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第四章 闇の谷
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クムは、エレンと書庫で別れた後、急いで中庭の掃除を終えた。使用人頭のラトアが怖い目でにらんでいたが、怒られることはなかった。
クムは、屋敷を出て、家に向かっていた。疲れていたが、気持ちは明るかった。シオンから信頼され、書庫に入り、本を読むことが許されている。そして、今は何よりエレンと一緒に薬の本を探している。
「ありがとう」
というエレンの声が耳に残っていた。本を読むエレンの横顔、輝くような笑顔、目に焼き付いている。
春の女神に選ばれて、広場に現れたエレンを見たとき、あまりに美しく、クムは本物の女神かと思ったほどだ。
今は、その人と同じ場所にいて、大好きな書庫で、その人のために本を探していた。ため息がでるほどの幸運だった。
クムは、服の下に小さな本を一冊、隠し持っていた。毎日、目立たないように小さな本を選んで、家に持ち帰り、こっそり読んでいた。シオンから、書庫で本を探す手伝いをするように言われていたが、本を読む許しは得ていなかった。四家の人間以外が、本を読むことなど許されることではない。見つかれば牢屋に入るほどの重罪だった。
家の明かりが見えた。入り口で母親が待っていた。
「クム……」
「なんでしょう……」
母が不安そうな顔をしていた。
「カズナ様が、お前に会いたいと……」
「カズナ様が?」
カズナというのは、クムが住む地区の長老だった。長老というのは、周りの家々のようすを見て回り、問題があれば、城に連絡することになっていた。
なぜだろう? クムはけげんそうに首を傾げ、家に入った。
カズナが居間の椅子に座っていた。居間にはカズナ一人だけで、いつも一緒にいる、オクナやケドラといったお付きの人間はいなかった。今日は、カズナ一人でクムの家に来たらしい。カズナが一人で家を訪ねるのは、滅多にあることではなかった。
クムは緊張して、カズナの前に進み、床に座り、頭を下げた。
「私に何か、ご用でしょうか」
クムは頭を上げ、カズナにたずねた。
カズナはクムの顔を見て、そして、
「いや、急な用事と言うわけではないのだが、祈っていたら、お前の顔が浮かび、気になって来てみたのだ」と静かな口調で言った。
「そうですか……」
カズナの顔に笑みが浮かんでいた。クムは心の中で、ホッとため息をついた。怒られるわけではなさそうだった。
「クオンの屋敷に行きだしてから、もうどれほどになる」
カズナが聞いた。
「半年でしょうか」
クムが答えた。
「半年で、信頼を得たわけか」
「は、はい」
「書庫にまで入れるようになるとは、大したものだ」
「は……」
クムは言葉に詰まった。書庫に入って、本の整理を手伝っていることや、エレンの本を一緒に探していることは、カズナには伝えていなかった。母にも言っていない。シオンとエレン以外、知らないはずだった。
「お前は、幼いときから文字を読みたがった。文字を教えたのは、オクナだったかな」
「いえ、ケドラ様に教えていただきました」
「おお、そうか。そうであったな。ケドラは、今、ヨシュアの家に行っておる」
カズナは、何を言いたいのだろう。クムはカズナの顔を改めて見た。笑みを浮かべているものの、目は鋭いままだ。
「クム」
カズナの口調が急に厳しくなった。
「はい」
クムは背筋を伸ばした。
「お前の役目は、聖なる書を探すことだ。それを忘れてはならん」
「はい……」
「注意して、ことにあたれ。誰にも目的をさとられてはならん。我々のを存在が明らかになれば、お前だけでなく、神を信じる者、全てに迷惑がかかる。そのことをよく心に刻んで、自らの勤めに励め」
「はい……」
「神を裏切るな。もう二度と、その服の下に隠している物などに気を取られてはならぬ」
本のことをカズナは知っていた。何もかもしっている。カズナに隠し事などできない。クムは、恐ろしさに体が震えてきた。
「申し訳ありません。もう二度とこのようなことはいたしません」
クムは、床に頭をつけて言った。
「わかればよい。神に誓って二度と過ちを繰り返さぬことだ」
「はい……」
