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交差点にて
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【交差点にて】
放課後、わたしは晴人センパイとともに駅前に心霊部の備品を買いにきていた。
センパイとふたりで帰ることはけっこうあったけど、ふたりだけで買い物なんて初めてで、わたしは内心ちょっとドキドキ!
そんなわたしを知ってか知らずか、センパイは「はぐれるなよ」なんてマイペース。
買うのはボールペンやシャープペン、ノートにノリに連絡帳など。
文房具メインで、少しだけ防災グッズなんかも。
あとは、センパイが自分のお金で墨汁や半紙なんかも買っていた。お札の練習に使うみたい。
わたしの希望も受け入れられて、みんなの予定が書きこめるカレンダーも買ってもらう。
(これさえあれば、雪乃さんや太刀風さんがいつ部活に顔を出すかわかる!)
雪乃さんや太刀風さんともお話したかったわたしは、帰り道ニコニコであった。
「センパイ、色々買えましたねっ!」
「そうだな、これで一通りはそろったか。部室に戻るぞ灯里」
「はいっ!」
駅前から向かい側の道に渡るためには、大きな交差点をわたる。
片方が三車線ずつある、大きな道路。それにバス停のロータリーやタクシーの乗り場もあって、この交差点は車でごちゃごちゃだ。
みんなスムーズに走っているけれど、わたしには信号のどの矢印がどの道を通って良いのかすらハッキリわからない。とっても複雑な道。
「センパイ、いつ見てもここって車であふれていますよね」
「そうだな。灯里はいくらドジだからって赤信号のときに歩道に出るなよ、危ないから」
「さすがにわたしにだって、信号くらいわかりますよー! ……歩行者の、ならですけど」
「それだけわかってればいいだろ、オレたちが免許を取れるのはまだ先だ」
メインの大通りに脇道がいくつもくっついているから、信号待ちも長い。
いつの間にかわたしたちのまわりには、たくさんの信号待ちのひとが集まっていた。
「ここの信号、長いですね」
わたしが辺りをキョロキョロしながら言うと、センパイは「仕方ないだろう」とそっけなく答えた。
こっち側に、たくさんの駅を目指すひと。
向こう側には、駅から街へ行こうとしているひとたちが信号前の歩道に集まっている。
なんとなく話題になるものでもないかな、と思い向こう側をじっと見た。
そこで、わたしは奇妙な――ううん、大変なものを見つけた。
「えっ、なにアレ? 事故!?」
通りの向こう側、信号を待つ歩道の真ん中あたりに血まみれの女のひと立っている。
着ている服もボロボロで、そこらじゅうやぶけていた。オマケにはだしで、とっても怖い顔をしていた。
「ちょっと、救急車だれも呼ばないの? えっ? ええっ!?」
「どうした、灯里? ん、アレは……」
わたしがあわてふためいているので、晴人センパイも目線をおって向こう側の通りに目をやった。それにしても、近くのひとはなんでみんなあのひとをムシしてるんだろう?
あっちで待つひとたちは、たいくつそうに信号を見ていたり、下を向いてスマートフォンをいじっているばっかりだ。
目の前に、ううんすぐとなりに大ケガをしているひとが立っているのに。
どうして?
首の辺りが、ジリリといたんだ。
「センパイ、救急車呼ばないと!」
「灯里、目を向けるな」
「どうして!? 緊急事態ですよ!?」
「アレは、人間じゃない。悪霊だ」
「えっ?」
そんな――こんなにはなれていてもハッキリ姿が見えるのに、あれが悪霊?
どう見てもひとのように思える。
だけど、たしかに周りのひとがまったく気がつかないのはおかしい。
あんなに血が出ていたら、目で見なくてもにおいだってするだろうに。
血にまみれた女のひとは、歩道の中心でゆらゆらをこきざみに身体をゆらしている。
(そういえば、気がつかないまわりのひとも変だけど、どうしてあの女のひともだれにも助けを求めないんだろう。あんなにひどいケガをしているのに。センパイの言う通り、本当に悪い霊なの?)
