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3巻
3-3
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◇ ◇ ◇
出発の前日、ハルトはディランに呼び出されていた。
「――ハルト、頼むからアイリスに料理を教えてやってくれないか?」
そしてディランはハルトが来るなり、そう言って頭を下げた。
「またどうして急に料理なんか?」
ハルトのもっともな質問に、ディランは頭を抱えて震え出す。
「い、以前アイリスが料理を作ってくれたことがあってな」
「へぇ、何を作ったんだ?」
「卵焼きだ。ただな――」
そう前置きして、ディランは語り始めた。
遡ること一年前、ディランの部屋にアイリスが現れた。
「パパ! 卵焼きを作ってみたわ! 食べてみて!」
「ほう? アイリスの手料理か。どれ、一つ味見を――」
そう言って皿を受け取ったディランは、言葉を失ってしまった。
皿に載っていたのは、真っ黒な物体――卵焼きの形をした炭だったからだ。
なぜか紫色のオーラが出ているような気がして、ディランは冷や汗を流す。
「こ、これが卵焼きか?」
「そうよ! 少し失敗しちゃったけどね」
これは『少し』のレベルではないだろう!?
そう叫びたくなる気持ちを抑えて、ディランは妻のアマリアを見たが、彼女は「あらあらまあまあ」とニコニコしているだけだった。
次にアイリスについてきていたアーシャを見るも、「陛下、私は『自分で味見をしてからの方がいい』とお伝えしました」と言って頭を下げるだけ。
誰も助けてくれないことを悟ったディランは、覚悟を決めて一切れ口に運ぶ。
卵焼き(?)を噛んだ途端、ガリッという見た目通りの音を立てた。
そして次の瞬間、ディランはバタッと後ろへ倒れた。
「パパ!?」
「あなた!?」
「陛下!?」
急に倒れたディランに、アイリスとアマリア、アーシャの三人が駆け寄る。
「どうしたのパパ! 何があったの!?」
「ア、アイリスよ……りょ、料理とは奥が深い、ものなの、だ、な……」
ディランは最期の力を振り絞り、その言葉を残して意識を失う。
「パパ!? パパーーーッ!」
ディランの部屋に、アイリスの叫び声が虚しく響いた。
「――ということがあったのだ。ちなみに翌日は起き上がれなかった」
「ま、マジかよ……」
疲れ切った表情のディランに、ハルトはそう返すことしかできなかった。
◇ ◇ ◇
……うん、アイリスに料理させたらダメだな。
「アーシャ、ちょっといいか?」
俺は顔を青くしているアーシャを呼び寄せる。
「は、ハルトさん、姫様を止めてください! このままじゃ皆が……」
「お、落ち着けアーシャ!」
「落ち着いてなんていられますか!? あれは、あれはもう毒ですよ……」
この口ぶり、アーシャも食べさせられたことがあるのだろうか?
「それはディランさんから聞いた。だからアーシャに、アイリスの手伝いをしてほしいんだ。必要なら他の人にも頼んでいいから! 頼む!」
「えっ!? わ、私がですか!?」
「頼む!」
俺は全力で頭を下げた。だって仲間がアイリスの手によって倒れるのは見たくないから。
「……わかりました。やりましょう」
アーシャは悩ましそうにしながらも、引き受けてくれた。
手伝うのも嫌なほどなのか?
ディランさんの話やアーシャの反応を見る限り、アイリスの料理能力をスキルレベルで表現するとすれば、マイナス表記になっていることだろう。
というわけで、俺たちは亜空間内のキッチンに移動した。
外の設備で料理してたら、火の調節ができなくて一瞬で炭にしそうだしな。
ちなみにこのキッチンは、日本のシステムキッチンがそのまま再現されているので、コンロやオーブンまである。魔力でなんでも作れるので、もはやなんでもありだ。
天堂たちにはやりすぎだと言われたけど、まぁいいだろう。
そんなわけで、アーシャとともにキッチンに立ったアイリスを、俺も監視することにした。
「アーシャ、何を作ればいいかしら?」
「えーと……ホットケーキ?」
きっとアイリスでも作れそうな簡単なものを選んだんだろうな。ホットケーキは夕飯になるのかという疑問もあるが、炭にならなければいいのだ。
一方で、作るのがホットケーキと聞いたアイリスの反応はと言えば。
「卵を使う料理は得意よ!」
などと言って胸を張っていた。
得意ではないだろ! と言いかけたが、余計なことを言って拗ねられても面倒なので呑み込んでおく。
アーシャも「そ、そうですか」と頬を引きつらせていたが、それ以上何かを言うつもりはないようだった。
「姫様、ホットケーキの材料はご存知ですか?」
「材料? そんなの簡単よ。ハルトが教えてくれたもの! 卵だけでしょ?」
「違いますから! ハルトさん、何を教えてるんですか!?」
アーシャに睨まれるが、俺は両手を顔の前でぶんぶんと振って否定する。そんなこと言ってないぞ!
