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第四章 闇の谷

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 クムは仕事を終え、屋敷を出た。家々に明かりが灯り始めていた。信じられない一日だった。エレンの笑顔が目の前に浮かんでくると、顔がほてり、体がフワフワとして落ち着かなかった。
 家につくと、母親があわてて言った。
「クム、急いで食事をしなさい。今夜、集会があるの」
「集会?」
 カズナを中心とした他の神を信じる者たちは、月に一度、教会に集まっていた。まだ、前の集会から十日と経っていない。
「カズナ様が、全員、必ず集まるようにと」
 何だろう? 嫌な予感がした。よほどのことがなければ、緊急の集会など開かれない。
「まさか……」
 血の気が引いていった。誰かに知られたのか。エレンと一緒に森に入り、教会まで行ったことが。
 母親がテーブルに夕飯を用意した。しかし、クムは、半分も食べることはできなかった。
 クムと母親は、周囲の家に気づかれないように気を付けながら家を出た。壁を乗り越え、森に入り、教会に向かった。クムにとっては、今日、二度目のことだった。
 アモンでは、夜、家からでる者は、滅多にいなかった。外は闇で、街灯のような灯りはなかった。まして、夜の森となると、目が利く者でも、明かりがなくては歩くのは不可能だった。
 クムたちは小さな明かりを持っていた。鉄のカゴの中に入れた木の燃えかすだった。弱々しいわずかな明かりだったが、神の樹の時代、暗さに慣れた人にとっては、それで十分だった。
 何て言えばいい……。
 クムは、言い訳の言葉を考えたが、考えれば考えるほど、何を言ってもムダなように思えてきた。
 集会は自分を責めるために違いない。自分たちの神を信じる者以外、決して立ち入ってはならない場所に、他の者、それもよりによって四家の人間を案内してきてしまったのだ。クムは、正しいことをしたと思っていたが、カズナや集まってくる人々にとっては全く違う、死にも値する罪なのだ。
 廃墟に着いた。階段を下りていく。信者たちが、一人一人次々と教会に集まってきた。
 神の樹より前の時代、まだ、森もなく、空には太陽が輝き、さまざまな花が風にゆられ、鳥が木にとまり、さえずっていたころ、今は廃墟となっている建物が「教会」と呼ばれていた。階段の下は、食料を蓄える倉庫として使われていた。
 地下は広い空間だった。「教会」は一番奥まった場所だった。
 正面の壁には、彼らの神のシンボルが飾られていた。それは、図案化された「月」なのだが、誰もその意味は知らなかった。彼らはその月を見たことがなかった。さらに本来は月の横には星があったのだが、その星はなくなっていた。
 壁の前には祭壇があった。全ての人が教会に入ると、カズナが祭壇の上に立った。
 信者たちのささやく声が止んだ。みんな姿勢を正し、カズナに注目した。
 クムは、人々の一番後ろにいて、逃げ出したくなる気持ちをなんとかこらえていた。
 自分の名前が出たら走り出そうか、それで逃げられるだろうか。しかし、逃げてどうする? どこで生きていく?。
 考えがまとまらない。心臓の鼓動が速くなっていく。
 カズナは集まった信者たちを眺め、満足したように、一つ大きくうなずくと、
「神を信じる者たちよ」と話し出した。
「今夜、ここに集まってもらったのは、素晴らしいことがあったからだ。このことを一刻も早く、皆に伝えようと、今夜、集まってもらった」
「え? いったい……」
「何のことだ?」
 ざわめきが地下の教会に広がっていった。
 素晴らしいこと? 自分のことではないのか?。
 カズナの顔には笑みが広がっていた。どうやら、本当に素晴らしいことらしい。
 何だ? クムはカズナを見つめた。
 カズナは、一呼吸おき、ざわめきが静まるのを待って、
「聖なる書が見つかった」と告げた。
 カズナの言葉に、「おお」と思わず声が上がった。
「私の前のその前のさらに前の指導者たちが、探し求め、得られなかった聖なる書が、今、我々の前に現れたのだ。神を讃えよ」
 カズナは大げさに両手を大きく広げた。
「聖なる書……」
 まさか……。
 どこで見つかったと言うのだろう……。
 クムは、カズナが抱えている本を見ようとしたが、いくら目を凝らしても、遠すぎて古びた表紙らしき物が、わずかに見えるだけだった。
 カズナは、ケドラを脇に呼び、「この者が、ヨシュアの屋敷で見つけた。闇の中で苦しんでいた聖なる書を救い出したのだ」と言った。
 ケドラが前に出て、手を上げた。集まった人々が静かに手をあげた。
 歓声や拍手はなかった。大きな音は禁じられていた。夜の森、壁からそうとう離れている、とはいえ、万に一つも、誰かに気づかれてはいけない。
 しかし、今夜のカズナは、よほど興奮しているのか、声が次第に大きくなっていった。
「全てが神の御心である。今日、この聖なる書がわれわれにもたらされたのは、目覚めのときが近づいているという証である。この後、何が起こるにしても、我々の神に従っていくのだ」
 カズナが拳を掲げた。信者たちも呼応して拳を上げた。
