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5巻
5-2
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「大聖堂ってどんな場所なんだ?」
道中、そんな俺の質問に答えたのはアイリスだった。
「そうね……特別珍しい何かがあるというより、建物自体が観光名所になってるくらいね」
「観光客はけっこういるのか?」
「ええ、沢山いるわよ。神都に来る観光客のほとんどが、これから向かう大聖堂が目的なの」
「へ~、楽しみにしとくか」
大聖堂まで歩く間、改めてベリフェール神聖国の情報をアイリスやアーシャから聞いておく。
このベリフェール神聖国のトップは教皇と呼ばれ、今はリーベルト・ハイリヒという人物が務めている。
貧しい人に対しても分け隔てなく接し、人望が厚いとのこと。
悪い噂も全くないようである。
他にも、教皇の娘が神聖魔法と回復魔法の使い手で、皆からは『聖女』と言われているそうだ。
彼女の名は、イルミナ・ハイリヒ。
年は俺と同じく十七歳。他国で言う姫に近い立場ということもあり、アイリスとは友達のようである。
国王である教皇を補佐する役職は枢機卿と呼ばれ、他国における宰相や大臣に近い。この国は宗教団体と国の運営が密接に関わっているため、こういった役職名が与えられているそうだ。
そんな話をしているうちに、大聖堂の足元まで辿り着いた。
見上げて思ったのが、この大聖堂は一つの芸術だということ。
柱の一本一本に細やかな彫刻が施されており、足を止めてじっと見つめている人も少なくない。
そんな人たちを尻目に、俺たちは中に進む。
その中も、外観同様に芸術のようだった。
地球に同様の建造物があるのかといわれれば、極めて少ないだろう。少なくとも、俺が今まで生きてきた中で、ここまで立派で芸術的な建築物は見たことがない。
俺は改めて大聖堂の中を見回す。
陽の光が色鮮やかなステンドグラスやガラスから差し込み、大聖堂の中を照らしている。
壁や天井に施された絵画は大迫力で今にも動き出しそうだし、彫像も緻密で、生きているかのようだ。
心を揺さぶられるとは、まさにこのことだろう。
フィーネたちも呆然と、「綺麗」と声をこぼしていた。
このまま眺めていたかったが、入口の近くで突っ立っていると人の邪魔になるので、俺たちは大聖堂内を少し歩き回ることにした。
絵画や彫刻など、聖堂内を見て回るうちにどれくらい経ったのだろうか。
差し込む光はオレンジがかっており、日が暮れ初めていたことに気が付いた。
「なんか、あっという間に時間が過ぎてたな。最後に祈ってから宿に帰ろうか。ゼロとクゼルも待っているだろうしな」
俺の提案にフィーネ、アイリス、アーシャ、エフィル、鈴乃の五人は頷いた。
俺たちは最後に、礼拝堂と呼ばれるエリアへと赴く。
中に入ると、夕焼けの光が女神像を照らし、神々しく輝かせていた。
そこには一人の少女が、女神像の前に膝を突き、両手を胸の前で組んで熱心に祈りを捧げる姿があった。
シスター服っぽい服装に身を包んだ、金髪のストレートヘアの少女。差し込んだ夕日が彼女の髪に反射し、輝いている。
アイリスが、そんな少女を見てポツリ呟く。
「……イルミナ?」
イルミナって、まさか例の聖女様か?
