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目を閉じた信仰

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 翌日の午後、わたしたちは和室にいた。私の引っ越し作業もすでに終えている。
 暇さんは寝ていたときは洋室の気分だったが、起きたら和室の気分になっていたそうだ。
 わたしをちょっと奥にやって、ごそごそと着替える。
「お待たせ、もういいよ」
 さして待ってもいないうちにそう言われ、相談所兼居間に戻る。
 そこには和服を来た暇さんの姿があった。
 着物姿の暇さん。落ち着いた雰囲気が、悩み相談というお仕事にもピッタリだろう。凛とした空気が漂っている。
 そもそも、時折飛び出す変な言葉や妙な行動さえなければ、暇さんは清楚で落ち着いた美しい女性にしか見えないワケだけど。
「あのときは事件の処理があったから言えませんでしたけど、暇さん洋服も似合っていましたけど、和服もすごく似合いますね!」
「ありがとう。いやぁ照れるなぁ。そうだ、近いうちに都子君の和服も用意しないとだねぇ。僕だけ和装していたんじゃ、なんだかちぐはぐだよ。うん、そうだこれから都子君の和服を見に行くのもいいねぇ」
「えっ、いやそれは……営業時間中ですし」
 和服かぁ。成人式のやつじゃもちろんダメだろうし、あとは浴衣しかないなぁ。
 夏ならギリギリ有りかもしれないけど、今は春ど真ん中だし。
 とりあえず宇治茶を入れて、ふたりですする。お悩み相談が来なければ、こんなものである。いや、学ぶことはあるはずなんだけど、暇さんが「君もゆっくりしたまえよ」と言うのでどうもせせこまと動くのも憚られた。仕方がないので、私はおかわりに二人分の緑茶を淹れる。
 と、そこで暇さんのスマートフォンが鳴った。
 暇さんは着信画面を見て面倒そうな顔をしてから、スマートフォンを手に取った。
『もしもし! 姉さん、今ヒマ!? ヒマに決まってるわよね!?』
 この声は響子ちゃんだ。
 彼女の大きな声は、少し離れて座る私にまでしっかり聞こえた。
「響子、君はなんて愚かしい妹なのだ。時間は確認しているかい? この時間、暇堂は目下営業中だよ。精魂込めてお仕事中さ」
『でも、電話にすぐ出たってことは相談者さんもいなくてヒマなんでしょ!?』
 さすが響子ちゃん、よいところを突く。
「響子、暇堂にとっていつやってくるかもしれないお客様を待つのも、大切な業務の一環なのだよ。ヒマなどとぞんざいな言葉で片づけないでくれたまえ」
『そのお客様を紹介したいの! 困っている子がいてさ』
 お客様、と聞いて暇さんの目つきが鋭くなった。
「ほう。悩みを抱える人がいるというワケか。そういうことなら話を聞こうじゃないか」
『うん、えっとね。あたしの友達なんだけど、大学に出てきてひとり暮らしを始めた子なの。それがさ、突然やってきたなんたらかんたらの新興宗教? みたいなのに目をつけられちゃったみたいでさ。お金も困ってるし、気持ちも追い詰められてる感じで』
「ははぁ、ああいうところは初めての一人暮らしをする子たちを狙う、あこぎな連中が多いからねぇ。非常に嘆かわしい。嘆かわしいことこの上ないね」
 暇さんが渋い表情でお茶をすすり、顔をしかめた。
 新興宗教……確かにあまり良い評判は聞かない言葉だ。
『でね、もうちょっと限界っぽいし、あたしが相談乗るより姉さんに頼んだほうが良いかなって。ねぇ、今日これから、お願い出来ないかなぁ?』
 響子ちゃんの声もどこか困惑しつつ優しい。
 お友達を心から心配しているのだろう。
「今日これからか。幸い予定は空いている。今日は和室のほうにいるから、そちらに案内したまえ。響子、君は場所を教えるだけで良い。付いてこなくていいからな」
『どーして!? あたしだってすっごく心配しているのに!』
「新興宗教に騙されたとなると、押し切られたってこともあるかもしれないが、おそらく心の弱みに付け込まれた可能性もあるだろう。そういう弱みを、あまり親しい友人に見せたくないと思うかもしれないだろう」
 暇さんの言う通り、自分の情けないところというのは友人にはみせにくいときもある。
 沙也加みたいに最初から、ねぇ聞いて! と言うならともかく、改まって相談する場には居られても言いたい言葉を言えないことはあるかもしれない。
『ううーん、わかった! そうする! でも、解決したらでいいから、何がどうなったのか、話せる範囲で話してよ! 約束だからね!』
「悩みを万引き受ける暇堂は相談相手の秘密厳守だ。とはいえ、あまりにもプライバシーに関わることでない限り、そこそこおおまかな話はしよう。あとは機をみて、直接その友人に聞けばよい。それでいいな」
『うん、わかった』
 響子ちゃんは素直に納得した。
 それにしても、響子ちゃんは解決すること前提に話を進めている。よほどお姉さんの手腕を信頼しているのだろう。
『それじゃあ、姉さんの事務所の場所を伝えるから。切羽つまってるみたいだから、すぐに行くって。準備して待っててね!』
 そう言って、響子ちゃんは電話を切った。
 今回は緊急の依頼だ。学ぶことも多いだろう。
 私はちょっと和室には似合わないけど、依頼者さんにハーブティーを出せるように準備した。ハーブの香りは人をリラックスさせる。きっと効果があるだろう。
