荒れ地に花を

グタネコ

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第四章  荒れ地

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 教授の片山は、恐ろしく不機嫌な表情をしていた。
「教授が助手の私生活なんて知ってるわけがないだろ。なんで死んだのかは知らないが、講演の準備で忙しいときに、全く、いい迷惑だよ」
 佐竹と鈴木は、落第した学生のような気分で片山の話を聞いていた。
「だいたいね、なぜ死んだかなんて、調べるのは、警察の問題じゃないのかね」
 片山は、あからさまに迷惑だという態度で、丸山の死は、佐竹と鈴木に責任があるような言い方をした。
 二ヶ月前に自殺騒動があり、また同じ研究室の助手が死んだ。研究室の長として、何か責任を感じてもと思うのは、一般人の感覚なのか、片山は助手の死を悼むこともなかった。
「何か、お気づきのことがありましたら、こちらへ連絡をお願いします」
 これ以上聞いても何も出そうにない、と佐竹は思い、名刺だけ渡して、早々に教授室を退散した。
 研究室の他の人間にも聞いてみたが、丸山は人付き合いの悪いタイプだったようで、特に、親しかった人間はいないようだった。
 付き合いが悪いのか、人に好かれていないのか、それとも仕事に熱心なだけなのか、判断しかねたが、ともかく、一人で夕飯をとり、一人残って仕事をし、研究所を出るのは毎日十時過ぎだったらしい。
 丸山のいた部屋は、想像していたよりもはるかに雑然としていた。准教授になれば、自分の部屋が持てるらしいが、助手では、学生と一緒の大部屋に机を並べるのだという。
「ここが、丸山さんの席です」
 以前、麻生圭子の話を聞いた、吉岡朋子が机を指さした。
 机の上は、生前のまま何も手をつけていないとのことだった。
 パソコンのモニターとキーボード、マウス、マグカップ、筆記用具、専門書や論文のコピー、研究ファイルなどが置かれていた。
「隣は空席ですか?」
 佐竹が聞いた。丸山の隣の席は、誰も使っていないようすだった。
「そこは麻生さんの席でした」
 朋子が声を抑えていった。机の上は片付けられ何もなかった。自殺した人間の机では、すぐには、誰も使う気にはならないのだろう。二ヶ月経っても空いたままだった。さらに、隣の丸山がミイラになって死んだと知ったら、丸山の机も、しばらくは―永遠にかもしれないが―使われないだろう。
「隣か……」
 佐竹はつぶやいた。ここでも、麻生圭子が出てくる。
「あの……」
 朋子が、さらに声を潜めた。部屋の中には、佐竹と鈴木、朋子の三人しかいないのだが、誰かに聞かれているような気がして、声が小さくなった。
「何か?」
「関係ないかもしれませんけど、丸山さんが留学生と言い争っているのを見たって、男子学生が言ってました」
「喧嘩?」
「言い争いだそうです。一ヶ月ほど前に、下のロビーの隅で」
「へえ」
「ただ、階段を上がりながら、ちらっと見ただけだから、研究の話をしていただけかもしれないけど、雰囲気は悪かったって」
「留学生?」
「ええ、ニールという人で……」
「その留学生は、今、どこに?」
「しばらく、休んでいるみたいです」
「休んでる? 病気?」
「さあ、理由はわかりませんけど、ここ一ヶ月ぐらい、姿を見ていないような……」
「一ヶ月……」
 ミイラと時期が重なる。
「あの……留学生は、関係ないかもしれませんけど」
 佐竹が、あまりに真剣な顔になったので、朋子は逆に心配になった。
「普段は明るくて良い人なんです」
「分かった。心配しなくても、あなたから聞いたなんて言わないから」
 佐竹は無理に笑顔を作って言った。
「お願いします」
「どうもありがとう」
 佐竹は朋子に礼を言って、研究室を出た。
「関係ありますかね」
 鈴木が言った。
「さあな。まあ、取りあえず、行ってみるか」
 佐竹と鈴木は事務室でニール・ギタヒの情報を確認した。
「ニール・ギタヒ、アフリカのニジェールから来ているようですよ」
 鈴木が事務所から渡されたメモを見ながら言った。