その呟きは少女の耳にも届いたようで、彼女は祈りを止めてこちらを振り返った。
飴色の瞳がアイリスを捉え……
「その声は……アイリス?」
「――やっぱりイルミナだわ!」
イルミナだと確信したアイリスは少女に駆け寄り、そのまま抱き着いた。
「わっ、やっぱりアイリスなのね?」
抱き着いたアイリスだったが、一度イルミナから離れ、顔を合わせる。
アイリスを改めて見たイルミナは、驚いた表情になった。
そりゃあ、一国の姫様であるアイリスが事前情報なく現れたら、驚きもするだろう。
「二年も見ない間に大きくなりましたね。ディラン陛下と一緒ではないので?」
「違うわよ。今はそこの人たちと旅をしてるのよ! もちろんアーシャも一緒よ!」
俺たちの方を見て呟くイルミナに、胸を張って答えるアイリス。
イルミナが視線を向けると、アーシャは「お久しぶりです、イルミナ様」と一礼した。
イルミナは頭を下げ返してからアイリスに視線を戻す。
「アーシャも元気そうで何よりです。それで、そちらの方々が?」
「そうよ♪」
ふふんっと上機嫌に鼻を鳴らすアイリス。
俺たちは前へ進み出て、自己紹介をする。
「初めまして。冒険者をしてる晴人だ。聖女様に会えて光栄だ。こっちにいるのが――」
フィーネたちは俺に促され自己紹介をする。
「フィーネです。ハルトさんと同じ冒険者をしております」
「エルフのエフィルです」
「鈴乃と言います。よろしく……でいいのかな?」
イルミナも自己紹介をする。
「皆さま初めまして。イルミナ・ハイリヒと申します。『聖女』と呼ばれてはいますが、かしこまった態度でなくて大丈夫ですよ」
一礼をするイルミナの優雅な所作に、皆が見惚れる。
すると、アイリスが驚いた表情で俺を見ていた。
「ハ、ハルトがいつも通りの態度じゃない!」
「アイリスなぁ~……初対面の人には普通はこうだからな?」
「イルミナは気にしないから大丈夫よ!」
そんなアイリスを見てイルミナは頷いた。
「アイリスの言う通り、皆さま、いつも通りで大丈夫ですよ。気にしてませんから」
ニッコリと微笑むその表情はまさに聖女。
「わかった。いつも通りにさせてもらうよ、イルミナさん」
「イルミナと呼び捨てでけっこうですよ、アイリスのお友達のようですから」
アイリスと俺たちの様子を見て友達だと思ったのだろう、そんなイルミナの言葉を、アイリスが否定した。
「ハルトは友達じゃないわよ?」
否定したアイリスに困惑するイルミナ。
それもそうだ。友達でなければ、姫様相手にこんな気軽に話せるわけないからな。
「護衛の方々……?」
「護衛でもなくて、ハルトは私たちの旦那様よ!」
「……はい?」
『旦那様』発言に硬直してしまったイルミナを見ながら、俺はアイリスに注意する。
「それはまだ先だろ……てか公にしていいのか?」
「別にいいのよ。もうフィーネが正妻、側室が私に鈴乃、エフィルって決まってるじゃない」
アイリスの「違うの?」という顔を見て俺は「あ、ああ……そうだな」と返す。
そして、イルミナはそこでようやくアイリスの言葉の意味を理解したようで、顔を真っ赤にして、あわあわしながら口を開いた。
「よ、四人もお嫁さんに……な、なんてふしだらな……」
聖女様はこの手のお話に弱いようである。
両手で顔を覆いながらも、指の隙間からチラチラとこちらを見るイルミナ。
俺はゴホンと咳払いをして、話題を変えることにした。
……決して恥ずかしいからなどではない。
「それよりも、俺たちは観光ついでにお祈りをしに来たんだが……」
「ふぇっ!? あ、はい! お祈りは大歓迎です!」
顔を紅潮させながら、イルミナは俺たちを案内してくれる。
少し申し訳なくなってきたぞ……
そこで俺はふと、気になったことがあったため尋ねてみる。
「そういえば、寄付をしたいと思ってるんだが……相場とかってあるのか?」
「ありがとうございます。特にそういったものはなく、人それぞれですね」
そうなのか。
神様には感謝しているので、それなりの金額は出したい。
というか、神様って俺が会ったのは爺さんだったけど、像は女神なんだよな。まあ、あの爺さんよりも、美しい女神に金を出した方がいい気分だから気にしないけど。
俺は異空間収納から適当な金額を取り出して、イルミナに手渡す。
すると予想以上の金額だったのか、イルミナは目を見開いた。
「え? こ、こんなにですか!? は、ハルトさんはもしかして貴族の方なのですか?」