立って動くことができているのだから、助けだって求められるはず。
でもあの女のひとはゆらゆらと通りの向こうでゆれてるだけ――。
「言われてみると、様子がおかしいですね」
「目を向けるなと言っただろう。オレが渡したお札は持っているか?」
「あ、すいません。つい! お札はもちろんここに……アレ? ない!」
どうしてお札がないのだろう、と思ってわたしはふと思い出した。
先日、水無月先生が怖い話をしてくれたとき。わたしは、異変の起きた都子ちゃんに少しでもお札を近づけようと思ったんだ。そして、机の引き出しの一番おくに入れて――。
「いけない! 教室の引き出しの中にしまいっぱなしです!」
「はぁ、灯里はどうしていつもこう……。通りを渡るときは、絶対にオレの近くからはなれるなよ」
「ごめんなさい……」
センパイに回り道をしませんかと提案しようと思ったとき、信号が青に変わった。
こっちからも向こうからも、歩道にいたひとたちが一斉に動き出す。
血まみれの女のひとも、ゆっくりとした歩調でこちらに向かってきた。
「これだけひとがいたら、渡るしかないな。灯里、つかまれ」
「え、手を……!? し、失礼しますセンパイ!」
とつぜん差し出された晴人センパイの手をつか――もうとして、わたしは急に気恥ずかしさにおそわれる。いきなり手つなぎなんて、ハードル高いよぉ!
わたしは仕方なく、センパイのブレザーのすそをにぎった。
「マズイな、目の前を通過するハメになる」
センパイの言うとおり、向こう側から来る血まみれの女のひとは、ちょうどわたしたちの真正面にいる。ゆっくり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
見ないようにと思っても、ついつい視線を送ってしまう。
流れている血。カッと開かれた黒目がとっても小さなひとみ。ひらきっぱなしの口。
「ヤバイですね」
「素知らぬふりをしてやりすごすしかない」
大きな交差点をわたしたちは注意深く歩いていく。
向こう側からは、女のひとがゆっくりと近づいてくる。
徐々にその距離がちぢまっていく。
わたしは、呼吸がみだれてセンパイのそでをつかむ手先がふるえてしまう。
女のひととすれちがうまで、あと少し。
そのとき――。
とつぜん身体の大きな男のひとが、向こう側からかけ足で交差点を渡ってきた。
「きゃ、危ない!」
間の悪いことに、右側にいた晴人センパイは右に、左側にいたわたしは左によけようと動いてしまった。つかんでいた手がはなれそうになる。
わたしたちのつながった手と手の間を、男のひとが通る。
手がはなれてしまった!
そして、前から後ろから歩いてくるひとたちによって、センパイとの距離があいてしまう。
「せ、センパイ!」
声をかけるが、人通りでセンパイの姿がよく見えない。
わたしの耳に、車や人間が起こす音とちがう水音が聞こえた。
『ピチョン、ビチョン……』
なにか、ヌメヌメするものが地面にしたたる音――。
顔をあげる。
目の前。
いた。
血まみれの、女のひと。
「っ!?」
さけび声をあげてしまいそうになるのを、必死におさえこむ。
気づいていないフリをしなければ。
このまま通りすぎてしまわねば。
ゆっくりと歩く女のひとの横を、震える足で通りすぎる。
一歩一歩がとても重たく、そしておそく感じられた。
目の前、すぐ横、そして通りすぎて――。
「はぁ、はぁ……はぁー」
なんとかやりすごした。
心臓がバクバクで、息苦しい。わたしは落ち着こうと深呼吸をしようとして。
――そのとき、耳元で。
『見えてるくせに』
押しころしたような、つぶれたみたいな低い女のひとの声。
「ひっ!?」
思わず、わたしは身をすくめて声のした方に顔を向けてしまう。
すぐ後ろに、血まみれの女のひとが立っていた。
『見えてるくせに!!』
「いやぁ!」
今度は、大きな声。身体がつぶされそうだった。
血まみれの女のひとが、すごいいきおいでせまってくる。
逃げ出したいけど、恐怖で足が固まって動かない。
女のひとの手がわたしの顔にふれそうになった、そのとき。
「急急如律令……はっ!」
女のひとの横に、晴人センパイが飛び込んでくる。