「都子君、なかなか気が利くじゃないか。さすが僕が見込んだだけのことはある」
 緑茶をすする暇さんにも褒められて、ちょっと嬉しい。
 でもこれから来るお悩みがなんなのか、気になってしょうがない。
 やがて、三十分も待ったころ、和室の木戸がノックされた。
「開いてるよ」
 暇さんがいつものように答える。しかし木戸の向こうの影は中に入ってこない。
「遠慮はいらないよ。さぁさぁ、部屋に入っておいで」
 暇さんが優しい声で言うと、ようやく木戸の向こうの人物が姿を現した。
 清楚な黒髪を腰の辺りまで伸ばしている、綺麗系な顔立ちの女性。
 しかし、その表情には今にも泣き出しそうなほどの憂いが浮かんでいる。
「あ、あの……響子さんからの紹介で、この暇堂さんは悩みを引き受けてくださると聞いてやってきたのですが……」
 キレイな声をしているけど、憔悴しきっている表情だ。
 暇さんが立ち上がり、私も立って玄関前まで彼女を出迎えた。
「そうだよ、ここはどんな悩みも引き受ける暇堂だ。君はずいぶんと困っているみたいじゃないか。さっそく話を聞こう。さぁ、中へおいで」
「お、お邪魔します」
 暇さんが優しく彼女を中に引き入れて、座卓に向かい合うように座った。
 わたしはハーブティーを用意して、なかなか喋り出さない彼女の前に差し出す。
 彼女は香りをかいでひとすすりすると、弱弱しい笑みを浮かべた。
「よい香り。それにとっても美味しいです。ありがとうございます」
「いいえ、お気になされないでください」
「それで、あなたは……ああ、名前を名乗っていなかったですね。僕は暇堂、彼女は助手の三島都子君です」
 暇さんが名乗ると、彼女はもう一度ゆっくりハーブティーを飲んで答えた。
「東原綾乃(ひがしはら あやの)です。この度はいきなりの訪問、失礼しました」
「お気になさらず。悲しいかな、うちは今ヒマをしているところなので。それで、さっそくご用件をうかがってもよろしいですか?」
 暇さんの言葉に、下を向いた東原さんが、ポツリポツリと話し始めた。
「実は、あの……私、今もしかしたら詐欺にあっているかもしれなくて。ううん、詐欺なんて大袈裟な言葉には当てはまらないかもしれないんですけど」
「おやおや、それは穏やかじゃないねぇ。幸いまだお昼過ぎだ、時間はたっぷりある。ゆっくり話を聞こうじゃないか。無理しないで、ゆっくり話してくれたまえ」
 すっかり縮こまってしまっている東原さんに対し、暇さんは柔らかな声で緊張をほぐすように優しく語りかける。こういうところは、やはり上手い。
「は、はい。わたし、大学進学でこちらに上京してきて……、あ、それで一人暮らしなんですけど。一人暮らしを始めて一週間くらいたったときに、ある人が来たんです」
「ある人ねぇ、いったいどんな人が来たんだい?」
「最初は占い師さん、とおっしゃってました。お話を聞いてくれると。でも、それは私もなんだか変だなって思ったんです。でも環境が変わって、サークルでも講義でも色々あって……。悩みが溜まってて、つい……」
 東原さんが、ハーブティーのカップを握りしめる。
「なるほど。それで占い師さんとやらと話をしてしまった、というワケかい?」
「はい。それで、ちょっと会話を始めた瞬間、占い師さんは大きな声で突然『あなた、このままじゃ不幸になるわよ!』って言い出して……」
「はぁ、不幸にねぇ。突拍子もない言葉だねぇ」
 窓から、春の暖かい風が吹いてくる。
 しかし、凝り固まってしまった東原さんの心まではほぐしてくれそうにない。
「そ、それで占い師さんは不幸を避けるためにはこれを買うしかないって……。これを買って毎日熱心に祈っていれば、不幸は消えて、幸せがやってくるって。この水晶です」
「ちょっとちょっと。いきなり現れた人の言いなりになって、そんなものを買ってしまったのかい? そりゃあいくらなんでもまずくないかい?」
 東原さんが、力なく首を縦に動かした。
「もちろん、私も疑ったんですが……。いろんな不安を言い当てられて、それで水晶も今は無料でいい、と言って押し付けるようにして……。それで、実際に効果があったら連絡して欲しいと、連絡先を渡されて……断りきれなくて」
 よくある詐欺の手口だ。
 けれど、そんなものに引っ掛かってしまうほどに、東原さんの心は弱っていたのだろう。
「毎日がとっても不安、だったんですね?」
「……はい」
 わたしの言葉に、東原さんが答えた。
「なるほどねぇ。それで君はその水晶をどうしたんだい? 言われた通りに扱ったのかな? お祈りとかしたり」
「はい、私はそのとき占い師さんに教わった通りにお祈りし、それで……。本当に学校生活がうまくいったんです。悩んでいたこと、学校の色んなことに馴染めるかとか勉強についていけるかとか……全部うまくいって」
 暇さんが、軽く口笛を吹いてみせる。
「本当かい? いやぁ、そりゃあすごい。祈ればなんでも解決なら、あやかりたいねぇ」
「それで私、嬉しくなってお礼も言いたくって、その占い師さんに電話しました。水晶の代金もちょっと高かったけど払って……。それから、占い師さんのすすめでセミナーや商品会にもいくようになりました」
 東原さんの告白に、わたしは違和感を覚えた。
「占い師さんがセミナーや商品会、ですか? なんだか引っ掛かります」