「じゃあなんなのよ?」
ちょっぴり不満げなアイリスに、アーシャはコホンと咳払いを一つして材料を挙げていく。
「卵、牛乳、小麦粉、砂糖です」
「どうやって作るの?」
「ではお手本に私が一から作りますので、姫様はしっかり見て覚えてくださいね?」
「覚えるのは得意よ!」
アーシャがジト目になるが、アイリスは気付いていないようだ。
アーシャは気を取り直して材料を用意すると、さっそく作り始める。
「まずはボウルに、小麦粉と牛乳を入れて混ぜます」
「ふむふむ」
「混ぜて小麦粉のダマがなくなったら、次に卵を別のボウルに割って入れます」
「たまご!」
卵に反応するアイリス。それを華麗にスルーしてアーシャは調理を続ける。
「その時に黄身と白身で分けて、白身だけを先に入れます」
「なぜそのまま入れないの?」
「ちょっとしたテクニックです。まあ見ていてください」
アーシャはそう言うと、ボウルに入れた卵白を、泡立て器で素早く混ぜ始める。
泡立ち始めた卵白を見て、アイリスは慌てた。
「あ、泡になってるわ! アーシャ混ぜすぎよ!」
「落ち着いてください。これはメレンゲといいます。メレンゲが完成したら、黄身と砂糖をさっきの小麦粉と牛乳を混ぜたボウルに入れ、また混ぜます」
「へぇ、メレンゲって言うのね……」
アイリスは興味津々なようで、メレンゲをつつこうとしてアーシャに怒られていた。
「姫様、ハルトさんに美味しい料理を食べてもらいたくないのですか? ちゃんと聞いてくださらないと、美味しくできませんよ?」
「嫌よ! ハルトには喜んで食べてほしいわ!」
まぁ、炭でも出てこない限りは喜んで食べると思うけど……
正直、ディランさんの話を聞いてしまったので不安になるのも仕方ないだろう。
「でしたら、しっかりと覚えてくださいね」
アーシャはそう言って、説明を再開する。
「最後にメレンゲを入れて、混ぜ合わせます。この時、混ぜすぎるとメレンゲが潰れてしまうので注意してくださいね」
「わかったわ!」
「……本当ですか?」
「当たり前よ!」
元気よく返事をするアイリスだが、アーシャはまだ不安そうだ。
アイリスがしっかり手順を覚えたか不安なのだろう。
まぁ、隣について教えながら作ってもらえばいいし、そこまで心配しなくていいと思うんだけどな。
「あとは焼くだけですね。油をひいて熱したフライパンに、お玉一杯分の生地を入れます。この時に弱火にしていないと、表面だけが焦げてしまいます。ここからはしばらく放置ですね」
「なるほど……」
数十秒後。表面にぷつぷつと気泡が出てきた。
「生地から気泡が出てきたら、フライ返しで生地の裏を確認します……これくらいの狐色なら問題ないので、ひっくり返しましょう。よく見ていてくださいね?」
「わ、わかったわ!」
アイリスが緊張した表情で見つめる中、アーシャは生地をひっくり返す。
そうしてもう半面も焼いて、皿に移してバターとハチミツをかけた。
「これで完成です。どうですか? 簡単でしょ?」
「か、簡単よ!」
アイリスはできたてのホットケーキを凝視している。
そんな彼女を見て、アーシャは苦笑する。
「よかったら食べてみ――」
「いいの!? ありがとう!」
食い気味に答えたアイリスは、「いただきます!」と手を合わせてからホットケーキを一口サイズに切る。
そして嬉しそうに口へと運んだ。
「お、美味しい! こんなにふわっとしてるのね、ハチミツもすごく合うわ」
「同じものを姫様に作っていただきます。見ていたのですからできますよね?」
「もちろんよ!」
アイリスは元気よく答えると、さっそく調理を始める。
ただ、やはり慣れていないためか――
「あっ、小麦粉がこぼれちゃった!」
「卵の殻が入っちゃったわ……」
「砂糖の量、これでいいのかしら」
なんてバタついてしまっていた。
それでも諦めることなく、その都度アーシャに助けられながらなんとか生地を完成させた。
そうしてついに、メインイベントである焼きへと入る。
「フライパンに油を少し入れて、あ、あとは……そうだわ、火を弱火にして……」
アイリスはアーシャに言われたことを思い出すように言葉を発しながら、手順通りに進めていく。
生地を流し入れ、気泡が浮かぶまでじっと見つめる。
そしていくつも浮かんできた気泡が弾けるのを確認したアイリスは、フライ返しを手に取った。
「か、確認よ」
裏面は、綺麗な狐色になっている。
「アーシャ、もういいわよね?」
「はい」
アイリスは表情を引き締めてひっくり返してみるのだが……
ベチャッ!