その手には、符が握られていた。センパイが呪文を唱えて符を女のひとに押し当てる。
『ぎゃっ……!』
悲鳴があがり、そして声が消えて行く。
女のひとは空気の中に消え去るように、散っていった。
わたしはあまりのことに、その場にペタンとすわりこんでしまう。
「灯里、おい灯里! だいじょうぶか!?」
「晴人センパイ、ありがとうござ、います。ちょっと、怖くて。びっくりしちゃって」
「とりあえず、通りを渡りきろう。信号が変わってしまう。つかまれ」
晴人センパイが、手を差し伸べてくれる。
まだ心臓の動きがあわただしい。手もふるえていた。
それでも、ふるえる手で晴人センパイの手をにぎる。
晴人センパイが、力強くにぎりかえしてくれた。
「よしっ、行こう」
センパイが急かすように動いた。ふとまわりを見ると、いくつもの視線がわたしたちにそそがれている。大きな声を出してたおれこんだりしたら、当たり前のことか。
けれど、思い出すだけでふるえがきてしまう。
あの顔、あの声、おそってきたツメのはがれたボロボロの手。
晴人センパイが支えるようにうでを持ってくれて、わたしはなんとか通りを渡ることができた。バス停にベンチがあり、センパイはそこまでわたしを連れて行ってくれた。
「センパイ、あの、ありがとうございます」
「気にするな。とにかく、灯里が無事で良かった」
「すごく、すごく怖かったです」
「そうだな、怖かったよな。よくがんばってここまで歩いたな。えらいぞ灯里」
晴人センパイがそう言って何度も髪をなでてくれた。
その手のやさしい感覚に、わたしはちょっとずつだけど落ち着きを取り戻していく。
「あの女のひと、なんだったんでしょう?」
「あの姿からして、おそらく事故にあって亡くなったひとの霊だったのだろう」
「事故で……たしかに、身体中キズだらけでした」
「ああ、この交差点は事故が多い。悲しいできごとも多かったのだろうな。それで、あんな姿になってこの世をさまよっているんだろう」
事故の犠牲になったひとが、あんな風に悪霊になってしまうなんて――。
とっても悲しいことだ。あの女のひとにだって、きっと普通の暮らしがあって生活があって。楽しみなこととか、好きなひとや大切なひとがいたかもしれないのに。
「つらいですね。普通のひとが、あんな風になってしまうなんて」
「そうだな。これからも何かしてしまうかもしれない。あの女のひとの事故については、オレが調べてみよう。何かわかったら、ふたりで供養してあげよう」
「でも、もうあのひとはセンパイがおはらいしたんじゃ?」
わたしが聞くと、晴人センパイが首をふった。
「あれはあくまで一時的に消したにすぎない。いずれまた、あの姿に戻ってこの交差点をさまよい続けるだろう」
「そんな! そんなの、悲しすぎます!」
うなずいたセンパイが、わたしの頭をポンポンと叩いた。
「そうだ、悲しいことだ。だからこそ、きちんと供養するんだよ。安らかにねむれますように、悲しい気持ちが消えていきますようにってな」
「そうやって祈ることに、意味はあるんですか?」
「大いにある。むしろ、それこそがただしい霊のはらい方なんだ。符でむりやりやっつけるなんていうのは、良いことではない。キチンと霊に向き合い、とむらうんだ」
供養、祈り、向き合ってとむらう。
そうか、そうだよね。だって悪霊になっちゃったひとたちも。
かつては人間であったハズなんだから。ムリにはらうだけじゃ、ダメなんだ。
晴人センパイは、本当に大人だな。わたしも心霊部員として、しっかり勉強しなきゃ。
「わかりました。わたし、いっしょうけんめい祈ります。あの女のひとのためにも」
立ち上がってうなずくと、センパイもうなずき返してくれた。
「時間のかかることだ。だけど、キチンとやらないといけないことでもある。灯里も覚えておくんだ。はらうだけがすべてじゃない。根本的な解決が必要だってことを」
「はい、センパイ!」
その日、センパイはわたしのことを心配して、わたしを家の前まで送ってくれた。
はらうことよりも大切なことがある。
わたしはそれをしっかりと忘れないようにしようと決めた。
「わたし、心霊部員としてがんばる!」
『トッ』