「いや、さっきも言った通り冒険者だよ」
「え? ……もしかして高ランク冒険者なのでしょうか?」
貴族ではないがお金はある冒険者、ということで、イルミナはそう考えたようだ。
「ハルトはEXランク冒険者よ!」
そこへ自慢するかのように胸を張って答えたアイリス。
アイリス、なぜお前が答えたんだ……
それを聞いたイルミナは再び硬直し、数拍おいて大声を上げた。
「え、えぇぇぇぇぇッ!? あ、あの最強の冒険者と言われる人がハルトさんなのですか!?」
「え? こっちの国でもそんな風に言われてるのか?」
「はい。一万もの凶悪な魔物の大群をすべて一人で殲滅したと聞いています」
「いや、間違ってはないけど……前線で持ちこたえてくれた皆のお陰でもあるから、俺一人の力みたいに言われるとちょっと複雑だな」
俺の表情を見て、イルミナは微笑んだ。
「それでも、凶悪で強い魔物を倒し、人々の命を救ったのは確かですよ」
「そうなのかもな」
そこまで頑なに否定することでもないので、素直に頷いておく。
「まぁ、そんなわけで金はあるから、これは受け取ってくれ。俺も神様には感謝しているんだ」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
イルミナの手のひらへ、取り出した金を渡す。
「では皆さま、こちらへどうぞ。作法は厳しくありませんので、私と同じようにしてください」
「わかったよ」
その指示に皆が頷く。
イルミナは像の前まで行くと、両膝を突き、両手を胸の前で組む。
俺たちもイルミナに従い、その後ろで同じように祈りを捧げた。
あの爺さん――神様に感謝の気持ちを伝える。
あんたのお陰で俺は生きているし、皆にも出会えた。守りたい人、大切な人を守ることができた。本当にありがとう。
俺と同じくらいのタイミングで、皆も祈り終わったようだ。
アイリスがイルミナに向き直る。
「今日はありがとう! ここには少し滞在してるからまた会いにくるわね♪」
「ええ、また来てね、アイリス。皆さまも、父上――教皇陛下にお話をしておきますので、気軽にお越しください」
俺たちはその言葉に頷くと、とりあえず今日は宿に戻ることにしたのだった。
◇ ◇ ◇
イルミナ・ハイリヒは、アイリスたちと出会ったその日の夜、父でもある教皇、リーベルト・ハイリヒに面会していた。
「なんと、アイリス王女が来ていたのか」
「はい。その、こ、婚約者と一緒にですが……」
イルミナの言葉に、白い正装を着込んでいるリーベルトは目を見開く。
隣国の姫であるアイリスに婚約者がいるという情報は一切入っていなかったのだ。
「婚約者とは誰だったのかね? ペルディス王国の貴族だろうか? それとも帝国の者か?」
リーベルトの言葉に、イルミナは首を横に振って否定する。
「いえ……お父様は冒険者のハルトさんをご存知ですか?」
その人物名にリーベルトは「うむ」と頷く。
ハルトがEXランクに昇格する際に行なわれた、各国の王による会議に参加していたため、当然知っていた。
「知っているとも」
「そうだったのですか」
リーベルトは会議の時に見せられた映像を思い出す。
漆黒の姿で幾万もの敵を蹂躙するその姿は、その二つ名の通り『魔王』と呼ぶにふさわしかった。
その力の強大さに、EXランクという前代未聞のランクを与えるのは危険ではとも思ったが、ペルディス王国の国王、ディラン・アークライド・ペルディスの太鼓判もあり、昇格を承認したのだ。
「……もしや、その者がアイリス王女の?」
「はい」
イルミナは静かに頷く。
リーベルトはその情報を受けて、ペルディス国王が自国の戦力としてハルトを取り入れた可能性を考える。
戦時には一人で敵軍を殲滅できるであろうあの者が一国に組するとなれば、その影響は大きい。
「イルミナはハルト殿とは話したのか?」
「はい、少しですが」
「聞かせてもらえないか? イルミナが見た彼を」
「わかりました」
イルミナは語る。
「そうですね……見た感じはパッとしない印象でしたが、その身に宿す力が強大なのはわかりました。アイリスは人を見る目があります。そのアイリスが好きになったということは、心から信頼できるのでしょう。私の目には、悪人ではないと……むしろ必死に生きようとしているように見えました」
自分の信念を邪魔する者がいたならば、躊躇いなく殺すことができるだろう。そんな、生きることに対しての必死さをイルミナは直感的に感じ取っていた。