あまり上手くいかず、生地がフライパンの縁にあたって形が崩れてしまった。
「あっ。うぅ……」
ショボーンとしてしまうアイリスだったが、すかさずアーシャがフォローする。
「最初はこんなものですよ。徐々に上手くなっていけばいいだけです」
「そ、そうよね!」
結局そのホットケーキは不格好になってしまったが、アイリスはめげずに次々に焼いていく。
結局人数分を焼き上げるまでに、一度も上手くいくことはなかったが、後半はそれなりに綺麗にひっくり返せるようになった。
「できたわ! どうかしら、アーシャ」
「姫様、お疲れ様でした。まだ完璧ではありませんが、ものすごく上達したと思いますよ!」
「当たり前よ!」
アーシャがにこやかに答えると、アイリスはドヤ顔で胸を張る。
ま、まぁ、頑張ったもんな。それに炭化してるやつも一枚もないし。
「――皆お待たせ、できたわよ! ちょっと不格好だけど美味しいはずよ!」
俺たちは全員の分のホットケーキを皿に盛り付け、亜空間から出る。
そうして皆でテーブルに着いたのだが、なぜか誰も手を付けようとせず、全員が俺の方を見ていた。
「どうして食べないんだ?」
俺の疑問に、アーシャが答える。
「姫様は、やはり最初はハルトさんに食べていただきたいのですよ。婚約者ですしね……それに私たちとしても、ハルトさんなら頑丈ですから大丈夫かな、と」
おい待て! 最後に付け加えた言葉、俺完全に毒見係じゃねーか!?
まぁ、前半の言い分はわからないでもない。
アイリスもキラキラした眼差しで、俺が食べるのを今か今かと待っているし。くっ、可愛すぎるだろ!
俺は意を決して、目の前のホットケーキを一口食べた。
「むぐむぐ、ゴクッ……うん。中がフワフワしていてとっても美味しいよ」
お世辞ではなく普通に美味しい。多少不格好でも、一口サイズにカットしたら気にならないしな。
アイリスは頬を少し赤く染めて、「あ、ありがとう。また今度作ってあげるわね」と言い、照れ隠しのように自分のホットケーキに手を付ける。
それを皮切りに、皆も食べ始める。
出てくる感想は「美味しい」というものばかりで、やっぱりアイリスは嬉しそうに頬を染めていた。
ディランさんがこの場にいたら、泣いて喜んだんだろうな。
そんな風に、のどかな夜が過ぎていくのだった。
第4話 エルフの里
翌日、俺たちは無事にトニティア樹海に到着した。
「ここがトニティア樹海か……」
樹海という言葉の通り、樹木が生い茂っていて奥の方はほとんど見えない。
背の高い木が多く、中には幹の太さが数メートルあるような大樹まであった。
俺も含めて、エフィル以外の全員がその光景に言葉を失っていた。
自然に圧倒されるっていうのはこういうことなんだろうな。
樹海の中は馬車で進めなそうだったので、マグロには馬車と一緒に亜空間に入ってもらうことにする。
エフィルの話によると、近付けば里の位置はだいたいわかるとのことだったので、彼女を先頭にして進んでいく。
「……そろそろ魔物の気配が多くなってきたな。十分に気を付けてくれ」
俺の言葉に、全員が緊張した面持ちで、周囲を見回しながら進んでいく。
いや、警戒してくれているのはいいんだけどね?
「おーい、周りばかりじゃなくて足元も見ないと――」
俺が言い切る前に、天堂が木の根に躓いて転びかけていた。
そんな天堂を見て緊張がほぐれ、程よい緊迫感とともに進む俺たちだったが、エフィルだけはかなり周囲を警戒しているようだ。
もしかして、里を襲われた時の恐怖が蘇えってきたのだろうか?