まるで返事をするように、トッテさんがわたしのへやをならした。
翌日の昼休み、センパイがプリントアウトした紙を持ってきてくれた。
「晴人センパイ、これは?」
「あの交差点で起きた事故について調べてみた。背格好からして、おそらく被害者はこのひとだ。事故が起きた場所も書いてある」
たしかに、紙にはあの女のひとと思しき顔と、あの交差点の事故のニュースがあった。
「放課後、花と飲み物でも買って供えに行くつもりだ。灯里もくるか?」
「はい! もちろん行きます!」
そして放課後――。
わたしたちはお花屋さんで供養のためのお花を買い、お茶のペットボトルを買って事故現場となった交差点の入り口のすみっこに立った。
居眠り運転をしたタクシーが、歩道に突っ込んでしまったという事件だ。
とつぜん車が突っ込んできて、自分の人生が強制的に終わってしまう。
それは、とうてい受け入れがたいことだろうな。さぞ、無念だったよね――。
花と飲み物を歩道のはしに置いて、わたしたちは並んで手を合わせた。
どうかどうか、悲しみが少しずつでもいえますように。
やりきれない気持ちが、ちょっとずつでも消えていきますように。
目を閉じたまっくらな視界のかたすみに、血まみれの女のひとが見えた気がする。
『見えてるくせに』
声が聞こえる。
わたしはそれに気づかないフリをして、もう一度手を合わせた。
放課後、わたしは晴人センパイとともに駅前に心霊部の備品を買いにきていた。
センパイとふたりで帰ることはけっこうあったけど、ふたりだけで買い物なんて初めてで、わたしは内心ちょっとドキドキ!
そんなわたしを知ってか知らずか、センパイは「はぐれるなよ」なんてマイペース。
買うのはボールペンやシャープペン、ノートにノリに連絡帳など。
文房具メインで、少しだけ防災グッズなんかも。
あとは、センパイが自分のお金で墨汁や半紙なんかも買っていた。お札の練習に使うみたい。
わたしの希望も受け入れられて、みんなの予定が書きこめるカレンダーも買ってもらう。
(これさえあれば、雪乃さんや太刀風さんがいつ部活に顔を出すかわかる!)
雪乃さんや太刀風さんともお話したかったわたしは、帰り道ニコニコであった。
「センパイ、色々買えましたねっ!」
「そうだな、これで一通りはそろったか。部室に戻るぞ灯里」
「はいっ!」
駅前から向かい側の道に渡るためには、大きな交差点をわたる。
片方が三車線ずつある、大きな道路。それにバス停のロータリーやタクシーの乗り場もあって、この交差点は車でごちゃごちゃだ。
みんなスムーズに走っているけれど、わたしには信号のどの矢印がどの道を通って良いのかすらハッキリわからない。とっても複雑な道。
「センパイ、いつ見てもここって車であふれていますよね」
「そうだな。灯里はいくらドジだからって赤信号のときに歩道に出るなよ、危ないから」
「さすがにわたしにだって、信号くらいわかりますよー! ……歩行者の、ならですけど」
「それだけわかってればいいだろ、オレたちが免許を取れるのはまだ先だ」
メインの大通りに脇道がいくつもくっついているから、信号待ちも長い。
いつの間にかわたしたちのまわりには、たくさんの信号待ちのひとが集まっていた。
「ここの信号、長いですね」
わたしが辺りをキョロキョロしながら言うと、センパイは「仕方ないだろう」とそっけなく答えた。
こっち側に、たくさんの駅を目指すひと。
向こう側には、駅から街へ行こうとしているひとたちが信号前の歩道に集まっている。
なんとなく話題になるものでもないかな、と思い向こう側をじっと見た。
そこで、わたしは奇妙な――ううん、大変なものを見つけた。
「えっ、なにアレ? 事故!?」
通りの向こう側、信号を待つ歩道の真ん中あたりに血まみれの女のひと立っている。
着ている服もボロボロで、そこらじゅうやぶけていた。オマケにはだしで、とっても怖い顔をしていた。
「ちょっと、救急車だれも呼ばないの? えっ? ええっ!?」
「どうした、灯里? ん、アレは……」
わたしがあわてふためいているので、晴人センパイも目線をおって向こう側の通りに目をやった。それにしても、近くのひとはなんでみんなあのひとをムシしてるんだろう?
