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うしろ
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【うしろ】
ある日の放課後、わたしと晴人センパイは雪乃さんと太刀風さんをつれて中央公園の遊歩道に来ていた。
心霊部のふたりに、門吉さんを紹介するためだ。
晴人センパイが約束した日から、公園では『酒、タバコ』という声も止んだ。
晴人センパイのお父さんがお酒とタバコをお供えしてくれたらしい。
それで、センパイが顔合わせはするのも良いだろうと判断したという。
晴人センパイから事情を聞いていたので、雪乃さんも太刀風もおどろくことなく門吉さんと会うことができた。
門吉さんのお人柄……ユーレイだけど……もあり、三人はすぐ打ちとけて、雪乃さんは「門吉っち」、太刀風さんは「門吉どの」と呼ぶようになった。
「じゃあ、あたし遊ぶ約束あるからお先に帰るね! 門吉っち、バイバーイ!」
「わたしも……拳法部の訓練があるゆえ……先に失礼する。……門吉どの、また……」
雪乃さんと太刀風さんが去ったあと、わたしたちは三人でしばらく話をしていた。
中央公園の遊歩道の、木々の中。もともと日差しはほとんどないので、すっかり時間を忘れて話してしまう。
「おっと、もうこんな時間か。灯里、オレたちもそろそろ行くぞ」
「あ、いっけない。おしゃべりしすぎちゃった! 門吉さん、またくるね!」
『おう、ぼうずも嬢ちゃんも元気でな! いつでも待ってるぜ! はっはっは!』
木々のすき間から抜け出ると、中央公園の遊歩道はすっかりふかいオレンジ色にそまっていた。わたしと晴人センパイはそのまま、遊歩道を出て駅につづく道を歩く。
「門吉さん、みんなとなじんでくれましたね。きっと良い土地神さまになってくれます!」
「そうだな、いろいろと雑霊のこともめんどう見てくれているようだし、一安心だ」
晴人センパイがうなずく。
中央公園を出て道路沿いの道へ。今日はやけに車通りが少ない気がした。
ゆっくりセンパイと歩いていると、景色がだんだん暗くなっていく。
ふと、背後から小さな声が聞こえた。
『うしろ……』
うしろ? うしろがなんだっていうんだろう。
気になってふり返りそうになったわたしを、センパイが肩をつかんで止めた。
「センパイ?」
「ふり返るな、良くないものだ」
「え、それってまさか……」
「おそらく、何らかの悪霊だ。くそ、逢魔が時(おうまがとき)を狙って出てきたな」
センパイがやられたというように悔しそうな顔をした。
「センパイ、逢魔が時ってなんですか?」
「ああ、夕方の薄暗くなる、昼が夜に変わっていく時刻を言う。そういう時間は、バケモノが出やすい時間とされているんだ」
「そんな時間帯があるんですね……うう、イヤだなぁ」
わたしがブルリと身を震わせた。
感覚をとぎすます。たしかに、首筋にかけて感じる気味の悪い気配がする。
『うしろ……うしろ……』
声はなおも、わたしたちのうしろからかけられる。
『うしろ……うしろ……』
晴人センパイが、わたしの方を向いた。
そのままふり返ってしまうんじゃないかと、ビックリしてしまった。
「横を向く分には問題ないみたいだな。やはりやつはなんとしてもうしろを向かせたいワケか」
「絶対、ふり返らないで帰りましょうね。センパイ!」
「そうだな。前に灯里にわたしたお札は、今日こそちゃんと持っているか?」
「はい! 今日はちゃんとカバンの中に入っています!」
晴人センパイが、うなるような声をあげて「そうか……」とつぶやいた。
『うしろ……うしろ……』
声は止まることなく続く。
「どうかしたんですか?」
「いや、オレも自分用に一枚、札を持っている。二枚も札がそろっているのに、こんなハッキリ悪霊の声がとどくとは。力のつよい悪霊か、はたまたオレの修行不足か……」
「センパイはいっつも霊を追いはらったり、いろいろしています! 力不足なんてことないですよ!」
「そうだといい……とも言えないな。それなら、あの声の主がマズイ相手ってことになる」
晴人センパイのお札が二枚あっても、防げない声――。
『うしろ……うしろ……』
どこまでもついてくる。
道路には街灯もあり、夕方になっても明るかった。それでも、その逢魔が時というのは悪いモノを呼び寄せてしまうのだろうか。
「まぁ、土地も悪いしな」
「土地? この辺り、なにか良くない場所なんですか?」
「なんだ? 知らないで入学してきたのか、灯里」
センパイがなかば呆れた声で言う。
「この辺り、特にこの学校、御神楽学園付近の土地は、かつて刑場だったんだ」
「刑場って言いますと?」
「罪人、つまり悪事をおかしたひとの死刑を執行する場所だ」
「えええっ!? ここってそんな怖い土地だったんですか!?」
そんなぁ! ただでさえ取りつかれ体質のわたしが、そんな学校に通ってたなんて!