「エフィル、そんなに警戒しなくても大丈夫だ。何かあれば俺たちが守るから」
「は、はい。ありがとうございます」
俺の言葉に、エフィルはホッとした表情になる。
少しでも負担を減らしてあげられていたらいいんだが……
そう思った瞬間、俺の危機察知スキルが反応した。
「――ッ!?」
俺の反応で、あるいは自身で気付いたのだろう。皆が一気に警戒レベルを引き上げ武器を構える。
「敵襲だ!」
俺は結界魔法を発動させつつ、鋭くそう叫ぶ。
次の瞬間、俺たちを囲った結界に何かが当たって地面に落ちる。
見下ろした先にあるのは、シンプルな矢だった。
俺は矢の飛んできた方向を睨みつける。
「そこか!」
枝に紛れていてわかりにくいが、木の上に弓矢を持った男がいた。
俺は身体強化と縮地を併用して、一瞬でその男に詰め寄る。
「――なっ!? いつの間に!」
二十代前半くらいに見える男は、焦ったような声を上げる。
持っていた弓を俺に向かって投げつけ、素早くナイフを抜いた男だったが、俺は弓を避けつつ男の後ろに回り込み、組み伏せて拘束した。
「いきなり襲ってきやがって、いったい何者だ?」
俺がそう問いかけた瞬間――
「我らの同胞から手を放せ!」
その声とともに、左右から矢が飛んできた。
咄嗟に避けるも、組み伏せていた男が抜け出して、そのまま仲間のもとへと風魔法で移動してしまった。
「おいおい、先に襲ってきたのはそっちだろう?」
「ふん、我らの土地に足を踏み入れておきながら何を言う!」
ん? 『我らの土地』?
よくよく見ると、男たちの耳は尖っている。まさか……
「もしかしてお前たち――エルフか?」
「そうだ! 我らはこのトニティア樹海に住まうエルフだ」
そうか、全滅したわけじゃなかったのか。
こいつらがトニティア樹海のエルフなら、確認したいことがある。
そう思って口を開こうとしたのだが――
「それになぜ貴様と一緒にいるのか知らんが、我らが『姫』を返してもらう!」
エルフの男はそう言って、再び武器を構えた。
なるほど、エフィルを見て俺たちに攻撃を仕掛けてきたのか。
う~ん、落ち着いて話を聞いてくれそうにもないな。ここで俺がサクッと倒しちゃってもいいんだけど、どうせなら天堂たちにも頑張ってもらおうかな。
俺は木の枝から飛び降りて、皆がいる場所まで戻る。
皆も何が起きているかは見えていたのだろう、慌てることなく、天堂と最上が前に出る。
エルフの三人は俺たちの前まで追ってくると、すかさず矢を放ってくる。
俺がその矢を掴んで止めている隙に、エルフ三人のうち、両サイドの二人が弓を短剣に持ち替えて突っ込んできた。
次の瞬間、キンッという甲高い音が鳴り響く。
突っ込んでいった天堂が、聖剣でエルフの短剣を受け止めたのだ。天堂はそのまま聖剣の柄でエルフの鳩尾を殴りつけ、気絶させた。
続けて、ゴンッという鈍い音が響いた。
どうやら最上が、短剣を躱してそのまま相手を掴み、背負い投げをしたようだ。
「二人とも手加減できるようになっていて何よりだな」
「やっぱり人を武器で傷つけるのにはまだ抵抗があるからね」
「ああ。俺も咄嗟だったが、なんとか対処ができてよかった」
そんなことを話していると、残るエルフの男性が魔法を放った。
「余裕かましやがって! ――エアアロー!」
「んならこっちも」
俺は無詠唱でエアアローを放ち、あっさりと相殺する。
ついでにもう一発放ったエアアローが、まっすぐにエルフのもとへ飛んでいった。
「なっ!? クソッ!!」
エルフは驚きながらも咄嗟に横へと飛び、魔法を回避した。
しかし俺はその背中に回り込み、首に手刀を入れる。
「うっ……」
気絶したのを確認し、俺は三人まとめて縛り上げた。
「……どうする、エフィル?」
俺は皆から守られていたエフェルに、この三人をどうするかを尋ねる。
彼女は心配そうに三人を見ていた。おそらく顔見知りなのだろう。
「い、今の私は奴隷という立場ですし……」
何かをお願いする立場じゃないと、遠慮しているんだな。
「そうか。ならエフィルに命令だ。この三人をどうするか、エフェルに任せる」
「……わかりました。私は、私はこの三人から話を聞きたいと思います」
エフィルは俺の目をまっすぐに見てそう言った。
俺は頷いて、エルフの三人を叩き起こす。
「おい起きろ。いつまで気絶してやがる」
頬をぺちぺちと叩いて起こす。
目を覚ました三人はゆっくりとあたりを見回すと、俺を見て騒ぎ出した。
出発の前日、ハルトはディランに呼び出されていた。
「――ハルト、頼むからアイリスに料理を教えてやってくれないか?」
そしてディランはハルトが来るなり、そう言って頭を下げた。
「またどうして急に料理なんか?」
ハルトのもっともな質問に、ディランは頭を抱えて震え出す。
「い、以前アイリスが料理を作ってくれたことがあってな」
「へぇ、何を作ったんだ?」
「卵焼きだ。ただな――」
そう前置きして、ディランは語り始めた。
遡ること一年前、ディランの部屋にアイリスが現れた。
「パパ! 卵焼きを作ってみたわ! 食べてみて!」
「ほう? アイリスの手料理か。どれ、一つ味見を――」
そう言って皿を受け取ったディランは、言葉を失ってしまった。
皿に載っていたのは、真っ黒な物体――卵焼きの形をした炭だったからだ。
なぜか紫色のオーラが出ているような気がして、ディランは冷や汗を流す。
「こ、これが卵焼きか?」
「そうよ! 少し失敗しちゃったけどね」
これは『少し』のレベルではないだろう!?