あっちで待つひとたちは、たいくつそうに信号を見ていたり、下を向いてスマートフォンをいじっているばっかりだ。
目の前に、ううんすぐとなりに大ケガをしているひとが立っているのに。
どうして?
首の辺りが、ジリリといたんだ。
「センパイ、救急車呼ばないと!」
「灯里、目を向けるな」
「どうして!? 緊急事態ですよ!?」
「アレは、人間じゃない。悪霊だ」
「えっ?」
そんな――こんなにはなれていてもハッキリ姿が見えるのに、あれが悪霊?
どう見てもひとのように思える。
だけど、たしかに周りのひとがまったく気がつかないのはおかしい。
あんなに血が出ていたら、目で見なくてもにおいだってするだろうに。
血にまみれた女のひとは、歩道の中心でゆらゆらをこきざみに身体をゆらしている。
(そういえば、気がつかないまわりのひとも変だけど、どうしてあの女のひともだれにも助けを求めないんだろう。あんなにひどいケガをしているのに。センパイの言う通り、本当に悪い霊なの?)
立って動くことができているのだから、助けだって求められるはず。
でもあの女のひとはゆらゆらと通りの向こうでゆれてるだけ――。
「言われてみると、様子がおかしいですね」
「目を向けるなと言っただろう。オレが渡したお札は持っているか?」
「あ、すいません。つい! お札はもちろんここに……アレ? ない!」
どうしてお札がないのだろう、と思ってわたしはふと思い出した。
先日、水無月先生が怖い話をしてくれたとき。わたしは、異変の起きた都子ちゃんに少しでもお札を近づけようと思ったんだ。そして、机の引き出しの一番おくに入れて――。
「いけない! 教室の引き出しの中にしまいっぱなしです!」
「はぁ、灯里はどうしていつもこう……。通りを渡るときは、絶対にオレの近くからはなれるなよ」
「ごめんなさい……」
センパイに回り道をしませんかと提案しようと思ったとき、信号が青に変わった。
こっちからも向こうからも、歩道にいたひとたちが一斉に動き出す。
血まみれの女のひとも、ゆっくりとした歩調でこちらに向かってきた。
「これだけひとがいたら、渡るしかないな。灯里、つかまれ」
「え、手を……!? し、失礼しますセンパイ!」
とつぜん差し出された晴人センパイの手をつか――もうとして、わたしは急に気恥ずかしさにおそわれる。いきなり手つなぎなんて、ハードル高いよぉ!