うう、まったく知らなかったなぁ。
「だからこそ、門吉さんにも土地神になってもらえないかとああして接している」
「そういうことだったんですね……。はぁ、知らなかった。わたしのバカバカ!」
『うしろ……うしろ……』
どんなに後悔したって、悪霊はまってくれない。
気のせいか、声はちょっとずつ近づいている気がする。
首筋から背中にかけても、ちょっとずつ冷たくなっていく。
「なんか、だいぶ近くに来ましたね、声」
「相手にするな。あれだけ『うしろ』と言うからには、ふり返らせないと何もできないんだろう。駅までまっすぐ進むだけだ」
「はい、センパイ」
歩く。いつもは大して距離を感じないのに、駅までの道がとても遠い。
はやく電車に乗ってしまおう。そうすれば悪霊だってついてこないだろう。
「あれ?」
カバンから、スマートフォンがなる音が聞こえた。
だれだろう。帰りがおそくなったから、お母さんが心配したのかな。
うしろを見ちゃわないようにしながら、スマートフォンを取り出した。
「非表示着信?」
「出ない方が良いかもしれないが、出るなら気をつけろよ」
「気をつけろって、電話でも何かあるんですか? と、とりあえず出てみます」
受信のボタンに指をすべらせて、電話に出る。
スマートフォンを耳にあてた。
『うしろ……うしろ……』
「ひっ!?」
通話口の向こうから、今までよりもハッキリと声が聞こえた。
男のひとが、つぶれたノドからなんとか声をしぼりだしているような音。
「やっぱりアイツの仕業だったか」
「センパイ、ユーレイって電話にまで出てくるんですかっ!?」
「ユーレイが電波に干渉してくることはよくある。マイクがいきなり雑音をひろってキィキィいうときがあるだろう。ああいうのも一部は霊のイタズラだ」
「そんなぁ……カラオケ行くの怖くなっちゃいますよ」
『うしろ……うしろ……』
不気味な声がひびくスマートフォンの通話を切り、サイレントモードにしてカバンに戻す。オバケに電話をかけられるなんて、まっぴらごめんだ。
「とにかくアイツはうしろを向かせたいらしい。ならこちらはうしろを向かなければいい」
「そうします。ああ、ようやく駅も見えてきた。つかれたぁ」
「何かしてくるかも知れん、気を抜くなよ」
できるだけ、センパイと真横にならぶように歩く。
『うしろ……うしろ……』
そうすれば、お互いの顔を見て話さなきゃいけないときでも、横を向けば話ができる。
差がついちゃうと、前にいるほうはうしろを見なきゃいけなくなってしまうから。
『うしろ……うしろ……』
晴人センパイもそう考えているのか、わたしに合わせておそめに歩いてくれている。
声は何度も聞こえてくる。もう耳元にいるような聞こえ方だ。
「今日の夜や明日の朝、この道路について何か調べてみよう」
「このオバケが出る理由を探すんですね?」
「そうだ。理由もなく出る悪霊もたまにいるが、大抵は何かしら理由があって出るからな」
『うしろ……うしろ……』
駅についた。人工的な照明の明るさが、わたしを少し安心させてくれる。
これだけまぶしかったら、オバケなんて出てこれないにちがいない。
「まだ油断するなよ、灯里」
わたしの心を見すかしたように、晴人センパイが注意した。
「はい、気をつけます」
駅の中に入る。改札を通り抜けるには横を向く必要があるので、慎重に横を向いた。
絶対にうしろを向かないように、ギクシャクと横を向く。
改札を通ったら、前にある階段をおりてホームに。