そう叫びたくなる気持ちを抑えて、ディランは妻のアマリアを見たが、彼女は「あらあらまあまあ」とニコニコしているだけだった。
次にアイリスについてきていたアーシャを見るも、「陛下、私は『自分で味見をしてからの方がいい』とお伝えしました」と言って頭を下げるだけ。
誰も助けてくれないことを悟ったディランは、覚悟を決めて一切れ口に運ぶ。
卵焼き(?)を噛んだ途端、ガリッという見た目通りの音を立てた。
そして次の瞬間、ディランはバタッと後ろへ倒れた。
「パパ!?」
「あなた!?」
「陛下!?」
急に倒れたディランに、アイリスとアマリア、アーシャの三人が駆け寄る。
「どうしたのパパ! 何があったの!?」
「ア、アイリスよ……りょ、料理とは奥が深い、ものなの、だ、な……」
ディランは最期の力を振り絞り、その言葉を残して意識を失う。
「パパ!? パパーーーッ!」
ディランの部屋に、アイリスの叫び声が虚しく響いた。
「――ということがあったのだ。ちなみに翌日は起き上がれなかった」
「ま、マジかよ……」
疲れ切った表情のディランに、ハルトはそう返すことしかできなかった。
◇ ◇ ◇
……うん、アイリスに料理させたらダメだな。
「アーシャ、ちょっといいか?」
俺は顔を青くしているアーシャを呼び寄せる。
「は、ハルトさん、姫様を止めてください! このままじゃ皆が……」
「お、落ち着けアーシャ!」
「落ち着いてなんていられますか!? あれは、あれはもう毒ですよ……」
この口ぶり、アーシャも食べさせられたことがあるのだろうか?
「それはディランさんから聞いた。だからアーシャに、アイリスの手伝いをしてほしいんだ。必要なら他の人にも頼んでいいから! 頼む!」
「えっ!? わ、私がですか!?」
「頼む!」
俺は全力で頭を下げた。だって仲間がアイリスの手によって倒れるのは見たくないから。
「……わかりました。やりましょう」
アーシャは悩ましそうにしながらも、引き受けてくれた。
手伝うのも嫌なほどなのか?
ディランさんの話やアーシャの反応を見る限り、アイリスの料理能力をスキルレベルで表現するとすれば、マイナス表記になっていることだろう。
というわけで、俺たちは亜空間内のキッチンに移動した。
外の設備で料理してたら、火の調節ができなくて一瞬で炭にしそうだしな。
ちなみにこのキッチンは、日本のシステムキッチンがそのまま再現されているので、コンロやオーブンまである。魔力でなんでも作れるので、もはやなんでもありだ。
天堂たちにはやりすぎだと言われたけど、まぁいいだろう。
そんなわけで、アーシャとともにキッチンに立ったアイリスを、俺も監視することにした。
「アーシャ、何を作ればいいかしら?」
「えーと……ホットケーキ?」
きっとアイリスでも作れそうな簡単なものを選んだんだろうな。ホットケーキは夕飯になるのかという疑問もあるが、炭にならなければいいのだ。
一方で、作るのがホットケーキと聞いたアイリスの反応はと言えば。
「卵を使う料理は得意よ!」
などと言って胸を張っていた。
得意ではないだろ! と言いかけたが、余計なことを言って拗ねられても面倒なので呑み込んでおく。
アーシャも「そ、そうですか」と頬を引きつらせていたが、それ以上何かを言うつもりはないようだった。
「姫様、ホットケーキの材料はご存知ですか?」
「材料? そんなの簡単よ。ハルトが教えてくれたもの! 卵だけでしょ?」
「違いますから! ハルトさん、何を教えてるんですか!?」
アーシャに睨まれるが、俺は両手を顔の前でぶんぶんと振って否定する。そんなこと言ってないぞ!