わたしは仕方なく、センパイのブレザーのすそをにぎった。
「マズイな、目の前を通過するハメになる」
センパイの言うとおり、向こう側から来る血まみれの女のひとは、ちょうどわたしたちの真正面にいる。ゆっくり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
見ないようにと思っても、ついつい視線を送ってしまう。
流れている血。カッと開かれた黒目がとっても小さなひとみ。ひらきっぱなしの口。
「ヤバイですね」
「素知らぬふりをしてやりすごすしかない」
大きな交差点をわたしたちは注意深く歩いていく。
向こう側からは、女のひとがゆっくりと近づいてくる。
徐々にその距離がちぢまっていく。
わたしは、呼吸がみだれてセンパイのそでをつかむ手先がふるえてしまう。
女のひととすれちがうまで、あと少し。
そのとき――。
とつぜん身体の大きな男のひとが、向こう側からかけ足で交差点を渡ってきた。
「きゃ、危ない!」
間の悪いことに、右側にいた晴人センパイは右に、左側にいたわたしは左によけようと動いてしまった。つかんでいた手がはなれそうになる。
わたしたちのつながった手と手の間を、男のひとが通る。
手がはなれてしまった!
そして、前から後ろから歩いてくるひとたちによって、センパイとの距離があいてしまう。
「せ、センパイ!」
声をかけるが、人通りでセンパイの姿がよく見えない。
わたしの耳に、車や人間が起こす音とちがう水音が聞こえた。
『ピチョン、ビチョン……』
なにか、ヌメヌメするものが地面にしたたる音――。
顔をあげる。
目の前。
いた。
血まみれの、女のひと。
「っ!?」
さけび声をあげてしまいそうになるのを、必死におさえこむ。
気づいていないフリをしなければ。
このまま通りすぎてしまわねば。
ゆっくりと歩く女のひとの横を、震える足で通りすぎる。
一歩一歩がとても重たく、そしておそく感じられた。
目の前、すぐ横、そして通りすぎて――。
「はぁ、はぁ……はぁー」
なんとかやりすごした。
心臓がバクバクで、息苦しい。わたしは落ち着こうと深呼吸をしようとして。
――そのとき、耳元で。
『見えてるくせに』
押しころしたような、つぶれたみたいな低い女のひとの声。
「ひっ!?」
思わず、わたしは身をすくめて声のした方に顔を向けてしまう。
すぐ後ろに、血まみれの女のひとが立っていた。
『見えてるくせに!!』
「いやぁ!」
今度は、大きな声。身体がつぶされそうだった。
血まみれの女のひとが、すごいいきおいでせまってくる。
逃げ出したいけど、恐怖で足が固まって動かない。
女のひとの手がわたしの顔にふれそうになった、そのとき。
「急急如律令……はっ!」
女のひとの横に、晴人センパイが飛び込んでくる。
その手には、符が握られていた。センパイが呪文を唱えて符を女のひとに押し当てる。
『ぎゃっ……!』
悲鳴があがり、そして声が消えて行く。
女のひとは空気の中に消え去るように、散っていった。
わたしはあまりのことに、その場にペタンとすわりこんでしまう。
「灯里、おい灯里! だいじょうぶか!?」
「晴人センパイ、ありがとうござ、います。ちょっと、怖くて。びっくりしちゃって」
「とりあえず、通りを渡りきろう。信号が変わってしまう。つかまれ」
晴人センパイが、手を差し伸べてくれる。
まだ心臓の動きがあわただしい。手もふるえていた。
それでも、ふるえる手で晴人センパイの手をにぎる。
晴人センパイが、力強くにぎりかえしてくれた。
「よしっ、行こう」
センパイが急かすように動いた。ふとまわりを見ると、いくつもの視線がわたしたちにそそがれている。大きな声を出してたおれこんだりしたら、当たり前のことか。
けれど、思い出すだけでふるえがきてしまう。
あの顔、あの声、おそってきたツメのはがれたボロボロの手。
晴人センパイが支えるようにうでを持ってくれて、わたしはなんとか通りを渡ることができた。バス停にベンチがあり、センパイはそこまでわたしを連れて行ってくれた。
「センパイ、あの、ありがとうございます」
「気にするな。とにかく、灯里が無事で良かった」
「すごく、すごく怖かったです」