ここで電車を待つときも、やっぱり横を向いた。
うしろを向けないって思うとなんだか重苦しいし、思っていたよりずっと不便だ。
自分がロボットになっちゃったみたいに、ぎこちない動き。
「センパイ、声は聞こえなくなりましたね」
「ああ、そうだな」
ふぅ、と一息ついていると、ホームにわたしたちの地元に行く電車がやってきた。
席はうまっていたので、わたしと晴人センパイは窓から景色が見える場所に並んで立つ。
「せっかく楽しい一日だったのに、あのオバケのせいでだいなしでした」
「なにごとも起きなかっただけ、良しとしよう。今度門吉さんにも話しておく」
「そうですね、門吉さん悪い霊をやっつけてくれるかなぁ」
電車にゆられながら、ながれていく外の景色を見る。
お日様はもうほとんどしずみきっている。
(どこのおうちも、もう夕ご飯の支度をしているのかな)
立ちならぶ家々から見える明かりをながめながら、そんなことを考えたり。
そのとき、電車がトンネルに入った。
今まで見えていた景色が消えて、窓が暗いトンネルを映し出す。
まっくらな中で、電車の窓はかがみのようになる。そこにはつかれきったわたしの顔がうつって――。
「……っ!?」
声をあげそうになったわたしの口を、晴人センパイがおさえた。
電車の窓。色をうすくしたかがみみたいになった景色。
その、わたしと晴人センパイがうつった窓のうしろに――。
いた。
ナワか何かで足を吊るされて、逆さまになったじっとこちらを見ている男が。
片方の目は顔からこぼれ落ち、もうひとつの目がギラギラと光るように、わたしたちを見ている。髪は宙吊りなせいか逆立って、鼻はもうくさっているような色。
うつろに空いた口が、ゆっくり動いた。
『うしろ……うしろ……』
「せ、センパイ……」
「見るな、相手にもするな。ふり返らなければ何もできない。だいじょうぶだ」
わたしを落ちつかせるように、ゆっくりとしたしゃべり方でセンパイが言う。
トンネルが、いつもよりずっと長く感じられた。
わたしは目をとじて、電車がトンネルをぬけるのを待つ。
トンネルを通るとき特有のくぐもった走る音が消えたとき、わたしはようやく目を開いた。外には、うす暗くなった街の様子がうつしだされている。
「はぁ……ビックリした」
「今日は家に帰るまで油断できないな。トッテさんはまだへやにいるか?」
「トッテさんですか? はい、あいかわらず、ずっといます」
「それなら、トッテさんが音をならすまでは灯里はうしろをふり返るなよ」
ほかの霊がいるところには、霊も入りにくい。
トッテさんが本当に守り神のようになるときが来るなんて――。
電車がわたしたちのおりる駅に着いた。
わたしは横を向いて電車の出口まで進み、出口のそばでもう一度横を向いておりる。
いつもだったらななめに歩いちゃうんだけど、ななめがセーフかアウトかわからない。
(これって、相当ふべんかも)
駅を出てしばらく歩くと十字路に出る。ここでセンパイとはバイバイだ。
けれど、十字路に差しかかってもセンパイは動かなかった。
「あれ、晴人センパイ?」
「今日は心配だから灯里のマンションまで送っていくよ。行こうぜ」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
良かったぁ! ひとりになったら帰り道がすっごく怖いだろうなぁと思っていたから。
それに、晴人センパイがわたしのことを心配してくれるのも嬉しい!