「そうだねぇ、ああいうのって個人事業主というか、我流なりどっかの先生に師事したり、本を読んで学んだりして体得するものだろう。セミナーはどうにもなぁ」
 暇さんも同調して、東原さんはますます恐縮してしまう。
「やっぱりおかしいですよね。……でも、勉強会とか、合宿とかもあるそうです。正しい生き方を身につける、とかそういうものだそうで。でも、どれもびっくりするほどに高額で、わたしには到底無理で」
「そんなもの、いかなきゃいいじゃないか。東原さん自身、今ではこれは詐欺かもと思っているのだろう?」
「はい、頭では思ってはいます。でも心が不安というか……。もしもセミナーとかに行かなかったら、また不幸がやってくるんじゃないかって、学校生活がうまく行かなかった日々に戻ってしまうんじゃないかって、私不安で……」
 暇さんが、しゃべりつかれて空になった東原さんのカップを見て言った。
「とりあえず、ここはなんでも話してだいじょうぶな場所だから落ち着くといい。新しい飲み物を出そう。君は緑茶が嫌いだから、コーヒーででいいかな?」
「えっ……!? どうして私が緑茶が苦手だってわかったんですか!?」
 東原さんが、驚いた表情で暇さんをじっと見る。
 どうやら、彼女が緑茶が苦手なのは当たっていたらしい。
 けれどなぜ、暇さんにはそれがわかったのだろう。
「ふふ、神通力さ。さぁ、コーヒーをどうぞ。冷蔵庫にある出来合いだけどね。都子君、彼女によく冷えたアイスコーヒーを持ってきてあげてくれたまえ」
「は、はい!」
 奥に引っ込んでも、彼らの声がかすかに聞こえた。
「暇さん、神通力なんて、そんなもの持ち合わせているんですか?
「おんなじなんだよ。東原さんの所に来た占い師とね。同じやり口なんだ」
「えっ、ぜんぜん違うじゃないですか、どういうことですか?」
 わたしが暇さんと東原さんにコーヒーを差し出すと、暇さんはさぞ嬉しそうに言った。
「これはね、ただのはったりさ」
「えっ、はったり?」
「そう。ちょっとカマをかけてみたようなものだ。東原さん、君はこの事務所に入るなりほんの一瞬だけど、顔をしかめた」
 そうだっただろうか。わたしにはまったく気がつかなかった。
「えっ? わたし、そんなことしましたか?」
「したよ。本当に、一瞬だけどね。この『僕らが緑茶を飲もうと、緑茶をいれたばかりの事務所』で顔をしかめた。ここで予想が出来る。この人はもしかして、緑茶が好きじゃないのではないかも? ってね。そういう推察は可能さ」
 あっけにとられた東原さんは、それでも反論を試みる。
「でも、もしそれがただの見当違いだったらどうするんですか?」
 暇さんは笑って、軽い調子で言った。
「それは勿論あり得る。むしろ、そっちの可能性のほうが高いくらいだ。東原さんが顔をしかめたのは、例えば、そう。僕の見た目が君には不快であったとか、そういう可能性もある。けど見当違いだったら、なんだ違ったのかい、とごまかせばいい。あれ? 嫌いじゃないのかい? 妹に電話でそう聞いていたんだけど……なんてもっともらしい理由をつけることも出来るしね」
「なるほど……。でも、それが占い師さんの言い当てたことと同じというのは、どういうことなのでしょうか?」
 東原さんが言う通り、どうしてそこがつながるのだろう?
 暇さんが笑顔のまま人差し指をくるりと回して見せる。
「まず、突然やってきた占い師とやらが言った、不幸になるといういきなりの予言さ」
「はい。あれにはたしかにびっくりしました」
「うん、そうだろうね。なにせ、今まさに不幸の真っただ中にいたワケだものね。でもそれもトリックだよ。人間、生きていれば悩み事なんていうのは必ず付いて回るものさ。悩みを不幸と思うこともあるだろうね。そして実際不幸な目に合うことも多々ある。だけれども、いかにもそれっぽい人に自分の現状をピタリと言い当てられれば、まさに言う通りと思ってしまう。そしてね。悩みというのはだれしもが抱え、悩みが無ければ、悩みが無い事に悩むのが人というものだよ。まったく、欲張りな生き物だねぇ人間は」
 生きていれば悩みごとや不幸はついて回る。
 お局様の嫌がらせに突然の会社の倒産に、思い当たる事ばっかりだ。
「悩みは誰にでもあるんですか? それは不幸も、ですか?」
「もちろんさ。生きていれば不幸な出来事にもあたるだろう、犬もあるけば……てね。そして生きていればといったけど、もし何かの事故や病気で死ねば、その死が不幸だろう。不幸になったことになってしまう。不幸になるという宣言は、実は生きていればお腹がすくという位に当たり前のことなんだよ」
 暇さんの言葉に、東原さんは眼をパチクリさせている。
「誰にでもある当たり前のことを、さも未来を見たように言っただけということですか?」
「そうさ。そして日本人に多い傾向だけれど、相手に自信満々に勧められると、往々にして信じてしまうものさ。これで大丈夫! ってね。知らない人間に言われても効きにくいけれど、さっきの不幸の循環の話の通りさ。一回無料で貸し出して、偽物の効果を実感させるんだ。すると受け取った側の人間も実際に効果も見込めるのだから、強気にもいけるというものさ。そうして最初に信じ込ませれば、もう半分は成功したようなものなんだ」
 わたしは突然不幸になると言われて、見ず知らずの人を信じると思えないけど……。
 でも例えば、会社が倒産したその日にそんなことを言い当てられたら。
 そのときはもしかしたら、とも思う。
