荒れ地に花を

グタネコ

文字の大きさ
上 下
38 / 43
第七章  植物園

3

しおりを挟む
「遅い」
 小野は腕時計を見て、つぶやいた。電話を切ってから二十分経っていた。
 遅い。川合の部屋から植物園まで、どんなにゆっくり歩いても十分もあれば十分なはずだ。
 二十分、二十一分。時計の針が進んでいく。 何をしているんだ。小野は親指の爪をかんだ。ストレスが溜まっているときの癖だった。
 東応大学の植物園は、熱帯のジャングルをイメージして作られていた。落ち着いて周りを見れば、ヤシの木がドーム型の天井近くまで伸び、熱帯の色鮮やかな花々が咲いているのを観賞できた。
 もちろん小野にそんな余裕はなかった。イライラと爪をかみ、まるで縦横二メートルの透明な檻の中に入れられたように、同じ場所をグルグルと歩き回っていた。
 小野の後ろにシダの茂みがあった。その茂みの陰から、小野に向かって、あの花がゆっくりツルを伸ばしてきていた。
 ドアが開く音がし、小野は入り口に目をやった。小太りの川合の姿が見えた。
 川合は入り口から、小野の姿を探して歩いて行った。植物園と言っても、夢の島にある植物園のように大きいわけではない。あくまで研究用に作られた植物園だった。迷子になる広さではない。ゆっくり見て回っても三十分もあれば一周してしまう。普通に歩くと十五分ほどだ。
 植物園の中央付近にくると、川合は、
「小野」と呼んだ。
「どこにいるんだ?」
「川合さん」
 小野の声が聞こえた。
「どこだ?」
 川合が周りを見回した。
 少し間があって、
「ここですよ」
 と小野が爪をかみながら、ヤシの木の陰から出て来た。
「そこか」
 川合が小野に近づいて行った。
「何か分かりましたか?」
 小野が川合に言った。
「分かったって、何がだ」
 川合が言った。言葉に険があった。
「麻生圭子のデータですよ」
 当たり前だろうという口調で、小野が言った。
「ないよ」
「よく探しましたか」
「何だよ、それは。まるでオレが探してないみたいな言い方じゃないか」
「よく探したかって聞いただけですよ。彼女が使っていた実験室のロッカーとか、パソコンの隠しファイルとか」
「そんな所は一番初めに探してるさ。そっちこそ、しっかり探したのか」
 二人は、しゃべりながら、ジリジリと近づいて行った。
「探しましたよ。あなたが研究室でのんびり女子学生と話している間、こっちは、泥棒のマネをして」
「女子学生? ふざけるな。で、あったのか、データは」
「無い」
「無い? よく探したのか?」
「探した」
「本当に、しっかり探したのか?」
「しつこいぞ。無いと言ったら無いんだよ」
 小野が口調を変え、苛立った声で言った。「見つけて、隠しているんじゃないのか」
「誰がだ。それは、そっちの話だろ、そっちこそ、データを隠して、私を呼び出して、殺そうとしてるんじゃないのか」
「そんなわけはないだろ。それなら、こんな場所に呼び出すわけがない。そっちこそ、オレを」
「バカな事を言うな」
「それなら……」
 二人は、喋るのを止め、互いに顔を見合わせた。どうやら、本当にデータは見つかってないらしい。
「もう一度だな」
 川合が言った。
「あるとしたら、麻生圭子の部屋か妹の部屋以外、考えられない。見落とした場所があるはずだ。今度はオレも一緒にいくから、二人で探せば……」
「いや、私はもう止める。たくさんだ。泥棒のまねごとは、もうお終いだ。元の平凡な会社員に戻って、研究所の隅でフラスコでも振っていればいい。それが一番、性にあっている」
 小野の本音だった。できることなら始めからやり直したかった。
「そうはいくか。最後まで研究データを探すんだよ」
「あんたが一人でやったらいいだろ。私は、この件からはもう降りる。これ以上やると、警察に捕まってしまう。今ならまだ、謝ればなんとかなるかもしれない」
 小野が言った。希望的観測だが、謝るより他に方法はなさそうだった。
「ふざけるな。もう後戻りは出来ないんだよ。オレ達は、人を殺しているんだぞ」
 川合は大声を出した。
 小野は「えっ」という顔をした。
「殺した? 誰をだ? おい、誰を殺したんだ?」
 小野が川合に質した。
「チッ」
 川合は舌打ちをした。しまった。小野は知らなかった。
「心配するな。自殺で終わってる話だ」
 川合は暗い声で言った。
「自殺? 麻生圭子か、そうだな。あんたがが彼女を殺したのか?」
「彼女は自殺だ」
「今、殺したといったろう。あんた達は、一体、何をやってくれたんだ」
「オレはやってない」
「殺したって、今、言っただろう」
「……」
 川合は黙った。
「なんてことを」
 小野は大きくため息をついた。
「お前も共犯だ」
 川合が吐き捨てるように言った。
「私? 私は何も関係ない。あんたと丸山の二人でやったことだろ」
「始まりはお前だ。お前が研究が欲しいなんて言わなければ、こんなことにはならなかったんだ」
「おい、止めろ。それは言いがかりだろう」
 小野と川合が話していた。ギタヒは音を立てないように近づき、木の後ろに隠れて二人の話を聞いていた。
「もう、逃げられないんだよ。四人死んでるからな、ダメでもやるしかないんだ。データを探して、どこかに売りつけて……」
「四人? 四人っていうのは、誰のことだ」
「丸山」
「高橋部長に、彼女と、あとは……」
「いや、麻生は違う。丸山と部長、オレの知り合いの山口とあと一人、小尾という男だ」
「誰だそれは?」
「……」
「おい、川合さん」
 川合は、しぶしぶ、あの夜の出来事を小野に話しだした。研究データを盗もうとして、見つかり、もつれて、事故、そして殺人。
「そうか」
 話を聞き終わり、小野はため息をついた。
「正直に言ってくれ、お前が四人を殺したのか」
 川合が小野に言った。
「バカを言うな、何で私が人を殺すんだ。そっちこそ」
「オレじゃない。オレがやったのなら、こんな話をするわけがないだろ」
「それなら、誰だ、誰が殺したんだ?」
 小野に心あたりはなかった。
「妹は……」
「いや、それはない」
 良く知っているわけではないが、圭子の妹、亮子が人を殺せるとは、とても思えなかった。
「もしかしたら……」
 川合がつぶやいた。
「あいつかもしれないな」
「あいつって、誰だ?」
「アフリカから来ている留学生だ」
「留学生?」
「親しそうに彼女と話していたのを何度か見た。それに、この前、丸山と喧嘩をしていたと学生が話していたし、警察もアイツのことを聞いていた」
「あの留学生か……」
「おい、待てよ……そうだ、うまくすれば」
 川合の表情が変わった。不安と絶望の地の底に、悪意の希望が射した。
「全部あいつのセイにできるかもしれないぞ。そうだ、あいつが彼女の研究を盗もうとして、見つかって、それを注意した丸山を、いいぞ、上手くいくかもしれないな」
 それはいいアイデアかもしれない。
 小野も川合の汚い思いつきに光を見ようとしていた。うまくいけば、栄誉も亮子も手にはいるかもしれない。
「データだな」
 二人は同じ考えに至った。データを見つけて、後は、留学生に罪を全てかぶせてしまおう。二人で警察に証言してもいい。
 二人の話を聞きながら、ギタヒは怒りで体が震えてくるのを抑えられなかった。麻生圭子は殺されていた。あの花を奪うために殺した。あいつら。許さない。
 怒りで理性が消えた。考えるより先に体が動いていた。
 ギタヒは、木の陰から飛び出し、「ウワー」と大声を出して、川合に殴りかかった。
 右の拳が、川合の顔に当たり、川合はシダの茂みに倒れ込んだ。
 ギタヒはなお、叫びながら、倒れた川合に殴りかかっていった。
「止めろ」
 小野がギタヒを後ろから止めようとしたが、逆に、肘が顔に当たり、小野は顔を抱えて、しゃがみ込んだ。
 川合は立ち上がり、「てめえ」と叫んで、ギタヒに体当たりをした。二人はもつれながら、茂みの中に倒れ、意味のない叫び声を上げながら、殴り合っていた。
 小野は鼻を押さえてうずくまっていた。指の間から血が流れてくる。鼻血が止まらなかった。
 シダの間から、「花」がツルを伸ばし、小野の足に絡みついた。ツルは小野の足から太腿に向かって這い上がっていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