学校の最寄り駅で聞いたきり『うしろ……うしろ……』という声は止んでいるけど、電車の中のできごとを考えると油断はできない。
わたしたちはマンションまでの道を、早足で歩いた。
マンションの入り口で、横にいる晴人センパイに向きなおりお礼を言う。
「晴人センパイ、ここまで送ってくださいましてありがとうございました。センパイも、おうちに帰るまで気をつけてください。センパイの家は神社だし、家に帰ればだいじょうぶだとは思いますけど」
「ああ。ふり返らないように、回り道して帰る。何かあったらいつでも連絡してくれ」
「はい! それじゃあまた明日、学校で!」
晴人センパイと別れて、自分の家まで進む。
カギを開けて家に入るとお母さんが「おかえり。おそいわよ、灯里。もうすぐ夕飯できるからね」とむかえてくれた。
「はぁい。へやで着がえてくるね」
自分のへやに入ると、わたしは小さな声で「トッテさん」と呼ぶ。
するとへやの中から『トッ』という音が返ってくる。
良かった、ここまでは悪い霊も追いかけてきていないみたい。
わたしは着がえをすませて、お父さんとお母さん、お姉ちゃんと夕飯を食べる。
「灯里、お風呂も入っちゃいなさいね」
夕ご飯のあとに食器を片づけていると、お母さんに言われた。
今日はお風呂でさっぱりしたい気持ちだったから、すなおに「わかった」と応じてタオルを持ってお風呂場に向かった。
お風呂場の横の洗面台。そこに、大きなかがみが置かれている。
かがみを見て、わたしはふいに電車の中のことを思い出してゾッとした。
――もし、かがみを見てうしろにあの悪い霊がいたら。
わたしはできるだけ、かがみを見ないようにしてお風呂をすませた。
でも、髪をかわかすときはそうはいかない。
『うしろ……うしろ……』
あのしぼりだしたような気味の悪い声を、逆さ吊りにされた姿。
思い出すだけど恐ろしい。わたしはすっかり、かがみを見るのが苦手になってしまった。
ある日の放課後、わたしと晴人センパイは雪乃さんと太刀風さんをつれて中央公園の遊歩道に来ていた。
心霊部のふたりに、門吉さんを紹介するためだ。
晴人センパイが約束した日から、公園では『酒、タバコ』という声も止んだ。
晴人センパイのお父さんがお酒とタバコをお供えしてくれたらしい。
それで、センパイが顔合わせはするのも良いだろうと判断したという。
晴人センパイから事情を聞いていたので、雪乃さんも太刀風もおどろくことなく門吉さんと会うことができた。
門吉さんのお人柄……ユーレイだけど……もあり、三人はすぐ打ちとけて、雪乃さんは「門吉っち」、太刀風さんは「門吉どの」と呼ぶようになった。
「じゃあ、あたし遊ぶ約束あるからお先に帰るね! 門吉っち、バイバーイ!」
「わたしも……拳法部の訓練があるゆえ……先に失礼する。……門吉どの、また……」
雪乃さんと太刀風さんが去ったあと、わたしたちは三人でしばらく話をしていた。
中央公園の遊歩道の、木々の中。もともと日差しはほとんどないので、すっかり時間を忘れて話してしまう。
「おっと、もうこんな時間か。灯里、オレたちもそろそろ行くぞ」
「あ、いっけない。おしゃべりしすぎちゃった! 門吉さん、またくるね!」
『おう、ぼうずも嬢ちゃんも元気でな! いつでも待ってるぜ! はっはっは!』
木々のすき間から抜け出ると、中央公園の遊歩道はすっかりふかいオレンジ色にそまっていた。わたしと晴人センパイはそのまま、遊歩道を出て駅につづく道を歩く。
「門吉さん、みんなとなじんでくれましたね。きっと良い土地神さまになってくれます!」
「そうだな、いろいろと雑霊のこともめんどう見てくれているようだし、一安心だ」
晴人センパイがうなずく。
中央公園を出て道路沿いの道へ。今日はやけに車通りが少ない気がした。
ゆっくりセンパイと歩いていると、景色がだんだん暗くなっていく。
ふと、背後から小さな声が聞こえた。
『うしろ……』
うしろ? うしろがなんだっていうんだろう。
気になってふり返りそうになったわたしを、センパイが肩をつかんで止めた。
「センパイ?」
「ふり返るな、良くないものだ」
「え、それってまさか……」
「おそらく、何らかの悪霊だ。くそ、逢魔が時(おうまがとき)を狙って出てきたな」
センパイがやられたというように悔しそうな顔をした。
「センパイ、逢魔が時ってなんですか?」
「ああ、夕方の薄暗くなる、昼が夜に変わっていく時刻を言う。そういう時間は、バケモノが出やすい時間とされているんだ」