「ともあれ、わすか六ヶ月で、若いお前が屋敷で書を探しているだけで、奇跡のようなものだ。よくぞ、そこまでできるようになった」
カズナは満足そうにうなずいた。
「聖なる書をはやく、この目で見てみたいものだ。一体、どれほど素晴らしいものか」
カズナたちは、異教の民だった。禁じられた神を信じる者達だ。
神の樹の前の時代には、さまざまな神がいたのだが、今は、樹を作った神だけが神になっていた。
聖なる書というのは、カズナたちが信じる神の言葉が書かれている本のことだった。
そこに書かれているのは、神の樹の物語ではなく、他の神の物語だった。ラビや選ばれた家による支配ではなく、神の元で平等に生きる人々の物語だった。ただ、聖なる書は失われていた。今は、ただカズナのような長老によって、口づてに伝えられているだけだった。
神の樹の時代。他の神を信じることは、強く禁じられていた。他の神を信じると、樹の恵みが消えてしまうと考えられていた。
クオン家の書庫には、聖なる書は無いだろうとクムは、頭を下げながら考えていた。
書斎の本も地下の書庫もクムは一通り目を通していた。そこには、カズナが言う聖なる書らしい本は無かった。もちろん、全ての本を読んだわけではない。それでも、本の題名は、ほとんど目にしていた。
シオンから、城の地下には、さらに大きな書庫があるらしいと聞いていた。あるとしたら、城なのだろうが、そこには、とても入れてもらえそうになかった。
もし、入れたとしても、自分は、聖なる書を探すことはないだろう、とクムは思った。 その本に何が書かれていても、クムにとって、それほど大きな意味がないように思えた。
クムが書庫から持ち出し、隠れて読んできた本には、アモン以外の国のことが書かれていた。
誰にも言えないが、クムはもっと自由に生きたかった。ここにいると、カズナによって選ばれた人と結婚しなくてはならない。神を信じる女性だ。そして、コソコソと隠れながら何だかわからない神に祈る、もう止めたいが、父も母も、もちろんカズナも、クムが抜けるのを許さないだろう。
ここから出たい。出て、新しい世界を見てみたい、とクムは心から思った。できれば、夢のような話だが、エレンと一緒に行ければ、これ以上嬉しいことはない。
「神のご加護を」
カズナが言って、立ち上がった。
「神のご加護を」
クムもつぶやいたが、自分は、神の加護を求めることはないだろうと、感じていた。
クムは、屋敷を出て、家に向かっていた。疲れていたが、気持ちは明るかった。シオンから信頼され、書庫に入り、本を読むことが許されている。そして、今は何よりエレンと一緒に薬の本を探している。
「ありがとう」
というエレンの声が耳に残っていた。本を読むエレンの横顔、輝くような笑顔、目に焼き付いている。
春の女神に選ばれて、広場に現れたエレンを見たとき、あまりに美しく、クムは本物の女神かと思ったほどだ。
今は、その人と同じ場所にいて、大好きな書庫で、その人のために本を探していた。ため息がでるほどの幸運だった。
クムは、服の下に小さな本を一冊、隠し持っていた。毎日、目立たないように小さな本を選んで、家に持ち帰り、こっそり読んでいた。シオンから、書庫で本を探す手伝いをするように言われていたが、本を読む許しは得ていなかった。四家の人間以外が、本を読むことなど許されることではない。見つかれば牢屋に入るほどの重罪だった。
家の明かりが見えた。入り口で母親が待っていた。
「クム……」
「なんでしょう……」
母が不安そうな顔をしていた。
「カズナ様が、お前に会いたいと……」
「カズナ様が?」
カズナというのは、クムが住む地区の長老だった。長老というのは、周りの家々のようすを見て回り、問題があれば、城に連絡することになっていた。
なぜだろう? クムはけげんそうに首を傾げ、家に入った。
カズナが居間の椅子に座っていた。居間にはカズナ一人だけで、いつも一緒にいる、オクナやケドラといったお付きの人間はいなかった。今日は、カズナ一人でクムの家に来たらしい。カズナが一人で家を訪ねるのは、滅多にあることではなかった。
クムは緊張して、カズナの前に進み、床に座り、頭を下げた。
「私に何か、ご用でしょうか」
クムは頭を上げ、カズナにたずねた。
カズナはクムの顔を見て、そして、
「いや、急な用事と言うわけではないのだが、祈っていたら、お前の顔が浮かび、気になって来てみたのだ」と静かな口調で言った。