夜の動物園の異変 ~見えない来園者~

メイナ
ミステリー
夜の動物園で起こる不可解な事件。 飼育員・えまは「動物の声を聞く力」を持っていた。 ある夜、動物たちが一斉に怯え、こう囁いた—— 「そこに、"何か"がいる……。」 科学者・水原透子と共に、"見えざる来園者"の正体を探る。 これは幽霊なのか、それとも——?

最後の灯り

つづり
ミステリー
フリーライターの『私』は「霧が濃くなると人が消える」という伝説を追って、北陸の山奥にある村を訪れる――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺が咲良で咲良が俺で

廣瀬純一
ミステリー
高校生の田中健太と隣の席の山本咲良の体が入れ替わる話

幽霊探偵 白峰霊

七鳳
ミステリー
• 目撃情報なし • 連絡手段なし • ただし、依頼すれば必ず事件を解決してくれる 都市伝説のように語られるこの探偵——白峰 霊(しらみね れい)。 依頼人も犯人も、「彼は幽霊である」と信じてしまう。 「証拠? あるよ。僕が幽霊であり、君が僕を生きていると証明できないこと。それこそが証拠だ。」 今日も彼は「幽霊探偵」という看板を掲げながら、巧妙な話術と論理で、人々を“幽霊が事件を解決している”と思い込ませる。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。 独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす 【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す 【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す 【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす 【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...