「あの、どうして効果を見込めるのですか? 私が学校生活がうまくいくかどうかなんていう保証はどこにもないですよね? あの人に言われた通りにきちんとお祈りをしなかったら、私きっと今もくすぶったままで……」
 暇さんが回していた人差し指を止め、天井を指した。
「そこが詐欺のうまいところさ。君は占い師の言うことを信じて祈った。そうして心のどこかに安心を得たのさ。私は祈ったから大丈夫、全部うまくいくはずだ、ってね。安心は余裕と自信につながり、君は不安な中にどこか安心も持って学校生活を送ることが出来た。だからこそうまくいった。余裕をもった人間は、場を冷静に見れる。空気を読める、といってもいい。そして、前向きだ。何に対しても、プラスの気持ちで接することが出来るんだね」
「仰ることはおおむねわかるつもりです。ですが、それじゃあ結局、占い師さんの言う通り、水晶に祈ったご利益があったことになるんじゃありませんか?」
 東原さんの言う事も一理ある。
 それで生活がうまく行くのなら、祈りは決して無駄ではない。
 暇さんが珍しく自分のコーヒーに角砂糖を落とした。
「うん、もちろんそういう解釈もできる。ある意味で占い師は実際に君を救ったんだ。けれど、学校でうまくいったのは君自身の人間性のおかげだよ。ましてや占い師が法外な金額を請求しちゃ、せっかくの救いが救いになりえないだろう?」
「はぁ……。それなら私は、これからどうしたらいいんでしょうか?」
「簡単だよ、占い師さんに、もう関わらないで欲しいと告げて関係を切ればいい」
 暇さんが、スッパリと言い切った。
「暇さん、でもそれでは東原さんがまた不安になってしまうんじゃ?」
「占い師さんのところには、色々な個人情報とかも書いてしまっているし……。それにやっぱり私、三島さんの言うように不安なんです。水晶のご利益が無くなったら、ちゃんと学校をやっていけるのかどうか……」
 暇さんがちょっと困った顔をした。
「ふむ個人情報のやり取りや、占い師やセミナーを抜けることはたしかに手間かもしれないね。けれどそれはもう、勉強料と思うしか無いね。今はこの状況を脱することが先決さ。しかし、それでも学校生活が不安か。ふむ……」
 東原さんが困り切って、暇さんにすがりつくように近づいた。
 ちょっと、距離が近い……仕事中ながら、私はそんなことを考えてしまう。
「私、これからどうしたらいいんでしょう!? 私、どうしたら……」
「ふぅむ。君は意思が少し弱いのかもしれないな。今後生きていくうえで、重々気をつけたまえ。けれど、きちんと冷静な目はもっているじゃないか。これは詐欺かもしれないと思った。それは見抜けた。そうだろう?」
「はい、そうかもしれません。でも、それも確信までは出来なくって」
 戸惑う東原さん。
 悩み相談に来る人はこうして切羽つまっていることが多いだろう。
 わたしも暇さんがここからどうするのかをしっかりと見て、勉強していかねば。
「君ね、東原さん。確信なんて必要ないんだよ。占い師の教えを一度でも疑ってしまったら、信仰はもう終わりさ」
「それは、どうしてですか……?」
「君が相手に、そして水晶に少しでも疑いを抱いた今、かつてのように心から祈ることができるのかい? 祈ったところで、様々な疑問が頭をかすめるだろう? それは信仰とか、お祈りとか言えるのかな?」
 信心というものか。
 私は星座占いをちょっと気にする程度で、そんな強い思いは持ったことがない。
「確かに、信仰が揺らいでしまえば暇さんの言う通り、難しいかもしれないですね」
 わたしが言うと、東原さんも微かに頷いた。
「あ……。それは……はい。多分できません。きっと、出来ないと思います」
「そうだろう? 信じる事の出来ない祈りに、なんの意味があるんだい?」
 うつむいた東原さんが、ほんの少しコーヒーに口をつける。
 そして、唇をかみしめた。
「そう……ですね。暇堂さんのおっしゃる通りです。それでも、どこかに救いがあるなら、と私は思ってしまうのです。心の拠り所が欲しいんです……」
「ふむふむ、そうだ、ちょうど僕もだいたいの時はヒマだ。君、桐原さん。君は占い師さんを日曜日に、どこか喫茶店にでも呼んでくれたまえ。僕もまじえてお話しよう。そこでもう少し説明もしてあげられるだろうさ。個人情報なども手を打ってみよう」
 暇さんの提案に、東原さんが弾かれたように顔をあげた。
「ええっ、暇堂さんが占い師さんに直接お会いするのですか!?」
「まぁ、現物を見てみないことには、解決が難しそうな案件なのでね。占い師さんには、そうだね。教えと信仰に興味のある知り合いがいるから紹介したい、とでも言えばいい」
 突然の提案に、わたしも東原さんも驚いてしまう。
 しかし、当の暇さんはどこ吹く風だ。むしろ、楽しそうにしている。
「けれど……そんな……。これ以上暇堂さんを巻き込むワケには。それに、お支払いだってしなくてはいけません
「お支払いは、すべてが片付いてからでいいよ。だいじょうぶ、占い師さんと違っておかしな値段は請求しないから、約束するよ。それじゃあ、占い師さんの件はよろしく頼むよ。ああ、そうだ。その間、水晶は僕に預けてくれるかな? 祈りはほかのグッズにするといい。……さあ、久しぶりに事務所の外で仕事だね。いやぁ、楽しみだ。あっはっは!」
 暇堂さんが東原さんが持っていた水晶を預かると、無邪気にはしゃいで笑った。
