまったぜ」
 フーっとハルは一つ深呼吸をした。駅から走ってきたのか大分息が乱れている。
「あけおめ」
「あぁそうだった。あけおめ」
 またニコッと笑った。
「あぁ! やっと来たな、このねぼすけヤロウ」
「うるせぇバカ太一!」
 二人の新年のあいさつはこのくらいがちょうどいいかもな。ただ神様の前でやるのはちょっと。
 次はおみくじだ。一回百円、木箱の中へ入れてガラガラガラと筒を混ぜる。ポトッ。七十三番。同じ番号の引き出しを開けて運勢が書かれた紙を一枚取り出す。全員で一斉に見ようってことになったから裏返しのままにしておく。みんなも一枚ずつ携えて集まった。
『せーのっ!』
 〝小吉〟。んー、微妙。みんなは……南は中吉で、太一は凶でガックシと肩を落としている。反対にハルは大吉で大喜び。
「なんで寝坊してきたヤツが大吉なんだよ」
 太一が嘆く。
「日頃の行いの結果だよ」
 二人が一斉にハルを睨んだ。ハルってば無意識に二人を敵に回したな。まぁそれはそれとして、詳しいことはというと……ふむふむ。
『願望  他人の助けが不可欠  無為にすることなかれ』
 他人の助けが必要か。確かにその通りかもしれない。今の俺の願望は「テニスが上手くなること」だ。これまでもハルや先輩たちにいろいろと教えてもらっていたけど、もっと上手くなるにもハルたちの力が必要だって自分でもよく分かっている。今年もみんなの、特にハルにはお世話になるな。
 チラッとハルの方を見ると「お前何吉だよ?」と楽しそうに南のおみくじを覗いている。完全に煙たがられているけど。
 視線をおみくじに戻す。次は……
『学問  努力するがよろし』
 はい、がんばります。去年は太一と南に助けられっぱなしだったからな。今年は少しでも自律できるようにがんばろう。
『病気 かからず 安心せよ』
 よかった。小吉の中で唯一の救いだ。テニスをする上で健康は一番大事だからな。あとは……特に見たくないけど一応これも見ておくか。
『恋愛  自ら踏み出すべし』
 今は言い訳とかなしにテニスに夢中だからな。遊んでいる暇があったら練習したいし。でも彼女が欲しくないと言ったら……嘘になる。この問題ばかりは堂々巡りになりそうだから考えないことにしよう。
 関係ありそうな項目はこれくらいだ。結構言い当てられていてドキッとした。やっぱり神様はちゃんと見ているんだな。改めて気を引き締めなくては。
「瞬は何吉だったー?」
 ハルが俺のところへ来た。持っているおみくじの大吉のところだけ「ほれほれ」と見せびらかしながら。確かにこれはうざい。
「何吉でもいいだろ」
「俺は大吉だったぜ」
 知ってるよ。しかも人の話聞いてねぇ。自分が大吉だったら人が何吉だろうが関係ないってか。
「ちゃんと下の部分も読んだのか?」
「下ぁ?」
「願望とか学問とか、詳しいことが書いてあるところだよ」
 ハルは自分のおみくじに目を戻す。
「あぁ、これか。大吉が嬉しすぎて全然見てなかった」
 このヤロウ。いつもみたいにニコッと笑っても今は意味ないからな。そんなに大吉大吉言われると小吉の俺はだんだん腹が立ってくる。でもそんなことは全くお構いなしにハルはいきなり音読し始めた。
「願望 心長くして祈らば必ず叶う」
 さすが大吉。おみくじに『必ず叶う』なんて書かれていたら俺なら家に持ち帰って額縁に飾るな。
 ハルの願望はやっぱり全国へ行くことなのかな? そう思って本人を見ると「ふーん」と大吉の時よりも反応が穏やかだった。書いてある意味ちゃんと分かっているのか?
「次。学問 セイシンせよ」
「精進って読むんだよ」
「そうなのか!」
 ショウジン、ショウジン、とぼそぼそ呟いて覚えている。
「こりゃ今年もダメかもな」
 太一が呆れるように言った。
「う、うるせぇ。ほら、次読み上げるぞ。ゴホン。えー、恋愛 良き人現る。 ……ん? もう現れてんだけど。このおみくじ間違ってねぇか?」
「関係ないところは見なくていいんだよ」
 南が優しく教えてあげる。
「それに間違っててもいいの? 大吉も嘘になるよ」
「それはまずい! やっぱり間違ってない!」
「調子のいいヤツめ」
 太一が悪態をつく。
「まぁいいや。それより次は絵馬書きに行こうぜ」
「オッケー」
 絵馬の場所はおみくじのところからそう遠くないのに人が溢れ返っているせいで中々たどり着けない。舟が港に寄るようにゆっくりと、人混みに流されながら近づいていく。
「はぁ。やっと着いた」
「人混みってすごいな。マジでおばちゃん力強すぎ」
 受付で五百円払って絵馬を受け取る。裏には今年の干支になっているイノシシがかわいくイラストされている。イノシシっていうよりはウリボーに近いかも。
 早速願いごとを書いていこうと思ったけど、みんながどんなことを書くのか気になったから両隣のハルと南が書いているところを覗いてみた。ハルは絵馬をいっぱいに使ってでかでかと『全国』と書いている。まぁそうだよな。南はというと『堂上に勝つ』か。中々すごいことを書いているな。俺がハルを目指しているように南も堂上のことを目標にしているのかな。近くに強いヤツがいるって嬉しいことだよな、と絵馬を書いている南の背に向かって心の中で呟いた。その声が聞こえたのか南が俺の方を振り返ってきた。
「瞬書かないのか?」
「い、今書くよ」
 ペンを取って絵馬と対峙する。書くことはもちろん決まっている。
『テニスが上手くなりますように』
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