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心を着替える脱ぎ捨てる

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「ちょっときついな」
 野木さんを見送った後、オレはようやく古賀に店をひと通り案内された。
 カウンター席は目覚めたときに確認した通り八席。
 テーブル席ふたつにソファー席ふたつ。
 女装バーならではなのか、着替えとメイクを行える部屋もある。
 オレにとっては新世界であるが、女装バーは男の娘ブームもあり、ライト層にもウケてこの頃はそれなりに繁盛しているらしい。
「じゃあ、オレは軽く寝るから」
 案内を終えると、古賀は大きく伸びをして奥の部屋に消えた。
 教えて貰った店の営業時間は、夜八時から朝九時。
 きつい営業時間だが店の主、茂美はさすがの体力で、営業中は一切休まないらしい。
 他のスタッフは店の混雑の合間を見て、順次自由に休みをとる。この手の店は、お客さんがいないときはスタッフが多くてもしょうがない。
 ホスト時代も席が空いてればよくキャッチに外に出されたもんだ。休憩できるだけ、良心的だろう。
 あの頃の窮屈さに比べれば、今来ているチャイナ服など自由なものだ。
 そう。オレが今いる場所は更衣室である。
 野木さんを見送った時に鏡に映った、自分では無い自分。
 オレはそのあり得ない可愛い自分が気になっていた。すごく、気になっていた。
 どうやったら、気になるこの子はもっとかわいくなれるのだろう。
 気付けばオレは店にある衣装を片っ端から試着していた。
「うーん、これはこれでセクシーだけど、身体のラインが出過ぎちゃうチャイナ服は無しだな。やっぱり制服かブレザーかなぁ?」
 白のブラウスを着てベージュのカーディガンをはおり、黒に近い紺色のブレザーに袖を通す。シャツの首元に踊る赤いリボンが良く映える。
「スカートはやっぱチェック柄!」
 紺のブレザーにはやはりチェックのスカート、そこにロマンがあるのだ。
 だがしかし、色はどうするか。
 赤、青、はたまた緑、グレー? 考えろ、考えろ藤岡彰人……!
 鏡の前のグッドルッキングガイがピュアでガーリーな女子高生に着替えた瞬間、その下半身にはどんな色の花が咲いている?
 考えろ……! 色は……!
「さっさと出てこいオルァ!」
 突如ゴリラの吠え声が狭い更衣室に反響した。
「うわぁ! 出たぁ!」
「何が『出たぁ!』よ、あんたがさっさと出てきなさい! どんだけ着替えに時間かけるのよ!」
「うっ! もうちょっとだけ!」
「何もじもじ内股になってるのよ! とにかくあと四十秒で支度しな!」
 ゴリラは早口にまくし立て去っていった。
 もちろん、更衣室にはカギがある。オレとて女装するために入る更衣室、施錠を忘れたわけではない。ただ、茂美はじめスタッフは更衣室を外から開ける手段を知っている。
 夜の店ではトイレなどで眠ってしまう人が多いため、スタッフがカギの特殊な開け方を知っているのは珍しいことではない。
 鏡に視線を戻す。そこには困り顔の胸キュンJKが立っていた。
 ああ、かわいい。オレってばこんな才能があったなんて。
「全く、男ってやつはせっかちね」
「男はお前だー!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 バク転宙返りが出来ない人間に無理やり宙返りさせるのは、きっとこんな感じであろう。
 茂美のラリアットで宙を舞いながら、薄れゆく意識のなかでオレはそんなことを考えていた。

 襟首を掴まれ店に引きづり出される。
 まったく、今のオレはか弱くいたいけなJKだというのに、このゴリラはなんてことをするのだろうか、ひどい。