 暇さんは、暇堂は事務所の外でも仕事をすることがあるのか。
 これは、わたしも日曜日はしっかり学ばなくてはいけない。
 誰かのお悩みを根っこから解決するためには、こんなこともあるのだ。

 日曜日のお昼過ぎ、わたしと暇さんは連れ立って東原さんが指定した喫茶店に向かった。
 私はオフィスカジュアル、暇さんはTシャツにパーカー。暇さん、こんなラフな格好もするんだな。お悩み相談というより、ちょっとお出かけといった感じの服装だけど、それもいい。
 春にしては陽射しの強い日で、色素の薄い暇堂さんの黒髪が銀髪のように輝いている。
「暇堂さん、三島さん、こっちです」
 喫茶店の中に入ると、入り口のそばの席で東原さんがわたしたちを呼んだ。
 東原さんのとなりには、初老のいまひとつ意思が読み取れない表情の女性がいた。
「やあ、桐原さん。おまたせしちゃったかな?」
「いいえ、今来てドリンクを注文したばかりですので。それで、あの、こちらが占い師の朽木さんです」
「どうも、暇堂です。こちらは恋人の三島都子です。お見知りおきを」
 東原さんと暇さんが手早く紹介を済ませる。
 って、えええっ!? 恋人!?
 突然出たパワーワードにわたしはパニックになる。
 でも、助手がついてるなんて言ったら向こうも怪しむもんね。暇さんの選択はまちがっていない。ただ、著しくわたしの心臓に悪いだけで。
 私が暇さんの恋人……恋人……頬が熱くなるのを抑えることが出来ない。
「ど、どどどどうも! 恋人の三島都子ですっ!」
 わたしが慌てふためいている間に、店員さんがオーダーを聴きに来た。
 わたしはオレンジジュースを、暇さんはレモンスカッシュを注文した。
 コーヒーやお茶じゃない暇さんは新鮮で、なかなか意外なチョイスである。
 ドリンクが届くのを待ち、朽木さんが重々しく口を開いた。
 年齢のせいか、少ししゃがれた声をしている。
「暇堂さん、三島都子さん、はじめまして。神の子教会の占い師、朽木(くちき)と申します」
「どうも。改めまして、暇堂です。東原さんのお話を聞いてあなた方の教え興味を持ったもので、お話を伺いに参りました。宜しくお願い致します」
 暇さんがかしこまった表情で言うと、朽木さんは彼女の顔をじっと見据えて言った。
「暇堂さんですが。なるほど、これはお悩みの深そうな方ですね」
「……」
 東原さんが不安そうに見つめる中、さっそく本題ともいえる話に入った。
「悩みが深い、ですか。そのあたりも含めて、今日は是非朽木さんにお話を伺いたくて」
「はい、よろこんで。しかし、あなたはこれから来るべき大きな不幸と業を背負っていそうな方だ。非常に心配です」
 私はいきなり出てきた不幸と業というワードに面食らってしまう。
 昼間の喫茶店で、はじめましてでそういう切り口ってありなのかしら?
「いやぁ、それはそれは。日々悩みに満ちた人生を送っておりますよ。それにしても参りましたねぇ、朽木さん。早速の予言でしょうか? では僕も予言しましょうか。朽木さんもなかなかに不幸を背負うことになりそうですよ」
「とんでもございません、私はとても幸せですよ。こうして人を導くお手伝いが出来て、日々心が満たされています」
「ははぁ、そうですか。ではさっそく僕を導いてくださいませんか?」
 暇さんが余裕の表情で提案すると、朽木さんは目を鋭くして暇さんを観察する。
「そうですね……。はい、あなたは人生の生き方に迷っておられますね」
「ほうほう生き方にですか。いやぁ、ずいぶんと大雑把ですねぇ。そもそも、生き方に迷わない人はいるのでしょうか?」
「もちろん、迷わず活き活きと生きる方はたくさんいますよ。神を信じ、祈りを捧げ、清廉な毎日を正しく生きる。幸福に満たされた素晴らしい日々があります。すべての安心は祈ることから始まるのです」
 神を信じて毎日を正しく生きる……。
 なんだか修行僧みたいな生き方だなぁ。
「神を信じてですか……。貴方がたの教義に従い、それに倣って生きるということですか?」
「はい。桐原さんにはすでにお話し、お渡しした水晶もしかり。丹精こめて作り上げた様々なご利益がつまったものを、こうして選ばれた、限られた方々にのみお渡ししております。それが真の救いとなるからです」
「選ばれた、限られた人に……? それはなぜです?」
 暇さんがわたしの疑問をそのまま口に出した。
「なぜ、といいますと?」
「ご利益のつまったそれはそれは素晴らしいものを、どうして限られた人に限られた方法でしか渡さないのですか? そのような品々、広く世界に出すべきではないでしょうか?」
「神の祝福を受けた神聖な品々は、数にも限りがございます。きちんとした製品にするのにも時間がかかります。それに、誰にでも手渡すような雑な方法を我々は好んでおりません。心無き人は、悲しいことにこの国にも多くいらっしゃいますからね」
 なんだかピンと来ない。
 生成が大変かもしれないけれど、暇さんの言う通り素晴らしいものなら世に広めていくべきである。広まることで、生成出来る人や場所だって増えるかもしれない。
 暇さんは、預かっていた水晶を手に取り覗き込んだ。
「ふむ、これの数に限り? この水晶がですね? どれどれ拝見……」
「どうです? 良く出来ているでしょう。神聖な気の宿った、またとない一品です」
 自信満々に言う朽木さんに、暇さんはちょっと口の端を上げて言った。