「そうか」
リーベルトは、娘の言葉に頷く。
イルミナの人を見る目も確かだ、そんな彼女が言うのだから本当なのだろう。
「ペルディス王国と他国との戦争が起きた時、ハルト殿は出てくると思うか?」
「わかりません。ですが大切な人が巻き込まれたら参加するでしょう。どちらに付くかはわかりませんが、戦争している国をすべて相手にすることもありえるかと……」
それを聞いたリーベルトは、ただただこの先、戦争が起きないことを願うしかなかった。
と、そこでリーベルトは話題を変える。
「それはそうと、二人だけだったのか?」
「いえ。アイリスの付き添いのアーシャもいました。他にも婚約者のフィーネさんという冒険者に、同じく婚約者のエフィルさん、スズノさんという方が」
イルミナがその場にいた全員の名前を挙げると、リーベルトは興味深そうに頷く。
「一度会って話をしてみたいものだ」
「次にお会いしたらそう言ってみます」
「うむ。いつでもいいのでそう伝えてほしい」
「はい」
そこへ扉が叩かれた。
「教皇陛下、アルベン・マルダスです。報告がございます」
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは、四十代前半の男性。アルベン・マダルス枢機卿だった。
「おや、イルミナ様もいらっしゃったのですね」
「はい。少しお話をしておりました」
「そうでしたか。これは失礼致しました」
「いえ。報告があるのでしょう?」
「はい」
「何があったのかね?」
リーベルトに聞かれたアルベンは真剣な面持ちで口を開く。
「はい。最近多発しております、行方不明者が続出している件です」
その言葉に、イルミナとリーベルトは顔を強ばらせる。
ここ最近、二人を悩ませていた問題だったからだ。
「続きをお願いします」
リーベルトに促されたアルベンは続ける。
「はい。入ってきた情報によりますと、悪魔召喚の儀式を行なうための、生贄を集めている集団がいるようです」
「なんですって!? どうして悪魔を!」
イルミナは驚きのあまり、大きな声を上げた。
彼女だけではない。リーベルトも同様に驚いていた。
――悪魔。
それは地獄に存在する精神生命体のこと。悪魔は圧倒的な力を持つが、現世では肉体を持たないために存在できない。
しかし、生贄の肉体や魂を捧げることで、現世に顕現させる――召喚することができるのだ。
また、召喚の対価とは別の対価を捧げることで、願いを叶えてくれると言われている。
悪魔には階級が存在し、最上位悪魔である王、公爵。続いて上位悪魔である伯爵、子爵、男爵。その下に、下級悪魔がいる。
上位悪魔でも軍隊に匹敵する力を持つが、さらにその上の最上位悪魔の力は絶大で、公爵級が一体現れれば、国が滅ぶとされる。
そのような凶悪で強力な悪魔を召喚しようとしているのだ。
リーベルトは冷静にアルベンに尋ねる。
「アルベン枢機卿。その集団に関して、他にわかることは?」
「いえ、残念ながら……」
申し訳なさそうな表情で首を横に振るアルベンだが、「ですが」と言葉を続けた。
「近いうちに召喚されそうな気がしてなりません」
「なら早く対処しなければ――」
イルミナが慌てたようにそう言うも、リーベルトはそれを窘める。
「イルミナ、落ち着きなさい。これからそれを考えるのです」
「は、はい……私としたことが、慌ててしまいました」
民を思ってのイルミナの発言だということは、リーベルトにもわかっていた。
「アルベン枢機卿。ここに聖騎士団長を呼んでください」
「わかりました。少しお待ちください」
アルベンは部屋を退出する。
イルミナがリーベルトへ尋ねた。
「聖騎士団長を呼んでどうするのですか?」
「対処法について話し合いましょう。なんらかの策を考えてくれるはずです」
しばらくして扉がノックされる。
「アルベンです。ガウェイン・ハザーク聖騎士団長をお連れしました」
「入ってください」
アルベンが扉を開けて入室する。その後には身長百八十センチはあり、白銀の鎧に身を包んだ人物が立っていた。
短く切られたプラチナブロンドの髪に、空のように蒼い瞳。目鼻が整った、二十代前半の美青年だ。
彼はベリフェール神聖国聖騎士団長ガウェイン・ハザーク。ベリフェール神聖国最強の聖騎士で、その名は世界に広く知れ渡っていた。