「そうだな、怖かったよな。よくがんばってここまで歩いたな。えらいぞ灯里」
晴人センパイがそう言って何度も髪をなでてくれた。
その手のやさしい感覚に、わたしはちょっとずつだけど落ち着きを取り戻していく。
「あの女のひと、なんだったんでしょう?」
「あの姿からして、おそらく事故にあって亡くなったひとの霊だったのだろう」
「事故で……たしかに、身体中キズだらけでした」
「ああ、この交差点は事故が多い。悲しいできごとも多かったのだろうな。それで、あんな姿になってこの世をさまよっているんだろう」
事故の犠牲になったひとが、あんな風に悪霊になってしまうなんて――。
とっても悲しいことだ。あの女のひとにだって、きっと普通の暮らしがあって生活があって。楽しみなこととか、好きなひとや大切なひとがいたかもしれないのに。
「つらいですね。普通のひとが、あんな風になってしまうなんて」
「そうだな。これからも何かしてしまうかもしれない。あの女のひとの事故については、オレが調べてみよう。何かわかったら、ふたりで供養してあげよう」
「でも、もうあのひとはセンパイがおはらいしたんじゃ?」
わたしが聞くと、晴人センパイが首をふった。
「あれはあくまで一時的に消したにすぎない。いずれまた、あの姿に戻ってこの交差点をさまよい続けるだろう」
「そんな! そんなの、悲しすぎます!」
うなずいたセンパイが、わたしの頭をポンポンと叩いた。
「そうだ、悲しいことだ。だからこそ、きちんと供養するんだよ。安らかにねむれますように、悲しい気持ちが消えていきますようにってな」
「そうやって祈ることに、意味はあるんですか?」
「大いにある。むしろ、それこそがただしい霊のはらい方なんだ。符でむりやりやっつけるなんていうのは、良いことではない。キチンと霊に向き合い、とむらうんだ」
供養、祈り、向き合ってとむらう。
そうか、そうだよね。だって悪霊になっちゃったひとたちも。
かつては人間であったハズなんだから。ムリにはらうだけじゃ、ダメなんだ。
晴人センパイは、本当に大人だな。わたしも心霊部員として、しっかり勉強しなきゃ。
「わかりました。わたし、いっしょうけんめい祈ります。あの女のひとのためにも」
立ち上がってうなずくと、センパイもうなずき返してくれた。
「時間のかかることだ。だけど、キチンとやらないといけないことでもある。灯里も覚えておくんだ。はらうだけがすべてじゃない。根本的な解決が必要だってことを」
「はい、センパイ!」
その日、センパイはわたしのことを心配して、わたしを家の前まで送ってくれた。
はらうことよりも大切なことがある。
わたしはそれをしっかりと忘れないようにしようと決めた。
「わたし、心霊部員としてがんばる!」
『トッ』
まるで返事をするように、トッテさんがわたしのへやをならした。
翌日の昼休み、センパイがプリントアウトした紙を持ってきてくれた。
「晴人センパイ、これは?」
「あの交差点で起きた事故について調べてみた。背格好からして、おそらく被害者はこのひとだ。事故が起きた場所も書いてある」
たしかに、紙にはあの女のひとと思しき顔と、あの交差点の事故のニュースがあった。
「放課後、花と飲み物でも買って供えに行くつもりだ。灯里もくるか?」
「はい! もちろん行きます!」
そして放課後――。
わたしたちはお花屋さんで供養のためのお花を買い、お茶のペットボトルを買って事故現場となった交差点の入り口のすみっこに立った。
居眠り運転をしたタクシーが、歩道に突っ込んでしまったという事件だ。
とつぜん車が突っ込んできて、自分の人生が強制的に終わってしまう。
それは、とうてい受け入れがたいことだろうな。さぞ、無念だったよね――。
花と飲み物を歩道のはしに置いて、わたしたちは並んで手を合わせた。
どうかどうか、悲しみが少しずつでもいえますように。
やりきれない気持ちが、ちょっとずつでも消えていきますように。
目を閉じたまっくらな視界のかたすみに、血まみれの女のひとが見えた気がする。
『見えてるくせに』
声が聞こえる。
わたしはそれに気づかないフリをして、もう一度手を合わせた。
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