「そんな時間帯があるんですね……うう、イヤだなぁ」
わたしがブルリと身を震わせた。
感覚をとぎすます。たしかに、首筋にかけて感じる気味の悪い気配がする。
『うしろ……うしろ……』
声はなおも、わたしたちのうしろからかけられる。
『うしろ……うしろ……』
晴人センパイが、わたしの方を向いた。
そのままふり返ってしまうんじゃないかと、ビックリしてしまった。
「横を向く分には問題ないみたいだな。やはりやつはなんとしてもうしろを向かせたいワケか」
「絶対、ふり返らないで帰りましょうね。センパイ!」
「そうだな。前に灯里にわたしたお札は、今日こそちゃんと持っているか?」
「はい! 今日はちゃんとカバンの中に入っています!」
晴人センパイが、うなるような声をあげて「そうか……」とつぶやいた。
『うしろ……うしろ……』
声は止まることなく続く。
「どうかしたんですか?」
「いや、オレも自分用に一枚、札を持っている。二枚も札がそろっているのに、こんなハッキリ悪霊の声がとどくとは。力のつよい悪霊か、はたまたオレの修行不足か……」
「センパイはいっつも霊を追いはらったり、いろいろしています! 力不足なんてことないですよ!」
「そうだといい……とも言えないな。それなら、あの声の主がマズイ相手ってことになる」
晴人センパイのお札が二枚あっても、防げない声――。
『うしろ……うしろ……』
どこまでもついてくる。
道路には街灯もあり、夕方になっても明るかった。それでも、その逢魔が時というのは悪いモノを呼び寄せてしまうのだろうか。
「まぁ、土地も悪いしな」
「土地? この辺り、なにか良くない場所なんですか?」
「なんだ? 知らないで入学してきたのか、灯里」
センパイがなかば呆れた声で言う。
「この辺り、特にこの学校、御神楽学園付近の土地は、かつて刑場だったんだ」
「刑場って言いますと?」
「罪人、つまり悪事をおかしたひとの死刑を執行する場所だ」
「えええっ!? ここってそんな怖い土地だったんですか!?」
そんなぁ! ただでさえ取りつかれ体質のわたしが、そんな学校に通ってたなんて!
うう、まったく知らなかったなぁ。
「だからこそ、門吉さんにも土地神になってもらえないかとああして接している」
「そういうことだったんですね……。はぁ、知らなかった。わたしのバカバカ!」
『うしろ……うしろ……』
どんなに後悔したって、悪霊はまってくれない。
気のせいか、声はちょっとずつ近づいている気がする。
首筋から背中にかけても、ちょっとずつ冷たくなっていく。
「なんか、だいぶ近くに来ましたね、声」
「相手にするな。あれだけ『うしろ』と言うからには、ふり返らせないと何もできないんだろう。駅までまっすぐ進むだけだ」
「はい、センパイ」
歩く。いつもは大して距離を感じないのに、駅までの道がとても遠い。
はやく電車に乗ってしまおう。そうすれば悪霊だってついてこないだろう。
「あれ?」
カバンから、スマートフォンがなる音が聞こえた。
だれだろう。帰りがおそくなったから、お母さんが心配したのかな。
うしろを見ちゃわないようにしながら、スマートフォンを取り出した。
「非表示着信?」
「出ない方が良いかもしれないが、出るなら気をつけろよ」
「気をつけろって、電話でも何かあるんですか? と、とりあえず出てみます」
受信のボタンに指をすべらせて、電話に出る。
スマートフォンを耳にあてた。
『うしろ……うしろ……』
「ひっ!?」
通話口の向こうから、今までよりもハッキリと声が聞こえた。
男のひとが、つぶれたノドからなんとか声をしぼりだしているような音。
「やっぱりアイツの仕業だったか」
「センパイ、ユーレイって電話にまで出てくるんですかっ!?」
「ユーレイが電波に干渉してくることはよくある。マイクがいきなり雑音をひろってキィキィいうときがあるだろう。ああいうのも一部は霊のイタズラだ」
「そんなぁ……カラオケ行くの怖くなっちゃいますよ」
『うしろ……うしろ……』
不気味な声がひびくスマートフォンの通話を切り、サイレントモードにしてカバンに戻す。オバケに電話をかけられるなんて、まっぴらごめんだ。
「とにかくアイツはうしろを向かせたいらしい。ならこちらはうしろを向かなければいい」
「そうします。ああ、ようやく駅も見えてきた。つかれたぁ」
「何かしてくるかも知れん、気を抜くなよ」
できるだけ、センパイと真横にならぶように歩く。
『うしろ……うしろ……』
そうすれば、お互いの顔を見て話さなきゃいけないときでも、横を向けば話ができる。