 暇さんの皮肉を込めたような笑みを、わたしは初めて見た気がする。
「いやぁ、これは……ただの大きなビー玉ですね。僕には何も感じられません、興味のないものです。それじゃ、お返しします、はい」
 そういうと、暇さんは預かっていた水晶を朽木さんに放り投げた。
「い、暇堂さん!? お貸ししていた水晶を投げるなんて!」
「な、なんてことを……! ひとついくらすると思っているのですか!? 傷でもついたら大変なことですよ! そもそも、これは神への冒涜ですっ!」
 ふたりに責められても、暇さんはどこ吹く風である。
「ああ、そういえば投げるときにテーブルに思い切りこすりつけました。キズがないか、大事な水晶を見て下さいませんか?」
 朽木さんと東原さんに、水晶玉をよく見るように促す。
 暇さんは相変わらずニコニコしたままだ。うーん、ここ数日見て来た感じだと、こんな笑顔を浮かべているときは何か悪だくみか計算高いことをしているっぽいなぁ。
 暇さんの言葉を聞いて、水晶玉を受け取った朽木さんは顔色を変えていた。
「な、なんという罰あたりな!」
 朽木さんが、丁寧に水晶を確認して、息をついた。
「……ふう、どうやらキズは無いようですね。神聖な力も感じます。まったく、気をつけてください。雑な扱いをすれば、この神聖な御力が失われてしまいます」
「ほうほう、神聖な。それはすごい。もう一度聴きますが、僕の投げたその水晶にはまだ神聖な力が残っていますか?」
「ええ、幸いにして、力は無事残っております」
 暇さんの笑みが深まる。ああ、ますます何かしそうな予感……。
 でも計算高そうな表情の暇さんもまた、良い――。
「僕にはそうは見えませんねぇ。なんにも感じられません。朽木さんは、神聖な御力をいったいどう確かめたのですか?」
「それは暇堂さんに信心がないからでしょう。しっかりと我々の神を信じて見ていれば、きちんと御力が見えてきますよ。東原さんには、この輝きが見えるのでは? どうです?」
 急に話を振られ、東原さんは水晶をのぞき込んで難しい顔をした。
 いきなりこんなことを聞かれても、困ってしまうだろう。
「え、あの……御力はわからないですが、とっても綺麗だとは、私も思います……」
「そうでしょうそうでしょう。暇堂さん、貴方も早く神が身近に感じられるといいですね」
 勝ち誇った顔で言う朽木さんを前に、暇堂さんがふふっと息をもらす。
 そして、朽木さんのもつ水晶そっくりの水晶を取り出したのであった。
「おおっと、間違えました。今お渡しした水晶は、僕が先日占い師の友人から買ったものです。彼いわく、なんにも力の宿っていないガラス玉だそうで。そんなものに、朽木さんは御力を感じるのですか? それにしても、水晶を間違えてしまうとは、いやぁうっかりしました」
 暇堂さんがしたり顔で言うと、朽木さんと東原さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。暇さん、いつの間にそんなもの仕入れたのだろう。
「え……? これ、ただのガラス玉なんですか?」
「なっ、そんなことあるはずが……わたしには確かに力が……だって……」
「見えると信じこめば、ガラス玉のなかに入った小さな気泡も特別なものに見える。水晶にありもしない、宿った力を錯覚してしまう。信じるということはときに目をつむってしまうことに非常に似ているんですよ。あ、本物の水晶も、お返ししますね」
 信じると言うのは、ときに目をつむってしまうこと。
 わたしは暇さんの言葉を心に刻みつけた。
「信じ込むことは、目をつむってしまうこと……?」
「何かの間違いです! そんなことは……!」
「そうですか? でも、今の間違いが良い例でしょう。なるほど、わかってきましたよ。朽木さん、あなたもまた騙されている側の人間であったわけですね。なるほどなるほど」
 暇さんがレモンスカッシュを飲み干して、カランと氷の冴えた音を立てる。
 引っかけられた朽木さんのほうは、飲み物に手を出すことも忘れてしまっているようだ。
「何がだまされている側ですか! 騙したのはあなたではないですか! こんなことをして、なんて罰あたりなことでしょう!」
「罰あたりだなんて、やだなぁ人聞きの悪い。僕はふたつの水晶があんまりにもそっくりだったので、ついつい間違えただけですよ」
「あなたは神をなんだと思っているのですか? これは大変不敬なことですよ!」
 適当に視線をさまよわせた暇さんが「神、ねぇ」とつぶやく。
「神……。先ほどから朽木さんのおっしゃる神とはいったいなんなのですか? アッラー? キリスト? それともブッタ? はたまた日本神話の八百万の神ですか? それともまだ見ぬ新しい神様でしょうか?」
「私が神とお呼びするのは、我ら神の子教会の創始者、現会長様であられる方です!」
「ほうほう、それはすごい。つまりは生きている人間の神、ですか?」
「人間が、神様……?」
 そんなこと、あり得るのだろうか。
 ううん、あったとして、もしそうなら世界中から信仰されそうだけど。
「そうです。会長はまさに現人神であらせられます。我々を教え導いて下さる、救世主さまなのです。あなただって会長のお人柄に触れれば……」
「い、生きた神様だったのですか? そんなお話は何も……」
 東原さんが戸惑うと、暇さんは声をあげて笑った。