「ニジェール? どこだ?」
「どこだって聞かれても、僕、地理はダメですから」
 鈴木は首を振った。
「じゃあ、何が良いんだよ」
「歴史なら少し。大化の改新とか鎌倉幕府とか。なんとキレイな平城京。平城京遷都。七百十年」
「役にたたねえな」
「アパートは、葛西みたいですね。今から行きます? 佐竹さん。あれ? 佐竹さん」
 鈴木が横を見た。いるはずの佐竹の姿はなかった。振り返ると、佐竹はエレベータの前にいた。
「佐竹さん、どこへ行くんです」
 佐竹は、何も言わずにエレベータに乗り込もうとしていた。
「佐竹さん。ちょっと」
 ドアが閉まりかけ、鈴木も慌ててエレベータに駆け込んだ。
「どこへ行くんです?」
 佐竹は、「上」と指で示した。十階のボタンが押されていた。最上階だった。
 エレベータが十階に着き、佐竹は、屋上へ続く階段を上って行った。
 ドアを開けると、視界が開けた。屋上は、むき出しのコンクリートで、人工芝もなにもひかれていなかった。ベンチと灰皿が見えた。建物内は禁煙である。どうやら、喫煙者は我慢できなくなると、屋上でタバコを吸っているらしい。
「ここかな……」
 佐竹が柵に近づいていった。麻生圭子が飛び降りたという場所だ。
 夜中、警備員が「ドサッ」という屋上から落ちる音を聞いて、すぐに駆け寄り、救急車を呼んでいた。机の上に遺書が残され、屋上に靴が揃えられていたことなどから、自殺とされた。麻生圭子は屋上から中庭に向けて飛び降りたことになっていた。
「ここからか……」
 佐竹は柵から下を覗いた。建物は十階建て、屋上なので十一階に相当する。中庭が見えていた。気のせいかもしれないが、真下の植え込みが人の形に凹んでいるように見えた。
 ここから飛び降りる気になるだろうか、と佐竹は思った。
 柵は佐竹の胸ほどの高さがあった。麻生圭子は佐竹より背が低い。この柵をよじ登らなくては自殺できないのだが、結構、大変そうに思えた。
 その夜は、弱い雨が降っていたらしい。そんな夜に、屋上まで来て自殺するだろうか。もちろん、晴れた月夜が自殺に向いているわけでもないだろうが、雨の夜に、屋上に来て靴を脱ぎ、柵を必死に乗り越えて飛び降りる。
 雨の深夜。何も見えない暗闇に向かって飛び降りる気持ちは、自分には分からない。もし、自分が自殺するとしたら、雨の夜は選ばないだろう。もちろん、他人の心の中までは分からないから、あり得ない、とまでは言えないだろうが……。
 聞いた限りでは、子どもの死後も大学に来て研究を続けていたようだ。少なくとも、自殺すると感じていた人間はいなかったらしい。
「アフリカへ行くと言っていた」という証言もある。普通、目標がある人間は自殺しないものだ。
 佐竹は、麻生圭子の自殺を調べ直そうと思って屋上に来たわけではなかった。気にかかるので、確認したかっただけだった。自殺だと納得できれば、それで良かった。
 しかし、現場に立ってみると、自殺がさらに信じられなくなっていた。
 もし、自殺ではないとすると……。
 佐竹は刑事らしく考えた。
 殺人か……。
 だとすると、誰かが麻生圭子を屋上まで運んで、ここから下に放り投げたことになる。
 柵の高さを考えると、複数犯と考えるのが普通だろう。一人でやろうとすると、相当の力がいるはずだ。
 二人で被害者を抱え上げ、柵を越えて、下に放り投げる。自殺を偽装するために靴をそろえ、遺書を偽造し、と考えたところで、「フワー」と鈴木の緊張感のないアクビの声が聞こえた。
「まったく」
 佐竹は舌打ちをした。鈴木は大きく伸びをして、またアクビをした。
「しょうがねえな」
 佐竹はため息をついた。考えれば不審な点が浮かんでくるのだが、これはもう済んでいる事件だった。よほどの証拠か出て来なければ、関係のない人間が、ただカンだけで再捜査できるはずがない。
 身内でもいて、自殺に疑問を持ち、警察に訴えれば再捜査の可能性もないわけではないが……身内? そう言えば、麻生圭子に身内はいたのか?。
 麻生圭子の死が自殺ではなく、他殺だったら、恨みを晴らすのは……身内……。