「じゃあなんなのよ?」
ちょっぴり不満げなアイリスに、アーシャはコホンと咳払いを一つして材料を挙げていく。
「卵、牛乳、小麦粉、砂糖です」
「どうやって作るの?」
「ではお手本に私が一から作りますので、姫様はしっかり見て覚えてくださいね?」
「覚えるのは得意よ!」
アーシャがジト目になるが、アイリスは気付いていないようだ。
アーシャは気を取り直して材料を用意すると、さっそく作り始める。
「まずはボウルに、小麦粉と牛乳を入れて混ぜます」
「ふむふむ」
「混ぜて小麦粉のダマがなくなったら、次に卵を別のボウルに割って入れます」
「たまご!」
卵に反応するアイリス。それを華麗にスルーしてアーシャは調理を続ける。
「その時に黄身と白身で分けて、白身だけを先に入れます」
「なぜそのまま入れないの?」
「ちょっとしたテクニックです。まあ見ていてください」
アーシャはそう言うと、ボウルに入れた卵白を、泡立て器で素早く混ぜ始める。
泡立ち始めた卵白を見て、アイリスは慌てた。
「あ、泡になってるわ! アーシャ混ぜすぎよ!」
「落ち着いてください。これはメレンゲといいます。メレンゲが完成したら、黄身と砂糖をさっきの小麦粉と牛乳を混ぜたボウルに入れ、また混ぜます」
「へぇ、メレンゲって言うのね……」
アイリスは興味津々なようで、メレンゲをつつこうとしてアーシャに怒られていた。
「姫様、ハルトさんに美味しい料理を食べてもらいたくないのですか? ちゃんと聞いてくださらないと、美味しくできませんよ?」
「嫌よ! ハルトには喜んで食べてほしいわ!」
まぁ、炭でも出てこない限りは喜んで食べると思うけど……
正直、ディランさんの話を聞いてしまったので不安になるのも仕方ないだろう。
「でしたら、しっかりと覚えてくださいね」
アーシャはそう言って、説明を再開する。
「最後にメレンゲを入れて、混ぜ合わせます。この時、混ぜすぎるとメレンゲが潰れてしまうので注意してくださいね」
「わかったわ!」
「……本当ですか?」
「当たり前よ!」
元気よく返事をするアイリスだが、アーシャはまだ不安そうだ。
アイリスがしっかり手順を覚えたか不安なのだろう。
まぁ、隣について教えながら作ってもらえばいいし、そこまで心配しなくていいと思うんだけどな。
「あとは焼くだけですね。油をひいて熱したフライパンに、お玉一杯分の生地を入れます。この時に弱火にしていないと、表面だけが焦げてしまいます。ここからはしばらく放置ですね」
「なるほど……」
数十秒後。表面にぷつぷつと気泡が出てきた。
「生地から気泡が出てきたら、フライ返しで生地の裏を確認します……これくらいの狐色なら問題ないので、ひっくり返しましょう。よく見ていてくださいね?」
「わ、わかったわ!」
アイリスが緊張した表情で見つめる中、アーシャは生地をひっくり返す。
そうしてもう半面も焼いて、皿に移してバターとハチミツをかけた。
「これで完成です。どうですか? 簡単でしょ?」
「か、簡単よ!」
アイリスはできたてのホットケーキを凝視している。
そんな彼女を見て、アーシャは苦笑する。
「よかったら食べてみ――」
「いいの!? ありがとう!」
食い気味に答えたアイリスは、「いただきます!」と手を合わせてからホットケーキを一口サイズに切る。
そして嬉しそうに口へと運んだ。
「お、美味しい! こんなにふわっとしてるのね、ハチミツもすごく合うわ」
「同じものを姫様に作っていただきます。見ていたのですからできますよね?」
「もちろんよ!」
アイリスは元気よく答えると、さっそく調理を始める。
ただ、やはり慣れていないためか――
「あっ、小麦粉がこぼれちゃった!」
「卵の殻が入っちゃったわ……」
「砂糖の量、これでいいのかしら」
なんてバタついてしまっていた。
それでも諦めることなく、その都度アーシャに助けられながらなんとか生地を完成させた。
そうしてついに、メインイベントである焼きへと入る。
「フライパンに油を少し入れて、あ、あとは……そうだわ、火を弱火にして……」
アイリスはアーシャに言われたことを思い出すように言葉を発しながら、手順通りに進めていく。
生地を流し入れ、気泡が浮かぶまでじっと見つめる。
そしていくつも浮かんできた気泡が弾けるのを確認したアイリスは、フライ返しを手に取った。
「か、確認よ」
裏面は、綺麗な狐色になっている。
「アーシャ、もういいわよね?」
「はい」
アイリスは表情を引き締めてひっくり返してみるのだが……
ベチャッ!