「そうですか……」
カズナの顔に笑みが浮かんでいた。クムは心の中で、ホッとため息をついた。怒られるわけではなさそうだった。
「クオンの屋敷に行きだしてから、もうどれほどになる」
カズナが聞いた。
「半年でしょうか」
クムが答えた。
「半年で、信頼を得たわけか」
「は、はい」
「書庫にまで入れるようになるとは、大したものだ」
「は……」
クムは言葉に詰まった。書庫に入って、本の整理を手伝っていることや、エレンの本を一緒に探していることは、カズナには伝えていなかった。母にも言っていない。シオンとエレン以外、知らないはずだった。
「お前は、幼いときから文字を読みたがった。文字を教えたのは、オクナだったかな」
「いえ、ケドラ様に教えていただきました」
「おお、そうか。そうであったな。ケドラは、今、ヨシュアの家に行っておる」
カズナは、何を言いたいのだろう。クムはカズナの顔を改めて見た。笑みを浮かべているものの、目は鋭いままだ。
「クム」
カズナの口調が急に厳しくなった。
「はい」
クムは背筋を伸ばした。
「お前の役目は、聖なる書を探すことだ。それを忘れてはならん」
「はい……」
「注意して、ことにあたれ。誰にも目的をさとられてはならん。我々のを存在が明らかになれば、お前だけでなく、神を信じる者、全てに迷惑がかかる。そのことをよく心に刻んで、自らの勤めに励め」
「はい……」
「神を裏切るな。もう二度と、その服の下に隠している物などに気を取られてはならぬ」
本のことをカズナは知っていた。何もかもしっている。カズナに隠し事などできない。クムは、恐ろしさに体が震えてきた。
「申し訳ありません。もう二度とこのようなことはいたしません」
クムは、床に頭をつけて言った。
「わかればよい。神に誓って二度と過ちを繰り返さぬことだ」
「はい……」
「ともあれ、わすか六ヶ月で、若いお前が屋敷で書を探しているだけで、奇跡のようなものだ。よくぞ、そこまでできるようになった」
カズナは満足そうにうなずいた。
「聖なる書をはやく、この目で見てみたいものだ。一体、どれほど素晴らしいものか」
カズナたちは、異教の民だった。禁じられた神を信じる者達だ。
神の樹の前の時代には、さまざまな神がいたのだが、今は、樹を作った神だけが神になっていた。
聖なる書というのは、カズナたちが信じる神の言葉が書かれている本のことだった。
そこに書かれているのは、神の樹の物語ではなく、他の神の物語だった。ラビや選ばれた家による支配ではなく、神の元で平等に生きる人々の物語だった。ただ、聖なる書は失われていた。今は、ただカズナのような長老によって、口づてに伝えられているだけだった。
神の樹の時代。他の神を信じることは、強く禁じられていた。他の神を信じると、樹の恵みが消えてしまうと考えられていた。
クオン家の書庫には、聖なる書は無いだろうとクムは、頭を下げながら考えていた。
書斎の本も地下の書庫もクムは一通り目を通していた。そこには、カズナが言う聖なる書らしい本は無かった。もちろん、全ての本を読んだわけではない。それでも、本の題名は、ほとんど目にしていた。
シオンから、城の地下には、さらに大きな書庫があるらしいと聞いていた。あるとしたら、城なのだろうが、そこには、とても入れてもらえそうになかった。
もし、入れたとしても、自分は、聖なる書を探すことはないだろう、とクムは思った。 その本に何が書かれていても、クムにとって、それほど大きな意味がないように思えた。
クムが書庫から持ち出し、隠れて読んできた本には、アモン以外の国のことが書かれていた。
誰にも言えないが、クムはもっと自由に生きたかった。ここにいると、カズナによって選ばれた人と結婚しなくてはならない。神を信じる女性だ。そして、コソコソと隠れながら何だかわからない神に祈る、もう止めたいが、父も母も、もちろんカズナも、クムが抜けるのを許さないだろう。
ここから出たい。出て、新しい世界を見てみたい、とクムは心から思った。できれば、夢のような話だが、エレンと一緒に行ければ、これ以上嬉しいことはない。
「神のご加護を」
カズナが言って、立ち上がった。
「神のご加護を」
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