ガウェインはリーベルトの近くまで来ると片膝を突き、礼をとる。
「ガウェイン・ハザーク、ただ今参上いたしました」
「よく来てくれました」
「はっ。して教皇陛下、話とは?」
ガウェインが顔を上げた。
リーベルトはガウェインに、先ほどアルベンに聞いたことを話す。
「――ということになっているようなのです」
話を聞いたガウェインは頷く。
「なるほど。では騎士団を動員して虱潰しで探しますか?」
リーベルトは首を横に振って口を開く。
「いや、それでは民を不安にさせてしまいます。できるだけ穏便に済ませたいのです」
イルミナが、リーベルトの言葉に続くようにしてガウェインに確認する。
「できますか……?」
「そうですね、いくつか考えなければならないことはありますが――」
そうして長い時間の末に決まったのが……
「では、騎士団は一般人に紛れ、組織の情報を集めること。すべての情報は私に伝えるようにお願いします。アルベン枢機卿も、引き続き情報の収集をお願いします」
リーベルトの発言に、ガウェインとアルベンは頷く。
しかしイルミナには、今回の件はどうも嫌な予感がしてならなかった。
だが彼女にできるのは、神聖魔法で人を癒すことと、祈ることくらい。
すべて、他の者に託すしかなかった。
大聖堂の礼拝堂へと向かったイルミナは女神像の前に両膝を突いて祈る。
――どうか、何も起こりませんように、と。
道中、そんな俺の質問に答えたのはアイリスだった。
「そうね……特別珍しい何かがあるというより、建物自体が観光名所になってるくらいね」
「観光客はけっこういるのか?」
「ええ、沢山いるわよ。神都に来る観光客のほとんどが、これから向かう大聖堂が目的なの」
「へ~、楽しみにしとくか」
大聖堂まで歩く間、改めてベリフェール神聖国の情報をアイリスやアーシャから聞いておく。
このベリフェール神聖国のトップは教皇と呼ばれ、今はリーベルト・ハイリヒという人物が務めている。
貧しい人に対しても分け隔てなく接し、人望が厚いとのこと。
悪い噂も全くないようである。
他にも、教皇の娘が神聖魔法と回復魔法の使い手で、皆からは『聖女』と言われているそうだ。
彼女の名は、イルミナ・ハイリヒ。
年は俺と同じく十七歳。他国で言う姫に近い立場ということもあり、アイリスとは友達のようである。
国王である教皇を補佐する役職は枢機卿と呼ばれ、他国における宰相や大臣に近い。この国は宗教団体と国の運営が密接に関わっているため、こういった役職名が与えられているそうだ。
そんな話をしているうちに、大聖堂の足元まで辿り着いた。
見上げて思ったのが、この大聖堂は一つの芸術だということ。
柱の一本一本に細やかな彫刻が施されており、足を止めてじっと見つめている人も少なくない。
そんな人たちを尻目に、俺たちは中に進む。
その中も、外観同様に芸術のようだった。
地球に同様の建造物があるのかといわれれば、極めて少ないだろう。少なくとも、俺が今まで生きてきた中で、ここまで立派で芸術的な建築物は見たことがない。
俺は改めて大聖堂の中を見回す。
陽の光が色鮮やかなステンドグラスやガラスから差し込み、大聖堂の中を照らしている。
壁や天井に施された絵画は大迫力で今にも動き出しそうだし、彫像も緻密で、生きているかのようだ。
心を揺さぶられるとは、まさにこのことだろう。
フィーネたちも呆然と、「綺麗」と声をこぼしていた。
このまま眺めていたかったが、入口の近くで突っ立っていると人の邪魔になるので、俺たちは大聖堂内を少し歩き回ることにした。
絵画や彫刻など、聖堂内を見て回るうちにどれくらい経ったのだろうか。
差し込む光はオレンジがかっており、日が暮れ初めていたことに気が付いた。
「なんか、あっという間に時間が過ぎてたな。最後に祈ってから宿に帰ろうか。ゼロとクゼルも待っているだろうしな」
俺の提案にフィーネ、アイリス、アーシャ、エフィル、鈴乃の五人は頷いた。
俺たちは最後に、礼拝堂と呼ばれるエリアへと赴く。
中に入ると、夕焼けの光が女神像を照らし、神々しく輝かせていた。
そこには一人の少女が、女神像の前に膝を突き、両手を胸の前で組んで熱心に祈りを捧げる姿があった。
シスター服っぽい服装に身を包んだ、金髪のストレートヘアの少女。差し込んだ夕日が彼女の髪に反射し、輝いている。
アイリスが、そんな少女を見てポツリ呟く。
「……イルミナ?」
イルミナって、まさか例の聖女様か?