 兄弟姉妹はいたのか? もしかして、親族の誰かが、研究者だったら、人を殺してミイラにする方法を知っているのではないか。白衣を着た女が、寝ている男に注射する。男がミイラに変わっていく。一瞬、佐竹の頭に、そんな想像が浮かんだ。。
「しかし、まさかな」
 佐竹はつぶやいた。それはないだろう。天下の科捜研がミイラになる原因が分からないと言っているのだ。
「たしか、潮見署だったな」
 佐竹はつぶやいた。麻生圭子の自殺を扱った署だ。
「聞いてみるか……」
 潮見署には警察学校の同期がいた。
「佐竹さん。今日は、良い天気ですね。やっぱり、高いところは気持ちがいいや」
 鈴木が脳天気な声をだし、また「ウーン」と伸びをした。
 佐竹は、一瞬で気が萎えた。
「行くぞ」
 佐竹は不機嫌そうな声をだした。
 二人は研究所を出て、署には戻らず、ギタヒのアパートに廻った。地下鉄東西線、葛西駅から歩いて十分ほどの場所にある安アパートだった。同じ敷地に二階建てのアパートが二棟並んで建っていた。
 メゾン葛西B棟103号室。表札らしきものは無かった。
 鈴木が呼び鈴を鳴らした。しばらく待ったが、何も応答がなかった。佐竹がドアを叩くと、「うるせえ」と隣の部屋から罵声が聞こえた。
「いないみたいですね」
 鈴木が、もう一度呼び鈴を鳴らして言った。
「ああ」
「待ちますか?」
「待ってもな……」
 いつかは戻るだろうが、いつになるか分からない。ずっと待っているわけにもいかない。
 どうするか、二人がドアの前で迷っていると、
「何か、ご用ですか?」
 と、ほうきとちり取りを手にした女性が近づいてきた。歳は六十代半ばぐらいか、今では懐かしいかっぽう着姿だった。
「警察なんですが、ここの部屋の留学生の人に、ちょっと」
 鈴木が警察手帳を見せながら言った。
 女性は、警察と聞いて嫌な顔をした。
「私、一応、ここの大家なんですけど」
 アパートは夫との共有名義で、掃除は自分がやっていると女性は言った。
「今度は何です……」
 喧嘩、痴漢、自転車泥棒、間借り人はトラブルが多いようだ。
「この部屋の留学生なんですけど」
 鈴木がドアを指さして言った。
「留学生?」
「ニール・ギタヒ。この部屋ですよね」
「ああ、あの黒人さんね。何かしました?」
「いえ、ただ、二、三お聞きしたいことがあって」
 女性は、呼び鈴を押し、「ニールさん」と声をかけたが、返事はなかった。
「いないみたいね」
「彼のことは、よくご存じですか?」
「いいえ、全く。ほとんど、話したこともないし」
 日中は何をしているのか。友人関係はどうか。誰か訪ねてくる人間はいるか。何を聞いても、「さあ」という返事だった。
「顔もほとんどみないし」
 家賃さえ入っていれば、店子の私生活には興味がないらしい。
「もう、いいですか」
「もし、見かけたら、こちらに連絡をお願いします」
 佐竹は名刺を渡した。
「分かりました」
 女性は。名刺を見ながら「佐竹さんね……」とつぶやき、名刺をかっぽう着のポケットに入れた。
「もう腰も痛いし、駐車場にしたらって、言ってるンですけどね。アパートをつぶすのもお金がいるっていうから……」
 女性は、愚痴を言いながら、掃除を始めた。
 さて、どうする。佐竹は、駅に戻りながら考えた。死んだ四人がおぼろげにつながりだした。しかし、死んだ理由が病気なのか、事故なのか、それとも誰かに殺されたのか、さっぱり分からなかった。殺人だとしても、動機が分からない。容疑者らしい人間もまだ浮かんでこない。そして、何よりも、なぜミイラになったのか、その原因が全く分かっていないのだ。
 これに比べれば、金目当ての強盗や、怨恨の殺人などが可愛く思えてくる。本音を言えば、病死で済ましてしまいたかった。それが一番簡単そうだ。
 腹が減っていた。気がつけば、昼飯を食べていなかった。鈴木がもの欲しそうな顔でラーメン屋を見ていた。
「食っていくか」
 佐竹は鈴木に声をかけた。
「ええ。豚骨がうまそうですよ」
 鈴木は嬉しそうに答えた。

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