あまり上手くいかず、生地がフライパンの縁にあたって形が崩れてしまった。
「あっ。うぅ……」
ショボーンとしてしまうアイリスだったが、すかさずアーシャがフォローする。
「最初はこんなものですよ。徐々に上手くなっていけばいいだけです」
「そ、そうよね!」
結局そのホットケーキは不格好になってしまったが、アイリスはめげずに次々に焼いていく。
結局人数分を焼き上げるまでに、一度も上手くいくことはなかったが、後半はそれなりに綺麗にひっくり返せるようになった。
「できたわ! どうかしら、アーシャ」
「姫様、お疲れ様でした。まだ完璧ではありませんが、ものすごく上達したと思いますよ!」
「当たり前よ!」
アーシャがにこやかに答えると、アイリスはドヤ顔で胸を張る。
ま、まぁ、頑張ったもんな。それに炭化してるやつも一枚もないし。
「――皆お待たせ、できたわよ! ちょっと不格好だけど美味しいはずよ!」
俺たちは全員の分のホットケーキを皿に盛り付け、亜空間から出る。
そうして皆でテーブルに着いたのだが、なぜか誰も手を付けようとせず、全員が俺の方を見ていた。
「どうして食べないんだ?」
俺の疑問に、アーシャが答える。
「姫様は、やはり最初はハルトさんに食べていただきたいのですよ。婚約者ですしね……それに私たちとしても、ハルトさんなら頑丈ですから大丈夫かな、と」
おい待て! 最後に付け加えた言葉、俺完全に毒見係じゃねーか!?
まぁ、前半の言い分はわからないでもない。
アイリスもキラキラした眼差しで、俺が食べるのを今か今かと待っているし。くっ、可愛すぎるだろ!
俺は意を決して、目の前のホットケーキを一口食べた。
「むぐむぐ、ゴクッ……うん。中がフワフワしていてとっても美味しいよ」
お世辞ではなく普通に美味しい。多少不格好でも、一口サイズにカットしたら気にならないしな。
アイリスは頬を少し赤く染めて、「あ、ありがとう。また今度作ってあげるわね」と言い、照れ隠しのように自分のホットケーキに手を付ける。
それを皮切りに、皆も食べ始める。
出てくる感想は「美味しい」というものばかりで、やっぱりアイリスは嬉しそうに頬を染めていた。
ディランさんがこの場にいたら、泣いて喜んだんだろうな。
そんな風に、のどかな夜が過ぎていくのだった。
第4話 エルフの里
翌日、俺たちは無事にトニティア樹海に到着した。
「ここがトニティア樹海か……」
樹海という言葉の通り、樹木が生い茂っていて奥の方はほとんど見えない。
背の高い木が多く、中には幹の太さが数メートルあるような大樹まであった。
俺も含めて、エフィル以外の全員がその光景に言葉を失っていた。
自然に圧倒されるっていうのはこういうことなんだろうな。
樹海の中は馬車で進めなそうだったので、マグロには馬車と一緒に亜空間に入ってもらうことにする。
エフィルの話によると、近付けば里の位置はだいたいわかるとのことだったので、彼女を先頭にして進んでいく。
「……そろそろ魔物の気配が多くなってきたな。十分に気を付けてくれ」
俺の言葉に、全員が緊張した面持ちで、周囲を見回しながら進んでいく。
いや、警戒してくれているのはいいんだけどね?
「おーい、周りばかりじゃなくて足元も見ないと――」
俺が言い切る前に、天堂が木の根に躓いて転びかけていた。
そんな天堂を見て緊張がほぐれ、程よい緊迫感とともに進む俺たちだったが、エフィルだけはかなり周囲を警戒しているようだ。
もしかして、里を襲われた時の恐怖が蘇えってきたのだろうか?