その呟きは少女の耳にも届いたようで、彼女は祈りを止めてこちらを振り返った。
飴色の瞳がアイリスを捉え……
「その声は……アイリス?」
「――やっぱりイルミナだわ!」
イルミナだと確信したアイリスは少女に駆け寄り、そのまま抱き着いた。
「わっ、やっぱりアイリスなのね?」
抱き着いたアイリスだったが、一度イルミナから離れ、顔を合わせる。
アイリスを改めて見たイルミナは、驚いた表情になった。
そりゃあ、一国の姫様であるアイリスが事前情報なく現れたら、驚きもするだろう。
「二年も見ない間に大きくなりましたね。ディラン陛下と一緒ではないので?」
「違うわよ。今はそこの人たちと旅をしてるのよ! もちろんアーシャも一緒よ!」
俺たちの方を見て呟くイルミナに、胸を張って答えるアイリス。
イルミナが視線を向けると、アーシャは「お久しぶりです、イルミナ様」と一礼した。
イルミナは頭を下げ返してからアイリスに視線を戻す。
「アーシャも元気そうで何よりです。それで、そちらの方々が?」
「そうよ♪」
ふふんっと上機嫌に鼻を鳴らすアイリス。
俺たちは前へ進み出て、自己紹介をする。
「初めまして。冒険者をしてる晴人だ。聖女様に会えて光栄だ。こっちにいるのが――」
フィーネたちは俺に促され自己紹介をする。
「フィーネです。ハルトさんと同じ冒険者をしております」
「エルフのエフィルです」
「鈴乃と言います。よろしく……でいいのかな?」
イルミナも自己紹介をする。
「皆さま初めまして。イルミナ・ハイリヒと申します。『聖女』と呼ばれてはいますが、かしこまった態度でなくて大丈夫ですよ」
一礼をするイルミナの優雅な所作に、皆が見惚れる。
すると、アイリスが驚いた表情で俺を見ていた。
「ハ、ハルトがいつも通りの態度じゃない!」
「アイリスなぁ~……初対面の人には普通はこうだからな?」
「イルミナは気にしないから大丈夫よ!」
そんなアイリスを見てイルミナは頷いた。
「アイリスの言う通り、皆さま、いつも通りで大丈夫ですよ。気にしてませんから」
ニッコリと微笑むその表情はまさに聖女。
「わかった。いつも通りにさせてもらうよ、イルミナさん」
「イルミナと呼び捨てでけっこうですよ、アイリスのお友達のようですから」
アイリスと俺たちの様子を見て友達だと思ったのだろう、そんなイルミナの言葉を、アイリスが否定した。
「ハルトは友達じゃないわよ?」
否定したアイリスに困惑するイルミナ。
それもそうだ。友達でなければ、姫様相手にこんな気軽に話せるわけないからな。
「護衛の方々……?」
「護衛でもなくて、ハルトは私たちの旦那様よ!」
「……はい?」
『旦那様』発言に硬直してしまったイルミナを見ながら、俺はアイリスに注意する。
「それはまだ先だろ……てか公にしていいのか?」
「別にいいのよ。もうフィーネが正妻、側室が私に鈴乃、エフィルって決まってるじゃない」
アイリスの「違うの?」という顔を見て俺は「あ、ああ……そうだな」と返す。
そして、イルミナはそこでようやくアイリスの言葉の意味を理解したようで、顔を真っ赤にして、あわあわしながら口を開いた。
「よ、四人もお嫁さんに……な、なんてふしだらな……」
聖女様はこの手のお話に弱いようである。
両手で顔を覆いながらも、指の隙間からチラチラとこちらを見るイルミナ。
俺はゴホンと咳払いをして、話題を変えることにした。
……決して恥ずかしいからなどではない。
「それよりも、俺たちは観光ついでにお祈りをしに来たんだが……」
「ふぇっ!? あ、はい! お祈りは大歓迎です!」
顔を紅潮させながら、イルミナは俺たちを案内してくれる。
少し申し訳なくなってきたぞ……
そこで俺はふと、気になったことがあったため尋ねてみる。
「そういえば、寄付をしたいと思ってるんだが……相場とかってあるのか?」
「ありがとうございます。特にそういったものはなく、人それぞれですね」
そうなのか。
神様には感謝しているので、それなりの金額は出したい。
というか、神様って俺が会ったのは爺さんだったけど、像は女神なんだよな。まあ、あの爺さんよりも、美しい女神に金を出した方がいい気分だから気にしないけど。
俺は異空間収納から適当な金額を取り出して、イルミナに手渡す。
すると予想以上の金額だったのか、イルミナは目を見開いた。
「え? こ、こんなにですか!? は、ハルトさんはもしかして貴族の方なのですか?」
「いや、さっきも言った通り冒険者だよ」
「え? ……もしかして高ランク冒険者なのでしょうか?」
貴族ではないがお金はある冒険者、ということで、イルミナはそう考えたようだ。
「ハルトはEXランク冒険者よ!」
そこへ自慢するかのように胸を張って答えたアイリス。
アイリス、なぜお前が答えたんだ……
それを聞いたイルミナは再び硬直し、数拍おいて大声を上げた。
「え、えぇぇぇぇぇッ!? あ、あの最強の冒険者と言われる人がハルトさんなのですか!?」