「あはは、現人神ときましたか。これは恐れ入った。では問いましょう。そもそも現人神とはいったいなんです?」
 暇さんは、朽木さんとのお話の間にちゃっかりおかわりにアイスコーヒーを頼む。
 すっかり、場は暇さんのペースであった。
「それは……現世に人の身で現れて、我々迷えるものをお救い下さる神です」
「それはあなたがそう教わった、というだけのことでしょう。いいですか? 現人神とは。概要を語るならば王政復古をとった時の明治政府が大日本憲法第三条において神格化をされた天皇のことをさします。細かくははぶきますが、第二次世界大戦後、その天皇によって行われた人間宣言において、その神格性は架空のものであると認めています。つまり、現人神という言葉はこの現代においては架空のものでしかないのですよ」
 暇さんの言葉に、朽木さんが顔を真っ赤にして反論する。
「そ、それは……それはあくまで言葉尻をとらえただけのあげ足とりじゃないですか!」
「僕の言葉があげ足とりならば、貴方の言葉は何にもかすってさえいない。右翼、保守、その他少数派の例外をのぞき、現人神という言葉はすでに生きていない。そんな言葉を意味も理解せずに使い、その神々しいような響きだけに錯覚する、まったくもって妄言に等しい」
「暇堂さん、現人神はすでに架空のもの……なのですか?」
 戸惑う東原さんに、暇さんが優しい目を向けた。
「いやいや、ごく一部の人たちは未だに信じています。そして信じる事を否定する権利は誰にもないでしょう。しかし、広い世間においては使われない言葉です。朽木さんが『教会』を名乗っていることからも、日本古来のものや、皇室にまつわるものとは考えにくいです。本来あてはまる言葉ではありません」
「そんなかじっただけの知識で、人の思想を断じていいのですか!?」
 暇さんはコーヒーのおかわりを少しだけ口に含むと、真面目な顔で言った。
「それはいけません。現に現人神を信じて、また崇めている人だっているし、それは悪いこととは言い切れません。しかし、無責任な信仰で、きちんとした知識さえも伴わずに人に教えを広めた、あなたの行為はどうなのです? その上、言葉に責任も持てないままに朽木さんは人から金銭まで集めてしまった。そうした行為に及んだ、あなたには責任はないのですか?」
 朽木さんが顔を俯ける。
 東原さんが心配そうに横の朽木さんを見た。
 朽木さんは、絞り出すような声で言う。
「私はただ……私が救われたように、多くの人が救われればいいと……」
「そこです。真に多くの人をと思うのであれば、先ほど少しふれた、品物の渡し方もおかしいのです」
「なぜですか? きちんと一人一人に会って渡すことこそ……」
「朽木さんのおっしゃる方法にも一理あります。ですがそれには前提があります。本当の意味で、その品物をきちんと理解しているのか? 教義の教えを理解しているのか? 朽木さんはそうではなかった。あなたは、あなたを導いてくれた人のまねをして、教わった言葉を並べていただけ。指示されたことを行っただけ。そうでしょう?」
 暇さんが厳しい口調で語る。
 朽木さんは俯いていた顔をあげ、懇願するような表情をした。
「私は純粋に、多くの人に救いを広めたかったのです。それのなにがいけないのですか?」
「善意であれば何をしてもいいのですか? 違うでしょう。理由はどうあれ。動機はどうであれ。あなたは自分でもきちんとわかりきっていない高額なものを、沢山の人々に、言い方は悪いですがだまし、売りつけてきたんです」
「そんな……わたしはただ……そんなつもりじゃ……」
 口ごもる朽木さんの手の水晶を、暇さんがゆっくりと指さした。
「水晶をすり替えられても気付かない。言葉の矛盾にも気づけない。冷静であれば気付けたはずなのです。言ったでしょう。信じるということに時に、目をつむってしまうのですよ。目をつむったまま、他の人を見れるワケがない。そんな形で一人一人に会って不幸を予言し相手を困惑させ商品を渡すことに、なんの意味もないんです」
 暇さんがこうして強く言い切るのもめずらしい。
 普段はのらりくらりとしているのに、目には強い光がある。
 それだけ東原さんを、そしてきっと、朽木さんを救ってあげたいのかもしれない。
「朽木さん、あなたは近所で孤独だったのではないですか? というよりも、信仰を持ってから次第に孤立していったのではないですか?」
「えっ、どうしてそれがわかるのですか?」
 朽木さんがハッとしたように暇さんを見つめた。
「新興宗教の手口なんですよ。信者に、まずは近所に布教するように指導するのです。けれど、だいたいの人はそれを信じないし、そんなことを話すあなたを疎遠にしていく。すると、孤独を感じたあなたは、今まで以上に新興宗教に頼らざるを得なくなる。ああ、新興宗教じゃなくて教会ですかな。でもね、それが彼らの手口なのです、あなたは思惑にはめられて孤独に陥り、足を伸ばし一人暮らしの女の子たちまで狙ってしまったのです」
「そんな……確かに、周囲はわたしを遠ざけた。受け入れてくれたのは教会だけ。あなたの言うことが正しいなら、それなら……。わたしはどうしたらいいのです? ここまでしてしまったわたしは、何をどうしたらいいのですか!?」
 暇さんは目を細め、朽木さんを拒むように冷たい声をはなった。
「なぜ僕に尋ねるのです? 僕はあなたの神じゃありませんよ? なぜ、自分で考えずに何かに頼ろうとするのですか? その姿勢こそがあなたを惑わせた原因なのだと気付くべきです」