「いい加減にしなさいよ、男の癖に遅い着替えなんだから」
「女装バーなのに男って言うなよ! ……悪かったって、服が多くて迷っちゃってさ。なんであんなに衣装があるんだ?」
「お客さんの中にも、うちに来て着替えるひとが結構いるのよ。お客さんが持ってきたり、よそからもらったりで随分増えちゃったわ」
 なるほど、そういうことか。
 どおりで茂美が着るにはどれもサイズが小さかったわけだ。
 ゴリラというだけあって茂美はでかい。言うなれば茂美デラックス。身長はヒールを入れれば二メートルに近いだろう、上からの視線は威圧感が半端じゃない。
 そのうえ腕力と動きは野生のゴリラ並みと来ている。なんてかわいげのないチートキャラなんだろうか。
「へぇー。この店は、お客さんも着替えるのか」
「結構多いわ。もしろそれがメインなんじゃないかしらね。皆、いつもと違う自分に着替えて非日常を味わって、気分をリフレッシュさせるのよ。今日もそういうお客さんが来るかもしれないし、覚えといて」
「なるほど、確かに違う自分になれるってこんなに解放感あるんだもんな。わかった」
 着替えるお客さんか。一体どんなひとだろう。
 あからさまなオネエなひとが来るような気もするし、野木さんのような大人がいきなり着替えてみたりってこともありそうな気もする。
 ひとは見かけによらないというが、夜の店なんて自分の『見かけ』を捨てにきているような部分もある。でも女装、女装かぁ……。
「違う自分に着替えるとね、気持ちが変わるのよ」
 考え込んでいたオレの頭のなかを見透かしたように、ソファーに腰かけた茂美が言った。
「アンタだってそう。さっきから女装してイキイキとしてるじゃない」
「これは、なんか……自分が変われるって楽しくて」
「ひとはそのときの気分によって、人生生まれ変わる事は出来ないけどね」
 不意に、茂美が遠くを見るように目を細めた。
 ここがジャングルなら、獲物を見つけたと思わざるえないような顔だ。
「ほんの少しの間、気持ちを着替えることは出来るのよ。うちみたいなとこは非日常的な空間だからね。身体も心も、着替えやすいのよ」
「身体も心も、か」
 散々泣き喚いて去っていった野木さんも、言うなれば仕事にどっぷりつかって汚れて重くなってしまった心を、この店で少しだけ着替えていたのだろう。
「野木さんへの接客、見ていたよ。茂美は、どうしてあんなに強いんだ?」
 野木さんが茂美の胸の中で泣いている時に思った事を、素直に問いかける。
「なんであんな風に、店にやって来るお客さんの哀しさを上手に受け止められるんだ?」
「私はぜんぜん、強くなんかないわ」
 一息でタバコを灰に変えながら、茂美はそっけなく答えた。
 横を向いて煙を吐き出す茂美にはぐらかされたようで、オレはなおも食い下がった。
「でも、茂美の接客ひとつで野木さんはあんなにも変われたじゃないか!」
「私はね、心がマヒしてるだけよ」
 茂美の目に初めて哀しみの色が浮かび、次の瞬間消えた。
「心がマヒしてるからこそ、ほかのお客さんのことだけを考えられる。自分のことは置いておいて、接客だけに集中出来る。そして色々な選択肢を見つけられる」
 再び開かれた目は、今までの茂美と変わらぬ野生の目になっている。
「アンタ、やってくるお客さんの哀しい目を変えたいって言ってたわよね?」
 茂美がタバコの残がいを灰皿に投げ、足を組んだ。
「彼らを変えるために、アンタは何をしてきたの?」
「冗談言って笑わせたり、動物の写真や動画、可愛いものや面白いものを探してスマホで見せたり……」
「彰人、ひとつ教えてあげるわ。アンタの言う哀しい目をした人ってのはね。生きることに苦しんでいるひとや、哀しみを抱えているひと」
 そりゃあ誰だって生きていればつらいけどね、と茂美が自嘲気味につけたして、口の端だけでかすかに笑った。