「え? こっちの国でもそんな風に言われてるのか?」
「はい。一万もの凶悪な魔物の大群をすべて一人で殲滅したと聞いています」
「いや、間違ってはないけど……前線で持ちこたえてくれた皆のお陰でもあるから、俺一人の力みたいに言われるとちょっと複雑だな」
俺の表情を見て、イルミナは微笑んだ。
「それでも、凶悪で強い魔物を倒し、人々の命を救ったのは確かですよ」
「そうなのかもな」
そこまで頑なに否定することでもないので、素直に頷いておく。
「まぁ、そんなわけで金はあるから、これは受け取ってくれ。俺も神様には感謝しているんだ」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
イルミナの手のひらへ、取り出した金を渡す。
「では皆さま、こちらへどうぞ。作法は厳しくありませんので、私と同じようにしてください」
「わかったよ」
その指示に皆が頷く。
イルミナは像の前まで行くと、両膝を突き、両手を胸の前で組む。
俺たちもイルミナに従い、その後ろで同じように祈りを捧げた。
あの爺さん――神様に感謝の気持ちを伝える。
あんたのお陰で俺は生きているし、皆にも出会えた。守りたい人、大切な人を守ることができた。本当にありがとう。
俺と同じくらいのタイミングで、皆も祈り終わったようだ。
アイリスがイルミナに向き直る。
「今日はありがとう! ここには少し滞在してるからまた会いにくるわね♪」
「ええ、また来てね、アイリス。皆さまも、父上――教皇陛下にお話をしておきますので、気軽にお越しください」
俺たちはその言葉に頷くと、とりあえず今日は宿に戻ることにしたのだった。
◇ ◇ ◇
イルミナ・ハイリヒは、アイリスたちと出会ったその日の夜、父でもある教皇、リーベルト・ハイリヒに面会していた。
「なんと、アイリス王女が来ていたのか」
「はい。その、こ、婚約者と一緒にですが……」
イルミナの言葉に、白い正装を着込んでいるリーベルトは目を見開く。
隣国の姫であるアイリスに婚約者がいるという情報は一切入っていなかったのだ。
「婚約者とは誰だったのかね? ペルディス王国の貴族だろうか? それとも帝国の者か?」
リーベルトの言葉に、イルミナは首を横に振って否定する。
「いえ……お父様は冒険者のハルトさんをご存知ですか?」
その人物名にリーベルトは「うむ」と頷く。
ハルトがEXランクに昇格する際に行なわれた、各国の王による会議に参加していたため、当然知っていた。
「知っているとも」
「そうだったのですか」
リーベルトは会議の時に見せられた映像を思い出す。
漆黒の姿で幾万もの敵を蹂躙するその姿は、その二つ名の通り『魔王』と呼ぶにふさわしかった。
その力の強大さに、EXランクという前代未聞のランクを与えるのは危険ではとも思ったが、ペルディス王国の国王、ディラン・アークライド・ペルディスの太鼓判もあり、昇格を承認したのだ。
「……もしや、その者がアイリス王女の?」
「はい」
イルミナは静かに頷く。
リーベルトはその情報を受けて、ペルディス国王が自国の戦力としてハルトを取り入れた可能性を考える。
戦時には一人で敵軍を殲滅できるであろうあの者が一国に組するとなれば、その影響は大きい。
「イルミナはハルト殿とは話したのか?」
「はい、少しですが」
「聞かせてもらえないか? イルミナが見た彼を」
「わかりました」
イルミナは語る。
「そうですね……見た感じはパッとしない印象でしたが、その身に宿す力が強大なのはわかりました。アイリスは人を見る目があります。そのアイリスが好きになったということは、心から信頼できるのでしょう。私の目には、悪人ではないと……むしろ必死に生きようとしているように見えました」
自分の信念を邪魔する者がいたならば、躊躇いなく殺すことができるだろう。そんな、生きることに対しての必死さをイルミナは直感的に感じ取っていた。
「そうか」
リーベルトは、娘の言葉に頷く。
イルミナの人を見る目も確かだ、そんな彼女が言うのだから本当なのだろう。
「ペルディス王国と他国との戦争が起きた時、ハルト殿は出てくると思うか?」
「わかりません。ですが大切な人が巻き込まれたら参加するでしょう。どちらに付くかはわかりませんが、戦争している国をすべて相手にすることもありえるかと……」
それを聞いたリーベルトは、ただただこの先、戦争が起きないことを願うしかなかった。
と、そこでリーベルトは話題を変える。
「それはそうと、二人だけだったのか?」
「いえ。アイリスの付き添いのアーシャもいました。他にも婚約者のフィーネさんという冒険者に、同じく婚約者のエフィルさん、スズノさんという方が」
イルミナがその場にいた全員の名前を挙げると、リーベルトは興味深そうに頷く。
「一度会って話をしてみたいものだ」
「次にお会いしたらそう言ってみます」