差がついちゃうと、前にいるほうはうしろを見なきゃいけなくなってしまうから。
『うしろ……うしろ……』
晴人センパイもそう考えているのか、わたしに合わせておそめに歩いてくれている。
声は何度も聞こえてくる。もう耳元にいるような聞こえ方だ。
「今日の夜や明日の朝、この道路について何か調べてみよう」
「このオバケが出る理由を探すんですね?」
「そうだ。理由もなく出る悪霊もたまにいるが、大抵は何かしら理由があって出るからな」
『うしろ……うしろ……』
駅についた。人工的な照明の明るさが、わたしを少し安心させてくれる。
これだけまぶしかったら、オバケなんて出てこれないにちがいない。
「まだ油断するなよ、灯里」
わたしの心を見すかしたように、晴人センパイが注意した。
「はい、気をつけます」
駅の中に入る。改札を通り抜けるには横を向く必要があるので、慎重に横を向いた。
絶対にうしろを向かないように、ギクシャクと横を向く。
改札を通ったら、前にある階段をおりてホームに。
ここで電車を待つときも、やっぱり横を向いた。
うしろを向けないって思うとなんだか重苦しいし、思っていたよりずっと不便だ。
自分がロボットになっちゃったみたいに、ぎこちない動き。
「センパイ、声は聞こえなくなりましたね」
「ああ、そうだな」
ふぅ、と一息ついていると、ホームにわたしたちの地元に行く電車がやってきた。
席はうまっていたので、わたしと晴人センパイは窓から景色が見える場所に並んで立つ。
「せっかく楽しい一日だったのに、あのオバケのせいでだいなしでした」
「なにごとも起きなかっただけ、良しとしよう。今度門吉さんにも話しておく」
「そうですね、門吉さん悪い霊をやっつけてくれるかなぁ」
電車にゆられながら、ながれていく外の景色を見る。
お日様はもうほとんどしずみきっている。
(どこのおうちも、もう夕ご飯の支度をしているのかな)
立ちならぶ家々から見える明かりをながめながら、そんなことを考えたり。
そのとき、電車がトンネルに入った。
今まで見えていた景色が消えて、窓が暗いトンネルを映し出す。
まっくらな中で、電車の窓はかがみのようになる。そこにはつかれきったわたしの顔がうつって――。
「……っ!?」
声をあげそうになったわたしの口を、晴人センパイがおさえた。
電車の窓。色をうすくしたかがみみたいになった景色。
その、わたしと晴人センパイがうつった窓のうしろに――。
いた。
ナワか何かで足を吊るされて、逆さまになったじっとこちらを見ている男が。
片方の目は顔からこぼれ落ち、もうひとつの目がギラギラと光るように、わたしたちを見ている。髪は宙吊りなせいか逆立って、鼻はもうくさっているような色。
うつろに空いた口が、ゆっくり動いた。
『うしろ……うしろ……』
「せ、センパイ……」
「見るな、相手にもするな。ふり返らなければ何もできない。だいじょうぶだ」
わたしを落ちつかせるように、ゆっくりとしたしゃべり方でセンパイが言う。
トンネルが、いつもよりずっと長く感じられた。
わたしは目をとじて、電車がトンネルをぬけるのを待つ。
トンネルを通るとき特有のくぐもった走る音が消えたとき、わたしはようやく目を開いた。外には、うす暗くなった街の様子がうつしだされている。
「はぁ……ビックリした」
「今日は家に帰るまで油断できないな。トッテさんはまだへやにいるか?」
「トッテさんですか? はい、あいかわらず、ずっといます」
「それなら、トッテさんが音をならすまでは灯里はうしろをふり返るなよ」
ほかの霊がいるところには、霊も入りにくい。
トッテさんが本当に守り神のようになるときが来るなんて――。
電車がわたしたちのおりる駅に着いた。
わたしは横を向いて電車の出口まで進み、出口のそばでもう一度横を向いておりる。
いつもだったらななめに歩いちゃうんだけど、ななめがセーフかアウトかわからない。
(これって、相当ふべんかも)
駅を出てしばらく歩くと十字路に出る。ここでセンパイとはバイバイだ。
けれど、十字路に差しかかってもセンパイは動かなかった。
「あれ、晴人センパイ?」
「今日は心配だから灯里のマンションまで送っていくよ。行こうぜ」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
良かったぁ! ひとりになったら帰り道がすっごく怖いだろうなぁと思っていたから。
それに、晴人センパイがわたしのことを心配してくれるのも嬉しい!