 東原さんが、困惑した顔で言った。
「暇堂さん、信じる事は、何かを信じて祈る行為は間違いなのですか?」
「まさかそんなハズがありません。信じる事はとても大切です。ですが信じるのであれば、それを強く信じるほど、しっかりと理解し知らなくてはいけない。何も知らずに信じるのでは文字通り盲信でしかない。そしてそれを広めてしまっては、害悪にすらなりかねない」
「信じるものを、しっかりと理解する……」
「何かを信じて生きる。人でも、宗教でも、神でも。それは素晴らしい生き方なんです。古代より人はそうして生きてきました。けれどね。信じるのであれば、その対象をしっかりと見ないといけない。ただ一方的になにもせず救われるなんてことは、僕の知る限りありません。信じるのであれば、全力を尽くすべきです。そうでしょう、朽木さん?」
 朽木さんは自分の手のひらを、ぎゅっと握りしめた。
 朽木さんだって、悪意をもってやったことではない。それでも、こんな結果になってしまうことがあるのが悲しい。
 朽木さんがか細い、消え入りそうな声をもらす。
「はい……。認識が甘く、取り返しのつかないことをしてしまったのかもと、今は思います。ただ何も考えず信じるだけというのは、危うい行為なのですね」
「これからどうするか。しっかりと考えてください。あなたは真面目な人だ。ただ、真面目であるということが必ずしも美徳では無い。まっすぐ生きるということが必ずしも素晴らしいとは限らない。世の中に表があれば裏もあるんです。あなたは今、ひとつ気づけたのでしょう。これからも多くのことに気付いて行けますよ」
 朽木さんは暇さんに向けかけた視線を、となりに座る東原さんに向けて一礼した。
「私が今、出来る事は……償いなのでしょうね。東原さん、わたしの軽率な行動で迷わせ、あげく金銭まで浪費させてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、そんな……。でも、朽木さんはこれからどうなさるのですか?」
「すべての品物をお返しください。お金は私が責任をもって返金します。教会にも掛け合い、色々とやってみるつもりです。もちろん、登録した個人情報もなんとかいたします」
 朽木さんの目に少しだけ力が籠る。
 失敗を認めたうえで、それでもすぐに動き出そうとする朽木さんは、本当は強い人なのかもしれない。ただそれが、方向を間違ってしまっていただけなのだ。
「そうだ、まず私がすることは、今まで知らずにだまして、ううん誤解させてしまった人への、謝罪と救済なんだ。暇堂さん、ありがとうございます」
「いいえ、僕はちょっとした引っかけ問題を出しただけですよ、答えを見つけたのはあなた自身です。礼には及びません」
 肩を落とす朽木さんに、東原さんがそっと手を置いた。
「でも、でもね朽木さん。私は、学校生活に不安で不安で、どうしようもなかったとき、あなたの言葉に救われました。それは紛れもない真実です。だから……ありがとうございます、朽木さん」
「東原さん、そんなありがたいお言葉を……。私にも、なにかほんの少しでも出来ていたのですか? こんな、お金を巻き上げてしまったわたしにも」
「はい。朽木さんはどうして良いかわからなくなっていた私には、とっても心強かったです。ですから、これからもうまく言えないんですけど、朽木さんは朽木さんのままでいてください。間違いは正さないといけないのかもしれません。けれど、決して朽木さんという人間を、自分で否定したりしないでくださいね。朽木さんは、一途で真面目な人だから」
 東原さんの言葉に、朽木さんはポロポロと涙を流した。
「東原さん……ありがとう、ございます……」

 こうして、東原さんのお悩み相談は一件落着を見た。
 まだ完全に解決したワケではないけれど、朽木さんが奔走して返金などの手続きを頑張っているらしい。根が真面目な朽木さんだから、きっとなんとかうまくやるだろう。
 私もまた、信じることというのはそれだけではいけないんだ、ということを学んだし、色んな人の好意が必ずしも相手にとって良いことにつながるワケでもないことを知った。
 様々なことを学んで、わたしもはやく一人前のお悩み相談を引き受けられる人間になりたいな、と思う。
 いつもの和室で、座布団に座る暇さんに語りかけた。
「それにしても暇さん、今回もあざやかに解決してみせましたね。凄いです」
「いや、問題に関わっていた人間が善人ばかりだったからこそ、これだけスムーズにいったのさ。良い人が、勘違いや思い込みから生まれてしまったケースだからね。これからはもっともっと厄介な人もくるだろう。都子君も、しっかり勉強していってくれたまえ」
 和室で宇治茶をすすりながら、暇さんはそう言って窓の外の景色に目をやった。



 真面目でまっすぐな人間ほど、世の中に汚されてバカを見る事もある。
 まったく、本当にいやなものだね。
 さてさてそれも詮無きことかな。
 さぁ、これからどんな人がここに訪れるかな?
 君も暇堂に来てみるかい?
 夕暮れ時の町の片隅、誰も気がつかないような張り紙を、そっと手にとってみたくなったら……。いつでもお待ちしているよ。

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