 一呼吸置いて言葉を続ける。
「そんなひとたちに、こっちから適当な言葉をかけようとするんじゃないの。大切なのはね、彼らの言葉に耳を傾ける事なのよ。それを、忘れちゃダメ」
「彼らの言葉に、耳を傾ける?」
 哀しい目をして微笑むお客さんたちが、脳裏をよぎる。
 皆、哀しい目で笑い、オレに道化を求めていた気がする。
「冗談はいつでも言える。笑われるボケなんてすぐに出来る。動物画像なんてお手軽よね。でも、違う。それじゃダメなの」
「どうして? ほかにどうすれば良いって言うんだ?」
「相手の哀しい目に気付いたのなら、その目に気付けるのなら。彼らの心が『哀しい』とささやきだした一瞬を、聞きのがしちゃいけないの」
「『哀しい』と、ささやきだした一瞬……」
 あのひとたちの、心のささやき。心が紡ぎ出す声を。
 オレは、どれだけ聞けていたのだろう。
 何もかも薄暗くて嘘くさいホストクラブの中で、ただただ滑稽に道化を演じて。
 それで彼女たちの心にも、上辺だけの分厚いヴェールを被せていただけ。
 痛みにも哀しみにも鈍くなる、心に被せる冷たいヴェールはきっと、朝の光に晒されれば壊れて消えてなくなるのだろう。
「誰にだって、さらけ出せない弱さがある。常識に縛られて、動けなくなることがある。普通とか、当たり前とか、そんなありもしない奇妙な常識を押し付けられて。ほんの少しの違いで何もかも狂うおかしな基準よ」
 窓から静かに朝の陽射しが差し込んできた。
 ソファーに座る茂美の顔は、逆光になってはっきりと見えなかった。
「大人になれば努力と言う過程は評価されることはない、結果が全て。社会には、原因と結果。白と黒しかないかも知れない。でも、ここではなんだって存在できるの。この店のなかでの答えは白と黒だけじゃない。白でも黒でも無い、グレーが許される」
 夜明け。
 黒い世界は、ゆっくりと白に変わる。立ち上がった茂美が、すっとカーテンを引いた。
 朝の光がぼやける。薄暗い、光とも闇とも言えない空間で、金髪のゴリラは眉をつりあげて微笑んでみせた。
「だって、そうでしょ? ここは男でも女でもない、アタシが作った空間なんだから」
 すべてを裁く黒い世界と白い世界も、この店だけは見逃してくれるのかもしれない。
 エリザベス茂美は夜と朝の隙間にグレーを作り、何もかもを曖昧にして、そこでそっと全てを抱きしめる。
 買いかぶりだろうか?
 それでも、オレにはそんな風に思えたんだ。
「意地とか、対面とか、建前とか常識とか……くだらないだろ?」
「古賀、起きてたのか」
 振り返るとこの店のもうひとりのスタッフ、古賀史明が立っていた。
「ここはな、そういうつまんないものを脱ぎ捨てる場所なんだよ。でもな、彰人」
 休憩を終えた古賀が、オレに歩み寄ってきた。
 今まで見たことのないような、古賀の真剣な眼差しを真っ直ぐに受け止める。
「スカートは履け」
「はいっ!?」
 突然の言葉に、オレは自分の下半身に目をやった。
 大きめの白いシャツの端から、白い素足があらわになっている。
「な、なんで!?」
 ああ、そうか。思い出した。
 オレは、JKコスチュームのブレザーに合わせてどれを履こうかとスカートを選んでいる最中に、茂美にここに無理やり連れ出されたのだった。
「なかなかいい趣味しているが、店ではちょっと刺激が強すぎる、続きは後でな」
「続きも後でも何もねーからな!」
「言っておくが、スカートの色は青チェック、一択だ」
「ひとの話聞けよ」
 オレを無視して青いチェック柄のスカートを差し出した古賀。その手から乱暴にスカートを奪う。急いでスカートに足を通した時、店のドアベルが鳴った。 
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