学校の最寄り駅で聞いたきり『うしろ……うしろ……』という声は止んでいるけど、電車の中のできごとを考えると油断はできない。
わたしたちはマンションまでの道を、早足で歩いた。
マンションの入り口で、横にいる晴人センパイに向きなおりお礼を言う。
「晴人センパイ、ここまで送ってくださいましてありがとうございました。センパイも、おうちに帰るまで気をつけてください。センパイの家は神社だし、家に帰ればだいじょうぶだとは思いますけど」
「ああ。ふり返らないように、回り道して帰る。何かあったらいつでも連絡してくれ」
「はい! それじゃあまた明日、学校で!」
晴人センパイと別れて、自分の家まで進む。
カギを開けて家に入るとお母さんが「おかえり。おそいわよ、灯里。もうすぐ夕飯できるからね」とむかえてくれた。
「はぁい。へやで着がえてくるね」
自分のへやに入ると、わたしは小さな声で「トッテさん」と呼ぶ。
するとへやの中から『トッ』という音が返ってくる。
良かった、ここまでは悪い霊も追いかけてきていないみたい。
わたしは着がえをすませて、お父さんとお母さん、お姉ちゃんと夕飯を食べる。
「灯里、お風呂も入っちゃいなさいね」
夕ご飯のあとに食器を片づけていると、お母さんに言われた。
今日はお風呂でさっぱりしたい気持ちだったから、すなおに「わかった」と応じてタオルを持ってお風呂場に向かった。
お風呂場の横の洗面台。そこに、大きなかがみが置かれている。
かがみを見て、わたしはふいに電車の中のことを思い出してゾッとした。
――もし、かがみを見てうしろにあの悪い霊がいたら。
わたしはできるだけ、かがみを見ないようにしてお風呂をすませた。
でも、髪をかわかすときはそうはいかない。
『うしろ……うしろ……』
あのしぼりだしたような気味の悪い声を、逆さ吊りにされた姿。
思い出すだけど恐ろしい。わたしはすっかり、かがみを見るのが苦手になってしまった。
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「どこ。どこ。ここはどこ?」と自問していたら、こっちに雀が近づいて来た。
なんと、その雀は歌をうたい狂ったように踊って(跳ねて)いた。
「チュン。チュン。はあ~。らっせーら。らっせいら。らせらせ、らせーら。」と。
その雀が言うことには、ドンが死んだことを(津軽弁や古いギャグを交えて)伝えに来た者だという。
道明寺が下の世界を覗くと、テレビのドラマで観た昔話の風景のようだった。
その中には、自分と瓜二つのドン助や同級生の瓜二つのハナちゃん、ヤーミ、イート、ヨウカイ、カトッぺがいた。
みんながいる村では、ヌエという妖怪がいた。
ヌエとは、顔は鬼、身体は熊、虎の手や足をもち、何とシッポの先に大蛇の頭がついてあり、人を食べる恐ろしい妖怪のことだった。
ある時、ハナちゃんがヌエに攫われて、ドン助とヤーミがヌエを退治に行くことになるが、天界からドラマを観るように楽しんで鑑賞していた道明寺だったが、道明寺の体は消え、意識はドン助の体と同化していった。
ドン助とヤーミは、ハナちゃんを救出できたのか?恐ろしいヌエは退治できたのか?
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