「うむ。いつでもいいのでそう伝えてほしい」
「はい」
そこへ扉が叩かれた。
「教皇陛下、アルベン・マルダスです。報告がございます」
「どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは、四十代前半の男性。アルベン・マダルス枢機卿だった。
「おや、イルミナ様もいらっしゃったのですね」
「はい。少しお話をしておりました」
「そうでしたか。これは失礼致しました」
「いえ。報告があるのでしょう?」
「はい」
「何があったのかね?」
リーベルトに聞かれたアルベンは真剣な面持ちで口を開く。
「はい。最近多発しております、行方不明者が続出している件です」
その言葉に、イルミナとリーベルトは顔を強ばらせる。
ここ最近、二人を悩ませていた問題だったからだ。
「続きをお願いします」
リーベルトに促されたアルベンは続ける。
「はい。入ってきた情報によりますと、悪魔召喚の儀式を行なうための、生贄を集めている集団がいるようです」
「なんですって!? どうして悪魔を!」
イルミナは驚きのあまり、大きな声を上げた。
彼女だけではない。リーベルトも同様に驚いていた。
――悪魔。
それは地獄に存在する精神生命体のこと。悪魔は圧倒的な力を持つが、現世では肉体を持たないために存在できない。
しかし、生贄の肉体や魂を捧げることで、現世に顕現させる――召喚することができるのだ。
また、召喚の対価とは別の対価を捧げることで、願いを叶えてくれると言われている。
悪魔には階級が存在し、最上位悪魔である王、公爵。続いて上位悪魔である伯爵、子爵、男爵。その下に、下級悪魔がいる。
上位悪魔でも軍隊に匹敵する力を持つが、さらにその上の最上位悪魔の力は絶大で、公爵級が一体現れれば、国が滅ぶとされる。
そのような凶悪で強力な悪魔を召喚しようとしているのだ。
リーベルトは冷静にアルベンに尋ねる。
「アルベン枢機卿。その集団に関して、他にわかることは?」
「いえ、残念ながら……」
申し訳なさそうな表情で首を横に振るアルベンだが、「ですが」と言葉を続けた。
「近いうちに召喚されそうな気がしてなりません」
「なら早く対処しなければ――」
イルミナが慌てたようにそう言うも、リーベルトはそれを窘める。
「イルミナ、落ち着きなさい。これからそれを考えるのです」
「は、はい……私としたことが、慌ててしまいました」
民を思ってのイルミナの発言だということは、リーベルトにもわかっていた。
「アルベン枢機卿。ここに聖騎士団長を呼んでください」
「わかりました。少しお待ちください」
アルベンは部屋を退出する。
イルミナがリーベルトへ尋ねた。
「聖騎士団長を呼んでどうするのですか?」
「対処法について話し合いましょう。なんらかの策を考えてくれるはずです」
しばらくして扉がノックされる。
「アルベンです。ガウェイン・ハザーク聖騎士団長をお連れしました」
「入ってください」
アルベンが扉を開けて入室する。その後には身長百八十センチはあり、白銀の鎧に身を包んだ人物が立っていた。
短く切られたプラチナブロンドの髪に、空のように蒼い瞳。目鼻が整った、二十代前半の美青年だ。
彼はベリフェール神聖国聖騎士団長ガウェイン・ハザーク。ベリフェール神聖国最強の聖騎士で、その名は世界に広く知れ渡っていた。
ガウェインはリーベルトの近くまで来ると片膝を突き、礼をとる。
「ガウェイン・ハザーク、ただ今参上いたしました」
「よく来てくれました」
「はっ。して教皇陛下、話とは?」
ガウェインが顔を上げた。
リーベルトはガウェインに、先ほどアルベンに聞いたことを話す。
「――ということになっているようなのです」
話を聞いたガウェインは頷く。
「なるほど。では騎士団を動員して虱潰しで探しますか?」
リーベルトは首を横に振って口を開く。
「いや、それでは民を不安にさせてしまいます。できるだけ穏便に済ませたいのです」
イルミナが、リーベルトの言葉に続くようにしてガウェインに確認する。
「できますか……?」
「そうですね、いくつか考えなければならないことはありますが――」
そうして長い時間の末に決まったのが……
「では、騎士団は一般人に紛れ、組織の情報を集めること。すべての情報は私に伝えるようにお願いします。アルベン枢機卿も、引き続き情報の収集をお願いします」
リーベルトの発言に、ガウェインとアルベンは頷く。
しかしイルミナには、今回の件はどうも嫌な予感がしてならなかった。
だが彼女にできるのは、神聖魔法で人を癒すことと、祈ることくらい。
すべて、他の者に託すしかなかった。
大聖堂の礼拝堂へと向かったイルミナは女神像の前に両膝を突いて祈る。
――どうか、何も起こりませんように、と。
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