「エフィル、そんなに警戒しなくても大丈夫だ。何かあれば俺たちが守るから」
「は、はい。ありがとうございます」
俺の言葉に、エフィルはホッとした表情になる。
少しでも負担を減らしてあげられていたらいいんだが……
そう思った瞬間、俺の危機察知スキルが反応した。
「――ッ!?」
俺の反応で、あるいは自身で気付いたのだろう。皆が一気に警戒レベルを引き上げ武器を構える。
「敵襲だ!」
俺は結界魔法を発動させつつ、鋭くそう叫ぶ。
次の瞬間、俺たちを囲った結界に何かが当たって地面に落ちる。
見下ろした先にあるのは、シンプルな矢だった。
俺は矢の飛んできた方向を睨みつける。
「そこか!」
枝に紛れていてわかりにくいが、木の上に弓矢を持った男がいた。
俺は身体強化と縮地を併用して、一瞬でその男に詰め寄る。
「――なっ!? いつの間に!」
二十代前半くらいに見える男は、焦ったような声を上げる。
持っていた弓を俺に向かって投げつけ、素早くナイフを抜いた男だったが、俺は弓を避けつつ男の後ろに回り込み、組み伏せて拘束した。
「いきなり襲ってきやがって、いったい何者だ?」
俺がそう問いかけた瞬間――
「我らの同胞から手を放せ!」
その声とともに、左右から矢が飛んできた。
咄嗟に避けるも、組み伏せていた男が抜け出して、そのまま仲間のもとへと風魔法で移動してしまった。
「おいおい、先に襲ってきたのはそっちだろう?」
「ふん、我らの土地に足を踏み入れておきながら何を言う!」
ん? 『我らの土地』?
よくよく見ると、男たちの耳は尖っている。まさか……
「もしかしてお前たち――エルフか?」
「そうだ! 我らはこのトニティア樹海に住まうエルフだ」
そうか、全滅したわけじゃなかったのか。
こいつらがトニティア樹海のエルフなら、確認したいことがある。
そう思って口を開こうとしたのだが――
「それになぜ貴様と一緒にいるのか知らんが、我らが『姫』を返してもらう!」
エルフの男はそう言って、再び武器を構えた。
なるほど、エフィルを見て俺たちに攻撃を仕掛けてきたのか。
う~ん、落ち着いて話を聞いてくれそうにもないな。ここで俺がサクッと倒しちゃってもいいんだけど、どうせなら天堂たちにも頑張ってもらおうかな。
俺は木の枝から飛び降りて、皆がいる場所まで戻る。
皆も何が起きているかは見えていたのだろう、慌てることなく、天堂と最上が前に出る。
エルフの三人は俺たちの前まで追ってくると、すかさず矢を放ってくる。
俺がその矢を掴んで止めている隙に、エルフ三人のうち、両サイドの二人が弓を短剣に持ち替えて突っ込んできた。
次の瞬間、キンッという甲高い音が鳴り響く。
突っ込んでいった天堂が、聖剣でエルフの短剣を受け止めたのだ。天堂はそのまま聖剣の柄でエルフの鳩尾を殴りつけ、気絶させた。
続けて、ゴンッという鈍い音が響いた。
どうやら最上が、短剣を躱してそのまま相手を掴み、背負い投げをしたようだ。
「二人とも手加減できるようになっていて何よりだな」
「やっぱり人を武器で傷つけるのにはまだ抵抗があるからね」
「ああ。俺も咄嗟だったが、なんとか対処ができてよかった」
そんなことを話していると、残るエルフの男性が魔法を放った。
「余裕かましやがって! ――エアアロー!」
「んならこっちも」
俺は無詠唱でエアアローを放ち、あっさりと相殺する。
ついでにもう一発放ったエアアローが、まっすぐにエルフのもとへ飛んでいった。
「なっ!? クソッ!!」
エルフは驚きながらも咄嗟に横へと飛び、魔法を回避した。
しかし俺はその背中に回り込み、首に手刀を入れる。
「うっ……」
気絶したのを確認し、俺は三人まとめて縛り上げた。
「……どうする、エフィル?」
俺は皆から守られていたエフェルに、この三人をどうするかを尋ねる。
彼女は心配そうに三人を見ていた。おそらく顔見知りなのだろう。
「い、今の私は奴隷という立場ですし……」
何かをお願いする立場じゃないと、遠慮しているんだな。
「そうか。ならエフィルに命令だ。この三人をどうするか、エフェルに任せる」
「……わかりました。私は、私はこの三人から話を聞きたいと思います」
エフィルは俺の目をまっすぐに見てそう言った。
俺は頷いて、エルフの三人を叩き起こす。
「おい起きろ。いつまで気絶してやがる」
頬をぺちぺちと叩いて起こす。
目を覚ました三人はゆっくりとあたりを見回すと、俺を見て騒ぎ出した。
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