「今日を新たな聖なる日と定める。聖なる書によって、我々は、迷うことも恐れることもなくなったのだ」
 その後は、いつものように、神の話をカズナは話し続けた。
 昔、人は神の言葉を聞かず、乱れた生活を送っていたことや、神が怒って、ノムという正しき人だけを残して人を滅ぼしたこと。我々はノムの子孫であり、我々だけが正しき者であることなどだった。そして、今の四家は乱れていて、いつか神の怒りで滅ぼされるだろう、という話だった。
 集会の終わりに、カズナは信者たちに聖なる書に祈りを捧げて帰るようにと言った。
 信者たちは、一人一人、祭壇に向かい、カズナの前に置かれた古い本に感謝の祈りを捧げた。クムも母の後ろから祭壇に近づき、その「聖なる書」を見た。
 古く厚い本だった。表紙は黒ずみ、書かれている文字は、半分も読めそうになかった。
「聖なる……」
 クムは心の中で消えかけた文字を読んだ。聖なる、と確かに書かれているが、「聖」の前にも何か書かれていたようだった。
 これは違うだろう、とクムは思った。探している聖なる書ではなさそうだ。
 カズナがここまで断言するのだから、少なくとも初めの章ぐらいは目を通したのだろ。ただ、カズナといえどもこれほど厚い本を短い時間で読めたとはとても思えない。さらには、古い本には、知らない言葉や言い方も多い。よほど本を読んだ人間でないと、例えばシオンや自分のように、古い本の内容を正確に読み解くのは困難だ。
 神の樹の前の時代。多くの神が信じられていたことをクムは本を読んで知っていた。クムたちが信じる神もその一人なのだが、他にも数多くの神とそれを信じる人たちがいた。
 それらの神が、同じ神で名前が違うだけなのか、それは分からなかったが、ともかく、神の言葉を記録した書も、また神の数だけあった。さらには、神とは無関係な、ただ、神と名前をつけただけの物語も数多く残されていた。多分、祭壇に置かれた本も、その一つなのだろう、とクムは思った。
 本は、ケドラがヨシュアの屋敷で見つけたと言っていた。ヨシュア家はクオン家のように本を大切に扱っているわけではない。倉庫の隅か戸棚の奥に忘れられていたのを持ってきたのだろう。
 クムがケドラの前を通り過ぎようとすると、ケドラがクムの腕をつかんだ。
 クムは、驚いて体を硬くした。
 まさか、エレンとのことを……。
 ケドラは、顔をクムに近づけ、
「もう、お前は探さなくてもいいぞ。オレがみつけたからな」と言った。
(そんなことか)
 クムは、心の中で小さく吐き捨てた。
 どうでもいい。クムはもう「聖なる書」に関心はなかった。カズナに認められることも、うらやましくも何ともなかった。
 自慢そうにつぶやいたケドラの顔を見て、クムは、バカバカしくなったが、顔には出さず、
「はい。ケドラ様、おめでとうございます」とこたえた。
 クムは階段を上がり、地下から上に出た。クムは一つ大きなため息をついた。
 誰にも見られていなかったらしい。エレンとここに来たことも、草を摘んだことも、誰も気がつかなかったようだ。
 急に集まるようにと言われたとき、てっきり自分が責められるものだとばかり思っていた。自分だけなら、逃げ出して城に駆け込み、他の神を信じる禁を犯している者たちがいると、言いつけることもできたがが、母親がいた。母のことを思うと、責められても、ただ、謝るしかないか、と諦めるしかなかった。
 信者たちがアモンに戻って行った。クムも列の後ろから静かに歩いていった。
 クムは、集まった全ての人々が、カズナの言う神を信じていると思っていたが、実はそれは間違いだった。カズナの一番弟子と言われるケドラでさえ、心の底から神を信じているわけではなかった。このままいけばカズナの後を継ぎ、人々の上に立てるとの思いからカズナの言葉に従っているにすぎなかった。ケドラは、自分がラビや四家にかわり城の主になろうとまでは思っていなかったが、他の人々よりも大きな家に住みたいとは思っていた。
 帰り道、人々が小声で話しているのは、神のことではなく、日々のささいな出来事だった。神よりも日々の暮らしのほうが大切だ。
 人々の間に不満が貯まっていた。実が少なくなっていた。食料が減っている。毎日、壁の補修や警備の訓練にかり出され、疲れていた。人々はラビや四家への不満を平気で口にするようになっていた。
「城には食料が山のようにあるぞ」
「四家の奴らは、働きもしないで贅沢な暮らしをしている」
 かわされる言葉は、次第に激しくなっている。
 病気もだ。五日前、川向こうで二人倒れ、昨日、隣の家の父親が熱をだした。
 不気味な病気が忍び寄ってくる。まだ、死んだ者はいないらしいが、もし子どもが病気の犠牲になったりすると、人々の不満は誰に向かうのか……。
 人々の不満の声をクムは知らなかった。クムの心を占めているのは、エレンだけだった。 クムは、森を抜け、アモンに戻った。クムは、屋敷の方角に目を向けた。
 クオンの屋敷、エレンの部屋は見えないが、クムの目には、この時間でも本を読んで、薬の作り方を調べているエレンの姿が見えていた。ケドラは言ったように、もう「聖なる書」を探すことはない。明日から、エレンと一緒に薬を作ろう。クムは思っていた。
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